1997年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
そういってチャンスでゲッツー連発する打者ばかり育たなければいいが・・・ >>254
他球団のファンだったから、そのあたりのことはよくわからないんだけど、
パウエルはチャンスにゲッツー連発だったのね >>252
パウエル監督代行は流石にないかね?
昔レオン代行とかやった
オリックスじみた事はしないとは思うが… この年は、昨日亡くなられたノムさんにとって、最後のリーグ優勝・日本一だったな 開幕からラストまでずっと一位だったからなあ
あんな楽な優勝もなかなかなかっただろう 結果2位横浜と11ゲーム差開いて優勝したけど
8月下旬には横浜の猛追で2.5ゲーム差まで追い詰められてた 日本シリーズでのヤクルトの西武に対するレイプっぷりが凄まじかった でも、西武のやられ具合は翌年のほうがもっと酷かった印象がある この年ヤクルトは開幕戦で斎藤雅樹を完膚なきまでに打ち砕いたな。
斎藤は阪神だけには強く、ヤクルト・広島には全くダメだった印象がある。 日本シリーズ終了後、野村と森祇晶が週刊ベースボールで対談しているが
・昨年(1997年)は森先生は4位予想でした、私も4位か5位だと思っていた
(ちなみに原辰徳は4位、江川卓は最下位予想だった)
・オマリーがいなくなったので大砲の獲得を要望したが代わりに
取ってきたのがホージーだった
・あの茶髪集団(西武)には絶対に負けられないと思った。個性という
意味を吐き違っている
と言いたい放題だった。野村はこ゚の歳監督として1000勝達成 1998年、シーズン終了後
野村「あの二人の監督(権藤と東尾)に負けたと思うと腹が立つ」 >>263
ホージーってシーズン前に酷評されてたよな、それもメチャクチャw
それがホームラン王になるという 「連続無三振」
20世紀のスポーツ紙の一面を飾る題材は、プロ野球人気球団の勝敗もしくは選手である事が多い。そうでない場合では球団の壁を超越した選手を
トップに持ってくることが多く、90年代でも清原和博、野茂英雄そしてイチローらパ・リーグのプレイヤーもトップを飾ってきた。彼らの活躍は勿論、
スランプも対象となってきたが、その中で三振一個でも事件だと言われ一面に載ったのはイチローが初めてと言ってもいいかもしれない。
開幕から8試合で4個と“2試合に一つのペース”だったが、4月16日にロッテ・竹清剛治から三振を喫した次の打席から連続打席無三振の記録が
始まり、そこから48試合も無三振を続けたイチローの連続打席は最終的に216まで伸びた。開幕から高かった打率は、連続無三振の期間中でも
高さをキープしていて.391を誇っていた。イチローの記録達成は簡単に成し遂げる印象が強いが、この記録も例外ではなかった。
パ・リーグ記録だった小川亨(近鉄)の180打席を抜いたのは、前々日までチームが10連勝して自身も絶好調だった6月13日で、第4打席に
ロッテ・仲田幸司からの安打で更新した。
10連勝を含む16勝3敗1分けという6月の月間成績も手伝い、全く三振せず阪神・藤田平の持つプロ野球記録である208まであっという間に進み、
6月24日の対日本ハム戦の第1打席に先発投手キップ・グロスから二直併殺ながら新記録を達成した。ただ、チームの勝利や自身の快打ではない
記録に騒ぐ世間に嫌気が差していたのか、記録が止まったのはその翌日の同カードで、下柳剛の新球シュートに空振り三振したが「これだけ喜んで
もらえて僕は幸せ者」と言ったイチローの表情はホッとしたようにも見えた。
記録を止めた下柳は前半だけで8勝(2敗)を挙げ3年ぶり2度目の球宴にも出場、全65登板のうち先発わずか1試合ながら初めて規定投球回に
達する獅子奮迅の活躍だった。そしてイチローも97年は、張本勲に並ぶプロ野球タイ記録の4年連続首位打者に加え、後のMLB時代を含めても
自己最多となる91打点を挙げた。イチローと下柳は共に40歳代半ばまで現役を過ごすプレイヤーとなったが、両者にとって凄まじかったはずの
97年シーズンはまだまだ“通過点”だった。 (了) セリーグは、戦前からある”オールド3”がいずれもBクラスに甘んじる 96年オフに巨人が金に糸目を付けず清原獲得に加え長嶋が熱望していたアトランタ金メダルリストパチェコ、落合と実際年俸4億とも言われたマックを残留させてたらドリームチームだな
タラレバ妄想でスレ汚しスマンが
パチェコ仁志松井落合清原マック清水(広沢)村田 うんこ球団にしか見えんな。FA中毒になってから巨人は補強で数年浮かんではすぐに沈む無様なチームになった。
強さがアイデンティティの球団なら自力で黄金時代を作れるラインナップを育て上げろ。 諸悪の根源はナベツネ&セゲヲ
こいつらが強奪路線に舵を切ったから、今の讀賣の惨状があるわけで… この年のセベストナイン・ゴールデングラブ連合軍は史上最強では?
打撃力、守備力ともに完璧。
1 4 立浪
2 6 石井琢
3 9 鈴木尚
4 8 ホージー
5 2 古田
6 7 松井秀
7 3 ロペス
8 5 江藤
9 1 山本昌 ホージー松井鈴木尚の外野陣が守備力完璧ってw
第一97年の松井を(ホージー鈴木をさてしいて)レフトに置くとか当時みてないのが明らかだな >>276
日本時代の松井って、主にライト(途中からセンター)じゃなかったか?
それこそ日米通じても松井のレフトなんて、ヤンキース時代に手首を骨折した
あの試合ぐらいしか記憶にないw ルーキーイヤーはレフトだよ
ライトを守るようになったのは2年目から 当時のライトには不動の鉄壁バーフィールドさんがいたからね この年はセリーグ外野陣のベストナイン・ゴールデングラブが3人とも異なったけど
鈴木尚・ホージー・松井秀は何でゴールデングラブに選ばれなかったんだ?
ホージーと稲葉を優勝補正で、あとは飯田で確定ではないか?
翌年鈴木尚が優勝かつ首位打者だったのに漏れたのも理不尽。 本当に見てないのがバレバレだな
鈴木尚なんか足の運びが危なっかしくて致命的な弱肩
ホージーも足の速さが守備には反映されずこれまた弱肩
普通に見てればこの二人がどんだけ打てても選ばれないことなんか一目瞭然 98年もシリーズ第6戦
鈴木尚は9回表先頭大塚の打球を「三塁打」にしてしまった
全国中継でこんな守備してたらないだろう 鈴木尚の弱肩ぶりは他球団ファンにも認知されていた
晩年になるとセカンドへの送球もワンバンしていた そういえば、ホージーも鈴木尚典並みに肩が弱かったって本当? さすがに、フライのひとつやふたつは捕球してるだろう この年のセの好守バランスも考えたベストナイン
1 4 立浪
2 9 松井秀
3 8 ホージー
4 3 ロペス
5 2 古田
6 7 鈴木尚
7 5 ゴメス
8 6 宮本
9 1 石井一久 古参3球団がオールBクラスも凄いが、スワローズとベイスターズ(ホエールズ)が優勝争いした年って他にあったか? >>288
俊足のホージーは1番でもいい
1ホージー
2立浪
3松井
が理想的 復活に結婚と、小早川にとってはマイベストな1年だったな
夫人とは長年遠距離恋愛を育んでいてヤクルト移籍でそれも解消(婚約時の日刊スポーツ参照)
阪神のオファーもあったそうだけど結婚を考えてるとヤクルトにして正解 97年のヤクルトは開幕戦と途中から優勝決定時のオーダーがまるで別物なんだよな
稲葉池山小早川→ホージー古田土橋
なぜか古田なんて開幕7番だった 古田を中心に辻と宮本の二遊間、センター飯田と守備力だけとっても歴代屈指のセンターラインだった 92年の笘篠池山も素晴らしかったけどそれを上回る辻・宮本
01年優勝時の土橋・宮本よりも辻・宮本だわ 優勝した97年はどちらかというと辻はシーズン前半戦しかスタメンで出ていない
夏場からは土橋が5番セカンドで定着した >>287
多分>>286は、「補殺」と間違えているのかも >>296
今だから思う
小早川がもしあのまま広島にいたら、一体どうなっていただろうね 東京への転居もなかっただろうし、引退後はNHKでなくローカル専で活動していたかもしれない >>297
相手の開幕投手との相性もあったんじゃないの? 横浜とヤクルトの天王山初戦
石井のノーノーも印象強い オープン戦で古田が怪我を恐れてフェンス際のフライを追わなかったことに
野村が激怒してしばらく捕手の練習をさせなかったから、
調整不足を考慮したかあるいはお灸をすえる延長だったのかもしれない >古田開幕7番 >>312
古田は開幕6番
小早川の加入、オープン戦での池山の復調もあったから古田の負担を少しでも減らしたかったのだろう
結局、辻が6月くらいから調子を落とし、池山は例年以下に落ち込んだから古田を中軸に戻すしか無くなったんだと思う
結果それが一番良かったんだけど ホージーの得点圏
1997年279 1998年238 最終的には盛り返してしまったんだけど、一時は讀賣の最下位の可能性もあったよね >>312
このエピソード、野村の方は覚えていなくて古田の方もコロコロ
何年の出来事だったか証言が変わってるんだよな こういう事象って選手や現場の人間よりも、どんなジャンルであれオタやファンのほうがよっぽど細かく覚えてたり知ってたりするもんだよ 当事者は意外とごっちゃになっている場合があるからね >>259
あくまで8月末の時点では、この年の横浜は88年の近鉄みたいに最後の最後まで粘るんじゃないかと思ってたよ >>322
甲子園が川崎球場みたいになるところ見たかった >>322
9月初めのハマスタ2連戦でヤクルトに1つでも取れてたら引きずることはなかったよな そこで石井(現:楽天監督)に引導を渡されることになるとは… 終始独走だった印象だが、
そういえば夏いっぱいくらいまでは優勝争いしてたんか
まぁ読売はずっと下から見上げただけだからなぁ(´・ω・`) 97年の横浜は6月まで14ゲーム開いての5位だった
7月に13勝5敗して1位ヤクルトと10ゲーム、8月に20勝6敗で2位となり3.5まで縮めるも9月に再びヤクルトに離される 終盤息切れした印象だけど2ヶ月もそんだけ突っ走ってたらそりゃそんな勢い続かないよな ガス欠を起こしかけたところに>>326があったからね… 9月の横浜も9勝11敗と落ち
ヤクルトが9月14勝5敗で9月28日に優勝を決めた 横浜はヤクルト戦の前に阪神湯舟に完封されて勢いが止まった 実際は勢いが落ちてたから完封されたってことだろうね >>326
ガス欠状態から、とんでもないしっぺ返しだったね そういえば、この年あたりから、ストッパーは最後の1イニングのみ登板というのが
定着していったような気がする
それで中日の宣、横浜の佐々木、ロッテの河本あたりがほとんど失敗なく抑えを勤めるようになった感じ… >>338
このころは「佐々木0点台とか言っても1イニングだけなら、
抑えて当然やん」とか思ってたっけ 星野ディミュロ事件の時に「日本人はすぐ抗議だ、欧米では審判は神様だから抗議しない」なんて言ったやつ、
高梨問題では日本人が弱腰で失格取られた国はみんな抗議してるぞ。
こんなやつらがいるから…
まあそいつらは長嶋野村が酷い抗議すると 「男を見せた」とか褒めていたんだろうが >>339
ただ、それを登板全試合でとなると、
それは非常に大変だと思うよ ましてリリーフの場合は、1試合で炎上してしまうと、
防御率の回復には相当な期間が必要だからね >>314
何だかんだ言いながらも、これで良かったんだと思う 中日のナゴヤドーム元年
最下位で投手を中心とした守りの野球に大転換 近鉄も大阪ドーム元年
でも野球の質はあまり変わらなかったかな?
2001年にチーム防御率リーグ最下位ながらローズ、中村らが打ちまくって優勝したよね。
その3年後に球団そのものが消滅… 今でもそうだけど大阪ドームって実際の数字ほど広い印象がないんだけど
ドーム移転初期の近鉄投手陣が毎年のように燃えまくったせいかな?