1997年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
「快足新記録」
選手たちにとって球宴の持つ意味合いは様々だ。ペナントレースでは出来ない事を試すもの、前半戦の力試しをする者、未知の勝負を楽しむ者、
自身の名を売るための場とする者など挙げだせばキリがない。一流へのきっかけを掴む登竜門にもなっている球宴だが、92年のヤクルト・古田敦也
は典型的で、史上初のサイクル安打を放ってMVPを獲得すると、社会人出の捕手ながら好リードと2000安打で大選手になった。古田といえば
盗塁阻止率の高さでも際立っていた名捕手として知られていたが、その古田から球宴の場で二盗、三盗を決めたのが西武・松井稼頭央だった。
遊撃手部門でオリックス・小川博文に約11万票の大差をつけて初の球宴出場をファン投票選出で決めていた97年の松井は、前半戦だけで39個の
盗塁に.318の打率といったように実力と人気を兼ね備えていた。“球宴デビュー戦”となった第1戦、全パの二番・遊撃で出場した松井はいきなり
魅せた。初打席はオリックス・イチローを塁に置いて三ゴロ併殺打、しかし二打席目に阪神・藪恵壹から初安打を放つとあっという間に二盗、三盗を
して見せた。「球宴だからアウト、セーフに関係なく走ろうと思っていた」という松井は5回裏の第三打席でも広島・澤崎俊和から中前安打して出塁
すると、ここでも二盗、三盗を連続して快速を披露した。1試合4盗塁は78年の第2戦に南海・藤原満がマークした3盗塁を19年ぶりに塗り替える
球宴新記録だが、松井は翌日の第2戦でも巨人・桑田真澄−古田のバッテリーから二盗を決めて、シリーズ合計5盗塁もまた68年巨人・柴田勲と
78年藤原の4個を更新する新記録だった。97年の球宴は前年にFA退団した清原和博に代わる西武待望のニュースター誕生の瞬間を生み、西武が
松井を筆頭に機動力野球へ転換した事を全国に轟かせた場になった。
盗塁を許した側の古田は当時「ベストの中でベストのものを出せないと刺せない。いい勝負かなと思ったのは2度目の二盗の時ぐらい、本当のトップ
レベルですよ」と脱帽するしかなかったが、再び相見えたその年の日本シリーズでは徹底研究で5戦1盗塁に封じて仕返しをした。古田は西武全体
相手でも3盗塁に抑え阻止率も5割、シーズン200盗塁超の相手でも物ともしないあたり流石はIDの申し子といったところだった。 (了) 阪神はこの年は5位だったが中日のナゴド移転が1年ズレてたら99年コースもあり得た… 中日は最下位だったけど翌年また2位になる所がすごいな まだ野球も凄い勢いがあった時代だったけど
92、3、5、7とヤクルトが隔年優勝するようになってから
段々暗い空気が漂って来た
阪神にはロートルの大豊がやって来て若手のホープ関川が出されるとか
段々今に通じる老害の雰囲気が球界に築かれていた。
そうやって変わって行く様をリアルタイムで見ていながらもはっきり分かって
もう野球に失望してる冷めた自分も居た
時代のスターと位置付けられた松井イチローも好きになれなかった人も多いらしく
興業の大部分はONがまだ担っていた >204
松井稼て凄いんだけど
持ってない雰囲気は当時から分かったね
4-0で屈した日本シリーズやこの連年の噛ませ犬シリーズなど
ヤッターマン石毛とは違って到底チームを勝たせられる選手じゃなかった
晩年まで矢張りwbcなどの大舞台とも縁は悪かった。
段々孤高で個人主義なタイプもこの年代から増えた 決して一人よがりではないんだけど
個人の成績の積み上げに終始してしまって大団円に至らないという傾向選手が増えた。
時代による悲しみだと思う。
顔は矢張り格好良く、youtubeなどで活躍する茶髪の神谷えりなが同じ系統と思う オールスター2戦目の始球式は広末涼子だった
パリーグの1番打者の落合に投げてたな
当時は広末と反町が出てたドラマビーチボーイズも見てたわ懐かしい >>218
そして、その後の試合で小早川の3連発
あれは痛快でしたw >>182
郭泰源と鹿取義隆の引退試合に
渡辺久信と和田一浩と柴原洋と松中信彦と井口資仁が出場していること >>221
よもや金融機関が倒産するなんて、考えられなかったもんね 西武もヤクルトも何となく優勝した感じ
生え抜き強力打線の広島が優勝してたら盛り上がっただろうな たけし、さんまの有名人が集まる店に中井美穂が永井美奈子と有賀さつきと
共に出ていたがさんまが中井に「将来サッチーみたいになる」「古田は将来監督に
なる」と言っていた ナゴド移転で恐竜打線大絶滅
評論家どもは、「山崎は飛距離が出るからそんなに本塁打数は減らない」とか開幕前言ってたが、
フェンスの高さを考えてなかったのか?20本も減ったわ! ナゴヤドームでチーム防御率リーグ5位
そりゃ最下位になる 「活かす」
開幕の巨人戦を指してヤクルト監督・野村克也は「135分の1ではなく、135分の135」と表現して試合の重さを説明した。巨人は補強に大金を注ぎ
込み、リーグ優勝した戦力の上に清原和博、エリック・ヒルマン、石井浩郎ら新戦力を加えていた。この大補強に野村は「これで監督が森(祇晶)
だったら怖いが」と言って、ライバル長嶋茂雄を挑発した。しかもヤクルトは開幕から巨人、広島、中日の順で当たる計9試合のスタート、開幕戦に
野村は総てを懸けたといっても決して過言ではなかった。例年なら思い切って捨て試合にしていたかもしれなかったが、オープン戦で一番調子の
良かったテリー・ブロスを相手エース・斎藤雅樹にぶつけてナインを鼓舞した。
大試合の主役は年俸3億5千万の斎藤でも、3億6千万の清原でもなく、広島を自由契約になりヤクルトに?移って来た年俸2千万の小早川毅彦
だった。あまりに有名な史上3人目となる18年ぶりの開幕戦での3打席連続本塁打だったが、先制、同点、中押しの3連発は全て違う球種を打った
ものだった。ミーティングでのデータは収集するだけではなく、活かして初めて意味を持つ事を小早川らヤクルトナインが改めて証明した。
小早川の活躍が目立つ勝利だったが、投手でも救援で廣田浩章と野中徹博のテスト生組が仕事を果たし、2戦目でも移籍2年目の田畑一也が8回
2失点の好投で勝利投手になった。
出鼻を挫かれた巨人は最後までヤクルト相手に拙戦を続け8勝19敗、今年は日本一と意気込んでいた長嶋だったが、敵将・野村にはデータと人を
活かすという点で大きく水を開けられた。ヒルマン、石井、ルイス・サントスが期待を裏切り、清原もAクラスすらも厳しくなった9月以降にようやく復調し
9本塁打で30発90打点クリアという様に額面通りの働きとはいえなかった。
総年俸にしておよそ11億円の差を知恵と人使いの妙で埋めた野村ヤクルトに対して、長嶋巨人は翌年以降も退任するまで高橋由伸、野村貴仁、
マリアーノ・ダンカン、ドミンゴ・マルティネス、上原浩治、二岡智宏、工藤公康、江藤智、高橋尚成、ダレル・メイらを次々かき集めた。FA、トレード、
逆指名ドラフトをフル活用する手を緩めなかった長嶋も球団にも、常勝を義務付けられているからか、資金力を頭脳獲得に活かす事に踏み切る
勇気は持てなかった。 (了) 1997 2007 2017
では2017が一番良かったし
黄金の90年代なのに2007にも勝てないのは不思議だろう。
野村克也と言うのがそれだけ暗い霊層を作っていた。
その力は強くそれが暗いと気付けず破れない人が殆どだった
だからあれだけ超戦力を有していながら連覇すら出来ず
ヤクルトに後塵を拝した長嶋は当時の人の通り批判されて然るべきだった
野村の暗い霊層と言うのが長嶋の持っていた霊層を分断させるだけの力があった
大阪に行ってからの野村はホームシックに掛かりその暗い力が出せなくなってしまった 2017はひょっとしたらあの1987にも勝るかも知れない
と言っても1987をリアルタイムで知る訳でもないのだが
87は高架道を走るフェスティバDCのCFイメージ曲・浜田麻里のFOREVER
で一気に垢抜けた 他にもTMNETWORKのGet WildやSelf Controlなど
B'z立ち上げ前の名うてのギタリスト・松本孝弘が一気に仕掛けた物だった。
当然それからの日本音楽界はデジタルロック一色になった
こう言う今に続く伝説的な起因を作ったのが1987と言う年であり
2017に人がどんな充実した日を過ごそうと勝とうはずがないと思っている。 >>233
コラムさん乙
巨人のfa補強はもはや代名詞か… >>224
西武はキヨハラがいなくなって皆、気分が良かったんだろ。 91年、92年、97年、98年と4回も優勝チームの胴上げを見させられている阪神 >>229
大豊は94年の本塁打王の年も38本中18本を広島戦で荒稼ぎしていた(ナゴヤ球場と広島市民)から既に危なかった
山崎は確かに飛距離は出てたけど、それまで低い弾道の弾丸ライナーが多かったからフェンスの高さは難敵だっただろうね
山崎自身のちに「ドームが打球を飲み込む怪物に見えた」らしくてそれでバッティングも崩れた >>240はただの馬鹿だな。俺が言いたいのはそれだけだ。それからもう俺にレスはするなよ。 >>241
でも山崎は楽天でよく復活できたわな…
オリ田尾楽天を挟まずいきなりノム楽天だと
大豊の二の舞になってただろうな そういってチャンスでゲッツー連発する打者ばかり育たなければいいが・・・ >>254
他球団のファンだったから、そのあたりのことはよくわからないんだけど、
パウエルはチャンスにゲッツー連発だったのね >>252
パウエル監督代行は流石にないかね?
昔レオン代行とかやった
オリックスじみた事はしないとは思うが… この年は、昨日亡くなられたノムさんにとって、最後のリーグ優勝・日本一だったな 開幕からラストまでずっと一位だったからなあ
あんな楽な優勝もなかなかなかっただろう 結果2位横浜と11ゲーム差開いて優勝したけど
8月下旬には横浜の猛追で2.5ゲーム差まで追い詰められてた 日本シリーズでのヤクルトの西武に対するレイプっぷりが凄まじかった でも、西武のやられ具合は翌年のほうがもっと酷かった印象がある この年ヤクルトは開幕戦で斎藤雅樹を完膚なきまでに打ち砕いたな。
斎藤は阪神だけには強く、ヤクルト・広島には全くダメだった印象がある。 日本シリーズ終了後、野村と森祇晶が週刊ベースボールで対談しているが
・昨年(1997年)は森先生は4位予想でした、私も4位か5位だと思っていた
(ちなみに原辰徳は4位、江川卓は最下位予想だった)
・オマリーがいなくなったので大砲の獲得を要望したが代わりに
取ってきたのがホージーだった
・あの茶髪集団(西武)には絶対に負けられないと思った。個性という
意味を吐き違っている
と言いたい放題だった。野村はこ゚の歳監督として1000勝達成 1998年、シーズン終了後
野村「あの二人の監督(権藤と東尾)に負けたと思うと腹が立つ」 >>263
ホージーってシーズン前に酷評されてたよな、それもメチャクチャw
それがホームラン王になるという 「連続無三振」
20世紀のスポーツ紙の一面を飾る題材は、プロ野球人気球団の勝敗もしくは選手である事が多い。そうでない場合では球団の壁を超越した選手を
トップに持ってくることが多く、90年代でも清原和博、野茂英雄そしてイチローらパ・リーグのプレイヤーもトップを飾ってきた。彼らの活躍は勿論、
スランプも対象となってきたが、その中で三振一個でも事件だと言われ一面に載ったのはイチローが初めてと言ってもいいかもしれない。
開幕から8試合で4個と“2試合に一つのペース”だったが、4月16日にロッテ・竹清剛治から三振を喫した次の打席から連続打席無三振の記録が
始まり、そこから48試合も無三振を続けたイチローの連続打席は最終的に216まで伸びた。開幕から高かった打率は、連続無三振の期間中でも
高さをキープしていて.391を誇っていた。イチローの記録達成は簡単に成し遂げる印象が強いが、この記録も例外ではなかった。
パ・リーグ記録だった小川亨(近鉄)の180打席を抜いたのは、前々日までチームが10連勝して自身も絶好調だった6月13日で、第4打席に
ロッテ・仲田幸司からの安打で更新した。
10連勝を含む16勝3敗1分けという6月の月間成績も手伝い、全く三振せず阪神・藤田平の持つプロ野球記録である208まであっという間に進み、
6月24日の対日本ハム戦の第1打席に先発投手キップ・グロスから二直併殺ながら新記録を達成した。ただ、チームの勝利や自身の快打ではない
記録に騒ぐ世間に嫌気が差していたのか、記録が止まったのはその翌日の同カードで、下柳剛の新球シュートに空振り三振したが「これだけ喜んで
もらえて僕は幸せ者」と言ったイチローの表情はホッとしたようにも見えた。
記録を止めた下柳は前半だけで8勝(2敗)を挙げ3年ぶり2度目の球宴にも出場、全65登板のうち先発わずか1試合ながら初めて規定投球回に
達する獅子奮迅の活躍だった。そしてイチローも97年は、張本勲に並ぶプロ野球タイ記録の4年連続首位打者に加え、後のMLB時代を含めても
自己最多となる91打点を挙げた。イチローと下柳は共に40歳代半ばまで現役を過ごすプレイヤーとなったが、両者にとって凄まじかったはずの
97年シーズンはまだまだ“通過点”だった。 (了) セリーグは、戦前からある”オールド3”がいずれもBクラスに甘んじる 96年オフに巨人が金に糸目を付けず清原獲得に加え長嶋が熱望していたアトランタ金メダルリストパチェコ、落合と実際年俸4億とも言われたマックを残留させてたらドリームチームだな
タラレバ妄想でスレ汚しスマンが
パチェコ仁志松井落合清原マック清水(広沢)村田 うんこ球団にしか見えんな。FA中毒になってから巨人は補強で数年浮かんではすぐに沈む無様なチームになった。
強さがアイデンティティの球団なら自力で黄金時代を作れるラインナップを育て上げろ。 諸悪の根源はナベツネ&セゲヲ
こいつらが強奪路線に舵を切ったから、今の讀賣の惨状があるわけで… この年のセベストナイン・ゴールデングラブ連合軍は史上最強では?
打撃力、守備力ともに完璧。
1 4 立浪
2 6 石井琢
3 9 鈴木尚
4 8 ホージー
5 2 古田
6 7 松井秀
7 3 ロペス
8 5 江藤
9 1 山本昌 ホージー松井鈴木尚の外野陣が守備力完璧ってw
第一97年の松井を(ホージー鈴木をさてしいて)レフトに置くとか当時みてないのが明らかだな >>276
日本時代の松井って、主にライト(途中からセンター)じゃなかったか?
それこそ日米通じても松井のレフトなんて、ヤンキース時代に手首を骨折した
あの試合ぐらいしか記憶にないw ルーキーイヤーはレフトだよ
ライトを守るようになったのは2年目から 当時のライトには不動の鉄壁バーフィールドさんがいたからね この年はセリーグ外野陣のベストナイン・ゴールデングラブが3人とも異なったけど
鈴木尚・ホージー・松井秀は何でゴールデングラブに選ばれなかったんだ?
ホージーと稲葉を優勝補正で、あとは飯田で確定ではないか?
翌年鈴木尚が優勝かつ首位打者だったのに漏れたのも理不尽。 本当に見てないのがバレバレだな
鈴木尚なんか足の運びが危なっかしくて致命的な弱肩
ホージーも足の速さが守備には反映されずこれまた弱肩
普通に見てればこの二人がどんだけ打てても選ばれないことなんか一目瞭然 98年もシリーズ第6戦
鈴木尚は9回表先頭大塚の打球を「三塁打」にしてしまった
全国中継でこんな守備してたらないだろう 鈴木尚の弱肩ぶりは他球団ファンにも認知されていた
晩年になるとセカンドへの送球もワンバンしていた そういえば、ホージーも鈴木尚典並みに肩が弱かったって本当? さすがに、フライのひとつやふたつは捕球してるだろう この年のセの好守バランスも考えたベストナイン
1 4 立浪
2 9 松井秀
3 8 ホージー
4 3 ロペス
5 2 古田
6 7 鈴木尚
7 5 ゴメス
8 6 宮本
9 1 石井一久 古参3球団がオールBクラスも凄いが、スワローズとベイスターズ(ホエールズ)が優勝争いした年って他にあったか? >>288
俊足のホージーは1番でもいい
1ホージー
2立浪
3松井
が理想的 復活に結婚と、小早川にとってはマイベストな1年だったな
夫人とは長年遠距離恋愛を育んでいてヤクルト移籍でそれも解消(婚約時の日刊スポーツ参照)
阪神のオファーもあったそうだけど結婚を考えてるとヤクルトにして正解 97年のヤクルトは開幕戦と途中から優勝決定時のオーダーがまるで別物なんだよな
稲葉池山小早川→ホージー古田土橋
なぜか古田なんて開幕7番だった 古田を中心に辻と宮本の二遊間、センター飯田と守備力だけとっても歴代屈指のセンターラインだった 92年の笘篠池山も素晴らしかったけどそれを上回る辻・宮本
01年優勝時の土橋・宮本よりも辻・宮本だわ 優勝した97年はどちらかというと辻はシーズン前半戦しかスタメンで出ていない
夏場からは土橋が5番セカンドで定着した