1997年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
>>1
スレ立て乙
ところで Partという英単語は何かの省略形ではないから
数字との間にピリオドはつけなくてもよかったりする
【例】
Part1 → Pt.1
Level2 → Lv.2
Numero3 → No.3
Volume4 → Vol.4 >>3
94年 1億8000万
95年 1億7500万(阪神→ヤクルト)
96年 2億4000万
よそを自由契約になった外国人選手を格安で契約してあわよくば、というのが
当時の風潮になかったから オマリーは気分屋で怠慢プレーすることしばしば
実力はあるけどムラッ気もすごいのが当時周知の事実だったからな
扱いづらいので露骨に敬遠された >>5
当時より前でもパチョレックが阪神やブーマーがダイエーはあったな >>5
メル・ホール 2億2000万→2億
ブーマー 2億→1億
パチョレック 9500万→9300万
再契約の金額の問題
今みたいに数千万+出来高とかで掛け捨て感覚で取れるんじゃなくて
ほぼ同額という認識があって、それだとオマリーに2億ってのはうーんとなるんじゃないの 大洋の打点王シーツは当初移籍を模索したが
結局金額で折り合いつかず日本球界在籍一年だったなあ なんとなく検索してみるとハウエルがヤクルト時代1億5000万→巨人移籍で1億4500万
スレタイのこの年にロッテから移籍したヒルマンはロッテで9000万→巨人2億5000万! 落合がヤクルトの場合4番で使うつもりだったのか
もしもそうなら優勝しなかったな この年の巨人清原いなければ最下位だったな
この年の清原叩かれまくったが打点は多いな >>12
同リーグへの移籍だからあそこまで成績が下降するとは思えないけど、野村と馬があったか否か見てみたかった。 完全に手首が壊れてたから多分どこへ行ってもダメだったかと 前年度の巨人のマックも年俸がネック?
マックの年俸って松井と斎藤並の年俸? >>14
年齢と前年の成績から考えてホームラン20本は無理だろうな お互い監督になってからは馬が合ってたようだけど、
この頃は名球界を批判する落合に対して野村が毒吐いたり
あんまり相性良さそうに見えなかったな 日シリは野村最後の日本一。
ホージーの秘技・グリップエンド打法が一番
記憶に残っている、
西武には敢闘賞に値する活躍をした選手が
他にいなかったが、松井稼頭央の敢闘賞は
完全に意味不明。 >>18
落合は個人成績にこだわるから駄目だって90年台のノムは否定的だったよな オマリーだけでなく前年の96年にまずまずの成績を残しながら
切られた外国人選手が多いな。
Rローズも97年の契約はどうなるかわからなかったから
パワプロ4では登録されてなかったんでしょ。 >>20
実際の落合は分からんけど、稲尾監督との
「そりゃバントでしょう」っていう話しもあるけどねぇ。
チームが優勝争いとかプレーオフ争いとかしてなけりゃ、
個人成績に走っても良いとは思うけどな。 ホージーも来日当初はヤクルト首脳陣からボロクソ評価だったらしいな >>23
当時のノムは「代走要員の外人を獲ってきてしまったわw」と
自虐してたなw >>23
開幕は8番ぐらいで、とりあえず使ってる感じだった そのホージーがホームラン王を獲った時は、
流石の野村も「私の目が節穴だった」と素直に非を認めていた 1年だけでも活躍しただけマシだな
同時期の阪神ときたら・・・ >>27
”神のお告げ”で突然退団しちゃった選手もいたなw この年の阪神って2005の巨人や2006のオリみたいな存在 当時の阪神は投手以上に貧打と守備が深刻だった
久慈放出して内野守備力落としたり 久慈は弱肩、相方のセカンド和田も弱肩
ここを併殺を奪れる二遊間に変えようとしてたからね
久慈は結局移籍先の中日でも年々出場数を減らしてるし
まあ正解だったトレードじゃないかな 久慈にせよ、交換相手だった大豊にせよ、
最後は古巣で現役を終えているんだな。 和田久慈は守備はよかったけど肩がな
今岡は肩は強かったけど守備がな 巨人は優勝したのにヒルマン清原石井を補強
95もそうだったけど優勝したのに補強するとこける法則があったな
2008も序盤はその法則通りだったのだが。。。 吉井のレーザーポインター事件に対しての長嶋とノムさんのコメントは合ったの? >>36
本来なら阪神でもおかしくないラッキー優勝だからな08 貧打だから打撃強化に重点置いたら
今度は、さらに貧打に拍車がかかり守乱も招くがダメ虎の定番だった
貧打だからこそ、さらに守備や投手力をあげるという発想が全くなかった なんだかんだで90年代後半はリリーフ整備されたけどね
まあいくら守ろうにも守る得点が奪えないと野球は勝てないし
90年代後半〜00年代前半のボールでやろうとするほうが無茶とも言うし 伊藤 遠山 古溝 弓長 田村 リベラ 葛西 山崎
中継ぎリリーフはそれなりだったな 言葉通りの意味の1点を奪ってそれを守って勝つ野球で
ペナントレースの勝者になれたのは2011中日くらいじゃないかね
貧打で守るべき点がない、得点を奪えないチームっていうのは本当に脆い 新庄、桧山で打率2割前半かつ三振ばっかしてたしな
新庄とかオールスターで応援ボイコットされてた記憶が >>34
あれは星野の主導らしい…
>>36
12も開幕ダッシュ失敗で…と思いきやからの優勝
しかもあれプリキュアが5人以上という共通点があったし
まあ高校生プリキュアでたらV逸というのが2010にあったが… 鳥越不倫疑惑
さらに脱税も発覚し
2年後に鷹送り
なお… 1992年と構図があんま変わんなかった
・セの前年優勝チームが4位
・ヤクルト優勝中日最下位
・TV局の看板アニメにトラブル
・新幹線新線開業
・翌年総理辞める
・日比谷線に東武鉄道の新車が入線 アニメと電車のマニアは空気を読まずに知識を披露すればするほど
周りがひくの気付かないんだろうか?
それともそういう性格の人がアニメとか電車にはまるの? >>53
鉄道は歴史的にも多くの会社がプロ野球に係わってきてるからな ・ルパンTVSPのラスボスがルパンのワルサーp38で撃たれる
・翌年西武が日シリで暗黒チームに敗れる
・翌年落合博満のいるチームが優勝争いに敗れる
・2年後に工藤公康が優勝を手土産にFA移籍する
・2年後に巨人が広島から大物選手をFAで獲得する アニメや鉄道の知識は他の板でどうそ。
ルパンも新幹線も東武鉄道の新車も、野球には一切関係ない。 ホージーと一緒に来たオルティスは間違いなくひどかった。 代わりに入ったテータムはそこそこ打ったけどすぐクビになっちゃったね ホージーも当初はさほど期待されていなかったけど、
いざフタを開けたら… ほとんど二軍だったけどね
後にヤンキースに移って大魔神からホームランを打った時も
日本ではテレビでしか見たことがなかったって言ってたし この年のセリーグRCWINランキング
1松井秀喜 4.37
2ローズ 3.84
3ホージー 3.70
4ゴメス 3.65
5金本知憲 3.47
6鈴木尚典 3.34
7ロペス 3.04
8古田敦也 2.25
9江藤智 2.09
10清原和博 1.78 >>16
並じゃなくて球団トップだったはず
斎藤雅樹
96年2億7千万 97年3億3千万
松井
96年8千万 97年1億6千万
シェーン・マック
4億円 巨人は、落合を残留させていれば連覇できたはずだ。
清原も、落合がいたら緊張感を常に感じてあんな体たらくにはならなかっただろうし。
いかに清原が西武でお山の大将でも、落合の前では威張れないでしょ? 落合残ってても無理だろ
斎藤が一気に衰えて来たり、リリーフいなくて槙原にやらせてたり 97年の清原は酷かったが
仮に清原が松井並に打っていたとしても優勝は無理だったと思う
2位か3位はあったかもしれない 落合は97年の時点で手首が完全に壊れてたからなあ
巨人が退団の理由を明確にしなかったのも
体よく傷物を押し付けるための方策だったと思ってる 97年は監督がそれなりの手腕のある人物だったら、2位あるいは3位になれたのではないかな。さすがに野村ヤクルトには勝てなかったと思う。 >>71
日本ハムを優勝へ導けなかった落合が残留したって連覇は無理でしょ。 長嶋巨人と野村ヤクルトがどっちも調子いい年ってほとんどないよね 野村ヤクルトは連覇して以降、優勝を逃した年は
必ず新外国人が大外れ&古田が怪我で離脱してる >>73
槇原のリリーフ転向は翌年この年は先発でチームトップタイの12勝 同じトップタイのガルベスが12勝12敗だったから12勝9敗の槇原が実質エース この頃の巨人って驚くほどシーズン途中のトレードしなかったな
プライドかは知らんがあの頃有り余ってた二軍の選手を交換してりゃ少なくともここまで酷いシーズンにはならなかったわ 断トツ優勝間違いなしと思われた戦力で、
衝撃の最下位街道一人旅だったからな(´・ω・`) 清原、石井、ヒルマン、ルイスら複数年の額含めて
長嶋の背番号にかけて33億円補強といわれた 95年の30億円補強で失敗したのに一年挟んで33億円やるから流石に頭悪いわな 宮本以外いない先発左腕の補強にヒルマン獲得はわかる(結局ロッテ二年間の登板過多で肩がぶっ壊れてたのは運が無かったな
ガルベス、マリオと安価で活躍したから台湾外人に手を出したのは完全に安易だった(二人と違って未知数の野手とかスカウトが馬鹿過ぎる) ブロスは既に低迷してたな
西武移籍後も全然だったし 1位 楽天
2位 オリ
これが最後までいけばこの年の1位ヤクルト2位横浜並みのすごさと違いますか? >>89
とはいえ先発ローテーションの軸だった吉井13勝6敗174回 ブロス7勝8敗115回が消えたのはデカイよ
翌年は田畑15勝5敗170回だったけど怪我で3勝7敗64回だし川崎と石井一久が頑張っても補えないくらいの穴だった(リリーフ陣崩壊も低迷の原因だったけどね) 1998年のヤクルトは高津が全然だったな
廣田と山本は奮闘してたが 言われてみれば野村時代のヤクルトって投手陣容が安定してなかったな
誰か必ず怪我か不調で離脱する 翌年日本一になる横浜が躍進、ヤクルトをあと一歩というところまで追い詰めた
直接対決で石井一久にノーノー食らって力尽きた 日本シリーズでの胴上げ投手を抑えで活躍した伊藤では無く高津だった この年の巨人は個人個人の実力はすごかったが、いかんせん監督がアレだからな。 巨人はいわゆる三本柱に頼ってた体制が遂に崩壊を迎えた年
監督の長嶋は何かと低評価を受けがちだがトータルの数字で見れば
少なくとも勝敗結果に関しては名将の部類よ 三本柱が全員そろって大活躍したのって
94年が最後かな