1992年のプロ野球 Part.3 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>484
7月10日の西武戦で、4回2/3で14四球の大乱調。この試合は、確かTBS系列で全国中継だった。 よく混同するんだけど、まる2年後の同じく西武戦でも、
今度は16四球完投勝利とかやってるんだよね プロ野球最長試合は山脇がハーフスイング三振するまで見たけど、
岡林の熱投の方に感動したな。 >>468
監督の藤田も著書で言ってたが、原はこの年めっぽう勝負強かった
本当に打ってほしい所で打ってくれた記憶あるわ >>495
原辰徳が原辰徳としての最後の輝きだった92年 94年も一軍にいる時は凄まじい勢いで打ってたが
離脱してる時期が長かったからな 原28本、モスビー25本、駒田27本と当時の巨人にしては結構見栄えの良いクリーンナップ
パだと高橋智と石井浩郎が29本打ったり新世代を予感させた 原が大野から9回に打った逆転3ラン、感激のあまりデブは裏の守りで前が見えないくらい涙が出たそうだ。
これで初めて巨人の一員になれたと。 >>498
石井浩郎が清原和博よりも3歳年上な件について 92年じゃもう清原のオワコンぶりは知れ渡ってたからな モスビー゙救巨゙来日
の見出しを思い出す。
阪神も91年オフに狙ってたけど高値でお流れ。
故障持ちでモスビーの価値が下がったところへ巨人が白羽の矢を立てた。 モスビーはこの年活躍したけど、翌年は怪我でサッパリだったね。 >>506
石井浩郎とか阿波野とか、数年間だけ主力級の成績残して一気に消える感じ好き >>467
翌年から近鉄の監督に就任するのが決まってた この年の阪神って、首位にいた期間って実はすごく短いんだよな。
シーズン序盤は広島、5月以降はヤクルトがほとんど1位で
前半戦で一時的に首位に立ったことはあったけど、1日天下。
7月頭には調子落として勝率5割を切った事もあった。
9月半ばにヤクルトを追い越して、優勝モードになってただけにすぎない。 >>508
この年オフの「巨人 バーフィールド 大リーグ通算241発」
もモスビーの元チームメートとかもあってかなりのwktk感だった。
なお、翌年は二人そろって(ry ホームランは結構打ったんだよな。守備も良かった。
でも打率が壊滅的に低かったはず。 ノムがバーフィールドほしがってたしな 守りがいいから 外スラにいっつも空振りしてた印象しか残ってない >バーフィールド バーフィールドとブラッドリーは似たような感じで覚えてるわ モスは嫌な(巨人からしたらいい)場面で打つ打者だったがバーフィールドは印象薄いな。
ブラッドリーは大野からの決勝HRとか、それを打っても喜ばない独特の態度とか色々あったが。 この年の開幕戦だけでクビになったゴンザレスもたまには バーフィールド OPS.834
OPSで判断したらそこそこの成績 そういえばヤクルトが巨人退団後のバーフィールドを獲得しようとしてたんだっけ。 >>524
7番ライトならば、2割5分、20本で、あの守備力ならプラスになる。 >>522
オーレ退団後の西武なら十分すぎるだろ。 パグリryとかとらないで国内で調達すりゃよかったのにな。 バーフィールド解雇して獲得した落合がOPS.815だからな グラッデン コトーも微妙やったな
グラッデンは乱闘のイメージ コトーは左投手にはそこそこ役に立ったが >>513
神宮直接対決2連戦がいつものタイガースの象徴。 グラッテンとコトーは成績的には微妙そのものだったが
94年優勝には欠かせない戦力だったね ギリギリ優勝だった訳だから、
彼らがいなければ優勝はできていなかっただろうなぁ ♪たてじまパジャマにつつまれて
悪い夢を見ていると コトーは10.8と日シリ第6戦のホームランが印象深い この年から翌年まで桑田が不調だったな
当時プロ野球ニュースで別所さんが「桑田みたいなのは中4日程度で投げさせなきゃ」と言ってたが、登板間隔とかの問題もあったのか? >>533
俺が見に行った試合でもコトーのソロだけの1-0で巨人に負けたことがある。
チームにとっては価値がある選手だったろうになぁ。 >>537
筋トレに目覚めて、急に体がゴツくなった。それで、バランスが崩れてしまったのが原因だと言われていた気がする。別所の中4日は、20勝することを前提だと思う。 モスビーともう1人大砲いればなあ
翌年バーフィールドがやってきたけど… モスビー、原、駒田 は吉村が故障して以降のクリーンアップでは最強だった。 >>545
この強力クリーンアップが呆気無く崩壊したのが第二次長嶋巨人の始まりとも言える この年あたりの駒田。
満塁でチョコンと合わせてショートゴロゲッツーとかよくあって、
昔は満塁男とか呼ばれてたのにどうしたんだ?
とおもった記憶がある。 この年の駒田の得点圏打率は.230ぐらい。
原も得点圏打率はそれほどよくなかったけど、印象に残る一打が多かった。 アベレージも打率も堂々たるものなのにずっと7番だったがまぁ仕方ない
吉村の方がよほど中軸らしかった それくらいでボーナス2000万をあげる球団も悪い。
その事実を聞いた他選手たちがドン引きして、一気にムードが悪くなった。
案の定、その後は超絶尻すぼみでシーズン終了。 呂とデーブは1か月確変という面でダブる。
呂→無理やりのルール変更でオールスターごり押し出場
大久保→緊急ボーナス
でおかしくなった点も共通 特定の選手をえこひいきして、他の選手の顰蹙を買うことまで
共通していたのねw 新井宏昌の2000本安打達成
大卒達成者はパリーグでは有藤に次ぐ2人目 >>554
デーブはこの年の確変のおかげで解説者だけでなく、
監督もやったからな。 >>549
原は勲章打36本で1位だったような・・
この頃になると、原はチャンスで弱いとか、勝負弱いとは言われなくなっていた >>558
で、それと交代するように桑田が槍玉に
連勝ストッパー桑田とか言われてたな >>558
原は次の年が当時のキャリアワーストシーズンになったけど
勝利打点が8あったり殊勲打は多かった。
まあ93年の貧打線+リーグトップクラスの防御率のチームだと
ロースコアのゲームが多くなり必然的にそうなっただけかもしれんが。 >>557
それどころか胸にアレがついてる宇宙人の
映画にもでたしw 当時2ちゃんねるがあったらサカ豚が喜びそうだな
相撲に負けるやきうwwww 日刊かどこかが西武ナインのことを不憫に思って
西武日本一を一面にした早版を贈呈してた話を聞いた覚えが 妄想だが、この年の阪神と94年のダイエーが戦ったらどうなるか?共に長期暗黒の中での大確変同士のものすごいカオスな展開を想像してしまう。 下柳がリリーフで2勝をあげてMVPに輝いたりしてな。 新庄が神懸かり的な活躍をしそう攻守において。ただ、阪神投手陣がダイエー打線に滅多打ちにあいそう。 ×04年
○94年
だった。04年なら確かに滅多打ちだがw 亀井はこの1年の実は凡庸な成績だけで生き残っている 原はこの年が最後の輝きだったな
翌年からはアキレス腱が悪化した >>570
山口裕二一番固定の93年に比べたら全然マシ。 >>572
94年も試合に出ればかなりのペースで打ってたが
もう故障がちだったもんな >>572
6月上旬までは大不振で、スタメンからも数試合外されたくらいだった。
広島戦で大野から逆転ホームラン打ってからは、自身もチームも一気に上昇し
バット投げの頃が調子のピークだった気がする。 原は、この年は一塁手に転向したんだよな。30過ぎて外野手、そして一塁手。外野に行かず、三塁手のままで、衣笠みたいに試合終盤に一塁に回った方が良かったように思う。 原が主にファースト守ったのって、この年だけだったよな。
翌年長嶋監督になってからは、またサードに戻った。
元々は吉村が大ケガした事で、レフトの定位置がいなくなり
原をレフトにコンバートという苦肉の策だったし。
この時、岡崎をレフトにするというプランはなかったんだろうか。 >>572
1994年は少ない出場ながら立派な成績だったんだよな。落合の半分の打席で本塁打数ほぼ同じ。
長嶋のせいで寿命縮めた。 >>578
原のレフトはアキレス腱痛も抱えている原の守備負担軽減も狙ったコンバートだったからね 単にこの年に産まれたというだけで、この年のプロ野球とは何の関係もないw >>554
せめてシーズン終わってaクラスになってから
払えよ… 巨人の首の皮って何枚あるんだ?と思ったやつ多いんじゃね
後半1つでも勝つかヤクルト阪神が負ける度に首の皮一枚繋がりました連呼 切れても切れてもすぐに復活する特殊な皮だったりしてw >>584
シーズン終盤ヤクルトが崩れ、最終盤に阪神が崩れた。それに対し巨人は、最後の最後までエンジンがかからず終わった印象が有る。 10連勝した時がピークかな
前半ボロボロでモスビー 大久保獲得 原復調で首位戦線まで食い込めたけど 面白いシーズンであった。槇原がヤクルト戦で打たれたのがな… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています