野球を見始めた年の江夏豊 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>196
1968年の日米野球でカージナルス相手に15イニング無失点のピッチング見せてる
相手の監督から
「メジャーでも屈指の左腕になれる」
と絶賛された
コントロールが良かったから普通に活躍出来たんじゃないかな? >>220
あのあと肩壊したんだよな
速球投手としての江夏は
〜68
69〜
では別と考えてる >>221
> >>220
1968年度は401奪三振もしたし酷使で消耗してるかも
日米野球は休めば良かったに 1973年10月10日、巨人・阪神の天王山決戦で、6回に田淵の逆転満塁ホームランのあと
緊急リリーフに立った江夏は、そのシーズンでは見たことのないようなものすごい投球で、
無失点に抑えて勝利する。
王 「本当に、お手上げだった」
長嶋 「今シーズン初めて見る速さ。これはちょっと打てない」
このときの投球が、江夏の剛速球投手としては最後の輝きだったのかも知れない。
翌日には、当初の予定通りの先発に立った江夏だったが、もう前夜のような球速の面影すらなかった・・・ >>223
4イニングスの全力東急のロングリリーフして、翌日も先発じゃあ肩はパンパンだろぅ
今ほど医療治療も発達してないし仕方ないよ
G+は7点リードの先発をやってた(江夏山口高志は7点リードで打ち込まれるシーン)
73堀内は7点ビハインドを味方が追い付いて敗戦投手を間逃れてる
寧ろ前日の江夏の快刀乱麻の映像の方が見たいね田淵の満塁本塁打で終わりだから
王長嶋がお手上げだった位だから、調子が良かったんだろうな
G+は巨人中心だから対戦相手の投手が打ち込まれるシーンが主体だ
足立光宏山口高志山根和夫の日本シリーズの快刀乱麻の投球シーンも無い
25歳の時の江夏の快刀乱麻見たかった♪ >>223
1975 後楽園球場 ○江夏149勝対●堀内149勝対決
江夏8回までノーヒットノーラン4対0→押し出し2回 4対3
27歳の江夏は140キロ前半が精々だろう遅く見えた
1973堀内の日本一シーンも137キロ位かも >>221
江夏は肘は壊したが肩なんか壊したことはない。
投げすぎて肩は重かっただろうが。 1971の段階で江夏は145キロ出てなかったような気がするけどな >>223
自分は江夏は最後のシーズンしか知らないが、70年代はとんでもない起用方法だったんだな
中5日のローテーションが定着してた頃から観始めた世代だからね
10年ちょいで相当球界の意識が変わったんだと実感する 村田兆治は江夏より一学年下、堀内やクサとは二学年下と
世代はほぼ一緒なのに、投球イニングや起用方は平成以降の投手とそんな変わらないからね
トミージョン手術も経験してるし、現在主流の中6日のローテーションは村田が先駆けだしな >>228
江川が中5日とか言い始めたときは「舐めとんか」と思った 75年あたりから広島が中4日のローテーションを採用し始めて、80年には全球団に浸透、読売が江川の提言でなか ↑
途中で書き込んでしまった
続き
読売が江川の提言で中5日のローテーションを採り入れて、それが主流になっていく、という流れかな?
先発と救援の二刀流は、割りと80年代後半までやらせる球団もあったな
槙原や大野あたりもやってたし シーズン300イニングは78年の東尾が最後
中3日で時には救援なんていう使われ方でないと300イニングも行かないので、その辺りで急速に中4日ローテが一般化した感じかな 18、19から300イニング近く放らされてたら、20代後半で燃え尽きるわな
けど、現代の起用も肯定は出来んよ
あまりに過保護過ぎて、スポイルしてしまってる感がある
中5日で110球くらいがベストかと思うんだが 93年序盤に今中が中4で先発した際
おいおい春先から無茶すんなよ
と友人と会話した記憶がある >>235
その年、今中が投げた249イニングが結果的に平成におけるシーズン最多イニングになった
しかし、今中の投手寿命も縮める結果になってしまったが >>230
>>228
江川は日本シリーズでは中3日で投げてないか?
西本は中3日でも、連投もリリーフもやった
江川はデーゲームは弱いし、年間登板数は西本の方が多い
平松見たいに、故障しないように、イタイタイ仮病使ってたんじゃ無いの? 中4日登板だとだいたい多くて35〜36試合、中5日だと30〜31試合という感じ
江川は最多で80年の34試合
野茂が最多32試合
斎藤雅樹と桑田は30試合
今中は93年シーズンで31試合(先発は30試合) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています