1985年ドラフト会議
6球団の競合の末、西武は清原を引き当てた。
しかしながら、巨人入りを切望していた清原はこれを良しとせず、
当時の根本管理部長あげくは堤オーナーの説得をも拒絶し、プロ入り
を拒否。もはや野球には思い残すことはない、新たな世界で勝負を、
と選んだのは何と声優の世界だった。

その後の声優業界と清原、西武、野球界全体はどうなったろうか?