1983年日本シリーズ 西武×巨人★3 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>510
スパイクの話もそうだし、中継で映る巨人のベンチも、まだ終わってないのに早くから監督も助監督もニヤニヤしてたのが嫌だった。
もう少し、闘う姿勢を見せていたら違ったかもしれなかった。 第四戦一回表ワンナウト満塁のピンチで江川は快刀乱麻のピッチングをした。
あれを見て巨人の日本一もあるかなと思った。言われていたほど江川は悪くなかった。 >>522
第二戦の鈴木健のトンネルエラーだね。あれでそのまま巨人に流れが傾いてそのまま押し切られて
しまった。 フィールディングのいい西本が大田のピッチャーゴロをジャッグルして満塁にしたでしょ。
あの時点で変えるべきだったね。疲れが足にきていた。西本と心中したというのなら別だけどさ。 スティーブがサードもファーストも上手に守る器用な選手だったので。それも大きかったかな
とも。守備は下手というデータもどこふく風でしたね。 巨人が西鉄時代からライオンズに分が悪いのはお嬢さん野球だから。
野武士的な荒々しさの無さが負けに繋がっているんですね。 2008年の日本シリーズ「巨人ー西武」の勝敗パターンが1983年と同じであった。
2008年の日本シリーズ第6戦が終わった段階で、この事実を指摘し、従って
第7戦は西武有利ではと指摘するスレが2ちゃんねるに立ったのを覚えている。 2008年は阿部慎之助の故障が無ければ普通に勝てたシリーズ。 1994年の日本シリーズも第5戦までが1983年と同じ勝敗パターン
あれも第6戦落としていたら危なかったと思う >>517
江川ってのは、あとになってからあのことはこうだったとかよく言うけど、あの日本シリーズのデキからすればとてもそんなことを言える状態でなかっただろう。
第四戦で肉離れ起こしていたんだろう?
西本が孤軍奮闘という感じだった。とてもあのとき、江川投入にベンチは踏み切れなかっただろうよ。
だいたいあのシリーズは江川がふつうに投げていれば間違いなく巨人が勝っていた。
戦犯のくせして、よくいうよ。 戦犯は第6戦で勝ったと思って馬鹿騒ぎしてた面々と
初球を簡単に打ったクルーズだろ。 江川はシリーズ前に肉離れで故障してたらしいな
第4戦は再発 >>540
でもクルーズは第5戦でサヨナラホームラン打っている。
江川は第1戦田淵にホームラン打たれてKO、第4戦肉離れで途中降板、第6戦も金森にサヨナラ打を打たれて、シリーズ通して何もできなかった。
最高の戦犯は江川だろうよ。高給もらっていたくせして。 >>510
1958年シリーズ第5戦で日本一まであと一人から
関口のゴロを捕り損なって追いつかれ西鉄に大逆転日本一許した経験がある藤田さんが
気を緩めていたのだろうか >>543
94年シリーズ前日だがにNHKで夜10時から放送した番組(タイトル忘れた。中山ヒデと斎藤英津子が司会)
に出演したときに「中畑の三塁打で勝ったと思い、スパイクとウインドブレーカーを脱ぎ気を緩めてしまった」と語っていたね。 >>544
その番組は「スポーツ100万倍」だろう。 中畑が三塁打を打って逆転したときは、自分もこれで巨人が勝ったと思った。
ほとんどの人がそう思ったのではないか?
むしろ、あの局面から勝ち切れなかったことが、前例の乏しいことではなかったか?
試合終了後、百戦錬磨の巨人・牧野コーチが、「こんな日本シリーズは見たことない」
と語ったのが、この試合のすごさを表している。 あの局面で逆転したのが西武だったら、そのまま巨人に勝ったろう。
現に最終戦、逆転されてあっさり負けているし。 >>546
リアルで見ていたが、クルーズがあっさりと初球1塁ファールフライで凡退。
追加点が奪えず1点リードで9回表を終えた時点で、簡単には終わらない予感はした。
前々日に完投し、疲れが残る西本を登板させた時に、
思わず「やられる」と口走り、周囲から睨まれたりもしたが、予感は的中した。 >>517
江川、戦犯のくせによく言うわ。思うだけで抑えられるなら苦労しないっての。
10回の裏に打たれたのは、もう気持ちが入っていなかったとか、言い訳すんな。 江川が延長抑えてれば勝てたかもしれんのに 気が入らないだもんな… やる気がないのだったら、とっととマウンド降りろ。
そんなこと平気で言うことが信じられない。いまだに言い訳ばかりしているんだな、あきれるわ。 あの9回表に逆転したことが逆に裏目に出てしまった感。
むしろあのまま、あっさり負けていたほうが、第7戦で勝てていたもしれない。
逆転し、優勝目前で同点→延長サヨナラ負けでダメージが強大過ぎた。
第6戦終了時点で既に巨人ナインの心は折れていた。 心が折れてたチームがどうやったら7戦7回表まで2点リードできるんでしょうか?
この人の理屈がわからんわ 西本のコンディションがもう少しいい状態で第7戦に挑めた、位はあったかもね 藤田は勝ちに急ぎすぎた。
「7戦トータルで4勝すればよい」という広岡流の考えを持てなかったのも敗因。
あの試合は正直投げたくなかったという
西本の気持ちも汲んでやれなかったのも敗因のひとつ。 第7戦は西本先発で飛ばせるだけ飛ばし、あとは江川で。もし第6戦追いつかずに
そのまま負けていたら。あくまで結果論だが >>555
確実な抑え役がいなかったのも事実。
角が二年前のような調子だったら9回裏は角の出番だっただろう。
江川が使える状態だったら江川の出番だったかもしれない。
いずれにせよ孤軍奮闘の西本を責めるのは酷。 西武は東尾後ろに回してたからな
藤田はもともとリリーフ投手には疎い
二次政権も完投完投でリリーフは後回し >>558
Bクラス転落の91年には「巨人は時代遅れの投手起用をしてる」と
野村・ヤクルト監督から嫌味たっぷりな口撃材料にされていたっけ 巨人は先発の江川、西本をリリーフにつぎ込んで負けたり、場当たり的な投手起用を
しているように見えた。
一方、西武は先発は松沼兄、高橋、杉本で固定し、エースの東尾を抑えの切り札、
松沼弟、森繁、小林、永射をリリーフとして、方針が一貫していた。 行き当たりばったりの野球をしたら負けるという教訓だね テリーのタイムリーが無ければ巨人が日本一になっていたし。
時の運かもね。 西本はあそこで限界だったのは事実だな
6戦目の登板がなきゃ かもだった 乱数表を巨人に読まれている事にもっと早く気づいてたら4勝1敗で西武が圧勝してたかも。 乱数表の使用が認められた頃は試合時間が長かったけど野球そのものは結構面白かった。
サインの盗みあいの駆け引きもまた見どころだった。 >>564
大田のピッチャーゴロをフィールディングのいい西本が弾いてしまったのはプレッシャーでなのか
それとも疲れからなのかどっちだったんでしょうね。やはりアップアップだったのかも知れませんね。 9回ワンアウトを取ったところでジャンパーを脱いだこと、あれは藤田も後に反省していた。だから89年のシリーズ最終戦では点差が開いても「勝ってるんじゃないぞ、リードしているだけなんだぞ」と選手を引き締めていた。 バレンタインがワンサイドゲームでも表情を全く変えなかったので名勝だったね。 牧野さんと広岡さんとの頭脳戦だったので凄まじい試合展開になった印象。 しかしねえ、王手かけられて9回1アウトまでリードされてたら、普通そのまま
いくんだけどねえ 1983年シリーズは江川はともかく抑えの角も使えなかったからな
角がシーズン前半のように機能してたらなと 俺第7戦部活でリアルタイムで見てないんですが、無死1,2塁でピッチャーへのゴロ、西本ならゲッツーだ、と思ったらファンブルして内野安打だったの? たらればだが、1982年巨人があのまま優勝してたら巨人は西武に勝てたか?
原絶好調、中畑ケガ、河野ケガ、江川の調子微妙、西本まあまあ。定岡はキャリアハイ。 たらればだが82年、86年のまだ途上の西武なら分があったかも >>578
優勝したとしても翌年は大差をつけられての2位だったかも。
83年は前年2位ってことで、開幕カードは前年5位の大洋と対戦。
初戦は西本熱投、翌日は小雨の中、右田から駒田の初打席満塁弾で圧勝で好スタート。
もし前年4位の広島と開幕してたら、初戦は北別府に完封され、
翌日は川口か大野を打てず、もちろん駒田の満塁弾もなく、
連敗スタートで次節のヤクルト戦もやっと勝ち越す程度。
3カード目の甲子園阪神戦では槇原初登板初勝利もなく3タテ喰らって、
出足で躓いて広島の独走を許したと思う。 >>577
打球は速かったけどね必殺仕事人の打球だからw
淡口や松井のような際立って打球が速いわけでもないけど大田の打球って時折執念が乗り移った
ような打球になって怖い時があった。 83年の時は82年に負けた事に対する雪辱が巨人のモチベーションになっていたので。
81年からの連覇で82年に巨人がシリーズで西武に相対していたら大敗していたかも。 過去スレに書いたかどうか忘れてしまいましたが・・・
野村克也氏が自著で
第6戦の9回表に勝ち越した時点で山倉捕手が自分のバットをケースにしまいこんだ点を指摘していました。
胴上げのどさくさで自分のバットが行方不明にならないための行動だと思われ、
9回裏の守りは「西本にはシュートを投げさせておけば大丈夫だろうと安易に考えていたのでは」
とのことでした。 >>580
40年近く経った今でも未練がましく82年優勝してれば、ってずっと思ってたが、
あの年優勝してたら翌年駒田の初打席満塁アーチが存在しないことずっと考えてなかったw
ありがとうw 20世紀の日本シリーズは使える駒数は少ないが絶対的エースがいる
使える駒数はいるが軸が疑問というチームが戦うとだいたい前者勝が
このシリーズと78年は逆だった。 いずれも森ヘッドが後者にいた
広岡さんは森ヘッド抜きだと日本一になれてないような気がするのはきのせいかな 広岡さんが日本一を逃したのは85年だけ
絶対的なカードもなく使える枚数も少ない相手 >>586
データの分析能力では森の右に出る者はいないらしい。85年は黒田が森の代わりをやったらしいが、上手くいかなかった。 >>588
野村と森はデータ分析はどっちがうまいのかな?? 森はブライアント攻めるときに
外人は速球に強いでなく速球が打てないから日本に来てるという考えがあってもよいと
いって攻めたね
89年のあの試合以外は成功したと思うけど あの時は郭の頭の中が失恋でグチャグチャになっていたので
広岡さんは選手の異変に気付くのは恐ろしく早い人だった。あの場面で即交代だっただろう。 第七戦で石毛が角にディレードスチールを誘い出されたのを見て角のほうがランナーは走りづらかった
かなとは感じた。 第六戦の片平のタイムリーはまさに執念の一打。
巨人の勝ち急ぎ云々は関係ないです。
そういう所がオッサン片平の魅力です >>592
http://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore1983_6.html
一死1塁からの一二塁間を鋭くゴロで破る右前打だろ
次の鈴木葉留彦がシュートを押っつけてレフト前
その次の石毛の三遊間深いゴロが内野安打になって同点 >>593
この時のショートは近鉄から移籍の石渡
抜けそうな当たりを何とか捕球したけど、どこにも投げられなかった 1983じゃ昔過ぎるから2002との兼用スレにしようぜ テリー封じは西本よりも江川のほうが良かった感も。
縦の球を幾分苦手にしていた。 紳士と野武士の差がわずかに出たかなとも。
それでも紳士野球で45回も優勝している巨人って一体何なんだというw 巨人が負ける時って頭の良し悪しではなくて人間性の問題が出てしまうんだよね。
巨人もそこまで横綱相撲に拘る必要はないとは思うけどね。 このシリーズの逆MVPは江川かな?
第1戦、4戦の不甲斐なさ、6戦のサヨナラ負け
それでいてあの場面は自分が行っていれば抑えられただと?! 巨人ファンの多くは第6戦の敗戦を悔やんでるが、
第7戦だって原が3度の好機に全て凡退。
むしろ、こっちのほうが敗戦に直結してると思うが。 もう日本シリーズで対戦することはない
日本シリーズはソフトバンク対セリーグになった そんなソフバンでさえ取りこぼしがあるので。嘗ての西武もそう。
巨人のV9がいかに偉大かがわかるね。 孫さんがリーグ全体の利益も考えて戦力を分散させるだけの器量があるかどうか。
孫さんが独占を長期にわたり堅持する人だったらパリーグ全体の運命も左右しかねない。 西武も89はまさに取りこぼし。
バークレオ早く見切って、D砲を数日早く獲ってたら… もし、仮に90年シリーズで第1戦デストラーデが打たなかったら、第3戦で原が先制打を打っていたら、巨人が日本一になってた可能性はある? タラレバなら何とでも言える
あと83年以外の話はスレ違い >>609
ストレート負けを免れた程度だと思う。
シーズン最終盤のピッチング見たら、斎藤の起用は考えるべきだったな。 >>611
90年は何やっても負けてたって運命か...。 83年って打線比べたら巨人がぼろ負けしてもおかしくないと思うんだが違うんだな
リアル世代ではない 西武の乱数表が巨人側に途中まで読まれていたので。試合時間は長くなるけどそういう情報戦も
昔の野球の面白さだった。 94年のシリーズも西武大勝の雰囲気だったんだけどね。
槇原が流れを変えた。第二戦の鈴木健のトンネルもことのほか大きかったね。 90年のシリーズはどういうわけか巨人の投手陣が力の勝負を真っ向挑んでいた。
あれは今でもちょっと解せない。あれでは打たれるのは当たり前。 第1戦デストラーデに0-3からど真ん中投げればそりゃ打たれるよね。ストレートに強いバッターなんだし。
素直にデストラーデ敬遠して、後続抑えていればもう少しマシな展開になったかも。 90年原はチャンスにまるで打てないし、エラーはするし酷いもんだったな。94年は繋ぐ打撃に徹していたし、タイムリーも何本か打って、それなりに貢献したと思う。ただ、緒方の満塁ホームランの価値は本当にデカかったな。 岡崎のホームランで流れが変わるかなと思ったけど起爆剤とまではならなかったね。 90年は先発の順番は間違えた 桑田ー槙原ー斎藤で行けばよかった
94年は桑田ー槙原でいったことが森監督の焦りをうんだ
94年に関してはあの10月8日を勝ったことが大きい。 独走優勝してたらわからなかった
けどあの試合を勝ったんだよという雰囲気があったのと松井あたりは西武の強い時
TVでしか知りませんという感じだったみたい 桑田は悪役時代で謹慎明けプレッシャーのかかった初先発の大洋戦で完封したからね
でも槇原にした藤田の気持ちもややわかる。 1987年、メンバー半分ぐらい同じ西武相手に
完封したからね。1994年シリーズで西武相手にMVPだからねえ
西武に有効なタイプだと思ったんだろう 94年は最終戦で精いっぱいで日本シリーズはほとんどプレッシャーもなかったらしいな 94年のシリーズ六戦目の練習中に東京ドームのオーロラビジョンに森監督解任の電撃ニュースが。
森監督もそれを見て呆然としていた。石毛ら選手達も唖然としていてこの時点で日本シリーズは
負けたも同然だった。
堤オーナーは人との繋がりを非常に大切にする人でライオンズに多大な業績を果たしてきた
森さんに何故ここまで冷酷なのか不思議に思っていた。理由は後で分かったが堤オーナーが
最も嫌う異常人格者だとはその時は想像もしていなかった。 >>622
槙原はああいう性格だし初戦はまずい。 2戦目あたりがちょうどよい。
逆に87年の4戦目は信頼しなさすぎ もし仮に90年巨人が勝ってたらどんなシチュエーションになったんだろう? まあ、あの年は何やっても勝てなかったと思うが。 森はゲーム前に女をナンパするような不届きものだからな タラレバなら何とでも言える
あと83年以外の話はスレ違い 83年シリーズ第六戦の試合前に広岡電撃解任なんてニュースが流れたらどうなるよ。もうその時点で
巨人は勝ったも同然だろう。
85年はシリーズ開催中に広岡さんが辞める事を吉田さんが知って阪神の勝利を確信した。 広岡は1985年の日シリ時点では辞める気なかったでしょ。
根本と揉めたのはオフに入ってから。 長嶋が森を毛嫌いしてて王も森を嫌っていた
一見好人物っぽいがそうでもなかったみたいね
広岡は1985年の時点で「痛風が痛い」報道ばっかりだった記憶がある >>530
85年シリーズ三戦目の試合前に広岡監督が吉田監督に「俺今年で辞めるから」と告白したんだとか。 >>631
堤オーナーから嫌われているのを見て本物だと思いましたね。あの人はそういう人ではないですからね。 83年のシリーズ五戦目で大石がポカリードをしたのを野村さんが何で子供でも分かることが
コイツはわからないんだと解説でぼやいていた。
広岡さんだったらいつも決まってこう言いますね。子供でも分かることが出来ないんですから
しかたありませんって。
そこが広岡さんの凄い所なのかなとは思いますね。出来ない事を知ったうえで適材適所で
選手を上手く使っていたのだと思います。 広岡さんは広島でコーチをしたとき、「基本的なプレーがまるでできない」選手がいる
ことを知ったらしい。それでも、広岡さんは練習に付き合って、熱心に教えた。
広岡さんはクールに見えて熱心に教えるし、できない選手の生かし方も考えている。
優れた指導者だと思う。 西武のシリーズ前のキャンプがオーバーワークだったので心配だった。
江川の自滅がなかったら負けてたかも知れない。 江川に「第6戦の9回裏任せられれば抑えられた」などという資格はないだろう。
あのシリーズ全般の投球みたら 江川で打たれたらなんで西本出さなかったの
って言われるのがオチだわな
できれば角で乗り切って西本は第7戦に集中させたかったが 角の状態が良ければ、巨人が勝ってたんだろうな。藤田監督の自滅采配とか、江川の独り相撲とか、なんか巨人はついてなかったな。 >>632
つうことは、最初から辞めるつもりで、根本に無茶突きつけたわけか。 >>641
第1戦なり、第4戦なりで、角を試運転させとくべきだったな。
第7戦の8回でやっと初登板、しかも数ヶ月ぶりの登板って、、
あと、第6戦では江川と西本聖が投げてる横で、新浦が暇そうな顔していた。 >>643
そんなに角の具合が良くなかったのか、なぜあんなに出し渋ったんだろうね。新浦はその頃落ち目だったんだっけ? 89年も対近鉄最終戦、最終回宮本が打たれ始めて、斎藤雅樹をリリーフで使おうとしてたな。もし、斎藤雅樹が登板してたら一体どうなっててんだろう...。 >>645
へーそうなんだ
藤井寺はブルペンが見えないから知らなかったわ
藤田らしい非情さだね
打たれてたって言っても第三者として見てるファン側からしたら
逆転される雰囲気なんて微塵も感じなかったけど >>646
8-5になった時点で斎藤雅樹がベンチ前で投げ始めたんだよね。まあ最後のバッター村上がアッサリ打ち取られて、斎藤雅樹胴上げ投手は実現しなかったけどね。さすがにそこから逆転ってことは無かったとは思うけど、かなりヒヤヒヤした展開になったかもね。 ピンチになって斎藤出してたらやばかったかもな
心の準備の時間少なくて 藤田監督はピンチの場面では楽観視する監督だったので。まだ余裕があったから最後は続投させたんでしょ。
ああいう場面では余り動かない監督だね。 >>642
川上さんのようにはいかないですよ根本さんは。
川上さんはある程度我慢してましたが根本さんは怖い人だからすぐに怒っちゃったんですね。
そこは広岡さんの甘えかなとは感じます。 80年後期の天王山の近鉄戦。1対4で負けて西武初優勝の夢が潰えたのは悔しかった。 >>644
角はシリーズ直前のシート打撃で、滅多打ち喰らってた。「こりゃあかんわ」て首脳陣が判断したのかもね。
第7戦の最後の1イニングで左腕投手が初登板、てのもレアな記録だろうな。 点差あったから楽勝だったしちょっと宮本が遊んでたんだよ いつだったかの『ナンバー』で、第6戦が終わった時点で「東尾を筆頭に西武投手陣が持ち味を存分に発揮しているのに対し、エース江川がこけた巨人投手陣は、壊滅状態に陥った」みたいなことが描いてあった。
東尾や森繁が肝心の場面で打たれまくっとったやないかと… 乱数表を巨人に読まれていたからね。乱数表を変えたら打たれなくなった。 直前に乱数表をかえたのにクルーズにサヨナラホームラン打たれた森繁。。
この直前、広岡がマウンドに行ったのに続いて、永射が新しい乱数表を持ってマウンドに向かうという失態を犯している。
「二度ラインを跨いだから投手交代だ」と藤田が抗議したが、最後は折れて、森繁は続投した。 この年の巨人の序盤は凄まじい勝率で余裕できたので後半は王に采配をさせた。そしたら危なく優勝逃すところまでいったって言うね。 >>660
6月上旬に2位広島に9ゲーム差だったのが、オールスター前に首位陥落。
ついに藤田もメッキが剥がれたなと思ったが、迷将・王に采配させてたとはねw >>659
後楽園の魔物にやられた感も。あの雰囲気に飲まれてしまった。
森繁が打たれた第三戦の中畑のサヨナラヒットも決して甘い球で放ったですからね。巨人打線を
完全に乗せてしまいました。
西武に戻って東尾の快投ピッチングが冴えたのが象徴しています。 >>663
第7戦の東尾も綱渡りだったぜ…
7回表で西本聖にヒット打たれ、その後の二死二三塁で、篠塚にあわや二塁打の際どい当たり打たれてた。
その次の原がヘタレなおかげで助かったし、西本聖を疲れさせたのは結果的に吉と出たけど。
9回表の二死二塁も、篠塚が不用意に初球引っ掛けたから助かったようなもんだ。 昭和57年の日本シリーズでは、東尾はマウンド上でも笑顔を見せて、余裕のある表情だったが、
昭和58年の日本シリーズでは、さすがに緊張した表情だった。
それだけ巨人が手強かったのだろう。
当時の巨人はまだ球界の盟主としての権威があったし、実際に強いチームだった。 >>666
あれは西本を疲れさすためにわざと打たせた、と何かの本にあった 第6戦の5回裏の西武の攻撃時の、巨人の守備が不思議だった。
先頭の山崎が四球、次の伊東が一塁前にバント小飛球(記録上も一フライ)。
中畑が落とし、二塁で山崎を封殺したが、何故か巨人の内野陣はゲッツー取るそぶりを見せず、伊東が一塁に生きた。
伊東はバント直後バッターボックスで突っ立ったままだったので、一塁に投げてれば100%確実にゲッツーが取れた。
故意落球にも見えたが、それならば伊東がアウトになるはずだから、故意落球の適用はなかった。
結果、その後伊東が二塁に盗塁し、石毛の同点三塁打につながった。 二塁手の篠塚はちゃんと一塁で待ち構えていたよ。
二塁で山崎がフォースアウトになってるんだから、記録上も一ゴロじゃないと本来はおかしいのよね。 森が監督になってから東尾は日本シリーズでは先発で起用したのは、広岡と喧嘩別れしたから、
広岡と同じ起用法をしたくなかったのかな? 広岡の時は先発3枚で早めに継投してペナントレースとは別の戦い方
森の時は先発4枚で長く投げさせてペナントレースと同じ戦い方
さすがに森の時に先発4枚の中には入るだろう
が、もう4番手の実力すらないと見切られた88年はまた後ろで使われている 第7戦、巨人2-0でリードした7回表
二死満塁で打者原に2-2から投げた顔付近のシュート
もしぶつけてたら巨人勝ってたんだろうな
なんで原は命かけてぶつかりに行かなかったのか
理解できない >>675
原がここ一番の勝負所で内角シュートに動じない選手なら東尾は別の攻め方をしていた
そういうところまで西武は洞察していた 原がお嬢様野球云々はさておき、
満塁の時って当たって押し出し狙い満々の奴にはなかなかインコースに球が来ないし
当たる事を考えてない奴は体の近くに来たらとっさに避けてしまうんだよな… 顔は無理だろw
生き物として反射的に避ける
背中で受けるのとはわけが違うわ マニエルもトラウマでメット改造…
達川でも怯みそうだな、
顔面コースは難しいが払うようなポーズで左手の平で当たりに行くか? 東尾の攻め方は今にして始まった訳ではない
ブラッシュでのけぞらせて外角に落ちるスライダーで料理する組み立てはケンカ投法の基本
わかっていながら引っ掛かったのなら原は未熟、
想定していなかったのなら巨人のスコアラーは節穴ということになる 東尾の投球術は、弱いライオンズにおいて、生き抜くために編み出したもので、
日本シリーズに出場するような強いチームのエースの投げ方ではなかった。
だから、巨人の打者はこんな投手に当たったことはなかったのではないか?
これまで当たったパリーグのエースとはかなり違っていたと思う。 広岡さんはなんで85年に背番号91に変えたのでしょうか? 広岡がシリーズでやった先発中3日回しで早く降ろして東尾松沼弟をロングリリーフで出す継投は、
ハムの栗山監督がやってるようなオープナー戦術の走りだね >>668
92年シリーズの7戦目の9回裏も岡林にヒットを打たせていたな。その後の結果は御存知の通り。 西武の先発は、松沼兄、高橋直樹、杉本で、変則投法か左投げ。
序盤は巨人打線の目が慣れていないので、抑えやすく、目が慣れてきたころに本格派の
投手をつぎ込んで勝ちに行くという作戦だった。
短期決戦では効果的だと広岡は考えていたのだろう。 >>675
もし顔面直撃してたら、巨人日本一の代償に原の選手生命が終わってたな。 江川も西本もリリーフ登板だと気が乗らない感じに見えた。 藤田は選手の時から日シリは苦手。
自身も58年対西鉄戦9回裏2アウト、あと一人の場面でヒットを打たれ同点。3連勝4連敗の原因になった。
投手の育成は得意だが、先発完投主義だったので、継投は得意でない。
温和なイメージとは違い、瞬間湯沸かし器と呼ばれるくらい短気だった。
今の常識では、三振のとれる江川投入が正解だろうが、当時の定石は日シリ実績の西本を投入し負けてしまった。全ては結果論だし、実際、広岡は負けを覚悟していた。 >>691
第6戦の翌日(日曜)の読売新聞には
江川で行くべきだったと書かれてあった。
いつもなら前向きに論評する読売記者もこの時ばかりは
巨人一気に窮地 完全不利な状況な上に余力なし
などとかなりのネガティブになっていた。 広岡達朗のコメント
「ガッツで働いた西本を胴上げ投手にしたかったのだろう。藤田は人情家だからな」
藤田監督のコメント
「最大のミスは、私が胴上げの瞬間を頭の片隅に描き、準備のためにジャンパーを脱いだことだろう。
心の隙、油断が敗戦につながったのだ……」
https://president.jp/articles/-/13040
来年監督になる王さんの勘の悪さのせいにせず、自分で全て罪をかぶった藤田を偉いと思う。 西本は7戦の先発決まってたから 6戦の最後は江川と思ってたんじゃないか 何を書いても結果論
あの場面、西武の一番通用していた西本を使うのは間違ってない
むしろ通用してなかった江川を使って負けたほうが
ファンは納得しなかっただろうし 第6戦は広岡もミスってるよ。
9回裏2アウト1,2塁打者中畑の場面で先発の杉本を続投させて案の定逆転タイムリーを打たれた。
あそこは東尾に替えなきゃいけない。
でも結果論だがこの試合東尾は登板しなかったから、翌日の第7戦でリリーフで最後の3イニングを0点に抑えられたのかもしれない。 夕方のラジオ番組に出演した関根潤三・大洋監督は
「なぜ藤田監督はとち狂って西本を出したんでしょうか?」と批判。
中止となった晩に放送したサンデースポーツ9に出演の青田昇も
「アウト3つ取ればいいんだから、あの場面西本を出すのは当然。でもね、
西本はリリーフに慣れてないから、他の投手を選択する余地があったと思う。
監督も解ってるはずなんだろうけど、焦っちゃったかな・・・」
更に青田は「明日は点を取れる時に何点でも取っておいたほうがいい。
そうすれば絶対に勝てる。もし点取れるチャンス逃したら負ける」と
翌日の戦いを見越した発言までしてた。 このシリーズ西武は継投結構ミスってて、第3戦、5戦の森繫
投入失敗は致命的だったにもかかわらずシリーズは制した。
中畑は思い込みが激しく、森繫は駒大の後輩なのでなめてた。
(森繫は多分何も考えてなかったと思う。別に先輩にひるむタイプでもないし)
また、第6戦は西本は9回裏同点に追いつかれたが、引き続きの一死満塁を
抑えたので、ここで勝ちきれない西武に完全に流れが言ったとはいえない。
江川vs金森の際の前進守備は定石通り。すべては結果論です。
第7戦でこのシリーズで安定していなかった東尾を打ちきれず敗退。
このシリーズは相手の投手をお互いが攻略しあっていたので、バッターをほめたほうが
良いと思う。 第6戦の西武は9回と10回に代打の片平、鈴木、金森の3人ともヒットを打ったのが神がかっている。
公式戦でも代打起用した3人が3人ともヒットを打つなんて事は珍しい。 6戦終った時の広岡
「もうどっちが勝ったっていいじゃないか」 西本は完封勝ちした第二試合でシュートを投げ過ぎていた。
西武の打者は西本のシュートをまるで打てなかったが、「こんなにシュートを多投して
大丈夫か?」と思ってみていた。
第六試合ですでに二試合完投している西本をリリーフに送ってきたとき、「大丈夫か?」
という予感はあった。
自分は加藤初を続投させるものだと思って見ていた。 首脳陣も西本を呼んで「もしこうなったら行けるか」
くらいのことを事前に聞いておくべきだった 角は信頼感がイマイチな抑えなの?
角なら左の代打の片平や鈴木は出てこなかったわけで。 後半、肩か肘が調子よくなくて不安定だった。
結果的には7戦抑えたけど、出してみないと分からない容態だった >>704
西武は主力が右打者ばかりで左打者がイマイチだから角の出番がない >>706
9回の裏は左の代打の片平と鈴木にヒットを打たれてピンチになって追いつかれたんだろ。
角なら片平や鈴木は代打で出てこないよ。 >>686
85年の中軸ではなく中軸前後に大砲を置く打順は今のメジャーに通じるものがある。
何から何まで先進的でしたね。 シリーズ前の西武の練習がオーバーワークになっていたので。
案の定苦戦する破目に。 >>707
あの当時の西武はサウスポーに異常に強かったんよ
近鉄の鈴木啓示ですら西武戦では滅多打ちされる事が多かった
なので主力投手が右ばっかだった阪急や南海が西武に善戦できた あの時に見せた広岡さんの諦め顔。
あれは本当に諦めていたんだろうというのが大方の見方だが。
僕はあれ戦略的にやってたと思う。わざとああやって最後の望みに掛けてた感じだった。 もし今のようにパリーグ主催でDH制を採用していたら
誰がDHに起用されたのかが気になる >>714
西武がDHを誰にするのか気になるのなら、君はアホだ。 >>716
巨人のこと
日本シリーズのセのチームは日本シリーズで意外な指名打者を使うことが多いから DHがあれば巨人は
1 松本
2 篠塚
3 原
4 スミス(DH)
5 吉村
6 中畑
7 淡口(クルーズ)
8 山倉
9 河埜
俺が監督なら右投手先発時は松本の代わりに駒田を1番に起用したい
松本は杉本が先発時のみスタメン 吉村や駒田をこの年の日本シリーズのスタメンで起用するなんていう発想は、その後の彼らの成長や活躍を見ているからだろ。
この年のシリーズ戦前、戦中、戦後に吉村や駒田をスタメンで起用すれば良かったなどと考える人なんていないよ。 ただDHを熟知してないからDH平田駒田吉村もあり得たのでは
87年の話だけど山崎章弘がスタメンDHで出ていた ごめん、話の流れを理解してなかった。
上のコメントは取り消しで このシリーズを見返すと広岡氏のモチベーションが半端ないのが感じ取れる。
85年とはえらい違い。
まぁチーム構成も変わっているので一概には言えないが。
考えうる現時点の最強の布陣で最高のコンディションで盟主争いに臨む
条件はすべてそろった。
という感じで臨んでいたのだろう。
85年は生まれ変わったチーム。
スタメン大半が若手。それに合わせた布陣で相手は最高の応援とブームに
乗っている阪神。
モチベーション取りにくかったのかも このシリーズを見返すと広岡氏のモチベーションが半端ないのが感じ取れる。
85年とはえらい違い。
まぁチーム構成も変わっているので一概には言えないが。
考えうる現時点の最強の布陣で最高のコンディションで盟主争いに臨む
条件はすべてそろった。
という感じで臨んでいたのだろう。
85年は生まれ変わったチーム。
スタメン大半が若手。それに合わせた布陣で相手は最高の応援とブームに
乗っている阪神。
モチベーション取りにくかったのかも まあ単純に 藤田 牧野を川上と重ねてた節もw
川上巨人とやりたかったと言うてるね 第二戦のテレビ中継の解説が落合だったが。
CMに切り替わる寸前で「振りすぎだよありゃ〜」と落合のもらす声がマイクに乗ってしまった。
西本のピッチングや西武打線について色々と解説していた落合だったけど結局の本音は
西武打線がボールをよく見ていないという事だったようだ。それは本放送では言ってなかった。 85年はもう辞める事が決まっていたので意気消沈していた。
あんなにやる気のない広岡さんというのもちょっと寂しくも思った。 巨人に勝って日本一になった時の広岡さんの一言が実にそっけなかった。
「これで西武も全国区の足掛かりを掴んだね」
この一言だけだった。こういう所がいかにも広岡さんらしいというか。 王が、翌年から監督に昇格するけど、もしも一年だけでも、ネット裏生活をやっていたら、あの解任劇は起きていたのだろうか。 藤田監督だったら、タイガースフィーバーを食い止めることできたろうか >>731
鬼平、ガンジーのどちらでも止められただろうね 広岡監督
この時の意識の高さを持っての85年のシリーズ戦いを見てみたかった。 自分の存在意義を掛けての戦いとかそうそうできるものでもないしな
阪神が相手の時点で無理でしょ
少なからず次の進路というか野望も視野に入ってたわけだし 阪神じゃモチベーションが上がらない。。。と。
確かに次年度に向けての戦力テストみたいに見えるシーンもありましたね。
(そうやって見ると、という意味ですが)
でも先発ピッチャーがあと一人
主力がケガしてないという(阪神とほぼ同じコンディション)状態なら。。。
もっと面白いシリーズが見れたと思うのですが。 >>735
郭の故障は仕方ないにしろ普通工藤や東尾を先発で回すでしょ
それなのに小野や高橋直樹を先発に起用するとか舐めてるよ 結局広岡時代の西武はシリーズで完投投手を一人も出さなかった通り
シリーズの戦い方は継投策という固定観念に最後は縛られていたね
82,83あたりは余ってる投手をこれでもかと物量作戦で投入できたが
(さらに82年は小林とかいうポストシーズン男まで出てきた)
85はそこまで物量があったか 森みたいにオーソドックスに
初戦東尾 二戦工藤ならね 広岡監督は日本シリーズでは松沼兄(アンダースロー)、高橋直樹(サイドスロー)、杉本(左)
という相手打線が短期では捕まえにくい先発投手で回す考え方だった。
エースの東尾は、最重要場面で投入し、「確実に勝つ」使い方だった。
昭和60年は、杉本がいなくなっており、代わりにきた打者の田尾が不調だったのが、二重に痛かった。
先発が1枚足りない状態になっていた。 ヤクザオト松泰源故障で前も後ろも足りなかったからな 広岡西武がCSでソフトバンクを迎え撃ったら、松沼兄、高橋、杉本を先発に立て、東尾をリリーフ起用して
負けそう 85年機能しなかったのは森ヘッドがいなかったから。 ヤクルトの78年は
もっと投手いなくても森ヘッドがいたから勝てた 本人にやる気が無かったからね
シリーズ前にこれから戦う相手チームの監督の吉田にシリーズが終われば辞めると報告するぐらいだから
森だって西武の監督をクビになると決まったシリーズでは長嶋巨人に負けたし 小学校5年生で今でも覚えている。王が現役引退直後、トロイカ体制で1番強かった、輝いていた時代だった。初戦江川が火だるまKOを喰らい、投手コーチだった堀内から罵られ、意地の197球投げ込みが、第4戦先発直後の肉離れを誘発したね。
あと、河埜2度の死球と左殺し平田の不調、角が故障上がりで投入出来なかった事も痛かった。
特に第6戦の9回裏、角を投入出来ず、西本を出さざるを得なかった事が、本当に痛かった。テリーのセンターフライで、藤田監督だけでなく、牧野ヘッドまでもが油断したところを、西武ベンチの森ヘッドに見抜かれていたね。
第7戦7回表は、東尾の術中にはまってしまった。篠塚の際どいファールが、あと少しラインの右に落ちていたら。
篠塚四球後の原に対する東尾のお約束暴投内角攻め、続く球はド真ん中だったが、腰の引けた原が空振り。
7回裏の西本は明らかにガス欠状態で、大田のピッチャーゴロをフィールディングが上手い西本が弾いてゲッツー取れずノーアウト満塁。
テリーに左中間を破る2塁打を打たれ逆転を許すが、残りを西本がゼロに抑えた事が凄かった。
8回裏に角が登板したけど、遅かったね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています