1983年日本シリーズ 西武×巨人★3 [無断転載禁止]©2ch.net
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西武ライオンズと読売ジャイアンツの激突となったこの日本シリーズは
「球界の盟主の座を賭けた決戦」と日本社会の広い範囲から注目を集めた。
第3戦以降逆転に次ぐ逆転の連続で屈指の名勝負となった。
西武が4勝3敗で勝利し、2年連続で西武になってから2度目、西鉄時代から5度目の日本一。
西武はシーズン途中から日本シリーズを見据えて巨人の選手を研究していた。
田淵幸一は江川卓のビデオを「夢にまで出るほど」見ていたという。田淵は打棒が冴えて優秀選手に輝いた。
大田卓司はシリーズ通じて打ちまくり最優秀選手となったが、
7戦通じて一度もお立ち台にあがることなくMVPに輝くという珍しいケースだった。
クローザーの森繁和は当時5勝5敗34セーブをマークし34セーブは当時の日本記録だったが、
第3戦と第5戦でサヨナラ打を浴びてしまった。
また、第4戦以降は入団2年目(21歳)の捕手・伊東勤が先発メンバーとして抜擢された。
彼はその後、1998年の第2戦まで、捕手として67試合連続日本シリーズスタメン出場という快挙を達成する。
サヨナラゲームが3試合、第3戦以降は先取点を取った方が必ず負ける試合展開。
第6戦で巨人が1点リードで迎えた9回、優勝目前の巨人は必勝を期して西本聖をマウンドに送ったが同点とされ、
延長10回、今度は江川が金森栄治にサヨナラ打を放たれる。
この両エースの投手起用失敗が巨人にとっては大きな誤算となった。
Wikipediaより抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/1983%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
前スレ
1983年日本シリーズ 西武×巨人★2
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1414248606/ >>43
当時はどこも箱庭だったけどな
一番広かった西武球場ですら規定を満たしていなかった 両翼95メートルセンター120メートル
中間の膨らみが113.7メートルですから決して今の球場と比べても狭くは
ないですよ
横浜や神宮より広いです
この広さだったら恐らく今の統一球だったらホームラン出ないでしょう
何せ日米野球ではメジャーの選手達が素晴らしいと絶賛していた球場です
当時としては考えられないようなモダンな球場だったわけです 阪神戦の三者バックスクリーンとか伝説になってますが西武だって日生かどこかで
四者連続ホームランとかやってたんですよ
パワートレーニングが当たり前になるまで西武のやりたい放題でした スティーブ・田淵・テリーの何処となくタンパクなクリーンナップを広岡さん妙に気に入ってたんですよ
田尾・スティーブ・片平の方が広岡さん好みそうですが余り好きではなく不本意だったようです
広岡さんの野球観って池田の蔦さんに寧ろ近いんですね
真のハイパー野球を目指していたわけです >>43
本当に当時見てたの?
後楽園はその時代では標準サイズだよ
両翼90か91でセンターが119か120が当時の基本形(大洋と西武以外はほぼその形)
遠征で平和台だったらセンター122で広い球場扱いだったくらいだし ポール際が極端に狭かったですからねぇw
パワートレーニングで鍛えた西武の選手からしたら最早笑えるレベルでした
82年のシリーズでは西武の選手がナゴヤ球場を見て凄い狭い球場だなぁと
みんなで笑っていたそうです このシリーズ、確かに名勝負だけど、さすがに昔話になりすぎたかな 83年のパのペナントレースはもう6チームの中に1チームだけメジャーのチームが
いるような感じでした
あそこまでやりたい放題暴れたチームって見たことがありません ウエイトトレーニングなんて最早どこも当たり前のようになった頃から池田旋風は
すぐに去って西武も簡単には勝てなくなってきました
そこへ彗星の如く現れた救世主が清原だったわけです
清原がいなかったら西武もあそこまで優勝できなかったでしょう 田淵が選手生命を延命出来て優勝の美酒を味わえたのも全ては広岡さんの管理野球のお陰
だったんですよ
たから広岡さんに感謝してるんですね田淵は
今でも仲のいい交流は続いています >>12
亀レスだが元々俺達だった2008年もシリーズは名勝負になったな
(それでも後半戦でグラマンが抑えに固定されてからはいくらかマシになってたが)
逆に今年の緒方カープやJFKがいた岡田阪神のような
固定された継投パターンを持っているチームだと
勝つ試合と負ける試合がはっきりする傾向が強いように感じる >>49
メディアは西武は緻密緻密いうんだけど。なんか違和感感じるんだよな。
緻密野球の割に、大田とか片平みたいな守備下手打撃のみの選手を妙に買ってたし
よっさんと体質的には似てると思う
よっさんも牛若丸いわれた真逆で、野球理論はハイパー野球そのものだった >>58
> よっさんも牛若丸いわれた真逆で、野球理論はハイパー野球そのものだった
違うだろ
優勝した昭和60年も、犠打数はセ・リーグNo.1
そもそも吉田は土台作りをキャッチフレーズにしていたし、ハイパー野球(?)はあくまでも結果論 阪神は下位打線頑張ったからね
木戸もよく打った
意外と85年の阪神って一番から九番まで全員ホームラン打てるようなそこまでの
凄さはなかった
その点では広岡さんの頃の西武打線は切れ目が無かった >>58
強打者がいればそれをまず使うのは当然
打ってリードすれば守備固め出せばいいわけだし
それにレフトとファーストなら及第点でOK
他には強力投手陣であったのもその理由 85年の西武打線って広岡さんが最も好みそうな感じだけど広岡さん不本意だったみたい
ホームランをな打てる外人をもう一人欲しかったよう トニー・グウィンがロッテ入りかの報道が出たときに広岡GMはもっとパワーのある選手が
欲しいねと否定してた 第四戦の立花のホームランだねパワーの違いが出たのは
超高速ライナーでスタンドに放り込んだ当たりはまさにパワーに重点を
置いたトレーニングによって生み出されたものだ この当時はまさか立花世代から誰も2000本安打を達成しないなんて思わなかったわ。 82年シリーズ第二戦の初回の都のアクシデントだってパワーの違いが出た結果だと
思う
石毛の恐ろしいほどのスピードライナーを都も受け止められなかった だいたい83年ペナントレース時の西武は「9番」が.303 16HRの石毛だぞ
巨人の対右6番、対左5番だった中畑の.300 15HRより打ってるんだぞ
河埜や新井がクリーンナップを打つことも多かった南海あたりから見れば反則もいいところだろう あとペナントレース中は右打席の打率が4割に迫ろうかというスティーブが
左打席不振の時期に右投手相手にも右で打ってたよ 最後に巨人は松本じゃなく吉村を先発で使うべきだったな
松本みたいなOPSの低い選手が1番では得点力が上がらないのは今だと定説だけどな 追伸
東尾の緻密な制球や松沼兄のアンダーからの球威あるパワーピッチが打てないのは解るんだが
松沼弟、高橋、森、杉本が打てなかった当時のパリーグ打者陣のレベルヤバ過ぎだろ >>70
記録だけでモノを言っているのが丸解り
弟、森繁の力のあるボール
高橋、杉本のキレのあるボール
彼等はいずれも当時のパリーグで実力的に上位に入るのは、誰もが認めるところだった 巨人打線に打ち込まれるのはどうも乱数表を読まれているようだと西武も見て乱数表を差し替えた途端に
巨人打線の当たりが落ち着いたのはやはりといった感じだった 83年の西武がボカスカ打ったのって他チームの乱数表を解読していたからじゃね?
乱数表が廃止された84年は見る影も無かったし 巨人もセ・リーグの中では上位クラスの 強力打線だったはずなのに
さらにその上だったからな
元々身売り当時から、山崎や田淵など他球団の主力が多い中にテリーやスティーブなどのメジャー
緻密とはかけ離れてた超強力打線だった 当時の巨人打線って中日阪神広島より下じゃね?
大洋ヤクルトよりは上だけども 中日は翌年こそ恐竜だったが
大して強力って訳でもない
広島は強力打線というイメージは薄い
そつのないってイメージはあるが
阪神は、勢い乗ると強いが
勢い乗るのに時間がかかるイメージ
スミスの補強と原の4番定着で、ある程度打線は固まった >>73
パワートレーニングをどこもやりだしたからね
その点での優位性はすぐに無くなったと思う
池田旋風もすぐに姿を消した
どこの学校もこぞってやりだしたからね >>66
投手にダメージを追わせる強襲ライナーを打つことにかけては、石毛の右に出る選手はいない。
石毛にはそんなシーンが多い。 西武は小林誠司や柴田保光が中継ぎやってたくらいだからなぁ
それに他チームならクリーンナップ級の山崎が1番、石毛が9番、片平が7番だった訳で
打線の穴が8番捕手しか無かったしな、そら山崎が1番で82打点を挙げたのも納得 柴田はまぁノーコンだったから何だけどw
日ハムへ行ってもどうせ直らないだろうなと思ってたけど見事に変わっちゃったので驚きw
江夏と柴田のトレードでも江夏?先は短いけど出すのは柴田だしいい買い物だったなと思ったよw 大杉が江川から弾丸ライナーで後楽園の外野防御柵に叩き付けるホームランを打った
その時にあの柵が衝撃でレフトから中間までガッシャーンっと物凄い衝撃で波打った
レフトスタンドが暫くざわついていたがあんな物凄いホームランを大杉が打てたのも全く
を持ってして広岡さんのパワートレーニングによるもの
まさにメジャー級だったね 広島打線は強力だったよ。
ヨシヒコが一番で24本塁打70盗塁
山崎三割
長内、ピーコ、ゴリラのクリンナップで
六番に勝負強い長嶋
七番に後半あたりだしたアイルランド ヘクター・クルーズが余り語られないね
このシリーズ頑張ったんだよぉ
残留してたら楽しみだったね
スミス大先生の指導でバッティング開花しだしたからちょっと勿体なかった クルーズもスミスも仲が良かったのでお互い気分よくプレーしていたというか
クロマティとの仲が険悪だったので84年の巨人の不振はそういう所もあったかも
知れない 84年の巨人は83年の西武と伍する強力打線だったのに倒壊起こして駄目だったね
やっぱ定岡の不振とOPSの低い松本の1番に拘った所為やろうなぁ
定岡なんて83年5月末時点で最多勝争いトップだったのが信じられない凋落ぶりだったし 変化球の癖を見抜かれたのと
定岡正二自身が集中力が維持できない性格の問題もあったみたい
藤田はかばえる人だったが
当時の王貞治は融通性がなかったからキレて近鉄に行かそうとして引退した >>82
セ・リーグ全体が破壊力って打線はなかった
強いてまとまった時の阪神ぐらい
西武の基本打順
1石毛2山崎3スティーブ4田淵5テリー6大田7片平8大石9立花
破壊力抜群の打線って名前みてもわかる
緻密とはかけ離れてる >>87
こいつ、いつもろくにあたらずに自分の思い込みだけで書くのな
こんな基本打順だった時はないよ 石毛は序盤戦ボロボロで9番にまわされて帳尻的に3割達成
だから数字以上に評価は低かった
あと4〜6は田淵−大田−テリーだろ
田淵欠場時は大田が4番に繰り上がった
この人は自分の思い込みを勝手に膨らませて持論を展開するなあ スタメンデータベース 1983西武
http://sta-men.jp/1983lions.html
先発陣の5人とも離脱することなく閉幕までローテーションを守り通したのが凄い スミスもスティーブも右打席の方が強力だった
ついでに言えばデストラーデもセギノールも右打席の方が凄かった
外人のスイッチってバークマン(左利き両打)にしてもそうだが意味があるのか? >>90
84年の阪急なんて先発4人と抑えの山沖だけで71/75勝やで
そら日シリも負けるわ、阪急ファンだったから悲しかった スティーブはサードもファーストもどっちも守備上手かったので守備ではやりくり出来た 広岡は典型的なビッグボール派だよな
当時の阪急の方がよほどスモールボールをやってたな
83年は日本記録の200盗塁を達成したし、内外野の守備力も上だった
ちなみに西武はチーム盗塁が両リーグ最下位だった
だがチーム打率本塁打が両リーグ断トツ1位の西武に得点力で完敗した訳だ チーム盗塁の日本記録は1956年の阪急277個
適当なこと書かないように。 野村さん:何で子供でも分かる事が出来ないんだろう
広岡さん:子供でも分かる事が出来ないんですから出来ない事はやらない事です
広岡さんって意外とそういう人なんですね
出来もしない事をやらせなかったわけです盗塁が少なかった年は どちらかというとボビーに近いんですね広岡さんの野球観ってのは
ボビーは基本スモールなのですがフィットネス重視という点では非常に近いです 長嶋さん・落合さん:出来ないのなら出来るようにさせてやる
広岡さんこれにも近いのですがちょっと違うんですね
意外と出来ない事は瞑って長所を伸ばすタイプなんです >>91
まあそりゃあ全員右利きだからそうだろうよ。 阪急のバンプは右打席が打てなかったな
対西武戦では出れば打たれ状態だったロッテの水谷の緩いタマを全然打てなかったからな 身売り当時から攻撃型の選手が多かったために、どうしてもパワー野球しか方法はなかった
大田や片平で守りの野球やれっても(笑)
西鉄から伝統として続く長打力野球の継承
4番の系譜
大下→中西太→田淵→秋山→清原→カブレラ→中村 >>102
豊田・土井・竹之内・鈴木健「・・・・」 日本だとビッグボールってスモールより下に見られる謎の風潮があるけど
アメリカではビッグボールは金持ち球団の特権で
スモールボールは貧乏球団の苦肉の策だというのが一般認識なんだよな ハイパーベースボールにクオリティを持たせたハイパークオリティベースボールの時代
なんですね
長打力に技術を兼ね備えたもので次世代型のベースボールです
メジャーは既にこの域に入っています
日本はますます置いて行かれるでしょう 豊田は2番だった気が
土井って近鉄の・・・
竹之内は阪神の・・・ 南海が4月の段階では西武と首位争いしていたんだよなぁ
対戦成績も一番善戦してたし
あの戦力でよくもまぁ互角近く戦えたものだ 南海は西武戦に健闘してたけど(6勝1敗1分)
勝率は貯金1(5/11)がやっとで首位争いとまでは
むしろ5月頭まで争ってたのはこの年球団史上初の最下位に転落したロッテ >>94
あの年の西武は主力の多くがおっさんだからね。
85年の西武は、機動力の部分でもだいぶ変わったはず。 >>104
西武も97年の優勝は、戦力が大幅に削られてしまった中で、
東尾が現有戦力を最大限に効率よく使った結果だよね。
そのあおりが99年に現れた。 2008年も原が越智に拘り過ぎて負けたパターン。
第7戦は山口さっさと出しておけば勝ってたよ。 秋山や石毛の獲得が、ある意味西武を変化させた一番手だったのかもしれない
その前は、田淵や山崎や土井みたいな、守りベタの打つだけの選手ばっかりだったから
83年から90年までの流れをみたら
年々隙のない野球に変化した >>115
山崎は堅守の中距離打者
嘘書いて荒らすのはやめて 長嶋巨人時代の中軸選手の不良在庫を沢山抱えて勝てなかった頃の悪いイメージが
どうしても拭えない日本のハイパーボールは 83年、87年、90年と巨人に勝ち続けた西武だけど審判の判定はやはり巨人寄りで
判定で勝つのはやはり難しい状況だったね
83年は競ったにせよやはり判定ではなく力でやっと勝てた感じだった
94年は槇原が頑張ったというのもあるけどやはり判定では西武も苦しめられた 俺が巨人の監督だったらこういう打線にしたけどなぁ
これなら西武にも引けを取らない
1 RF 吉村
2 2B 篠塚
3 LF スミス
4 3B 原
5 CF 淡口(クルーズ、駒田)
6 1B 中畑
7 SS 河埜
8 C..... 山倉 昭和58年の西武は、レギュラーの大半が他球団から来たベテラン+外人で、
寄せ集め色の強い布陣だった。
(黒田・片平・山崎・スティーブ・テリー・田淵)
生え抜きで固めた巨人のほうがチーム力は強いというのが、当時の評判だった。 これはガチだから
実際広岡の本に書いてあった
「巨人のキーマンは中畑とみてスコアラーに中畑の弱点を調べてくれと頼んだ
彼は外角の変化球に弱く、ほとんど右打ちはやらない
で疲れ出すとほぼ引っ張りの打球にしかならないという結果が出たことで、ある意味巨人打線の攻略法は達成した
あと、最終戦はもし江川が抑えなら負けたと思った
藤田監督がウィンドウブレイザーを脱いだとき、相手は勝てると緩んだと思いいけると感じた」 >>88
>>89
8番大石に9番立花、て打順が一試合もねえしw
>>87いくらなんでもデタラメ過ぎだろw >>120
寄せ集め色はもちろんあったけど、
それぞれに風格のある職人肌の選手ばかりで、
90年西武より短期決戦は強いんじゃないかと思うこともある。 >>106
>>105はネタじゃないよ
レッドソックスはそれで呪いの呪縛を解いたんですね 蓬莱とか金森とか小兵選手を好んでた印象
金森が入ったときはこんな人を野球選手にしたら本人が可哀そうだと言ってたけど
それとは反対にこういう選手を妙に好んでいた広岡さんは 広岡さんはああいう人だが
案外泥臭い選手を好んでた
金森なんか最たる例
森監督は逆でスマート系を好んでた
だから金森を出して北村を獲得した
よく考えてみたら、西武の全盛期にダメ虎にいた北村と吉竹がいたわけだ
いかにダメ虎の育成能力のなさを象徴してるかってこと >>114
あれはクルーンに全幅の信頼がなかったため、
@山口を出して同点になった場合、クルーンでは不安
A8回越智でピンチしのげても9回クルーンでは不安なので山口を切札にしたかった
これはあくまで私の私見、というより自分が監督ならそのように迷う。
結論、上原をベンチに入れなかった原監督の戦略ミス >>123
自分も当時の西武の職人肌の選手に魅力を感じていた。
移籍組に加えて、太田・鈴木葉留彦など西鉄・太平洋時代からのベテランも
味わいのあるいい打者だった。
投手も移籍組の高橋直樹の技巧的な軟投がよかった。眼鏡をかけてひげを
はやした風貌もよかった。
だから、「巨人有利」という前評判には疑問があった。 このシリーズは高校の文化祭(第6戦と中止になった翌日曜)と重なった。
準備の時もシリーズの話題だったし、
文化祭の最中の第6戦の経過など放送してた。
巨人ファンと西武ファン(西武沿線の高校)が大半だったので
ほとんどの人が注目してたな。 巨人は良くも悪くもプレーが大人しい
球界の紳士に拘ってよく45回も優勝したもんだ
このシリーズもそれが出てたので何処となく怖く感じなかった巨人の事を
やはり見えない敵は後楽園の魔物とジャンパイアだったかなとも
それにはやはり苦しめられた 江川も西本も劣化が目立ったシーズンで両エース頼みの巨人が下馬評で上だったという記憶は無いけどなぁ
日シリで巨人が唯一負け込んでるのが対ライオンズということもあって巨人やや不利という下馬評だった記憶があるんだが 総得点失点
巨人・・・26得点26失点 8HR
西武・・・26得点26失点 6HR 藤田監督になってから
巨人が盟主の座を取り戻したという認識が世間一般に強かったですからね。
テレビ視聴率も全盛期だし、西武はまだ新興勢力という立場でした。 セリーグ新の76盗塁を記録した松本に
モーションの大きい松沼博、高橋直+弱肩の黒田が引っかき回されるのでは
という観測もあったね
シリーズ中盤から松本が走れなくなった 引っ掻き回して勝てるなら巨人の1.5倍の盗塁数だった阪急はあんな負け越さないわな(10-16) クイック上手かったからね西武の投手陣
あれでは簡単には走れない 81年の吉本で苦汁を舐めたので
82年以降はその辺り特に力を入れてた感じ西武は 阪急はマルカーノを放出してバンプなんぞ取らなければ西武と伍する打線だったのに 西本を7戦まで温存させれ万全の状態で投げさせれば勝てたんじゃないかといまだに思っている 巨人の盗塁
1戦・・・松本 篠塚
2戦・・・松本
5戦・・・篠塚 スミス
7戦・・・河埜2
松本は3戦6戦が5−0 >>141
第六戦の終盤は、確かに早まった感はあるな
早まったと言うより、常時冷静に戦況を見つめる藤田監督にしては、珍しく浮足立ったと言うべきか 広岡の著書
「1アウト取って巨人のベンチが胴上げの準備をしようとしてるのをみて反骨心がうちのベンチに湧いた
あの時冷静だったら負けていた」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています