1983年日本シリーズ 西武×巨人★3 [無断転載禁止]©2ch.net
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西武ライオンズと読売ジャイアンツの激突となったこの日本シリーズは
「球界の盟主の座を賭けた決戦」と日本社会の広い範囲から注目を集めた。
第3戦以降逆転に次ぐ逆転の連続で屈指の名勝負となった。
西武が4勝3敗で勝利し、2年連続で西武になってから2度目、西鉄時代から5度目の日本一。
西武はシーズン途中から日本シリーズを見据えて巨人の選手を研究していた。
田淵幸一は江川卓のビデオを「夢にまで出るほど」見ていたという。田淵は打棒が冴えて優秀選手に輝いた。
大田卓司はシリーズ通じて打ちまくり最優秀選手となったが、
7戦通じて一度もお立ち台にあがることなくMVPに輝くという珍しいケースだった。
クローザーの森繁和は当時5勝5敗34セーブをマークし34セーブは当時の日本記録だったが、
第3戦と第5戦でサヨナラ打を浴びてしまった。
また、第4戦以降は入団2年目(21歳)の捕手・伊東勤が先発メンバーとして抜擢された。
彼はその後、1998年の第2戦まで、捕手として67試合連続日本シリーズスタメン出場という快挙を達成する。
サヨナラゲームが3試合、第3戦以降は先取点を取った方が必ず負ける試合展開。
第6戦で巨人が1点リードで迎えた9回、優勝目前の巨人は必勝を期して西本聖をマウンドに送ったが同点とされ、
延長10回、今度は江川が金森栄治にサヨナラ打を放たれる。
この両エースの投手起用失敗が巨人にとっては大きな誤算となった。
Wikipediaより抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/1983%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
前スレ
1983年日本シリーズ 西武×巨人★2
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1414248606/ 1: 風吹けば名無し 2013/02/10(日) 20:57:29.75 ID:k9rL+XD0
暇な時にウィキペディアの野球記事を読み漁ってたんやけど、ある日こんなの見つけたんや
2011年のワールドシリーズ#評価
http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA#.E8.A9.95.E4.BE.A1
『ハードボール・タイムズ』のクリス・ジャフは、主観的ではなく定量的な評価を行った。
彼は歴代のポストシーズン各シリーズについて「1点差試合は3ポイント、1−0の試合ならさらに1ポイント」「サヨナラゲームは10ポイント、
サヨナラが本塁打によるものならさらに5ポイント」「7試合制のシリーズが最終戦までもつれれば15ポイント」などというように、
試合経過やシリーズの展開が一定の条件を満たすのに応じてポイントを付与することで、面白さの数値化を試みた。その結果、今シリーズは107.7ポイントを獲得し[† 8]、
ワールドシリーズでは史上5位、地区シリーズやリーグ優勝決定戦を含めた全263シリーズ中でも13位の高得点となった[196]。
http://blog.livedoor.jp/yakiusoku/archives/53892796.html
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その結果
*2位 129.7P 1983年 西武 4 (○●●○●○○) 3 巨人
http://bis.npb.or.jp/scores/nipponseries/linescore1983.html
西武が巨人を下してシリーズ2連覇を達成。監督の広岡達明は自らを追い出した巨人への復讐を成し遂げた。
第3戦・第5戦・第6戦と3試合もサヨナラゲームがあり、特に西武が3勝3敗のタイに持ち込んだ第6戦は41.1P。 リアルでこの日本シリーズを見たが、本当にすごかった。
いまだにこれ以上の日本シリーズを見たことはない。
藤田監督のもとでこの日本シリーズを戦った牧野コーチが、「こんなすごい
日本シリーズは初めてだ」と言っていた。
川上監督の参謀を務め、百戦錬磨の牧野コーチがそう言ったのだから、
やっぱりすごかったのだろう。 最後は巨人が自滅したイメージ。
西本リリーフで墓穴を掘った。 第6戦の巨人は、西本を出さず、加藤初を続投させていれば勝っていた。
このシリーズのヒーローだった西本で締めくくろうとしたのだろうが、
第2戦でシュートを投げ過ぎて疲労していたので、「大丈夫か?」と
思いながら見ていた。
案の定、中畑の三塁打で必勝の流れから同点にされ、延長に突入して
しまった。
9回の裏が終わって、西本がマウンドから降りてくるとき、自分への
怒りから、スパイクで土を蹴っているのが印象的だった。 広岡の巨人との相性判断が的確だった
東尾は先発では通用しないが、抑えでは通用する
森の抑えは通用しない(典型的な巨人に通用しないタイプ)
先発に右の上手投げを出すと滅多打ちを喰らうから、
先発は全試合下手投げと左腕にする
特に松沼兄の荒れ球は巨人はいやがるから1・4・7戦に先発させる 広岡監督は日本シリーズでは、森繁和と松沼弟はほとんど使わなかった。
ふたりとも、ペナントレースでは主力投手だった。
ゲスト解説の江夏が、「この一年、森君で来たんだから、森君で行くんだと
思いますけどね」と言っていたが、広岡監督の考えは違うようだった。
第一戦では松沼兄、第二戦では大ベテランの高橋直樹が先発した。
高橋はサイドから絶妙の制球力でのらりくらりと投げていた。 >>10
先発が3人いれば済む当時の日本シリーズの先発ローテーションで
5本柱のうち東尾と松沼雅を後ろに回しただけじゃん
松沼雅は7戦のうち4試合に登板して11イニングも投げている(第4戦は勝利投手) 83年といい92年と言い西武のリリーフ陣が俺達化すると名勝負になるな。 松沼弟は結構投げていたんだな。
東尾は重要な場面でリリーフしていたのが印象に残っていて、
第7戦の優勝を決めた場面でも、最後の打者・篠塚を打ち取った
のは東尾だった。
でも、松沼弟はほとんど印象に残っていない。 広岡監督は日本シリーズの先発に
アンダースローとサウスポーを起用する事に
強い拘りが有った。
シーズン18勝の東尾と15勝の松沼弟を
中盤からのロングリリーフで使うのは
異例の起用法でしょう。 金森のサヨナラ打は、30年以上たった今でも夢に見るほどのトラウマ。 当時のセリーグに有力なアンダースローの投手がいなかったことに
広岡監督は着目したのではないか。
だから、松沼兄を中心に先発のローテーションを組んだのだろう。
巨人打線の目が慣れるまで、松沼兄は簡単には捕まらないと
考えたのではないか。 いまこういう戦術で相手をたたくというのないよな
起用法がつまらない 7戦トータルで4勝すればいいと考えた広岡。
とにかく4勝したいと勝ちを急いだ藤田。
その差がはっきりと勝敗に表れた。 >>19
シリーズでは出し惜しみしてはいかん、てのも一つの道理なんで、
間違ってない。
が、西本信頼し、かつ7戦の先発決めてたなら、7戦だけ投げさせることにすれば良かった。
6戦最後は加藤初で十分。かなり度胸座ってるし。
崩れたら&延長は、江川でいけばなぁ。 >>12
92年はヤクルトも投手陣あまり揃っていなかったからな 初戦お兄ちゃんが通用すれば2戦目高橋(直)もいける、という考えだったらしい 高橋直樹はセリーグでは精彩を欠いてたからな
巨人はそんなに苦手意識はなかったはず 3ランHRのクルーズは兄から情報を入手していたとか 角が怪我で使えなかった
河埜が死球の影響でフル出場できなかった(以前から日シリでは渋い活躍をしてきている)
第7戦7回表、篠塚の三塁線の微妙なファール
同じく7回裏、テリーの2塁打で1塁ランナーの太田まで生還させてしまった
30年以上経つが返す返すも残念 第七戦は月曜日だから
観ていない人が多いんですよ。 おれは巨人が負けたらいいと思っていたから、西武が勝ってプロ野球の勢力図が巨人一辺倒から変わるかと期待したが無理だったな。やはり日本プロ野球界は巨人なしでは成り立たないんだなと知ったわ。 >>16
体が小さいからさすがに舐めた
パリーグの野球を知らなかった悲運かも クルーズのサヨナラ弾が印象にあるかな
残留してたら面白かったかもレジーともウマが合ったようだし 直さん大事な試合で緊張する所あるから
捕手の大石が言ってた >>3
牧野は「荒れた」という意味で凄いと言ったのでは?
結構エラーやミスも目立ったシリーズだったような・・・ >>9
広岡は、エースを常にロングリリー待機させる。
82、85年も、東尾は後ろ。
82年は小林、83年は松沼雅、85年は工藤が同様に後ろに回った。 当時は日シリでDHを採用しないというハンデがあった為に片平を先発で使えず
さらに巨人の主力が右投手ばかりだったので
左打席の長打力が右に比べて格段に落ちるスティーブが3番の西武打線に
ペナントレース時の迫力が無かったというのも接戦になった一因だろうな
スティーブはスイッチ止めて右一本に絞れば30HRも狙えて「HRが打てないから」と解雇される事も無かったのに 第七戦の東尾のビーンボールと投球間隔じらし投球は犯罪 スティーブ・田淵・テリーというややタンパクなクリーンナップを広岡さん妙に好きだった印象
やはりこういう感じになるんだろうね
田尾・スティーブ・片平の方が広岡さんの好みのように感じるけどこっちの方の方が不満がっったよう
長距離打てる外人が欲しかったみたいね 第七戦原がデッドボール当たりに行っておけば、
東尾炎上もあったかもね。 当時リアルタイムで見ていないんだが、第6戦の9回裏のリリーフは、西本で妥当だったのか?それとも打たれまくっていた江川が良かったのか?
当時の風潮として優勝を決める場面は江川西本しかいなかったと思われる
その上で、結果論ではなくあの時点でどちらの投手が良かったのか、リアルタイムで見ていたファン目線での意見を聞きたい 38だが、どちらが良かったのではなく、江川西本どちらに投げてもらいたかったか、だな 西本に決まってる
誰がどう見ても、西本!
西本以外に有り得ない はっきり言うと江川でも西本でもどっちでも打たれていた
82年ってのは池田旋風に象徴されるようにレベルの変革期だった
82年のシリーズでは小松の150キロを西武打線はいとも簡単にポカスカ打った
決して小松の調子が悪かった分けではなく明らかに力負けしてしていた
広岡さんは早くからパワートレーニングをプロでも取り入れていたので他チームより
一段上のレベルの高い野球をしていた
結局巨人が勝てる勝機は後楽園の魔物だけだった
6戦と7戦で地力の差が出ただけだ
パワートレーニングがまだ巨人に浸透してなかったこそ金森を舐めたんだ
寧ろ巨人が善戦したといっていいくらいまだレベル差は大きかった 小錦が稽古中にバーベルを持ち上げて親方や兄弟子からも怒られてマスコミからも叩かれた
まだそんな時代だったんだね
池田旋風がパワートレーニングの幕開けだったわけです
それを池田の蔦さん同様にプロでも早くから取り入れていた広岡さんに優れた先見性があったという
分けです 当時の西武ファンだったら分かると思うけど後楽園の日ハム戦なんてもう完全に
子供扱いしてたでしょ
もう後楽園の箱庭のオモチャ球場でやりたい放題だった83年は
まさにメジャーと日本くらいの差があった >>43
当時はどこも箱庭だったけどな
一番広かった西武球場ですら規定を満たしていなかった 両翼95メートルセンター120メートル
中間の膨らみが113.7メートルですから決して今の球場と比べても狭くは
ないですよ
横浜や神宮より広いです
この広さだったら恐らく今の統一球だったらホームラン出ないでしょう
何せ日米野球ではメジャーの選手達が素晴らしいと絶賛していた球場です
当時としては考えられないようなモダンな球場だったわけです 阪神戦の三者バックスクリーンとか伝説になってますが西武だって日生かどこかで
四者連続ホームランとかやってたんですよ
パワートレーニングが当たり前になるまで西武のやりたい放題でした スティーブ・田淵・テリーの何処となくタンパクなクリーンナップを広岡さん妙に気に入ってたんですよ
田尾・スティーブ・片平の方が広岡さん好みそうですが余り好きではなく不本意だったようです
広岡さんの野球観って池田の蔦さんに寧ろ近いんですね
真のハイパー野球を目指していたわけです >>43
本当に当時見てたの?
後楽園はその時代では標準サイズだよ
両翼90か91でセンターが119か120が当時の基本形(大洋と西武以外はほぼその形)
遠征で平和台だったらセンター122で広い球場扱いだったくらいだし ポール際が極端に狭かったですからねぇw
パワートレーニングで鍛えた西武の選手からしたら最早笑えるレベルでした
82年のシリーズでは西武の選手がナゴヤ球場を見て凄い狭い球場だなぁと
みんなで笑っていたそうです このシリーズ、確かに名勝負だけど、さすがに昔話になりすぎたかな 83年のパのペナントレースはもう6チームの中に1チームだけメジャーのチームが
いるような感じでした
あそこまでやりたい放題暴れたチームって見たことがありません ウエイトトレーニングなんて最早どこも当たり前のようになった頃から池田旋風は
すぐに去って西武も簡単には勝てなくなってきました
そこへ彗星の如く現れた救世主が清原だったわけです
清原がいなかったら西武もあそこまで優勝できなかったでしょう 田淵が選手生命を延命出来て優勝の美酒を味わえたのも全ては広岡さんの管理野球のお陰
だったんですよ
たから広岡さんに感謝してるんですね田淵は
今でも仲のいい交流は続いています >>12
亀レスだが元々俺達だった2008年もシリーズは名勝負になったな
(それでも後半戦でグラマンが抑えに固定されてからはいくらかマシになってたが)
逆に今年の緒方カープやJFKがいた岡田阪神のような
固定された継投パターンを持っているチームだと
勝つ試合と負ける試合がはっきりする傾向が強いように感じる >>49
メディアは西武は緻密緻密いうんだけど。なんか違和感感じるんだよな。
緻密野球の割に、大田とか片平みたいな守備下手打撃のみの選手を妙に買ってたし
よっさんと体質的には似てると思う
よっさんも牛若丸いわれた真逆で、野球理論はハイパー野球そのものだった >>58
> よっさんも牛若丸いわれた真逆で、野球理論はハイパー野球そのものだった
違うだろ
優勝した昭和60年も、犠打数はセ・リーグNo.1
そもそも吉田は土台作りをキャッチフレーズにしていたし、ハイパー野球(?)はあくまでも結果論 阪神は下位打線頑張ったからね
木戸もよく打った
意外と85年の阪神って一番から九番まで全員ホームラン打てるようなそこまでの
凄さはなかった
その点では広岡さんの頃の西武打線は切れ目が無かった >>58
強打者がいればそれをまず使うのは当然
打ってリードすれば守備固め出せばいいわけだし
それにレフトとファーストなら及第点でOK
他には強力投手陣であったのもその理由 85年の西武打線って広岡さんが最も好みそうな感じだけど広岡さん不本意だったみたい
ホームランをな打てる外人をもう一人欲しかったよう トニー・グウィンがロッテ入りかの報道が出たときに広岡GMはもっとパワーのある選手が
欲しいねと否定してた 第四戦の立花のホームランだねパワーの違いが出たのは
超高速ライナーでスタンドに放り込んだ当たりはまさにパワーに重点を
置いたトレーニングによって生み出されたものだ この当時はまさか立花世代から誰も2000本安打を達成しないなんて思わなかったわ。 82年シリーズ第二戦の初回の都のアクシデントだってパワーの違いが出た結果だと
思う
石毛の恐ろしいほどのスピードライナーを都も受け止められなかった だいたい83年ペナントレース時の西武は「9番」が.303 16HRの石毛だぞ
巨人の対右6番、対左5番だった中畑の.300 15HRより打ってるんだぞ
河埜や新井がクリーンナップを打つことも多かった南海あたりから見れば反則もいいところだろう あとペナントレース中は右打席の打率が4割に迫ろうかというスティーブが
左打席不振の時期に右投手相手にも右で打ってたよ 最後に巨人は松本じゃなく吉村を先発で使うべきだったな
松本みたいなOPSの低い選手が1番では得点力が上がらないのは今だと定説だけどな 追伸
東尾の緻密な制球や松沼兄のアンダーからの球威あるパワーピッチが打てないのは解るんだが
松沼弟、高橋、森、杉本が打てなかった当時のパリーグ打者陣のレベルヤバ過ぎだろ >>70
記録だけでモノを言っているのが丸解り
弟、森繁の力のあるボール
高橋、杉本のキレのあるボール
彼等はいずれも当時のパリーグで実力的に上位に入るのは、誰もが認めるところだった 巨人打線に打ち込まれるのはどうも乱数表を読まれているようだと西武も見て乱数表を差し替えた途端に
巨人打線の当たりが落ち着いたのはやはりといった感じだった 83年の西武がボカスカ打ったのって他チームの乱数表を解読していたからじゃね?
乱数表が廃止された84年は見る影も無かったし 巨人もセ・リーグの中では上位クラスの 強力打線だったはずなのに
さらにその上だったからな
元々身売り当時から、山崎や田淵など他球団の主力が多い中にテリーやスティーブなどのメジャー
緻密とはかけ離れてた超強力打線だった 当時の巨人打線って中日阪神広島より下じゃね?
大洋ヤクルトよりは上だけども 中日は翌年こそ恐竜だったが
大して強力って訳でもない
広島は強力打線というイメージは薄い
そつのないってイメージはあるが
阪神は、勢い乗ると強いが
勢い乗るのに時間がかかるイメージ
スミスの補強と原の4番定着で、ある程度打線は固まった >>73
パワートレーニングをどこもやりだしたからね
その点での優位性はすぐに無くなったと思う
池田旋風もすぐに姿を消した
どこの学校もこぞってやりだしたからね >>66
投手にダメージを追わせる強襲ライナーを打つことにかけては、石毛の右に出る選手はいない。
石毛にはそんなシーンが多い。 西武は小林誠司や柴田保光が中継ぎやってたくらいだからなぁ
それに他チームならクリーンナップ級の山崎が1番、石毛が9番、片平が7番だった訳で
打線の穴が8番捕手しか無かったしな、そら山崎が1番で82打点を挙げたのも納得 柴田はまぁノーコンだったから何だけどw
日ハムへ行ってもどうせ直らないだろうなと思ってたけど見事に変わっちゃったので驚きw
江夏と柴田のトレードでも江夏?先は短いけど出すのは柴田だしいい買い物だったなと思ったよw 大杉が江川から弾丸ライナーで後楽園の外野防御柵に叩き付けるホームランを打った
その時にあの柵が衝撃でレフトから中間までガッシャーンっと物凄い衝撃で波打った
レフトスタンドが暫くざわついていたがあんな物凄いホームランを大杉が打てたのも全く
を持ってして広岡さんのパワートレーニングによるもの
まさにメジャー級だったね 広島打線は強力だったよ。
ヨシヒコが一番で24本塁打70盗塁
山崎三割
長内、ピーコ、ゴリラのクリンナップで
六番に勝負強い長嶋
七番に後半あたりだしたアイルランド ヘクター・クルーズが余り語られないね
このシリーズ頑張ったんだよぉ
残留してたら楽しみだったね
スミス大先生の指導でバッティング開花しだしたからちょっと勿体なかった クルーズもスミスも仲が良かったのでお互い気分よくプレーしていたというか
クロマティとの仲が険悪だったので84年の巨人の不振はそういう所もあったかも
知れない 84年の巨人は83年の西武と伍する強力打線だったのに倒壊起こして駄目だったね
やっぱ定岡の不振とOPSの低い松本の1番に拘った所為やろうなぁ
定岡なんて83年5月末時点で最多勝争いトップだったのが信じられない凋落ぶりだったし 変化球の癖を見抜かれたのと
定岡正二自身が集中力が維持できない性格の問題もあったみたい
藤田はかばえる人だったが
当時の王貞治は融通性がなかったからキレて近鉄に行かそうとして引退した >>82
セ・リーグ全体が破壊力って打線はなかった
強いてまとまった時の阪神ぐらい
西武の基本打順
1石毛2山崎3スティーブ4田淵5テリー6大田7片平8大石9立花
破壊力抜群の打線って名前みてもわかる
緻密とはかけ離れてる >>87
こいつ、いつもろくにあたらずに自分の思い込みだけで書くのな
こんな基本打順だった時はないよ 石毛は序盤戦ボロボロで9番にまわされて帳尻的に3割達成
だから数字以上に評価は低かった
あと4〜6は田淵−大田−テリーだろ
田淵欠場時は大田が4番に繰り上がった
この人は自分の思い込みを勝手に膨らませて持論を展開するなあ スタメンデータベース 1983西武
http://sta-men.jp/1983lions.html
先発陣の5人とも離脱することなく閉幕までローテーションを守り通したのが凄い スミスもスティーブも右打席の方が強力だった
ついでに言えばデストラーデもセギノールも右打席の方が凄かった
外人のスイッチってバークマン(左利き両打)にしてもそうだが意味があるのか? >>90
84年の阪急なんて先発4人と抑えの山沖だけで71/75勝やで
そら日シリも負けるわ、阪急ファンだったから悲しかった スティーブはサードもファーストもどっちも守備上手かったので守備ではやりくり出来た 広岡は典型的なビッグボール派だよな
当時の阪急の方がよほどスモールボールをやってたな
83年は日本記録の200盗塁を達成したし、内外野の守備力も上だった
ちなみに西武はチーム盗塁が両リーグ最下位だった
だがチーム打率本塁打が両リーグ断トツ1位の西武に得点力で完敗した訳だ チーム盗塁の日本記録は1956年の阪急277個
適当なこと書かないように。 野村さん:何で子供でも分かる事が出来ないんだろう
広岡さん:子供でも分かる事が出来ないんですから出来ない事はやらない事です
広岡さんって意外とそういう人なんですね
出来もしない事をやらせなかったわけです盗塁が少なかった年は どちらかというとボビーに近いんですね広岡さんの野球観ってのは
ボビーは基本スモールなのですがフィットネス重視という点では非常に近いです 長嶋さん・落合さん:出来ないのなら出来るようにさせてやる
広岡さんこれにも近いのですがちょっと違うんですね
意外と出来ない事は瞑って長所を伸ばすタイプなんです >>91
まあそりゃあ全員右利きだからそうだろうよ。 阪急のバンプは右打席が打てなかったな
対西武戦では出れば打たれ状態だったロッテの水谷の緩いタマを全然打てなかったからな 身売り当時から攻撃型の選手が多かったために、どうしてもパワー野球しか方法はなかった
大田や片平で守りの野球やれっても(笑)
西鉄から伝統として続く長打力野球の継承
4番の系譜
大下→中西太→田淵→秋山→清原→カブレラ→中村 >>102
豊田・土井・竹之内・鈴木健「・・・・」 日本だとビッグボールってスモールより下に見られる謎の風潮があるけど
アメリカではビッグボールは金持ち球団の特権で
スモールボールは貧乏球団の苦肉の策だというのが一般認識なんだよな ハイパーベースボールにクオリティを持たせたハイパークオリティベースボールの時代
なんですね
長打力に技術を兼ね備えたもので次世代型のベースボールです
メジャーは既にこの域に入っています
日本はますます置いて行かれるでしょう 豊田は2番だった気が
土井って近鉄の・・・
竹之内は阪神の・・・ 南海が4月の段階では西武と首位争いしていたんだよなぁ
対戦成績も一番善戦してたし
あの戦力でよくもまぁ互角近く戦えたものだ 南海は西武戦に健闘してたけど(6勝1敗1分)
勝率は貯金1(5/11)がやっとで首位争いとまでは
むしろ5月頭まで争ってたのはこの年球団史上初の最下位に転落したロッテ >>94
あの年の西武は主力の多くがおっさんだからね。
85年の西武は、機動力の部分でもだいぶ変わったはず。 >>104
西武も97年の優勝は、戦力が大幅に削られてしまった中で、
東尾が現有戦力を最大限に効率よく使った結果だよね。
そのあおりが99年に現れた。 2008年も原が越智に拘り過ぎて負けたパターン。
第7戦は山口さっさと出しておけば勝ってたよ。 秋山や石毛の獲得が、ある意味西武を変化させた一番手だったのかもしれない
その前は、田淵や山崎や土井みたいな、守りベタの打つだけの選手ばっかりだったから
83年から90年までの流れをみたら
年々隙のない野球に変化した >>115
山崎は堅守の中距離打者
嘘書いて荒らすのはやめて 長嶋巨人時代の中軸選手の不良在庫を沢山抱えて勝てなかった頃の悪いイメージが
どうしても拭えない日本のハイパーボールは 83年、87年、90年と巨人に勝ち続けた西武だけど審判の判定はやはり巨人寄りで
判定で勝つのはやはり難しい状況だったね
83年は競ったにせよやはり判定ではなく力でやっと勝てた感じだった
94年は槇原が頑張ったというのもあるけどやはり判定では西武も苦しめられた 俺が巨人の監督だったらこういう打線にしたけどなぁ
これなら西武にも引けを取らない
1 RF 吉村
2 2B 篠塚
3 LF スミス
4 3B 原
5 CF 淡口(クルーズ、駒田)
6 1B 中畑
7 SS 河埜
8 C..... 山倉 昭和58年の西武は、レギュラーの大半が他球団から来たベテラン+外人で、
寄せ集め色の強い布陣だった。
(黒田・片平・山崎・スティーブ・テリー・田淵)
生え抜きで固めた巨人のほうがチーム力は強いというのが、当時の評判だった。 これはガチだから
実際広岡の本に書いてあった
「巨人のキーマンは中畑とみてスコアラーに中畑の弱点を調べてくれと頼んだ
彼は外角の変化球に弱く、ほとんど右打ちはやらない
で疲れ出すとほぼ引っ張りの打球にしかならないという結果が出たことで、ある意味巨人打線の攻略法は達成した
あと、最終戦はもし江川が抑えなら負けたと思った
藤田監督がウィンドウブレイザーを脱いだとき、相手は勝てると緩んだと思いいけると感じた」 >>88
>>89
8番大石に9番立花、て打順が一試合もねえしw
>>87いくらなんでもデタラメ過ぎだろw >>120
寄せ集め色はもちろんあったけど、
それぞれに風格のある職人肌の選手ばかりで、
90年西武より短期決戦は強いんじゃないかと思うこともある。 >>106
>>105はネタじゃないよ
レッドソックスはそれで呪いの呪縛を解いたんですね 蓬莱とか金森とか小兵選手を好んでた印象
金森が入ったときはこんな人を野球選手にしたら本人が可哀そうだと言ってたけど
それとは反対にこういう選手を妙に好んでいた広岡さんは 広岡さんはああいう人だが
案外泥臭い選手を好んでた
金森なんか最たる例
森監督は逆でスマート系を好んでた
だから金森を出して北村を獲得した
よく考えてみたら、西武の全盛期にダメ虎にいた北村と吉竹がいたわけだ
いかにダメ虎の育成能力のなさを象徴してるかってこと >>114
あれはクルーンに全幅の信頼がなかったため、
@山口を出して同点になった場合、クルーンでは不安
A8回越智でピンチしのげても9回クルーンでは不安なので山口を切札にしたかった
これはあくまで私の私見、というより自分が監督ならそのように迷う。
結論、上原をベンチに入れなかった原監督の戦略ミス >>123
自分も当時の西武の職人肌の選手に魅力を感じていた。
移籍組に加えて、太田・鈴木葉留彦など西鉄・太平洋時代からのベテランも
味わいのあるいい打者だった。
投手も移籍組の高橋直樹の技巧的な軟投がよかった。眼鏡をかけてひげを
はやした風貌もよかった。
だから、「巨人有利」という前評判には疑問があった。 このシリーズは高校の文化祭(第6戦と中止になった翌日曜)と重なった。
準備の時もシリーズの話題だったし、
文化祭の最中の第6戦の経過など放送してた。
巨人ファンと西武ファン(西武沿線の高校)が大半だったので
ほとんどの人が注目してたな。 巨人は良くも悪くもプレーが大人しい
球界の紳士に拘ってよく45回も優勝したもんだ
このシリーズもそれが出てたので何処となく怖く感じなかった巨人の事を
やはり見えない敵は後楽園の魔物とジャンパイアだったかなとも
それにはやはり苦しめられた 江川も西本も劣化が目立ったシーズンで両エース頼みの巨人が下馬評で上だったという記憶は無いけどなぁ
日シリで巨人が唯一負け込んでるのが対ライオンズということもあって巨人やや不利という下馬評だった記憶があるんだが 総得点失点
巨人・・・26得点26失点 8HR
西武・・・26得点26失点 6HR 藤田監督になってから
巨人が盟主の座を取り戻したという認識が世間一般に強かったですからね。
テレビ視聴率も全盛期だし、西武はまだ新興勢力という立場でした。 セリーグ新の76盗塁を記録した松本に
モーションの大きい松沼博、高橋直+弱肩の黒田が引っかき回されるのでは
という観測もあったね
シリーズ中盤から松本が走れなくなった 引っ掻き回して勝てるなら巨人の1.5倍の盗塁数だった阪急はあんな負け越さないわな(10-16) クイック上手かったからね西武の投手陣
あれでは簡単には走れない 81年の吉本で苦汁を舐めたので
82年以降はその辺り特に力を入れてた感じ西武は 阪急はマルカーノを放出してバンプなんぞ取らなければ西武と伍する打線だったのに 西本を7戦まで温存させれ万全の状態で投げさせれば勝てたんじゃないかといまだに思っている 巨人の盗塁
1戦・・・松本 篠塚
2戦・・・松本
5戦・・・篠塚 スミス
7戦・・・河埜2
松本は3戦6戦が5−0 >>141
第六戦の終盤は、確かに早まった感はあるな
早まったと言うより、常時冷静に戦況を見つめる藤田監督にしては、珍しく浮足立ったと言うべきか 広岡の著書
「1アウト取って巨人のベンチが胴上げの準備をしようとしてるのをみて反骨心がうちのベンチに湧いた
あの時冷静だったら負けていた」 広岡もそれを見て「まだいける」と思ったというし。
あの時他に誰がブルペン残ってたんだろ。 あの場面だったら西本を出すか江川を出すか、
当然西本を出すのが普通の采配。
ただ角が出られる状況だったらなとは思う。 西武打線はおっさんばかりなんだから槙原でもよかったんじゃないか? ああいう展開で逆転された後に
追いつくケースは奇跡的と言えるのではないかな。
山崎、片平等のベテランの底力でしたね。 >>147
この試合(第6戦)に先発して6回2失点で降板済み
このシリーズでは2回先発も、いずれもそのおっさんに痛いところで手痛い一発をくらった 江川は何で俺じゃないの?
西本はえ?俺がいくの?
だったそうだよ >>150
いつもトボけていて、しかも手抜き投球で一発くらう江川なんか
首脳陣からの信頼を得ているハズない
江川さえ巨人に入らなければ、第一次長島巨人はもっともっと繁栄していのは間違いない
日本のプロ野球をつまらなくしたのはこの江川卓と、後年のナベツネこと野球素人オーナーの渡辺恒雄ほかならない
さらにコミッショナーにならずに一球団の名誉職に着いた、球界のメカケことONの責任は重大だあああ!
あれ、………脱線すんまへん 江川が阪神に行けば縮図は確かに変わってただろうな
そうなると小林繁は生涯巨人だから、投手コーチや日テレ解説者の引きはあっただろうな
確かに槙原ってのも有りだったかも
でも監督ってのは、そういう時はやっぱり勢いより実績を買うだろうな >>144
広岡さん自身は偉い冷静だったね
堤さんから報告会でその辺りつつかれてた 宿敵巨人を破ったのにコメントがそっけなかった
「西武もこれで全国進出への足掛かりになったんじゃないかな」
この一言だけだった
いかにも広岡さんらしいね クイックもそうだけどパワートレーニングだけでなく緻密な所まで何から何まで他球団よりも
一歩進んでた西武は
むしろ巨人がよく善戦したと言えるくらいレベルの差は実は大きかった
だから金森を舐めたんだ
金森は日本のブレッド・バトラーだった
それを巨人は知らなかった バトラーって野茂がドジャース時代によく見たけど激しく非力で期待できなかったぞ
金森というより左打席の松本って感じだったわ 金森ってデッドボールばかり取り上げられたが。
長打力はなかなかのもので、それこそトレーニングの成果だと思う。
で、その成果が打撃コーチとしても役に立ってると本人もおっしゃってる。 広岡はヤクルト時代もそうだがクチでは堅守俊足の選手が好きみたいなこと言っても
レギュラーとして重用するのは長打力のある選手ばかりだったからな、言行不一致とはこのことだw 広岡のチームは、バランスがいいと思う。
間違っても、2004年巨人の「史上最強打線」みたいなことはない。
優勝はしなかったが、1995ロッテのように、ここ一番で勝負強いチームであることも特長。
1985は、阪神の勢いに押されたね。 85年はテリーもいなくなり、パワー野球って雰囲気はなくなっていた
セカンドが山崎から辻に変わり、サードも秋山で世代交代
勢い云々より戦力で見劣ってはいた 殆ど中距離砲で長打は秋山だけ
それもシリーズ前にケガ抱えていたかな 85年の西武は86年のサッカー西ドイツ代表と一緒でよくファイナリストになれたなってレベルのチームだよ。
結局たった一人の神懸った選手に叩き潰される所まで似ている。 スティーブって広岡時代。ずっと在籍してたんだよな。
よっぽど気に入られる選手だったんだろうな。
テリーはあっさり切られたが。 テリーは契約条件が折り合わなかったのが退団理由だと記憶しているんだが
成績残して切られたのはハムのソレイタじゃね? ソレイタは永射がクビにした
江夏の著書にも書かれてたけどそれは確かだと思う テリーは本人がもう帰りたがってたみたい
メジャー復帰を望んでいたよう スティーブは甲子園でもホームラン打ったし、
ここという時に頼りになる選手だった。
カブレラが来るまで、西武史上最高の外国人野手はスティーブだと思っていた。 スティーブの右打席は落合級に凄かった
当時は左投手が少なかったからその右打席に立つ機会も少なくて
結果ホームラン数を伸ばせず「HRが打てないから」とクビを切られた 東尾 18勝
松沼弟 15勝
高橋直 13勝
松沼兄 12勝
杉本 12勝
先発がこんだけうまく回る年ってめったにないよね 【1990年・巨人の投手陣】
▼ 先発
斎藤雅樹 27試 20勝5敗 防2.17
桑田真澄 23試 14勝7敗 防2.51
木田優夫 32試 12勝8敗 防2.71
香田勲男 23試 11勝5敗 防2.90
宮本和知 28試 14勝6敗 防3.69
槇原寛巳 17試 9勝5敗 防3.96 【1990年・巨人の投手陣】
▼ 先発
斎藤雅樹 27試 20勝5敗 防2.17
桑田真澄 23試 14勝7敗 防2.51
木田優夫 32試 12勝8敗 防2.71
香田勲男 23試 11勝5敗 防2.90
宮本和知 28試 14勝6敗 防3.69
槇原寛巳 17試 9勝5敗 防3.96
http://baseballking.jp/ns/column/59682
そんな巨人も、日本シリーズでは西武に4タテ食らうんだけどねw 90年の巨人は打線がショボかったからな
それと主力投手のみ(1軍登録されたのが僅か10名)でペナントを回してたから
終盤に来てその頼みの主力投手が全員へばったw デストラーデまで基本的に外国人は失敗だったんだから
スティーブ残留でも良かった気はする
森監督は、そういう意味では広岡を反面教師にしてたのかも
森監督は巨人川上哲治を参考にしてたらしく、広岡流のメジャー式は反面教師だったんだろう
だから広岡流の1つだったスティーブを追放した オンティは紳士なんだか暴れん坊なんだかよく分からない人だった
テリーって実はキャッチャー以外はどこでも守れる人だったので緊急要員としては
心強かった http://www.baseball-reference.com/register/player.cgi?id=whitfi001te
バカが何匹か棲み着いたな
スティーブ解雇に森が関与したとか
テリーがどこでも守れるとか
なにいってるんだろ
テリーはマイナーメジャー日本通じて外野しかやってないのに もうちょっと長いの打てるが欲しいってんでスティーブを出したんだろうけど
広岡さんが要望してたからもっと大きいの打てる大砲が欲しいって
まぁ85年の事を考えたらもっとホームラン打てる外人欲しいなとは誰でも
考えるだろうけどね ヘクター・クルーズってメジャー経験も無い全くのペーペーかと思ってたけど
結構メジャー経験あるんだな
まぁもうちょっと見てみたかったね日本の野球にも慣れてきたし
スミス大先生との雰囲気も良かったし
クロマティ大先生(?)とはウマがあったかは微妙だねw スティーブは右打席一本にすべきだったんだよ
実際83年は左打席不振で右投手相手に右でも打ってた時期があった 85年ってヤンキースのトーレ野球にちょっと似てた
中軸は長打よりも確実に返せる人を置いて前後に大砲を据えるというちょっと近未来的な
オーダーだった
モンデシーが下位に置かれて怒ってたね オンティは確かに右専門で良かったかなとも
でもスイッチだから決断はなかなかむずかしいね だから松井も運がいいんだ
長打が打てなくても4番に置かせてもらった
トーレ監督ならでは
だから松井はヤンキース以外では違うものを求められて勤まらなかったかも
エンゼルスやアスレチックスでの松井がそれ象徴してる衰えたとはいえ オンティってデッドボール受けてもその時は我慢して黙って塁に行くんだけど
後になってベンチに乗り込んだりするのでちょっと分からなかった ブコビッチやボカチカは、日本シリーズの大事なところで打ったという点でついては評価したい。
このスレということではクルーズもそうだが、
彼は負けてしまった。 トニー。グウィンがロッテ入りかと騒がれたときに広岡さんもっとホームラン打てる奴が
欲しいねと一蹴してた
広岡さんはやはりパワーのある人が好きなようだ
だから荒削りの秋山の事を貶さなかった
広岡さん以外からはボロクソに叩かれていたのにね秋山もw オンティは85年のシリーズで甲子園のライトスタンドに弾丸ライナーのホームランを
打ったので
左もやはり凄かった オンティもブラゼル同様に電車男だったのでw
西武池袋駅でよく見かけたよw 当時のパは左が少なかった
阪急 木下(ブルペン)
日ハム 間柴(先発)、木田(先発)、高橋一(先発)、江夏(ブルペン)
近鉄 鈴木啓(先発)、村田(先発ブルペン)
南海 竹口(ブルペン)
ロッテ 水谷(先発)、三宅(先発ブルペン)、シャーリー(ブルペン)
この中で規定に達したのは鈴木と水谷だけ
これではスティーブの落合級右打席(OPS9〜10超)が生かされないのも仕方が無かった スティーブは打率が安定していて、三番打者として優秀だった。
田淵・テリーなどの長距離打者と組み合わせると、強力な打線になった。
だが、昭和60年の西武は、田淵・テリーなどの長距離打者が退団し、
スティーブを四番で起用するようになった。そのため、「スティーブは
長打を打てない」という評価になって、スティーブの退団につながった。
昭和60年の西武は、田尾・スティーブ・片平という長打のない
クリーンナップになってしまったのが、まずかった。
翌年以降のように、秋山・清原が台頭していれば、スティーブは生かせた
と思う。 >>141
第7戦の7回表、ヒット打ってしまったのも
なにげに余計だった。
おとなしく凡退して、裏の投球に備えた方が
良かったよ。 第7戦西武は先制され5回にエラー(この試合何と5エラー!)で
追加点取られと負パターンだったからな
テリーの逆転打の後も2塁走者テリー牽制死→山崎安打→山崎盗塁死→
伊東2塁打→東尾凡退とチグハグな攻撃
よく勝てたと思うわ https://goo.gl/gQKmV3
この記事見たら、みんなが荒れるワケがわかったよ。。 このシリーズは第6戦で盛り上がりすぎて、
重要なはずの第7戦がとてもおとなしく感じられた。
)ナンバー製作のビデオの影響もあるのかもしれないが。)
中京商の、延長25回の翌日の平安戦、
横浜の、延長17回+6点差逆転の後の京都成章戦のよう。 第7戦は月曜日だから
じっくり観ていない人が大多数なんだよ。 ドーム球場がなく雨で中止で流れが変わる(3連敗の西鉄が雨中止挟んで
4連勝で逆転優勝)って言われてた時代だからな オンティは普段はズラで試合中はズラを外してハゲ頭でプレーしてた ジェリーさん(大洋ではホワイト)が殿堂板で語られてるの見たことない
ちょっと寂しいねw
彼は彼なりに頑張ってたよw 何となくだけどこの頃から巨人というか読売グループから執拗にストーカー行為
というか目の敵にされようになってきたのは西武ファンとしては感じるようになってきた
このシリーズ巨人が勝ってたらそれも無かったのかなぁとも 読売新聞をとってたからね
今でもとってるけど
この頃からライオンズや西武クループを悪く書く記事が増えていった
何となく嫌だったというか寂しかったね
国土計画が家宅捜索を受けた時も何でレオマークの所だけ大きく映して
載せるのかそんな必要あるのかとも思ったよ 大マスコミの読売を凌駕する日の出の勢いだったからなぁ>堤義明コクドグループ
今思うとバブル経済の申し子だったな、バブル崩壊後はこの有様だが 読売とは、江川に始まり、松沼兄弟の獲得など、
元々確執が多かったんじゃなかったっけ。
ただ、オーナーが衆議院議長を父親に持つサラブレッドで、鉄道を中心とする堅い企業だったこともあり、
ナベツネにとって目の上のたんこぶでありながら、盟友に値する企業だったのも事実。
だから、1リーグ制推進などでは馬も合った。
プリンスホテルが清和会に事務所を貸している「タカ派」企業ということもあり、
朝日の方が西武を嫌っている。
裏金問題も朝日がすっぱ抜いた。 >>204
ジェリーは、今のように外国人が多く在籍できるときだったら、絶対にクビになっていないね。
むしろ、ソフトバンクやオリックスあたりに強奪されていたかも。 >>207 >>208
西武鉄道の駅の売店で読売・報知を何年か売ってなかったらしいね。いつから解禁したのだろうか。
ちなみに名古屋では80年代、国鉄→JR東海の名古屋市内の駅(名古屋駅除く)や名鉄の売店では読売・報知を締め出して
いた。これも解除されたのは90年代後半になってからだったような。 もともと巨人のスター選手だった広岡さんが、巨人を放逐されて恨みを抱き、
新興球団の西武を率いて、ついに巨人に復讐を果たす、という壮大な物語が
この昭和58年の日本シリーズにはあった。
西武ファン以外でも、広岡さんに本懐を遂げさせてあげたい、という願いを
込めて、このシリーズを見守った人は多かったのではないか?
自分は当時、高校生だったが、広岡さんに勝たせてあげたくて仕方なかった。 森繁がサヨナラ打を二度浴びた。
第4戦では何とかセーブ挙げたが、三浦球審の
温情に救われた感が。。
ペナントレースでは最優秀救援投手のタイトル
とったのに「いまいち頼りないクローザー」
という印象が俺の中では強い。 ジャンパイアじゃなかったのか…
ちなみに西武との場外対立は務台の影響でナベが経営掌握してから協調機運に変わったとか。
西武・江川と巨人・小林のシリーズだったらどんな展開だったろう … >>217
一発出れば同点の場面、最後の打者中畑を
見逃し三振。中畑は明らかに不服だったが、
三浦毅然と無視。
普段の三浦と中畑はメチャクチャ仲が良いが、
ケジメはちゃんとしているということか。
ちなみに三浦は、この試合江川が先発すると
読んで、球審を志願した。 『The GAME 〜震えた日〜』
2017年1月1日(日) 21:00〜23:55
1983年 プロ野球日本シリーズ 西武ライオンズ 対 読売ジャイアンツ
http://www.bsfuji.tv/thegame_1983japan_series/pub/index.html 平田が不調だったのは西武にとって良かったね
まあ2年前のシリーズが出来過ぎと言えばそうかもしれないが
何の存在感も無かった あの頼りないストッパーが、ヤクザ顔で監督やるとはねえ。今年は正式監督としての初陣は東京ドーム あの頼りない四番と言われた原も、巨人では名監督だったし。
原にしろ、秋山にしろ、言われようの割にはちゃんと仕事しているとは思ったけどね。 第五戦の西本のシュートを打った田淵のホームラン
まさに芸術
田淵を見直した瞬間だった
これから見れるかな? 6戦後のミーティングで広岡が全員に目をつぶらせて
「明日先発したいと思う奴、手を挙げろ」
って言ったなかで東尾は誰も手を挙げてないものとずっと思ってたけど、
最近になって兄やんが手を挙げてたってのが判明したのね(昨日の番組で言ってた)。
東尾は以前に「松沼が性格的に挙げたとは思えない」って書いてたが、実は・・・ 江川の成績紹介間違ってたな
32試合15勝9敗3セーブは×
33試合16勝9敗3セーブが○
あと第3戦中畑のサヨナラ打
中畑1、2球まっすぐでボールだったから
変化球が来ると思ったって語ってたけど記憶違い
1球目は126kmの変化球で2球目が140km
のまっすぐでボールだわ シュートの握り解説は面白かった。
2人とも腕を捻らない、握りとリリースだけで回転させる投げ方だから大きな故障しなかったのね。 >>224
あの打席、それまでグリップエンドに左小指を
かけるくらいに長くバット持ってた田淵が、
バットを拳半分ぶんくらい余して持ったん
だよな。 原は長嶋が怒ったところは見たことないって言ってたけど、ミスターのイメージに配慮した嘘だったんだな。 むしろしょっちゅう怒ってるから、いつ本気で怒ってるのかわからないレベルでは?
あと、原貢と比べたら神様だったとか >>226
東尾と中畑の記憶が事実と微妙に違ってたが
まあそれはしょうがないとして(本題に大して影響ないから)
番組として訂正は無かったな >>229
原の入団は長島解任後で、監督復帰後の長島しか知らないからじゃ無いかな。
復帰後の長島は前任者の藤田監督以上に「のせておだてる」指導を徹底させたから。 >>225
兄やんは強気じゃないけどまじめだからな
そもそも1戦・4戦と先発してローテ通りなら7戦は兄やんな訳で、
監督が誰を選ぼうが翌日雨天中止でスライドとなろうが(実際そうなった)、手は挙げとくべきと思ったのだろう >>234
メジャーの監督が選手にあんなことしたら喧嘩どころか裁判沙汰になりそう。 明らかにこのシリーズをモデルにした
西村京太郎の「日本シリーズ殺人事件」
第7戦で東京エレファンツの西木だか、そのまま西本だったか忘れたが
下痢気味で下腹に力が入らず敗れたってのも実話が元なんだろうか。
フィールディングの良い西本が無死一、二塁で
大田の併殺コースのピッチャーゴロをはじいて満塁にしたあたりは
かなりヤバかったんじゃないかなどと想像してしまう。 こないだの特番で、老舗の巨人VS新興の西武みたいに言われてたけど
どう見ても新生ヤングジャイアンツVS枯れたオッサン軍団だよな 西武は新興球団だったが、他球団出身のベテランの寄せ集め+西鉄の残党
といった面があった。
だが、ベテランたちがもう一花咲かせて、優勝に進んでいく姿に魅力があった。 2年後に秋山 伊東 工藤 渡辺久 郭が主力になってるんだからある意味凄い >>242
こいつら85の阪神には通用しなかったけどな >>242
ここから起算して10年間で9度のリーグ優勝だからな >>243
その時は田淵も清原もいない端境期だったからなぁ。泰源もスペってシリーズには出場していないしヤクザもオト松も不在だったし。 >>245
石毛は85の阪神が一番強かったと言ってるがな。
ストッパーのカズさん不在だったし >>246
負けたら強かったと誰でも思う
心理的に阪神は↑西武は↓
これで西武に勝てって方が無理 >>242
もともと根本が数年かけてかき集めてた好素材があったし
84年の阪急大独走見て、広岡が下半期捨ててまるまる新旧交代にあてたからね
秋山の臨時コーチとして広岡が張本をキャンプに呼んだ
広岡「なんとかこいつに20本打って欲しいんだが」
張本「(秋山の練習見て)こりゃすごいわ、20本どころか40本いけるで、ヒロさん」
広岡「調子いいこと言うなwww」
翌年から本当に3年連続で40本打った若き日の秋山
張本いわく、ステップが下手だったからそこを矯正したのと自打球当てやすいフォームだから
プロテクトをつけさせたと
個人的に日本最高の打撃コーチはハリーだと思う
体型にあった打ち方を教える引き出しが豊富 広岡はロッテのGMになった時も、張本に「お前OBなんだしコーチやらんか」と誘ったらしいな。 >>236
シリーズ後の誰か野球人以外との対談で広岡は「兄やんはタフで強気、高橋直は繊細な精密機械」と言ってたよ
だから短期決戦は兄やんがいつも初戦 昭和60年当時のメンバーは、昭和58年にくらべて弱体化した印象がある。
田淵・山崎・テリーが抜けたのが大きく、中日から来た田尾が不調だった。
クリーンナップに迫力がなくなった。
昭和58年のメンバーで阪神と対戦していたら、どうなっていただろうか? 王助監督が、ベンチ内でシャドー素振りをしているシーンを何回もありましたが、なんでこんな球打てないんだという選手へのフラストレーションなんですかね。
指示も思いきって振ろうといった感じで具体的な指示は全くできなかったとか。 自分なら簡単に打てるのに、っていう感じだろうな
王はさぞかしもどかしかっただろう それって今の高橋もだな。
「なんでこいつらこんな打てない、守れないんだ?」
って表情してる。
しかもONや原と違って批判の矢面に立ったことが無いから余計にタチが悪い。 現中日のヤクザ監督がキヨシとクルーズにサヨナラ打を献上し、巨人を優勝させようと「大活躍」したシリーズですな。
わたしゃてっきり、6戦9回表の逆転打献上も森シゲはんかと思ってたが、ウィキによると杉本だったのね。
小学生んときの記憶ってアテにならんな(オレがオツム悪いだけかw)。 あの当時の西武って西本タイプの投手を苦手にしてたよね
阪急の今井や南海の両山内とかな >>259
トンビへの継投
ヤクザへの継投
デス続投
あの場面、どの道詰んでいたな。 この年、森繁はセーブ王だったが、日本シリーズでは東尾が抑えの切り札として活躍し、
森繁はあまり活躍しなかった印象がある。試合後半には東尾が抑えとして出てくるので、
解説者の江夏が、「この1年、森君できたんだから、日本シリーズでも森君で行って
ほしいですけどね」と言っていたのを覚えている。 >>263
そんなんだから広岡と合わなかったんだろうね。
投手としての意見としては当たり前すぎるほど当たり前なんだけど。
東尾や森は巨人には打たれ易そうだから長いイニングを投げさせない選択をした
広岡は実に正しかった。 広岡監督は、日本シリーズでは、「アンダースローの松沼兄」「サイドスローの高橋直樹」
「左腕の杉本」を先発に使っていて、「相手打線の目が慣れるのに時間がかかる」投手を
先発の軸にしたのかなと感じる。
一方、松沼弟・森繁和は短いリリーフで使っていた。最も老練な東尾をリリーフエースと
して使っていた。
前年の昭和57年の日本シリーズでは、サイドスローの小林誠二をロングリリーフとして
使っていた。 >>265
小林誠二はんって、「怪しいトレード」で3年間ライオンズに在籍して、82年はリーグ胴上げ投手だったね。
で、解説者になった後は「聖始」と名を変え、ズームイン朝の「入れ込みコーナー」も担当してたっけ。
その後、「誠司」と再び改名し広陵高校で準優勝、今は兎に所属している。 この当時の西武って左腕をカモにしてたんだよな
ロッテの水谷やハムの木田なんて西武に投げる度にボコボコに打たれてた
西武が日シリで巨人に苦戦したのは巨人の先発に左腕がいなかったのも一因だと思うね 新浦が衰えてから宮本が一本立ちするまで、先発左腕不毛の地だったな 小林聖始は何故か落合時代の中日二軍投手コーチを長くやってた。
昨日Jスポ解説だったがノーゲームになっちゃった。 左の中継ぎが永射、右の中継ぎが小林誠二だったね。
中継ぎは木村、柴田、西本などがいた。 1986、88年に巨人が西武と日本シリーズ戦ったら勝てたかな? 無理じゃね?
86年は原が終盤に骨折で離脱したし88年は吉村の靱帯断裂とクロマティの骨折
まぁ仮にそういうアクシデントが無かったとしても西武の油の乗り切った速球派投手陣を打ち崩すイメージが湧かない 結局どの年でも、槇原の出来が左右するのには変わりなかったと思う。
槇原はいい時はメジャーリーガーだろうが西武だろうが抑えるが、
ある意味ガチャみたいな面もあるからそれが出ない時もある。 >>274
良かったときのマキさん87年94年
まずまずなマキさん当年
論外なマキさん90年 リーグ優勝した年で広岡西武がいちばん弱かったのは昭和60年。この昭和60年に
巨人が日本シリーズ出場していたら、西武に勝てていたと思う。
田淵・山崎・テリーが抜けて、打線が弱くなった。
田尾・スティーブ・片平のクリーンナップは非力で、アベレージヒッターのスティーブを
四番に使うようでは、打線が薄くなった印象があった。 85年の巨人って江川西本の衰えが顕著になった年だよね
槙原はまだ覚醒前、しかも骨折して離脱してたし 第二期(84〜85)リトル巨人くんは優勝を味わえずに終わってしまったんだよな… >>276
第五戦の小野先発が未だに解せないでござる。
自滅じゃん、あの起用。
>>281
「小学3年生」に連載されていた内山まもる先生の漫画か、懐かしすぎるw
小学館の学習雑誌と学研の科学は80年代の小学生にとって、バイブルに等しい存在でした。 正直広岡の先発起用法は奇をてらい過ぎている
普通に東尾を軸にすればいいのに 先発だとせいぜい2試合しか登板されられないけど
救援だと4試合いけるだろ
ましてや前年のプレーオフからずっと東尾リリーフで廻してきてるわけだし
奇をてらい過ぎとかいう評論はなかったなあ 短期決戦用のシフトで日シリ闘う監督てもういないね。
最後に見たのは久信が岸を中継ぎに回して巨人を倒したシリーズかな。 先発要員をロングリリーフという範疇なら、去年の第5戦メンドーサ 広岡
82年 初戦松沼兄 2戦高橋直
83年 初戦松沼兄 2戦高橋直
85年 初戦松沼兄 2戦高橋直
森
86年 初戦東尾 2戦工藤
87年 初戦東尾 2戦工藤 >>283
広岡は91年の日本シリーズも解説で言ってた
第1戦佐々岡
第2戦川口
第3戦
第4戦佐々岡
第5戦
第6戦川口
第7戦佐々岡
のローテにすべきって。
そして佐々岡と川口の投げる試合に限り、北別府を中継で起用せよ、と。
アナウンサーが、第3戦と第5戦は?って 聞いたら
「3戦と5戦はお遊びです」
こういう作戦もあるのか、と思ったのを覚えてる >>283
広岡は91年の日本シリーズも解説で言ってた
第1戦佐々岡
第2戦川口
第3戦
第4戦佐々岡
第5戦
第6戦川口
第7戦佐々岡
のローテにすべきって。
そして佐々岡と川口の投げる試合に限り、北別府を中継で起用せよ、と。
アナウンサーが、第3戦と第5戦は?って 聞いたら
「3戦と5戦はお遊びです」
こういう作戦もあるのか、と思ったのを覚えてる >>292
翌年のノムさんがその起用法を日本シリーズで真似ていたな。決定的な違いは信頼できるロングリリーフがいなかった事だけど。 94年
初戦桑田
2戦槙原
3戦ジョーンズ→桑田リリーフ
4戦斎藤雅→槙原リリーフ待機
5戦桑田
6戦槙原
当時としては斬新だな >>294
94年はシーズン終盤でも桑田や槇原がリリーフ回ったりしてた あれはかっこよかった。森、野村の対談番組でも驚いたって言ってたね ミスター―の動物的なひらめき?投手コーチの進言?どっちだったんやろ。 当時の西武球場はマウンドの高低を調節できたらしいね。
昭和58年の日本シリーズの直前、スポーツ新聞がマウンドを撮影してみると、
シーズン中より低くなっていた。これはアンダースローの松沼兄に有利で、
オーバースローの江川に不利らしい。
広岡監督が松沼兄を第一戦に先発させたのは、こんな計算もあったのだろう。
当時のスポーツ新聞は、そう分析していた。 桑田は通年だと難しいが、大事な試合の1回こっきりのリリーフはむちゃくちゃに強かった。
新庄みたいな、デカい舞台の方が燃える性格なんだろう。 桑田はあのシリーズで燃え尽きた気がする
翌年肘壊してこの年のような球威は戻らなかったなあ 嗚呼!永射保よ安らかに
第6戦延長10回2アウト2、3塁のビンチ。
篠塚を空振り三振に斬った場面は真骨頂だった。
302-303
スレチもいい加減にしろ。
桑田ごときを語るぐらいなら永射氏の冥福を祈れ!不届き者が。 巨人も江川を中継ぎで使ってたら、一気に4連勝だった?!?! 守備はどうだろうなぁ。
西武も山崎・石毛の二遊間はともかく、攻撃的布陣言うて、一塁・田淵、
三塁・スティーブ、レフト・大田、センター・立花義家、ライト・テリーの布陣だったし。 スティーブって守備そこそこ良かったイメージがあるけど 82年は知らんが83年の先発3人はレジースミスをつぶすためにアンダーと左腕を
先発させた。 江川の不調ケガがすべて
第6戦 最後江川ならどうなっただろうね 本人は俺が投げたら勝てたといってるがw 正月にBSフジで特番やったが、中畑も江川なら勝てたとコメントしてたな。
その数ヵ月前のTBS特番では
江川「俺がいく」
西本「なんで俺なの」
気持ちの違いが微妙に試合を動かした。 第6戦は中畑の三塁打の後もう一本出てればなー。
江川も不調で誰が出てても同じだったと思う。
ただ第7戦は満塁で原が打ってれば圧勝してた。 7戦は大田のピッチャーゴロを西本がはじかなければ勝ってた あれは秋山のバク宙直前のヨシヒコのミスと同じくらい甚大なミスだった 普段守備うまい西本があそこでやっちゃうのが野球の怖さだな 江川本人が、有名なリリーフ嫌い
当時知ってる奴ならなんであそこで江川じゃないんだ?なんて絶対に言わない
江川も調子いい発言しすぎだわ 83年のリーグ優勝決定試合は江川のリリーフだった気がするし。 この年は3セーブして
るね 6戦目江川リリーフだったら7戦目西本のコンディションもまた変わってくるんじゃないですかね 第7戦に西本先発させたいなら
第6戦はリリーフ待機させる必要すらなかったのに… そもそも第7戦に持ち込ませないための西本リリーフだから
逆転サヨナラ食らってでも敢えて7戦勝負という前提なら、中畑にでも投げさせて投手陣は全員温存させとけよって話になる リリーフって打たせて取る西本より三振とれる江川のほうが良いと思う 今みたいにトップレベルの投手が奪三振率9.00越えで10近くなる時代と違って
江川5.42、西本4.59で大差ないうえにこのシリーズで江川の奪三振6、西本13 西本はパに強かったし。
その西本のリリーフ準備が遅れて抑え切れなかったのが西武に可能性を与えた。 第6戦は加藤初続投でよかった。
西本は第2戦でシュートを投げ過ぎて、明らかに球威がなくなっていた。
9回裏に西本を出したことで、西武にチャンスを与えてしまった。 なんかもう西本続投を否定したい結果論者が誰でもいいから書いてるだけなのな
加藤初も第3戦で勝利が転がり込んできた後も、
第4戦、この第6戦の8回裏もボロボロな投球内容だった。
9回裏も一発喰らってる山崎に廻ってくるじゃん。
もう橋本を投入すべきとかそういうぶっ飛んだ意見にしてくれ その加藤が数年後は西武を抑えて勝ち投手になるんだから分からん。 >>329
この年も第3戦は2-4のビハインドから出て3イニングを抑えて逆転勝利
敗戦投手はかつての僚友東尾というのも87年と同じ
4戦は勝ち展開で江川の後を受け立花に逆転弾を浴びて逆転負け
6戦は2四球の後大田の安打で本塁突入した西岡が憤死してなんとか無失点
サンドバック状態だった人に優勝決定の最終回はないのかなあと
山崎への被弾は勘違いでした。すみません。 もしこの時からシリーズでもパ主催試合でDHが採用されていたらどうなっていたのだうか マニエル・ソレイタがDHで使えてたらセリーグやばかったかも 毎試合面白かった
7戦目の9回1点差走者2塁の場面で篠塚が初球打ってシリーズ終わってがっかり >>334
なんで簡単に初球を引っ掛けたんだろうな。
篠塚は、4年後にもまた、同じ西武球場で、
9回表二死から、工藤の初球をあっけなく
センターフライで西武日本一。 2008年もそうだったけど、
西武が強いときは、
「たられば」がいくらでも言えるような修羅場をうまくくぐり抜ける。
1990年のような圧勝は、本当は西武らしくない。 >>308
サードやっていたくらいだから、ファーストとして下手ではないんだろうけど、
プロ野球大百科には「守備に難あり」と書いてあった。 スティーブといえばカツラ
とはいえハゲを隠す訳でもなく(プレー中はキャップやヘルメットのみを着用し、脱げても別段気にする様子もなかった)、
ファッション感覚で装着していたのが印象的
ハゲを完全なる恥と捉える日本人のヅラリストとは感覚が全然違うんだなと思った >>334
あそこで同点タイムリー打っても、たぶん9回裏にサヨナラ負けだろうな >>340
いや、あれは松本の盗塁を絶対阻止を狙った東尾一流の牽制の連続だった。 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 片平は83年の日シリじゃ、第6戦G3-2L、9回裏1死一塁で代打。
西本の初球を叩いたライト前ヒットでチャンスを広げたな。
不格好な一本足打法だったけど、王より先に死ぬなよ。
>>337
王手を先に掛けられた次の試合を、不利な側から見てイリミネーション・ゲームと
北米では呼ぶが、西鉄/西武の日本シリーズ・イリミネーション・ゲームの強さは異常。
(例)
1958年西鉄、0勝3敗から4連勝…4勝0敗
1976年巨人、0勝3敗から3連勝、第7戦で敗北…3勝1敗
先に3勝の王手を掛けたチームが3敗においつかれた場合は、後手王手なので
イリミネーション・ゲームには含まない。敗戦数は、そのままシリーズ敗退に繋がる。 西鉄/西武 20勝8敗
巨人 13勝7敗
南/ダ/ソ 11勝8敗
急/オ 8勝8敗
ヤクルト2勝2敗
毎/ロ 1勝1敗
広島 2勝0敗
松竹0勝1敗
DNA2勝1敗(大洋、横浜時代を通じて、昨年、初めて王手を掛けられた)
中日0勝5敗
阪神0勝2敗
日ハム0勝4敗(東映時代は先に王手を掛け、そのまま優勝)
※阪神、中日、日ハムは日本シリーズで先に王手を掛けられたら終了。
※南海は、対巨人戦の日本シリーズで、6度、先に王手を掛けられた後は全て1勝1敗で敗退。
お祝儀を一つ貰っての退散続きで、地元大阪では「何回やっても勝てない」と揶揄され続けた。 片平亡くなったな
6戦目のヒットは忘れないよ
合掌 >>347
何回やっても巨人に勝てない南海ホークス。
でそれは何の面汚しだ?全然解らん。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
BVWGX 巨人ファンの魔物がいなかったら4勝1敗くらいで西武が余裕で勝っていたようにも思う。 >>317
シーズン中の江川のスクランブルリリーフっていずれも神投球だったけどね。打てる感じ
しなかった。 全国的な見地から西武を応援してた人の割合が多かった気もする。
TBSとフジは翌日の夕方に優勝特番を。
読売系の報知ですら西武日本一記念グラフを発売したほどで、
優勝から1週間ほどは日本中が西武祝福のイメージで沸いていた感さえあった。 その西武は今や万年Bクラス
日本シリーズは夢のまた夢 >>356
開幕8連勝やで8連勝、ソフバンなんてまるで赤ん坊や あらら今年はどうしちゃったの?w今年は優勝するかなこの調子だと。
まだ四月だけどね。 優勝できるわけない
今年の日本シリーズはソフトバンク対広島や! 何言うとるねん、デリー菊地がかるーくソフバンを捻り倒したるよ。菊地様に比べたら千賀とか草野球選手でしょ。 バター猫が勝てるわけあらへん!
見ててみい、ホークスさまがグスッといわしたるさかい! >>259
デスが中畑に打たれる前にコーチ森昌彦がマウンドに行き
今日一番いい球を投げさせろと伊東に言ったものの
打たれて逆転された
と昨日のスポニチ、伊東勤我が道の載っていた 最終戦前のミーティングで、森コーチは、西本のシュートは、、、、と傾向と対策をしつこく選手に伝えていて、王助監督は、泣いても笑っても最終戦、思い切っていこう、と選手に伝えたとのこと。 2008年が最後の優勝だった
巨人戦が冥土の土産になったことに満足している 数時間後にハムを黒焦げにしたのを見てすっかりポジになっている >>365 であった お嬢さん野球でよく今まで40回以上も優勝できたものだと逆に思う。 巨人は批判されることも多いが、選手層の厚さは際立っている。
昭和58年のシーズンも、生え抜き選手を中心に主力選手が充実していて、
日本シリーズも「巨人有利」と言われていた。
西武は他チームから来たベテラン+西鉄時代からのベテラン+外人の寄せ集めで
巨人にはかなわないのではという下馬評だった 西武は西鉄時代からの荒っぽさがまだ残っていたし。
巨人の選手はどこか大人しいんだよな。
河埜が潰されて原がビーンボール食らったら怒らないと。
そういう所は球界の紳士なんだろうね。 >>371
週ベも巨人のリーグ優勝がほぼ確実になった9月後半からシリーズ開幕前まで
徹底分析と称してシリーズの予想を連載してたが、
はじめは西武4勝2敗と踏んでいたのが10月に入り「浮上した巨人有利説」を挙げ、
最終的に江川フル稼働で巨人4勝2敗を唱えた。
しかしこの楽観説を信じた者はあまりいなかったような気もする。
周りの巨人ファンですら「そう上手くはいかないよ」と厳しめの声さえあったな。 いくら疲れていた西本相手とはいえ
6戦のあの状況から4人続けてヒット打ったのは凄いと思う
普通テリーが打ち取られた時点で終わりだろ
ま、片平のはランナーいなけりゃ普通にアウトだったかもしれんが 今日で楽しい夢は終わる
埼玉西武ライオンズ、いい夢をありがとう 広岡さんの日本一になった時のコメントが実にそっけなかった。
「西武もこれで全国区の足掛かりを掴めたね。」
この一言だけだった。いかにも広岡さんらしいというか。
勝っても常に冷静な所は凄いなとは思いますね。 >>376
自分もテリーが討ち取られた時点で、「ああ、もう終わりだ」と思った。
あの場面で4連打して同点にできた西武はすごいと感じた。
9回裏が終わってマウンドを降りてきた西本が、マウンドの土をスパイクで蹴って
悔しさをあらわにしていたのが印象に残っている。 第七戦で中畑がホームラン!という当たりを、太田にファインプレーされたりとか、巨人はなんかついてなかった。第6戦も初回に何点も入りそうだったのに。 >>379
1アウトで胴上げ準備でスタジャン脱いだりしてたよね。 >>382
巨人のベンチは日本一を確信し完全に浮かれてた
あれが>>144のとおり西武に火をつけてしまった 83年第6戦で中畑が逆転三塁打
85年第6戦で長崎が満塁本塁打
広岡が焦ったのはどっちだろうか >>384
そりゃ前者だろ
後者は元々やる気なんかなかったシリーズだしな でも、『The GAME 〜震えた日〜』で中畑が、三塁ベースからチラッと西武ベンチが見えたとき
広岡さんが笑っててゾクゾクっとしたとか言ってたよ。なんで敵の選手が打ってる時に笑ってるんだ、って。 85シリーズの後半なんか敗退行為一歩手前だろ。
東尾にヤオの疑いかけといて何してんねんと >>387
いや、でも阪神も7戦目までもつれたら
投手いなかったぞ 85年は広岡さんのやる気のなさが解任に繋がったんだね。
84年でもうチーム内はすっかり冷え切ってたんだけど若手が伸びてきて楽しみだったので
85年も続ける気にはなったようだったけど結局最後はああいう形になってしまった。 しかし石毛は'85の阪神が一番強かったとほざいてるぞ 広岡の「バースはアメリカに帰って欲しい」発言で戦意喪失してるようにも聞こえる。 広岡は甲子園遠征でカラオケに行き六甲おろしを歌うほどやる気なかった
83年のシリーズの時とは全く違って緊張感も執念もなかったとさ 1、2戦はバースが居なければ西武が連勝していてもおかしくない 思いのほかテクニシャンだったねバースは。そこはちょっと広岡さんもそこは誤算だったかも。 もし西武が巨人に負けてたら84年のシーズンはどうなっていただろう。
巨人を倒した事で燃え尽き症候群みたいになっていたので。
広岡西武も最初の一年目だけでなく二年目もチームの纏まりを保てた。打倒巨人という
選手の共通の目標があったからだ。もし巨人のあの時負けてたら84年も打倒巨人の
目標を持ちながら選手も広岡監督に反旗を翻す事もなくチームは纏まりを見せて連覇出来た
のではとも思う。 >>397
なお近藤自身は60年日本シリーズは相手チームのスクイズ失敗に救われた模様 このシリーズの動画見ると、今と選手達の体型が全然違くて草 第6戦の9回表、まだ勝ったと決まっていないのに、えらいはしゃぎっぷりだな。サヨナラのテンションだよ >>400
あれが西武ナインを怒らせ闘志を着火させてしまった。
特に山崎と石毛が激怒していたという。 初戦で篠塚とスミスが交錯した時に恐らく巨人はダメかなと思った。短期決戦ではああいうの
致命的になるからね。クロマティの時もそうだったけど。 広岡はスミス徹底マークと決めて
成功したよな
それで失敗したのが'85のバース
化物と言わしめただけあるわけだ 今の選手はアスリート体型
昔の選手はとにかく食べて飲んでパワーをつける >>403
スミスと篠塚のは、スミスの「いらんことしい」ではあるが、取りに行った結果だから、しょうがない気もする。
クロマティのあれは言語道断だ。
無気力プレイだから。 昔の選手のほうが足腰は強かったとは思う。
今の選手は洋式の生活で足が促成栽培のもやしみたいにスラっと伸びただけのようにも
見える。そしてお尻の臀部も一回り小さくなった。 日本人の手足が伸びたのは単純に平均身長が伸びたから。
食生活が豊かになったから身長が伸びてそれに比例して手足が長くなった。
生活様式なんて70年代にはかなり洋式になってたわ。 >>411
病気する前の田淵なんて、1人だけ今のプロ選手がタイムスリップして
混じってプレーしてるように見えるもんな。
太る前でも体幹の太さがまるで違う。 田淵も長持ちしなかった所は今の選手に似てるよな。
工藤公康や山本昌みたく長持ちする選手は案外今の世代からは出てこないかも知れない。 田淵はかなり裕福な実家だからな。
現代の野球選手とタイプ的には似てる。
山本昌はともかく工藤は科学で長持ちしたもんだから出て来るだろ。 クルーズがこのシリーズ頑張ったんだけどね。残留してたら面白かったかも。
スミスとは良い感じで指定関係になってたしね。 最近のスミスはすっかり白髪の似合う雰囲気のいい爺さんに 子弟関係
打ち間違いが多いな。2chだから見直しなんかしないでバチバチ打ってるからなw >>401
その激怒した両者、1死後山崎が三遊間を破る安打で出塁。
石毛の内野安打で山崎が同点ランナーで生還。 はたから見て怒るほどのどんちゃん騒ぎでもないとは思ったけど
気が強い選手が多かったんだな西武も。西武が強かったのも精神的なものも
大きかったかもね。 巨人ベンチで山本功児が音頭を取ってたのが見えたけど怒るほどには見えなかったな。
それよりもよく西武の選手が緊張の尾が切れなかったなとは思う。
特に奇に思ったのがあの土壇場での広岡監督の落ち着きよう。あれには堤義明オーナーも
感心していた。 巨人ベンチで山本功児が音頭を取ってたのが見えたけど怒るほどには見えなかったな。
それよりもよく西武の選手が緊張の尾が切れなかったなとは思う。
特に奇に思ったのがあの土壇場での広岡監督の落ち着きよう。あれには堤義明オーナーも
感心していた。 大半の意見があれは広岡さんも半ば諦めていたという意見が多いけど僕は広岡さん
ああいう場面で冷静に落ち着いてたと思う。ああいう場面で指揮官は落ち着かないと
けないからね。 クルーズがあっさりと初球打ってファーストファールフライ。
あれで流れが完全西武へ行ったと思う。
逆転から1分も掛からずにイニング終了したことが、西武ナインに集中力を保たせ、好結果をもたらしたのでは?
もしクルーズ凡退が何球か要していたら、気持ちは切れてしまい、
石毛の「俺に絶対回せ」どころか山崎怒りの三遊間もなかった。 鈴木葉留彦もよく打ったよな
流し打ちのお手本のようなヒットだった
つべで何度も見ちゃうよ シリーズ前の西武の優勝決定戦でテリーの放った満塁ホームラン。
視察に来ていた江川がビビっていた。
あれ見ないほうが逆に良かったかなとも。
警戒心よりも恐怖心のほうが勝ってしまったようだった。 昔よくあったシリーズ用の視察ってなんか意味あったのかな? なんかある時期から急にやらなくなったな。
なんかいつも巨人の選手が西武を視察したら、ゾッとして帰ってきたとかそんなのばかり。 巨人ガンバレ
大嫌いなソフトバンクを粉砕してくれ! 今年巨人西武の日本シリーズになったら熱いな!
まあ巨人圧倒的不利だが...。 西武も5月に入って失速してるし巨人もどうせいつもの大型連敗あるだろ。 シリーズを待たずに交流戦でソフトバンクにボコボコに >>437
もう巨人は全国区の球団じゃない。
昔の野球少年は巨人の四番・エースを目指してたが、松井上原がメジャーに行って、メジャーリーガーが目標になった。
地上波が巨人戦を中継しても最早選手が分からない。このスレで言われてるように巨人ブランドは完全に崩壊した。 >>428
CSを早く勝ち抜けば選手が相手リーグのCSを観戦することは今もあるけど、日程的に昔ほどの余裕はなくなった >>438
誰も目指してねえよ。妄言はてめえの馬鹿な脳内にとどめておけや >>440
巨人に行きたいって子供は確かに大勢いたよ。
中にはズルしてでも行った人もいたね。あ、今でもいるかそういう奴。
誰とは言わないけどねw
メジャーに行きたいって子はさすがにいなかった。テレビでも少し放送はされてたけど全くの別世界だった。 江夏や若菜らがメジャー挑戦に失敗しててやっぱり僕等では無理な世界なんだなと感じる世界だった。
若菜がマイナーでグッデンと対戦したことをよく自慢していたけどそれがやっとの世界だった。 菅野は入団拒否して一浪して巨人入りしたが、世間にはまるで騒がれなかった まあ菅野のあの顔と上原とか江川とかに及ぶべくもないあの成績じゃな >>442
若菜はメジャーに挑戦したといえるのか?
女性問題が原因で、日本で居場所なくしただけだろう。 怠慢プレーで阪神を干されたというのは聞いていたけど女性問題もあったんだなw 広岡さんは落合と同じく外人を乗せるのが上手い人だったね。
一方の王さんは外人を手懐けるの苦手だったようだ。 当時の巨人は「球界の盟主」としての権威があった。
だから、巨額の資金を投入して球場を新設し、高額の契約金で選手を集めて
巨人に挑んだ西武は注目された。
「球界の盟主の座を賭けた一戦」と呼ばれた。 広岡さんのやり方では三連覇は無理。チームは一年しか纏まらない。
チームが二年持ったのは巨人を倒すという共通の目標があったから。
だから82年に巨人を倒していたら広岡西武は一年で終わっていたかも知れない。 85年に再びチームが纏まったのは不平不満の多いベテランから若手主体のチームになったから。
だから任期が一年残った86年も続投して清原を鍛えていたら後続も森西武はもっととてつもない
チームになったかも知れない。 第四戦一回表の満塁のピンチで江川がナイアガラカーブでテリーを見事に三振に打ち取った。
テリーもああいう球が打てないからメジャーで定着出来なかったのだろう。 広岡が精神年齢の低い清原を鍛えるのは無理
森はそれがわかってたから、甘やかせて、調子に乗せる道をとった そもそも監督が広岡のままだったら清原の指名は無かったかも。 広岡さんパワーヒッター大好きだからね。だから清原はさすがに獲りにいく。
あのボテボテしたデーブだって獲ったのだから。
獲ってもらったデーブが何で広岡さんは僕を獲ったのだろうと不思議がるくらいで。
デーブを次期四番に据えようとしてたんですね。清原が入ってこなかったら片平も
峠にきてましたしレギュラーは確実に取れたでしょう。 田淵があと数年持ってたら清原とプレーさせてみたかったね。
もっともそっちのほうが怖いかwますます堕落しそうw トニー・グウィンがロッテ入りする噂が流れてたけどGMの広岡さんがあんなパワーのない
奴要らないよと軽く受け流していたのが印象にあるね。
広岡さんパワーのない奴にはメジャーリーガーであっても容赦なかったね。 「パワーのない奴がメジャーリーガーなんかになるな!!」
メジャー中継の解説でふがいないメジャー選手に対して広岡さんがそう吐き捨てていたのを
見てなんて人だと思いましたね。
でも考えてみたら当然の事なんですよね。
張本だんが日頃から吐いている暴言染みたぼやきも強ち間違ってもないのかなとも思います。
日本の選手はまだまだメジャーに挑戦する資格はないのかも知れません。 あの松井秀喜をもってしてもあれが精一杯ですからね。
パワーの差はいかんともしがたいものがあります。 広岡さんが秋山幸二を絶賛し続けたのはリストが日本人離れしていたからなんですね。
まさにメジャー級だったのです。
秋山ならメジャーでも40本以上は打てたと言っても決して過言ではないでしょう。 一年しかチームが纏まらないのはどの監督もそう。
二年目以降は選手の不平不満をどう解消していくかが連覇のカギになる。
連覇できる監督はそれがうまい人。戦力をいくら充実させてもチームが纏まらないと
優勝は中々難しい。
だから広岡さんが今ソフトバンクを指揮したら隔年優勝がやっとになると思う。 >>399
広岡西武って意外と足のあるイメージないですね。
寧ろ打線に切れ目がない力の野球をやりますね。 走れるのは石毛ぐらいで 田淵 テリー スティーブ 大田 山崎だったしね 外野手もこれ利用してレーザービームならぬレーザーゴロを試してたけどさすがに
これは余り上手くいかなかった。さすがにあそこまで距離があるとボールは死んでしまう
ようだ。 若手主体になった85年のメンバーも走るチームのイメージは無いんだよな。
秋山とかは足が速いけど。 河埜を早々と潰したのは81年の平田と同じ勢いを感じたからだろう。
しかし西武投手陣の執拗なインコース攻めは少々度が過ぎていた。もっとスポーツマンらしく
堂々と戦って欲しかった。 【お子ちゃまサッカーに嘲笑の嵐】 試合に勝って負けた日本、反則じゃないからセーフ、は子供の言い訳
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1530238486/l50
サッカーは鬼ごっこか? ボクシングなら5R分!
残り時間5分ならともかく、15分パス回し(笑)は事実上の試合放棄。
日本代表は棄権して、いますぐ帰ってこい!
大会に出る資格はない! 広岡さんってGMは余り才能は無い感じだね。
パワーヒッターばかり好むし。 レジー・ジャクソンやデーブ・ウインフィールドらを欲しがってたから広岡さんは。
そんなの来るわけないだろ。理想を追い求め過ぎなんだよ広岡さんは。 やっぱり日本シリーズは平日昼間に
限るよな
ドームでナイターでは風情がない
ナイターになってから名勝負もないよな せめて土日は昼間やってほしいよね
放映権欲しさもあるだろうけど
今どき視聴率なんか大して取れてないからな 優勝報告の時に堤さんが、来年は三連覇を狙うか若手育成の年にするかどうするかは任せるよと話していたけど
堤さんも84年の三連覇は戦力的に厳しいのは分かっていた。
堤さんも野球をよく分かっている人でオーナー力もチーム力に表れていた。 堤さんといえば
シーズン後のオーナー報告で
「来年も監督やりたければどうぞご勝手に」みたいな言い方してて
なんと酷い人やと言うイメージが強かったんだけど
色々調べたらそんな悪い人ではなかったんだよな。 第四戦の田淵の大暴走はあれでいシリーズが決してしまいそうなくらいの大失態だったんだけど
逆にあれで流れが西武に移った。
兎にも角にも田淵のやる事は成功しようが失敗しようがチームが盛り上がる。これ以上ないムードメーカーだったんですね。
だから85年の日本シリーズも田淵がいたらわからなかったかも知れない。 お前はメジャーリーガーのくせに管理がなってないな
この一言がテリーに火を付けたからね。
広岡さんの口の悪さも必ずしも意味なくがなり立ててるわけでもないんですね。
ちゃんとつぼを心得ている感じだ。 広岡さんが選手に課していたダッシュ100本ってさすがに嘘かなと思ってたけど
あの瀬古利彦でも30本と聞いていたのでさすがに100本はオーバーだと思っていた
でも多くの選手の話を見るとどうやら本当のようでよく心臓停止とか事故にならなかった
なと思う。広岡辞任のニュースが流れて選手達が大喜びしたってのもわかるね。
でもそれだけやったから西武も強くなったんだし選手からもリスペクトされているのは
広岡さんのやってた事は間違ってなかったんだろうね。 50歳近くまで現役を続けた工藤が、「自分が長く現役を続けられたのは、広岡監督の
教えた節制やトレーニング法を守ってきたから」と述べている。
昭和58年の日本一が広岡野球の頂点だったが、広岡理論の正しさは、さらに時代を
越えて、工藤の長い現役生活によって証明されたと思う。 広岡さんのもとでは選手の故障者が少ない印象があるけど松沼弟が85年に故障したのは
残念だった。 フィールディングのいい西本が大田のピッチャーゴロをジャッグルした。
まさにドラマだね。 西武が乱数表を変えたら巨人打線の勢いが止まって第七戦まで縺れた。
そういうデータの諜報戦も昔の野球の醍醐味だった。 今も西武ドームではスパイ野球してるけどな。不自然な終盤逆転が多いからな。 このシリーズのナンバービデオ、編集下手過ぎて第7戦がすげー端折られた
気がする ようつべに7戦のTBSの中継の動画があったが消されてしまった 2002の日本シリーズもこの組み合わせなのに全然話題にならないな >>332
もしパリーグ主催でDHが使用できていたら
巨人が有利だったかもしれない
実際巨人VS西武の日本シリーズで巨人の指名打者が活躍した
94・02・08では西武のホームゲームで2勝している もしDHが採用されていたら、巨人はスミスをDH、クルーズか駒田をスタメンで
使うことができる。
西武は田淵をDHで、最終打席まで打たせることができて、片平をスタメンで使う
ことになる。
どっちが有利になるか? 広岡って、打撃戦は好きじゃないと発言していたけど
監督時代は長距離砲を好んでスタメンに揃えてた記憶がある この時の巨人は負けたけどガッツはあったね。
87 90は途中で勝負捨ててる様な、全く集中力がない心ここに在らずな試合展開。 すっかり苦手意識を持ってしまった事と
スタンドの魔物が元気がなかった。 7戦目の西本は疲れが出てたのかな。
それがあの太田のピッチャーゴロのジャッグルを誘った。 >>497
野村 何で子供でも出来るような事が出来ないのか?
広岡 子供でも出来るような事が出来ないんですから仕方ありません
出来ないことは要求しない人なんですね。出来る人がいなかったという事です。 広岡さんの野球は結局は現実に沿った野球。変な幻想を抱いていない。
その現実の中にも光り輝く野球がちらほら見えるからいいんですね広岡野球は。 広岡さんの野球は結局は現実に沿った野球。変な幻想を抱いていない。
その現実の中にも光り輝く野球がちらほら見えるからいいんですね広岡野球は。 第四戦でやらかした田淵のヘマですね。
あれでシリーズが終わってしまうような大失態だったんですが。
でもあれで逆に西武ベンチが盛り上がっちゃったんですね。
田淵のやる事はヘマしても何をしても盛り上がる。逆に元気付いて逆転に繋がりました。
田淵を変に冷遇しなかったのもそれもあるのでしょうね。
広岡さんはああみえて人の心を読める人ですw >500
西本は第2戦でシュートを投げ過ぎていたと思う。
シュートを多投して西武打線を完全に抑え込んだが、「こんなにシュートを投げて、
次の試合は大丈夫だろうか」と心配になった。
一方で、後のことを考えず、完全燃焼する西本の心意気を感じた。 巨人善戦とも言われたが、先に王手を掛けて負け。
それも優勝まであと2アウトノーランナーで逆転負け。
第7戦も7回裏に逆転されて後はほぼ無抵抗のまま終了。
4敗中、3敗が逆転負けって正直恥だわな。 第6戦の9回表に中畑の三塁打で逆転しながら、9回裏2アウトランナーなしから
追い付かれ、延長戦で逆転を許して敗れたのが痛かった。
9回裏、西本ではなく加藤なら逃げ切れていたように、当時思った。
西本を登板させた采配はどうだっただろうか? >>507
山倉の回想によると、藤田は誰を出すかと迷ってたら
王が西本でいきましょうと進言したらしい。
王にとって「嫌な奴を(再び)日本シリーズの胴上げ投手にしたくなかった」んだろう。 巨人が日本シリーズで3−2から逆転されたのは3度しか無い。相手は全てライオンズ。
1958年(原辰徳、大牟田で生誕)
1983年(原辰徳25歳、巨人4番)
2008年(原辰徳50歳、巨人監督)
まあ2032年までは大丈夫っしょ!(笑) 第6戦の9回裏、先頭打者のテリーが倒れた後、巨人の藤田監督は胴上げに備えて、
スパイクから運動靴に履き替えていたらしい。
巨人は「この試合は勝った」と思っただろう。 テリーが打ち損じただけで、同点ホームランになっていても
おかしくはない当たりだった。
西本は前々日の完投疲れと「何で俺が?」の気持ちでズタボロだった。 ところで中畑の三塁打の後に凡退したのって誰?
ここで1点しか取れなかったのが大きかったと思う。
2点だとさすがに西武も心が折れてたろう。 >>512
クルーズ。
ここでクルーズがダメ押し打っていれば巨人は日本一で、恐らくクルーズは優秀
選手賞あたり取ったはず。
そうなったらクルーズは解雇されず、クロマティ獲得なかったかも? もしもそれで巨人が第6戦日本一の場合
最優秀選手賞 西本(巨)
敢闘賞 田淵(西)
優秀選手賞 クルーズ(巨)
中畑(巨)
大田(西)
こんな感じか? >>514
サヨナラ打に決勝タイムリーのインパクト強いから、仮に巨人が日本一だったら中畑MVPだと思う。 >>509
大丈夫だろう
ライオンズの方がしばらくは日本シリーズに出られないからな TVだから少し大げさに言ってるだろうけど、あの勝ち越した直後に江川が
「自分はまずそういう事は思わないがあそこではブッ壊れてもいいから自分が抑えて決めよう」
って思ってたのは本心だろうね
藤田監督は読売No.1の名将だと思うがここでだけはミスってしまった ライオンズファンだが日本シリーズに出る予定はもう二度とない 第6戦は西本、江川をつぎ込んで敗れたのが痛かった。後のことを考えると
よくない負け方だ。
昭和63年の日本シリーズで西武が中日に王手をかけた試合で、「抑えにエースの
工藤が出てくるか」と思われた場面、森監督はベテランの松沼兄を登板させた。
解説の野村克也が、「森監督は、万一、このゲームを落としたときのことも考えている。
工藤を投入してゲームを落とすという最悪の事態を避けた。森監督らしい
慎重な采配だ」とほめていたのを覚えている。 しかし同点ではなく、1点リードであと1イニング抑えたら日本一決定となれば
そりゃ一番調子の良い投手を出すのは当然だろ
もしあそこで加藤初続投してもし追いつかれたら
あとでどうやって説明できる?
やっぱり西本でしょ
他に絶対的ストッパーなんていなかったしな 94年の第4戦で巨人が9回に代打大久保の本塁打で同点に追いついたけど
結局延長で西武が勝った試合があるけど
その次の日の第5戦で西武が第4戦の勢いで勝てなかったのはなぜなんだろうか 94年は西武が巨人に完全に飲まれてたからなあ
長嶋が何してくるのかずっと森が怯えてたらしいし、
巨人もシーズン最高の状態だった。 >>519
工藤は第3戦に完投して第5戦は投入云々の話ではない
第2戦登板で第6戦の登板が予想される郭か、あるいは根本的な記憶違いかも >>521
勢いよりも第4戦(延長12回)で本来投げるはずのなかった石井丈裕が3.1回も投げて
しまい第5戦では登板予定に入れておらず、右の信頼できる救援が潮崎しかいなくなって
交代が遅れたのが痛かった、と森監督が著書で書いてるね。
松井吉村岡崎の左だけで杉山が替えられたらよかったけど
原コトー村田岸川(←福王)とズルズル引き延ばしてランナーを溜め
緒方にまさかの満塁弾を食らった >>523
第5戦、石橋アナと解説の野村の間で実際にあった会話だよ
この試合で西武はかなり投手をつぎ込んでおり、いよいよ第3戦で完投した
工藤も投入して勝ちに行くか、という話題になった。
松沼兄が出てきたとき、石橋アナがかなり驚いた様子で、それに対する
野村の解説だった。
松沼兄が出てきたときは、自分もかなり驚いた。 >>520
前々日に完投までして疲れ切っていた投手を使うとはね。
リアルタイムで見ていたが、西本が出てきた時は思わず「やられる」と口走ってしまい
周囲からは「抑えるだろ。何言ってんだよ」と反論もされた。
結果として自分の考えは当たり、周囲はシリーズ終了から半年以上も、
「なんで西本なんか出したんだよ」と嘆き続けていた。 >>525
もう30年も前のあなたの記憶が正しいかどうかは水掛け論になるから
追求しないけど
第3戦に127球完投して、もう第7戦の先発がほぼ確定してる工藤が
延長戦で投入なんて、自分ははなっから考えても見なかったな
せいぜい、前年87年に工藤がやったように
第2戦90球KO、第5戦救援(中3日)、第6戦先発の郭の方がまだ理にかなうかなと
だから松沼博の投入も至極当然
むしろ9回1死無走者で川又のところで東尾を小田に替えたところの方が
かなり驚いた。
もう東尾の信頼度はこの程度なんかと 失礼
×9回1死無走者川又
○9回1死2塁立浪 のところでした >>496
DHがパ主催だけでも採用されていたら
第7戦西本が勝てたかも
>>521
この時大久保の本塁打の後岡崎と原もヒット打って
勝ち越しのチャンスがあったけど代打篠塚がセンターフライだったな >>510
スパイクの話もそうだし、中継で映る巨人のベンチも、まだ終わってないのに早くから監督も助監督もニヤニヤしてたのが嫌だった。
もう少し、闘う姿勢を見せていたら違ったかもしれなかった。 第四戦一回表ワンナウト満塁のピンチで江川は快刀乱麻のピッチングをした。
あれを見て巨人の日本一もあるかなと思った。言われていたほど江川は悪くなかった。 >>522
第二戦の鈴木健のトンネルエラーだね。あれでそのまま巨人に流れが傾いてそのまま押し切られて
しまった。 フィールディングのいい西本が大田のピッチャーゴロをジャッグルして満塁にしたでしょ。
あの時点で変えるべきだったね。疲れが足にきていた。西本と心中したというのなら別だけどさ。 スティーブがサードもファーストも上手に守る器用な選手だったので。それも大きかったかな
とも。守備は下手というデータもどこふく風でしたね。 巨人が西鉄時代からライオンズに分が悪いのはお嬢さん野球だから。
野武士的な荒々しさの無さが負けに繋がっているんですね。 2008年の日本シリーズ「巨人ー西武」の勝敗パターンが1983年と同じであった。
2008年の日本シリーズ第6戦が終わった段階で、この事実を指摘し、従って
第7戦は西武有利ではと指摘するスレが2ちゃんねるに立ったのを覚えている。 2008年は阿部慎之助の故障が無ければ普通に勝てたシリーズ。 1994年の日本シリーズも第5戦までが1983年と同じ勝敗パターン
あれも第6戦落としていたら危なかったと思う >>517
江川ってのは、あとになってからあのことはこうだったとかよく言うけど、あの日本シリーズのデキからすればとてもそんなことを言える状態でなかっただろう。
第四戦で肉離れ起こしていたんだろう?
西本が孤軍奮闘という感じだった。とてもあのとき、江川投入にベンチは踏み切れなかっただろうよ。
だいたいあのシリーズは江川がふつうに投げていれば間違いなく巨人が勝っていた。
戦犯のくせして、よくいうよ。 戦犯は第6戦で勝ったと思って馬鹿騒ぎしてた面々と
初球を簡単に打ったクルーズだろ。 江川はシリーズ前に肉離れで故障してたらしいな
第4戦は再発 >>540
でもクルーズは第5戦でサヨナラホームラン打っている。
江川は第1戦田淵にホームラン打たれてKO、第4戦肉離れで途中降板、第6戦も金森にサヨナラ打を打たれて、シリーズ通して何もできなかった。
最高の戦犯は江川だろうよ。高給もらっていたくせして。 >>510
1958年シリーズ第5戦で日本一まであと一人から
関口のゴロを捕り損なって追いつかれ西鉄に大逆転日本一許した経験がある藤田さんが
気を緩めていたのだろうか >>543
94年シリーズ前日だがにNHKで夜10時から放送した番組(タイトル忘れた。中山ヒデと斎藤英津子が司会)
に出演したときに「中畑の三塁打で勝ったと思い、スパイクとウインドブレーカーを脱ぎ気を緩めてしまった」と語っていたね。 >>544
その番組は「スポーツ100万倍」だろう。 中畑が三塁打を打って逆転したときは、自分もこれで巨人が勝ったと思った。
ほとんどの人がそう思ったのではないか?
むしろ、あの局面から勝ち切れなかったことが、前例の乏しいことではなかったか?
試合終了後、百戦錬磨の巨人・牧野コーチが、「こんな日本シリーズは見たことない」
と語ったのが、この試合のすごさを表している。 あの局面で逆転したのが西武だったら、そのまま巨人に勝ったろう。
現に最終戦、逆転されてあっさり負けているし。 >>546
リアルで見ていたが、クルーズがあっさりと初球1塁ファールフライで凡退。
追加点が奪えず1点リードで9回表を終えた時点で、簡単には終わらない予感はした。
前々日に完投し、疲れが残る西本を登板させた時に、
思わず「やられる」と口走り、周囲から睨まれたりもしたが、予感は的中した。 >>517
江川、戦犯のくせによく言うわ。思うだけで抑えられるなら苦労しないっての。
10回の裏に打たれたのは、もう気持ちが入っていなかったとか、言い訳すんな。 江川が延長抑えてれば勝てたかもしれんのに 気が入らないだもんな… やる気がないのだったら、とっととマウンド降りろ。
そんなこと平気で言うことが信じられない。いまだに言い訳ばかりしているんだな、あきれるわ。 あの9回表に逆転したことが逆に裏目に出てしまった感。
むしろあのまま、あっさり負けていたほうが、第7戦で勝てていたもしれない。
逆転し、優勝目前で同点→延長サヨナラ負けでダメージが強大過ぎた。
第6戦終了時点で既に巨人ナインの心は折れていた。 心が折れてたチームがどうやったら7戦7回表まで2点リードできるんでしょうか?
この人の理屈がわからんわ 西本のコンディションがもう少しいい状態で第7戦に挑めた、位はあったかもね 藤田は勝ちに急ぎすぎた。
「7戦トータルで4勝すればよい」という広岡流の考えを持てなかったのも敗因。
あの試合は正直投げたくなかったという
西本の気持ちも汲んでやれなかったのも敗因のひとつ。 第7戦は西本先発で飛ばせるだけ飛ばし、あとは江川で。もし第6戦追いつかずに
そのまま負けていたら。あくまで結果論だが >>555
確実な抑え役がいなかったのも事実。
角が二年前のような調子だったら9回裏は角の出番だっただろう。
江川が使える状態だったら江川の出番だったかもしれない。
いずれにせよ孤軍奮闘の西本を責めるのは酷。 西武は東尾後ろに回してたからな
藤田はもともとリリーフ投手には疎い
二次政権も完投完投でリリーフは後回し >>558
Bクラス転落の91年には「巨人は時代遅れの投手起用をしてる」と
野村・ヤクルト監督から嫌味たっぷりな口撃材料にされていたっけ 巨人は先発の江川、西本をリリーフにつぎ込んで負けたり、場当たり的な投手起用を
しているように見えた。
一方、西武は先発は松沼兄、高橋、杉本で固定し、エースの東尾を抑えの切り札、
松沼弟、森繁、小林、永射をリリーフとして、方針が一貫していた。 行き当たりばったりの野球をしたら負けるという教訓だね テリーのタイムリーが無ければ巨人が日本一になっていたし。
時の運かもね。 西本はあそこで限界だったのは事実だな
6戦目の登板がなきゃ かもだった 乱数表を巨人に読まれている事にもっと早く気づいてたら4勝1敗で西武が圧勝してたかも。 乱数表の使用が認められた頃は試合時間が長かったけど野球そのものは結構面白かった。
サインの盗みあいの駆け引きもまた見どころだった。 >>564
大田のピッチャーゴロをフィールディングのいい西本が弾いてしまったのはプレッシャーでなのか
それとも疲れからなのかどっちだったんでしょうね。やはりアップアップだったのかも知れませんね。 9回ワンアウトを取ったところでジャンパーを脱いだこと、あれは藤田も後に反省していた。だから89年のシリーズ最終戦では点差が開いても「勝ってるんじゃないぞ、リードしているだけなんだぞ」と選手を引き締めていた。 バレンタインがワンサイドゲームでも表情を全く変えなかったので名勝だったね。 牧野さんと広岡さんとの頭脳戦だったので凄まじい試合展開になった印象。 しかしねえ、王手かけられて9回1アウトまでリードされてたら、普通そのまま
いくんだけどねえ 1983年シリーズは江川はともかく抑えの角も使えなかったからな
角がシーズン前半のように機能してたらなと 俺第7戦部活でリアルタイムで見てないんですが、無死1,2塁でピッチャーへのゴロ、西本ならゲッツーだ、と思ったらファンブルして内野安打だったの? たらればだが、1982年巨人があのまま優勝してたら巨人は西武に勝てたか?
原絶好調、中畑ケガ、河野ケガ、江川の調子微妙、西本まあまあ。定岡はキャリアハイ。 たらればだが82年、86年のまだ途上の西武なら分があったかも >>578
優勝したとしても翌年は大差をつけられての2位だったかも。
83年は前年2位ってことで、開幕カードは前年5位の大洋と対戦。
初戦は西本熱投、翌日は小雨の中、右田から駒田の初打席満塁弾で圧勝で好スタート。
もし前年4位の広島と開幕してたら、初戦は北別府に完封され、
翌日は川口か大野を打てず、もちろん駒田の満塁弾もなく、
連敗スタートで次節のヤクルト戦もやっと勝ち越す程度。
3カード目の甲子園阪神戦では槇原初登板初勝利もなく3タテ喰らって、
出足で躓いて広島の独走を許したと思う。 >>577
打球は速かったけどね必殺仕事人の打球だからw
淡口や松井のような際立って打球が速いわけでもないけど大田の打球って時折執念が乗り移った
ような打球になって怖い時があった。 83年の時は82年に負けた事に対する雪辱が巨人のモチベーションになっていたので。
81年からの連覇で82年に巨人がシリーズで西武に相対していたら大敗していたかも。 過去スレに書いたかどうか忘れてしまいましたが・・・
野村克也氏が自著で
第6戦の9回表に勝ち越した時点で山倉捕手が自分のバットをケースにしまいこんだ点を指摘していました。
胴上げのどさくさで自分のバットが行方不明にならないための行動だと思われ、
9回裏の守りは「西本にはシュートを投げさせておけば大丈夫だろうと安易に考えていたのでは」
とのことでした。 >>580
40年近く経った今でも未練がましく82年優勝してれば、ってずっと思ってたが、
あの年優勝してたら翌年駒田の初打席満塁アーチが存在しないことずっと考えてなかったw
ありがとうw 20世紀の日本シリーズは使える駒数は少ないが絶対的エースがいる
使える駒数はいるが軸が疑問というチームが戦うとだいたい前者勝が
このシリーズと78年は逆だった。 いずれも森ヘッドが後者にいた
広岡さんは森ヘッド抜きだと日本一になれてないような気がするのはきのせいかな 広岡さんが日本一を逃したのは85年だけ
絶対的なカードもなく使える枚数も少ない相手 >>586
データの分析能力では森の右に出る者はいないらしい。85年は黒田が森の代わりをやったらしいが、上手くいかなかった。 >>588
野村と森はデータ分析はどっちがうまいのかな?? 森はブライアント攻めるときに
外人は速球に強いでなく速球が打てないから日本に来てるという考えがあってもよいと
いって攻めたね
89年のあの試合以外は成功したと思うけど あの時は郭の頭の中が失恋でグチャグチャになっていたので
広岡さんは選手の異変に気付くのは恐ろしく早い人だった。あの場面で即交代だっただろう。 第七戦で石毛が角にディレードスチールを誘い出されたのを見て角のほうがランナーは走りづらかった
かなとは感じた。 第六戦の片平のタイムリーはまさに執念の一打。
巨人の勝ち急ぎ云々は関係ないです。
そういう所がオッサン片平の魅力です >>592
http://npb.jp/bis/scores/nipponseries/boxscore1983_6.html
一死1塁からの一二塁間を鋭くゴロで破る右前打だろ
次の鈴木葉留彦がシュートを押っつけてレフト前
その次の石毛の三遊間深いゴロが内野安打になって同点 >>593
この時のショートは近鉄から移籍の石渡
抜けそうな当たりを何とか捕球したけど、どこにも投げられなかった 1983じゃ昔過ぎるから2002との兼用スレにしようぜ テリー封じは西本よりも江川のほうが良かった感も。
縦の球を幾分苦手にしていた。 紳士と野武士の差がわずかに出たかなとも。
それでも紳士野球で45回も優勝している巨人って一体何なんだというw 巨人が負ける時って頭の良し悪しではなくて人間性の問題が出てしまうんだよね。
巨人もそこまで横綱相撲に拘る必要はないとは思うけどね。 このシリーズの逆MVPは江川かな?
第1戦、4戦の不甲斐なさ、6戦のサヨナラ負け
それでいてあの場面は自分が行っていれば抑えられただと?! 巨人ファンの多くは第6戦の敗戦を悔やんでるが、
第7戦だって原が3度の好機に全て凡退。
むしろ、こっちのほうが敗戦に直結してると思うが。 もう日本シリーズで対戦することはない
日本シリーズはソフトバンク対セリーグになった そんなソフバンでさえ取りこぼしがあるので。嘗ての西武もそう。
巨人のV9がいかに偉大かがわかるね。 孫さんがリーグ全体の利益も考えて戦力を分散させるだけの器量があるかどうか。
孫さんが独占を長期にわたり堅持する人だったらパリーグ全体の運命も左右しかねない。 西武も89はまさに取りこぼし。
バークレオ早く見切って、D砲を数日早く獲ってたら… もし、仮に90年シリーズで第1戦デストラーデが打たなかったら、第3戦で原が先制打を打っていたら、巨人が日本一になってた可能性はある? タラレバなら何とでも言える
あと83年以外の話はスレ違い >>609
ストレート負けを免れた程度だと思う。
シーズン最終盤のピッチング見たら、斎藤の起用は考えるべきだったな。 >>611
90年は何やっても負けてたって運命か...。 83年って打線比べたら巨人がぼろ負けしてもおかしくないと思うんだが違うんだな
リアル世代ではない 西武の乱数表が巨人側に途中まで読まれていたので。試合時間は長くなるけどそういう情報戦も
昔の野球の面白さだった。 94年のシリーズも西武大勝の雰囲気だったんだけどね。
槇原が流れを変えた。第二戦の鈴木健のトンネルもことのほか大きかったね。 90年のシリーズはどういうわけか巨人の投手陣が力の勝負を真っ向挑んでいた。
あれは今でもちょっと解せない。あれでは打たれるのは当たり前。 第1戦デストラーデに0-3からど真ん中投げればそりゃ打たれるよね。ストレートに強いバッターなんだし。
素直にデストラーデ敬遠して、後続抑えていればもう少しマシな展開になったかも。 90年原はチャンスにまるで打てないし、エラーはするし酷いもんだったな。94年は繋ぐ打撃に徹していたし、タイムリーも何本か打って、それなりに貢献したと思う。ただ、緒方の満塁ホームランの価値は本当にデカかったな。 岡崎のホームランで流れが変わるかなと思ったけど起爆剤とまではならなかったね。 90年は先発の順番は間違えた 桑田ー槙原ー斎藤で行けばよかった
94年は桑田ー槙原でいったことが森監督の焦りをうんだ
94年に関してはあの10月8日を勝ったことが大きい。 独走優勝してたらわからなかった
けどあの試合を勝ったんだよという雰囲気があったのと松井あたりは西武の強い時
TVでしか知りませんという感じだったみたい 桑田は悪役時代で謹慎明けプレッシャーのかかった初先発の大洋戦で完封したからね
でも槇原にした藤田の気持ちもややわかる。 1987年、メンバー半分ぐらい同じ西武相手に
完封したからね。1994年シリーズで西武相手にMVPだからねえ
西武に有効なタイプだと思ったんだろう 94年は最終戦で精いっぱいで日本シリーズはほとんどプレッシャーもなかったらしいな 94年のシリーズ六戦目の練習中に東京ドームのオーロラビジョンに森監督解任の電撃ニュースが。
森監督もそれを見て呆然としていた。石毛ら選手達も唖然としていてこの時点で日本シリーズは
負けたも同然だった。
堤オーナーは人との繋がりを非常に大切にする人でライオンズに多大な業績を果たしてきた
森さんに何故ここまで冷酷なのか不思議に思っていた。理由は後で分かったが堤オーナーが
最も嫌う異常人格者だとはその時は想像もしていなかった。 >>622
槙原はああいう性格だし初戦はまずい。 2戦目あたりがちょうどよい。
逆に87年の4戦目は信頼しなさすぎ もし仮に90年巨人が勝ってたらどんなシチュエーションになったんだろう? まあ、あの年は何やっても勝てなかったと思うが。 森はゲーム前に女をナンパするような不届きものだからな タラレバなら何とでも言える
あと83年以外の話はスレ違い 83年シリーズ第六戦の試合前に広岡電撃解任なんてニュースが流れたらどうなるよ。もうその時点で
巨人は勝ったも同然だろう。
85年はシリーズ開催中に広岡さんが辞める事を吉田さんが知って阪神の勝利を確信した。 広岡は1985年の日シリ時点では辞める気なかったでしょ。
根本と揉めたのはオフに入ってから。 長嶋が森を毛嫌いしてて王も森を嫌っていた
一見好人物っぽいがそうでもなかったみたいね
広岡は1985年の時点で「痛風が痛い」報道ばっかりだった記憶がある >>530
85年シリーズ三戦目の試合前に広岡監督が吉田監督に「俺今年で辞めるから」と告白したんだとか。 >>631
堤オーナーから嫌われているのを見て本物だと思いましたね。あの人はそういう人ではないですからね。 83年のシリーズ五戦目で大石がポカリードをしたのを野村さんが何で子供でも分かることが
コイツはわからないんだと解説でぼやいていた。
広岡さんだったらいつも決まってこう言いますね。子供でも分かることが出来ないんですから
しかたありませんって。
そこが広岡さんの凄い所なのかなとは思いますね。出来ない事を知ったうえで適材適所で
選手を上手く使っていたのだと思います。 広岡さんは広島でコーチをしたとき、「基本的なプレーがまるでできない」選手がいる
ことを知ったらしい。それでも、広岡さんは練習に付き合って、熱心に教えた。
広岡さんはクールに見えて熱心に教えるし、できない選手の生かし方も考えている。
優れた指導者だと思う。 西武のシリーズ前のキャンプがオーバーワークだったので心配だった。
江川の自滅がなかったら負けてたかも知れない。 江川に「第6戦の9回裏任せられれば抑えられた」などという資格はないだろう。
あのシリーズ全般の投球みたら 江川で打たれたらなんで西本出さなかったの
って言われるのがオチだわな
できれば角で乗り切って西本は第7戦に集中させたかったが 角の状態が良ければ、巨人が勝ってたんだろうな。藤田監督の自滅采配とか、江川の独り相撲とか、なんか巨人はついてなかったな。 >>632
つうことは、最初から辞めるつもりで、根本に無茶突きつけたわけか。 >>641
第1戦なり、第4戦なりで、角を試運転させとくべきだったな。
第7戦の8回でやっと初登板、しかも数ヶ月ぶりの登板って、、
あと、第6戦では江川と西本聖が投げてる横で、新浦が暇そうな顔していた。 >>643
そんなに角の具合が良くなかったのか、なぜあんなに出し渋ったんだろうね。新浦はその頃落ち目だったんだっけ? 89年も対近鉄最終戦、最終回宮本が打たれ始めて、斎藤雅樹をリリーフで使おうとしてたな。もし、斎藤雅樹が登板してたら一体どうなっててんだろう...。 >>645
へーそうなんだ
藤井寺はブルペンが見えないから知らなかったわ
藤田らしい非情さだね
打たれてたって言っても第三者として見てるファン側からしたら
逆転される雰囲気なんて微塵も感じなかったけど >>646
8-5になった時点で斎藤雅樹がベンチ前で投げ始めたんだよね。まあ最後のバッター村上がアッサリ打ち取られて、斎藤雅樹胴上げ投手は実現しなかったけどね。さすがにそこから逆転ってことは無かったとは思うけど、かなりヒヤヒヤした展開になったかもね。 ピンチになって斎藤出してたらやばかったかもな
心の準備の時間少なくて 藤田監督はピンチの場面では楽観視する監督だったので。まだ余裕があったから最後は続投させたんでしょ。
ああいう場面では余り動かない監督だね。 >>642
川上さんのようにはいかないですよ根本さんは。
川上さんはある程度我慢してましたが根本さんは怖い人だからすぐに怒っちゃったんですね。
そこは広岡さんの甘えかなとは感じます。 80年後期の天王山の近鉄戦。1対4で負けて西武初優勝の夢が潰えたのは悔しかった。 >>644
角はシリーズ直前のシート打撃で、滅多打ち喰らってた。「こりゃあかんわ」て首脳陣が判断したのかもね。
第7戦の最後の1イニングで左腕投手が初登板、てのもレアな記録だろうな。 点差あったから楽勝だったしちょっと宮本が遊んでたんだよ いつだったかの『ナンバー』で、第6戦が終わった時点で「東尾を筆頭に西武投手陣が持ち味を存分に発揮しているのに対し、エース江川がこけた巨人投手陣は、壊滅状態に陥った」みたいなことが描いてあった。
東尾や森繁が肝心の場面で打たれまくっとったやないかと… 乱数表を巨人に読まれていたからね。乱数表を変えたら打たれなくなった。 直前に乱数表をかえたのにクルーズにサヨナラホームラン打たれた森繁。。
この直前、広岡がマウンドに行ったのに続いて、永射が新しい乱数表を持ってマウンドに向かうという失態を犯している。
「二度ラインを跨いだから投手交代だ」と藤田が抗議したが、最後は折れて、森繁は続投した。 この年の巨人の序盤は凄まじい勝率で余裕できたので後半は王に采配をさせた。そしたら危なく優勝逃すところまでいったって言うね。 >>660
6月上旬に2位広島に9ゲーム差だったのが、オールスター前に首位陥落。
ついに藤田もメッキが剥がれたなと思ったが、迷将・王に采配させてたとはねw >>659
後楽園の魔物にやられた感も。あの雰囲気に飲まれてしまった。
森繁が打たれた第三戦の中畑のサヨナラヒットも決して甘い球で放ったですからね。巨人打線を
完全に乗せてしまいました。
西武に戻って東尾の快投ピッチングが冴えたのが象徴しています。 >>663
第7戦の東尾も綱渡りだったぜ…
7回表で西本聖にヒット打たれ、その後の二死二三塁で、篠塚にあわや二塁打の際どい当たり打たれてた。
その次の原がヘタレなおかげで助かったし、西本聖を疲れさせたのは結果的に吉と出たけど。
9回表の二死二塁も、篠塚が不用意に初球引っ掛けたから助かったようなもんだ。 昭和57年の日本シリーズでは、東尾はマウンド上でも笑顔を見せて、余裕のある表情だったが、
昭和58年の日本シリーズでは、さすがに緊張した表情だった。
それだけ巨人が手強かったのだろう。
当時の巨人はまだ球界の盟主としての権威があったし、実際に強いチームだった。 >>666
あれは西本を疲れさすためにわざと打たせた、と何かの本にあった 第6戦の5回裏の西武の攻撃時の、巨人の守備が不思議だった。
先頭の山崎が四球、次の伊東が一塁前にバント小飛球(記録上も一フライ)。
中畑が落とし、二塁で山崎を封殺したが、何故か巨人の内野陣はゲッツー取るそぶりを見せず、伊東が一塁に生きた。
伊東はバント直後バッターボックスで突っ立ったままだったので、一塁に投げてれば100%確実にゲッツーが取れた。
故意落球にも見えたが、それならば伊東がアウトになるはずだから、故意落球の適用はなかった。
結果、その後伊東が二塁に盗塁し、石毛の同点三塁打につながった。 二塁手の篠塚はちゃんと一塁で待ち構えていたよ。
二塁で山崎がフォースアウトになってるんだから、記録上も一ゴロじゃないと本来はおかしいのよね。 森が監督になってから東尾は日本シリーズでは先発で起用したのは、広岡と喧嘩別れしたから、
広岡と同じ起用法をしたくなかったのかな? 広岡の時は先発3枚で早めに継投してペナントレースとは別の戦い方
森の時は先発4枚で長く投げさせてペナントレースと同じ戦い方
さすがに森の時に先発4枚の中には入るだろう
が、もう4番手の実力すらないと見切られた88年はまた後ろで使われている 第7戦、巨人2-0でリードした7回表
二死満塁で打者原に2-2から投げた顔付近のシュート
もしぶつけてたら巨人勝ってたんだろうな
なんで原は命かけてぶつかりに行かなかったのか
理解できない >>675
原がここ一番の勝負所で内角シュートに動じない選手なら東尾は別の攻め方をしていた
そういうところまで西武は洞察していた 原がお嬢様野球云々はさておき、
満塁の時って当たって押し出し狙い満々の奴にはなかなかインコースに球が来ないし
当たる事を考えてない奴は体の近くに来たらとっさに避けてしまうんだよな… 顔は無理だろw
生き物として反射的に避ける
背中で受けるのとはわけが違うわ マニエルもトラウマでメット改造…
達川でも怯みそうだな、
顔面コースは難しいが払うようなポーズで左手の平で当たりに行くか? 東尾の攻め方は今にして始まった訳ではない
ブラッシュでのけぞらせて外角に落ちるスライダーで料理する組み立てはケンカ投法の基本
わかっていながら引っ掛かったのなら原は未熟、
想定していなかったのなら巨人のスコアラーは節穴ということになる 東尾の投球術は、弱いライオンズにおいて、生き抜くために編み出したもので、
日本シリーズに出場するような強いチームのエースの投げ方ではなかった。
だから、巨人の打者はこんな投手に当たったことはなかったのではないか?
これまで当たったパリーグのエースとはかなり違っていたと思う。 広岡さんはなんで85年に背番号91に変えたのでしょうか? 広岡がシリーズでやった先発中3日回しで早く降ろして東尾松沼弟をロングリリーフで出す継投は、
ハムの栗山監督がやってるようなオープナー戦術の走りだね >>668
92年シリーズの7戦目の9回裏も岡林にヒットを打たせていたな。その後の結果は御存知の通り。 西武の先発は、松沼兄、高橋直樹、杉本で、変則投法か左投げ。
序盤は巨人打線の目が慣れていないので、抑えやすく、目が慣れてきたころに本格派の
投手をつぎ込んで勝ちに行くという作戦だった。
短期決戦では効果的だと広岡は考えていたのだろう。 >>675
もし顔面直撃してたら、巨人日本一の代償に原の選手生命が終わってたな。 江川も西本もリリーフ登板だと気が乗らない感じに見えた。 藤田は選手の時から日シリは苦手。
自身も58年対西鉄戦9回裏2アウト、あと一人の場面でヒットを打たれ同点。3連勝4連敗の原因になった。
投手の育成は得意だが、先発完投主義だったので、継投は得意でない。
温和なイメージとは違い、瞬間湯沸かし器と呼ばれるくらい短気だった。
今の常識では、三振のとれる江川投入が正解だろうが、当時の定石は日シリ実績の西本を投入し負けてしまった。全ては結果論だし、実際、広岡は負けを覚悟していた。 >>691
第6戦の翌日(日曜)の読売新聞には
江川で行くべきだったと書かれてあった。
いつもなら前向きに論評する読売記者もこの時ばかりは
巨人一気に窮地 完全不利な状況な上に余力なし
などとかなりのネガティブになっていた。 広岡達朗のコメント
「ガッツで働いた西本を胴上げ投手にしたかったのだろう。藤田は人情家だからな」
藤田監督のコメント
「最大のミスは、私が胴上げの瞬間を頭の片隅に描き、準備のためにジャンパーを脱いだことだろう。
心の隙、油断が敗戦につながったのだ……」
https://president.jp/articles/-/13040
来年監督になる王さんの勘の悪さのせいにせず、自分で全て罪をかぶった藤田を偉いと思う。 西本は7戦の先発決まってたから 6戦の最後は江川と思ってたんじゃないか 何を書いても結果論
あの場面、西武の一番通用していた西本を使うのは間違ってない
むしろ通用してなかった江川を使って負けたほうが
ファンは納得しなかっただろうし 第6戦は広岡もミスってるよ。
9回裏2アウト1,2塁打者中畑の場面で先発の杉本を続投させて案の定逆転タイムリーを打たれた。
あそこは東尾に替えなきゃいけない。
でも結果論だがこの試合東尾は登板しなかったから、翌日の第7戦でリリーフで最後の3イニングを0点に抑えられたのかもしれない。 夕方のラジオ番組に出演した関根潤三・大洋監督は
「なぜ藤田監督はとち狂って西本を出したんでしょうか?」と批判。
中止となった晩に放送したサンデースポーツ9に出演の青田昇も
「アウト3つ取ればいいんだから、あの場面西本を出すのは当然。でもね、
西本はリリーフに慣れてないから、他の投手を選択する余地があったと思う。
監督も解ってるはずなんだろうけど、焦っちゃったかな・・・」
更に青田は「明日は点を取れる時に何点でも取っておいたほうがいい。
そうすれば絶対に勝てる。もし点取れるチャンス逃したら負ける」と
翌日の戦いを見越した発言までしてた。 このシリーズ西武は継投結構ミスってて、第3戦、5戦の森繫
投入失敗は致命的だったにもかかわらずシリーズは制した。
中畑は思い込みが激しく、森繫は駒大の後輩なのでなめてた。
(森繫は多分何も考えてなかったと思う。別に先輩にひるむタイプでもないし)
また、第6戦は西本は9回裏同点に追いつかれたが、引き続きの一死満塁を
抑えたので、ここで勝ちきれない西武に完全に流れが言ったとはいえない。
江川vs金森の際の前進守備は定石通り。すべては結果論です。
第7戦でこのシリーズで安定していなかった東尾を打ちきれず敗退。
このシリーズは相手の投手をお互いが攻略しあっていたので、バッターをほめたほうが
良いと思う。 第6戦の西武は9回と10回に代打の片平、鈴木、金森の3人ともヒットを打ったのが神がかっている。
公式戦でも代打起用した3人が3人ともヒットを打つなんて事は珍しい。 6戦終った時の広岡
「もうどっちが勝ったっていいじゃないか」 西本は完封勝ちした第二試合でシュートを投げ過ぎていた。
西武の打者は西本のシュートをまるで打てなかったが、「こんなにシュートを多投して
大丈夫か?」と思ってみていた。
第六試合ですでに二試合完投している西本をリリーフに送ってきたとき、「大丈夫か?」
という予感はあった。
自分は加藤初を続投させるものだと思って見ていた。 首脳陣も西本を呼んで「もしこうなったら行けるか」
くらいのことを事前に聞いておくべきだった 角は信頼感がイマイチな抑えなの?
角なら左の代打の片平や鈴木は出てこなかったわけで。 後半、肩か肘が調子よくなくて不安定だった。
結果的には7戦抑えたけど、出してみないと分からない容態だった >>704
西武は主力が右打者ばかりで左打者がイマイチだから角の出番がない >>706
9回の裏は左の代打の片平と鈴木にヒットを打たれてピンチになって追いつかれたんだろ。
角なら片平や鈴木は代打で出てこないよ。 >>686
85年の中軸ではなく中軸前後に大砲を置く打順は今のメジャーに通じるものがある。
何から何まで先進的でしたね。 シリーズ前の西武の練習がオーバーワークになっていたので。
案の定苦戦する破目に。 >>707
あの当時の西武はサウスポーに異常に強かったんよ
近鉄の鈴木啓示ですら西武戦では滅多打ちされる事が多かった
なので主力投手が右ばっかだった阪急や南海が西武に善戦できた あの時に見せた広岡さんの諦め顔。
あれは本当に諦めていたんだろうというのが大方の見方だが。
僕はあれ戦略的にやってたと思う。わざとああやって最後の望みに掛けてた感じだった。 もし今のようにパリーグ主催でDH制を採用していたら
誰がDHに起用されたのかが気になる >>714
西武がDHを誰にするのか気になるのなら、君はアホだ。 >>716
巨人のこと
日本シリーズのセのチームは日本シリーズで意外な指名打者を使うことが多いから DHがあれば巨人は
1 松本
2 篠塚
3 原
4 スミス(DH)
5 吉村
6 中畑
7 淡口(クルーズ)
8 山倉
9 河埜
俺が監督なら右投手先発時は松本の代わりに駒田を1番に起用したい
松本は杉本が先発時のみスタメン 吉村や駒田をこの年の日本シリーズのスタメンで起用するなんていう発想は、その後の彼らの成長や活躍を見ているからだろ。
この年のシリーズ戦前、戦中、戦後に吉村や駒田をスタメンで起用すれば良かったなどと考える人なんていないよ。 ただDHを熟知してないからDH平田駒田吉村もあり得たのでは
87年の話だけど山崎章弘がスタメンDHで出ていた ごめん、話の流れを理解してなかった。
上のコメントは取り消しで このシリーズを見返すと広岡氏のモチベーションが半端ないのが感じ取れる。
85年とはえらい違い。
まぁチーム構成も変わっているので一概には言えないが。
考えうる現時点の最強の布陣で最高のコンディションで盟主争いに臨む
条件はすべてそろった。
という感じで臨んでいたのだろう。
85年は生まれ変わったチーム。
スタメン大半が若手。それに合わせた布陣で相手は最高の応援とブームに
乗っている阪神。
モチベーション取りにくかったのかも このシリーズを見返すと広岡氏のモチベーションが半端ないのが感じ取れる。
85年とはえらい違い。
まぁチーム構成も変わっているので一概には言えないが。
考えうる現時点の最強の布陣で最高のコンディションで盟主争いに臨む
条件はすべてそろった。
という感じで臨んでいたのだろう。
85年は生まれ変わったチーム。
スタメン大半が若手。それに合わせた布陣で相手は最高の応援とブームに
乗っている阪神。
モチベーション取りにくかったのかも まあ単純に 藤田 牧野を川上と重ねてた節もw
川上巨人とやりたかったと言うてるね 第二戦のテレビ中継の解説が落合だったが。
CMに切り替わる寸前で「振りすぎだよありゃ〜」と落合のもらす声がマイクに乗ってしまった。
西本のピッチングや西武打線について色々と解説していた落合だったけど結局の本音は
西武打線がボールをよく見ていないという事だったようだ。それは本放送では言ってなかった。 85年はもう辞める事が決まっていたので意気消沈していた。
あんなにやる気のない広岡さんというのもちょっと寂しくも思った。 巨人に勝って日本一になった時の広岡さんの一言が実にそっけなかった。
「これで西武も全国区の足掛かりを掴んだね」
この一言だけだった。こういう所がいかにも広岡さんらしいというか。 王が、翌年から監督に昇格するけど、もしも一年だけでも、ネット裏生活をやっていたら、あの解任劇は起きていたのだろうか。 藤田監督だったら、タイガースフィーバーを食い止めることできたろうか >>731
鬼平、ガンジーのどちらでも止められただろうね 広岡監督
この時の意識の高さを持っての85年のシリーズ戦いを見てみたかった。 自分の存在意義を掛けての戦いとかそうそうできるものでもないしな
阪神が相手の時点で無理でしょ
少なからず次の進路というか野望も視野に入ってたわけだし 阪神じゃモチベーションが上がらない。。。と。
確かに次年度に向けての戦力テストみたいに見えるシーンもありましたね。
(そうやって見ると、という意味ですが)
でも先発ピッチャーがあと一人
主力がケガしてないという(阪神とほぼ同じコンディション)状態なら。。。
もっと面白いシリーズが見れたと思うのですが。 >>735
郭の故障は仕方ないにしろ普通工藤や東尾を先発で回すでしょ
それなのに小野や高橋直樹を先発に起用するとか舐めてるよ 結局広岡時代の西武はシリーズで完投投手を一人も出さなかった通り
シリーズの戦い方は継投策という固定観念に最後は縛られていたね
82,83あたりは余ってる投手をこれでもかと物量作戦で投入できたが
(さらに82年は小林とかいうポストシーズン男まで出てきた)
85はそこまで物量があったか 森みたいにオーソドックスに
初戦東尾 二戦工藤ならね 広岡監督は日本シリーズでは松沼兄(アンダースロー)、高橋直樹(サイドスロー)、杉本(左)
という相手打線が短期では捕まえにくい先発投手で回す考え方だった。
エースの東尾は、最重要場面で投入し、「確実に勝つ」使い方だった。
昭和60年は、杉本がいなくなっており、代わりにきた打者の田尾が不調だったのが、二重に痛かった。
先発が1枚足りない状態になっていた。 ヤクザオト松泰源故障で前も後ろも足りなかったからな 広岡西武がCSでソフトバンクを迎え撃ったら、松沼兄、高橋、杉本を先発に立て、東尾をリリーフ起用して
負けそう 85年機能しなかったのは森ヘッドがいなかったから。 ヤクルトの78年は
もっと投手いなくても森ヘッドがいたから勝てた 本人にやる気が無かったからね
シリーズ前にこれから戦う相手チームの監督の吉田にシリーズが終われば辞めると報告するぐらいだから
森だって西武の監督をクビになると決まったシリーズでは長嶋巨人に負けたし 小学校5年生で今でも覚えている。王が現役引退直後、トロイカ体制で1番強かった、輝いていた時代だった。初戦江川が火だるまKOを喰らい、投手コーチだった堀内から罵られ、意地の197球投げ込みが、第4戦先発直後の肉離れを誘発したね。
あと、河埜2度の死球と左殺し平田の不調、角が故障上がりで投入出来なかった事も痛かった。
特に第6戦の9回裏、角を投入出来ず、西本を出さざるを得なかった事が、本当に痛かった。テリーのセンターフライで、藤田監督だけでなく、牧野ヘッドまでもが油断したところを、西武ベンチの森ヘッドに見抜かれていたね。
第7戦7回表は、東尾の術中にはまってしまった。篠塚の際どいファールが、あと少しラインの右に落ちていたら。
篠塚四球後の原に対する東尾のお約束暴投内角攻め、続く球はド真ん中だったが、腰の引けた原が空振り。
7回裏の西本は明らかにガス欠状態で、大田のピッチャーゴロをフィールディングが上手い西本が弾いてゲッツー取れずノーアウト満塁。
テリーに左中間を破る2塁打を打たれ逆転を許すが、残りを西本がゼロに抑えた事が凄かった。
8回裏に角が登板したけど、遅かったね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています