昔は日本の東海道本線も終夜運転だったな。
40年前のダイヤは沼津か静岡まで15両があったから、下り終電熱海着が2:05だったんだね。乗客どれだけ乗っているのか気になる。


1970年は通勤電車に冷房車が入りテレビも民放に関してはカラー化率がほぼ100%になってた
地方も最低2局は民放テレビが映るようになりまた北陸本線では快速電車が既に走っていた
ただこの頃は公害のピークであり翌年から四大公害裁判が相次いで提訴されるようになった


日本列島が大阪万博に沸いた1970年(新幹線が開業して6年目)に、東京→新大阪はいくらだったのか。
 ・ 東京都区内から大阪市内までの運賃 → 2,230円。
 ・ 東京から新大阪までの特急券(超特急ひかり号を利用)→ 1,900円で、合計4,130円。
 ・ 東京から新大阪までの特急券(特急こだま号を利用) → 1,500円で、合計3,730円。
 ・ 東京から大阪までの急行券(桜島・高千穂号を利用) →  300円で、合計2,530円。
ちなみに1970年の大卒初任給は37,400円(これは公式発表の数字)。
仮に現在2009年を200,000円とすれば、ほぼ妥当な数字だろうから、その比率は5.35倍となる。

さて、ここで計算(×5.35)をしてみよう。
 ・ 当時ひかり号利用だと現在の金額に直して → 22,095円。
 ・ 当時こだま号利用だと現在の金額に直して → 19,955円。
 ・ 当時、急行利用でも現在の金額に直すと  → 13,535円。

新大阪〜東京は新大阪〜博多より距離が短いのに実勢価格が高い

客数も多いし東海は確かに儲けすぎだな
まあ、人それぞれ感じ方や意見が違って当然だろうけど、こういう一面も参考に見るとよい。
尚、手元に1970年の時刻表があり、現実その時代に新幹線を利用していたのでちょっと触れてみた。