「遅球の効果」

現役かどうかを問わず、「緩い球を投げるのには勇気が要る」といった類の話をする投手は多い。大きい変化球を投げる事は制球の難しさや、打者に
ヤマを張られた時の恐さが付きまとうが、打者にとってはタイミングが取りづらく大きな武器になるのも事実だ。名投手であり名コーチである権藤博も
冒頭の話をした一人だが、89年に権藤の目の前で“遅球の効果”を見せたのが日本シリーズでの巨人・香田勲男だった。
巨人3連敗4連勝の大逆転シリーズの流れは第3戦終了後の「加藤発言」で変わったと言われたが、藤田元司と仰木彬の両軍監督は発言が直接の
ポイントだとは思っていなかった。香田は第4戦に2種類のカーブと速球で被安打3、与四球5、三塁を踏ませぬ143球の力投で史上7人目のシリーズ
初登板初完封勝利を挙げて近鉄に一矢を報いた。時速100q前後のスローカーブが特に有効で、140qの直球を速く見せる緩急で抑え込んだ。

さらに、このシリーズでの香田は外角直球の制球も良かった。香田の功績は2勝して崖っぷちのチームを助けただけでなく、次戦以降に好影響を
与えた事だった。前回敗戦投手の斎藤雅樹、桑田真澄は香田の緩急を参考にカーブやチェンジアップを多用して、それぞれ勝利投手になって
奇跡への足掛かりを作った。
巨人は当初から先発を斎藤、桑田、宮本和知、香田のローテーションで回すと決めていた。香田はチームで5番目の勝利数だったが、槙原寛己と
ビル・ガリクソンの離脱した後半戦で働き7勝を挙げていた。ところが第1戦からの3連敗で追い詰められると、藤田は第4戦の先発を斎藤に変更
しようとした。20勝エースを二度使わずして敗れたら悔いが残るとの判断からだったが、中村稔投手コーチが大きいカーブの有効性を理由に
反対した。藤田は進言を聞き入れて予定を通し、そして勝った。

第4戦の先発については、近鉄でも監督が投手コーチの意見を受け入れていたが、近鉄の場合は阿波野秀幸から小野和義への“予定変更”だった。
藤田は「一年間一緒に戦ってきたコーチの目は誰よりも確かだった」と中村の意見を取り入れた喜びを語った。敵軍が遅球の効果といった“相性”
よりも“褒美”の色合いが濃いコーチの意見受け入れを見るに、監督とコーチの関係性を深く考えさせられる日本シリーズだった。 (了)