広岡達朗/廣岡達朗 その8 [無断転載禁止]©2ch.net
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選手時代はわがまま、お嬢さん野球。
監督就任後は一転管理野球でヤクルト・西武を初優勝に導く名将ぶり。
日本球界初のGMとしてはボビー・バレンタインを招聘&解任し、
有る意味2005年マリーンズ日本一の陰の功労者とも。
そして、解説者としての正論・毒舌ぶり。 とても魅力的な広岡さんについて語りましょう。
過去ログとかリンク集は>>2-10の辺りに。
■前スレ
広岡達朗/廣岡達朗 その7
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1380019217/ >>643
広岡は東尾を相当買ってるんだよ。
なんかの番組で日本シリーズ終盤に東尾が1塁にランナー出してピンチになって
ベンチから駆け寄った時に、広岡に「大丈夫です。1塁ランナーは牽制で刺します」と。
1塁に牽制1球目緩く投げて2球目ビシャーと明らかなボークですよ。
しかし1球目が効いてるから審判がボーク取らない。
こういうの駆け引きが出来る味方で良かったとつくづく思いましたこういうのを
プロフェッショナルというんですよ」
とその時の様子を嬉しそうに広岡が語ってた 広岡はツンデレの典型だね
広岡と反目した選手も指導者になって広岡の良さを理解するし 東尾は一塁への牽制球がうまかった。
オールスターで、9回裏、二死満塁、打者はセリーグ四番の掛布、しかも甲子園球場
という最大の見せ場で、掛布に一球も投げず、一塁への牽制で高木豊をタッチアウト、
ゲームセットにしたことがあった。
スタンドの大勢の阪神ファンはがっかり、東尾はマウンドで大笑い、という場面を
鮮烈に覚えている。 未だにプロ野球史上最高の遊撃手は吉田か広岡と思っている人がいるのかな。2人とも守備はいいけど打撃がイマイチだな。
最高の遊撃手は西武時代の松井稼頭央か巨人の坂本勇人だろ?
坂本は順調にいけば2000本安打は間違いない。 東尾は投手として投げてる球威以外は全て一流なのよ。
牽制、フィールディング、打者とのかけひき、間合い、
それからノムが言う麻雀で培った博才に長けてたから投げてる球以外は天才だと言ってた
感覚的にこ場面で勝負したらヤバイな〜向こうのペースだな〜みたいな時に
ことごとくタイムかけたりして向こうに流れた空気を変える器量があったと。 >>654
ノーコンの若手時代にボコボコに打たれたり
太平洋・クラウン時代に酷使や弱いバックに悩まされながら20勝した経験も生きてるだろな。
当然、広岡もその当時から東尾を見ていた訳で
口では悪く言うけど内心は…だったんだろ >>656
広岡達朗は、まだ伸びしろのあるベテランには厳しい言葉を浴びせるんだよ
ヤクルト時代もエース松岡には、東尾同様ことのほか厳しかったからね >>654
>感覚的にこの場面で勝負したらヤバイな〜向こうのペースだな〜みたいな時に
そう。こういう時に相手チームに流れかけた空気を1球で変えられる魔球を東尾は持ってた。
それがビーンボール。危険球。
賛否あると思うがそういうのも踏まえて大人の投手だったね。 ちょっと前にラジオで稲尾の特集やってて、そこに稲尾の娘さんが出てきたんだけど
監督時代かな?父に会いに球場に行ったら、プロ野球選手って父の影響か、
ゴツゴツした泥臭いイメージだったんだけど
当時は華奢な東尾がいてしかも物凄くハンサムでドキドキしたって言ってたな 東尾は最後の年の中日との日本シリーズ第1戦でピンチにリリーフに出て
監督の森に“先頭の彦野だけ抑えてくれ”と言われて信用なくなったと思って
引退決意したらしい。(結局は最後まで投げ切ってセーブ)、
最終戦でも東尾が投げていて左打者のところでワンポイント左腕を出され
その夜のNHKの日本シリーズハイライトが数年前youtubeに上がっていんだが
解説が広岡で、東尾交代させてワンポイントリリーフ出した森監督の采配に
相変わらずチクチクチクチク言っていたわ。 回顧録による「公式見解」ではそうなってるね
一方新生福岡ダイエーに里帰りする道も模索していたが、
堤オーナーが「東尾選手にふさわしい選手じゃないとトレードは認めませんよ」
(ふさわしい選手がダイエーにいないことをわかってる上で)
とまず外堀を埋めたうえで、テレビ朝日の解説者の席を用意。
強制的に詰め腹切らされた、という話もある。 それにしても王の後任として広岡が巨人監督になっていたらどうなっていたか?というのは気になるところ
とりあえず原の外野コンバートはなしでサードとしてもう一度徹底的に鍛え直す、
守備面を重視しクロマティ放出→代わりに守備走塁に長けた選手と一塁を守れる外国人大砲を獲得、
この2つは確実にあったはず
あとは同じショートとして川相をどのように育てて行ったか?という点も >>663
確かに原はサードでもう1度でしょう。
原入団時の球団OB会でセカンドコンバート案に大反対
「原をセカンドにするならドラフトでなぜ石毛に行かなかった」と。
レフトかライトのクロマテイをセンターに進言したのは広岡では?
西武監督時代に同じようなタイプのテリーがセンター守ってたし。
守備コーチだった土井に進言したのでは?
試合中に集中力途切れるクロマテイを投手の真後ろのセンターに配置させて
「自軍の投手で調子がおかしくなったり異変に気が付いたらすぐに教えてくれ」
みたいな感じで常に試合に集中させたとか。
ショートは岡崎、鴻野、勝呂の争いから後の元木、二岡まで
あのまんま川相でしょう。それぐらい広岡好みのショートが川相
(広岡はショート二岡を元木以下と見ている) 広岡氏は西武の監督就任が決まった直後、ダブルプレイも確実に取れない当時の西武の内野守備を見て
「これはいかん、今から取り組まないと間に合わない」と、監督としての本来の契約日前から
同チームを熱心に指導していたと本で読んだことある。
ルール上こんなことできるのかと疑問に思ったけど作り話かな 新監督が秋季キャンプから契約とかと関係なく指導するのは当時はよくあった。
星野仙一も61年の浜松秋季キャンプに参加して「お前ら、覚悟しとけ」が所信表明だった。
広岡氏はこの所信表明で
田淵を「守れない走れないただ打つだけの人が一番の給料をもらってる」だの
東尾を「10勝しても同じくらい負けて、肝心なところで平気で打たれる」だの
ボロクソにこきおろしたわけだな
ポストシーズンの概念もいい加減でこの年の西武は12月の末まで「自主練習」を
西武第二球場で行っていた。 選手にも報酬支払いの根拠がない「自主練習」だった以上
指導する側も根拠のない「自主指導」なわけで、まあ本人の本以外にもいろいろ残ってるから
まあ事実じゃないの 86年以後も広岡が西武監督をやっていたら
・弛みや甘さが見られたら清原でも容赦なく二軍に落とす
・秋山は大型三塁手として使い続ける
・永射や金森は放出しない
・守備や確実性でデストラーデらをこき下ろす >>669
> ・守備や確実性でデストラーデらをこき下ろす
コキ下ろすかも知れないけれど、おそらく大事な戦力として大切に使うだろうな。
だって広岡は、自身があまり打てなかったホームラン、それを簡単に打つ人がホントーに大好きだったからネ。 大久保の打つ能力を凄い買っていたみたいだから、起用した可能性もある。
東尾もだらけず逮捕されなかったかも。 広岡はホームラン打てる遊撃手。昭和32年には規定打席不足で18本。ホームラン王が22本だからね。
そのかわり三振が多い。数字だけ見ると長打はあるが粗い打者。 >>672
その記録はよく知らないけど
広岡さんの手記だとゲーム前のバッティング練習を
まともにさせてもらえなかったのにホームランを打てたのかと モウリーニョとダブる。見映えが良い、毒舌、長期政権築けないところが。 >>673
負傷して入院中にゴルフの技術書を読んでたらふと思い付くものがあって
その年はゴルフスイングをイメージしてやってたらホームランが出たらしいよ。
まあ開眼とまではいかなかったんだろうね、以後の打席成績を見る限り。
移動→球場入り→練習→試合みたいな旅芸人みたいな試合形態で
打撃練習はせいぜい30分、とかいうのがよくあったみたいだね。
その30分のうち半分は打撃の神様が占めて、広岡クラスでもいまでいう廻し打ち
程度しかできなかった。 V9時代はどうやってホームランを打つかって話題が野手の中であったらしいけど
その割に末期は貧打なんだよなw >>669
工藤、ナベQは隔年エースと呼ばれなかっただろうし、
永射、片平、金森、広橋、立花の放出はなかったし、小田を先発としても使ってただろうね
秋山は広岡監督のときにセンターを守ったことはあったし、
日本シリーズで石毛の脚の故障もあったから三塁固定はなかったかな
清原は前述のとおり二軍落ちでも徹底して教育されてただろう でも清原のメンタルだと二軍に落とされたら
そのまま大成せず終わりそうな気もする 上田も逝ってしまったか
広岡も森繁扱いされたかつての川上みたいな立場になってきたな 根本陸夫監督時代に広岡コーチでデビューしたのだが同じくコーチデビューした関根潤三の話はよく出るが
コーチとして招聘した根本陸夫や入れ替わりになった上田さんのことはどう思ってたんだろう? この人野球選手の中では比較的若々しくて長生きだけど、
やっぱり食事管理とかの影響あるのかな >>682
痛風で休養。それが全てでは無いが、選手との溝が深まり、修復不能になった。どっちらけムードで、阪神との日本シリーズに敗れ、退陣となった。 二日酔いでホームラン打つのが偉いといわれていた時代に
現代アスリート理論を持ち込んだのは凄いと思う ちょっと不謹慎ではあるがそう遠くないうちにあるかも知れない広岡さんの葬儀に出席する、しない球界関係者の顔触れが今から気になる
なんだかんだで敵も多いけど影響力のある人だし教え子も相当いるし 今となっては広岡への感謝を口にする西武選手もいるが、
広岡が放逐された直後のチームの空気はどんなもんだったんだろ ちょうど辞任発表の日に選手一同はリハビリのためバスで長野に向かっていて、
途中休憩中マネージャーが連絡のため球団事務所に連絡を取って、辞任の報は
チームほぼ全員で知った。
そのまさに辞任した直後の空気を東尾が著書で語っている。
『「広岡監督が監督が辞任したそうです」−
バスの中はわっと沸いた。異様などよめきだった。中にはバンザイしかねないような
体を動かす男もいた』
まあわっと沸いたとかバンザイしかねないとか適当に濁してるけど、
後になっては、やめたのを聞いてみんなで万歳したってもっと直接的な表現で言ったるね。 1.やり方は認めるが人間性が派:東尾以下根本時代に多少の実績あるもの
2.無条件信奉派:田淵
3.無条件服従派:伊東秋山以下広岡以降で出始めたもの
いま感謝の言葉を口にしてる現場の人ってほぼ3.なわけで
当時の主力だった1.の人とはまた別の感慨を持っていたと思う >>690
森が監督になって東尾大田石毛らをホテルの自室に呼んで
「なんでもいいから思うことをざっくばらんに言ってくれ」みたいな
ことを言われて、ヘッド時代と違って森さんなりに気をつかってるな、と
その時はまだヘッド時代との言行不一致に慣れなかったけど、
結局チームが一体となったのは広岡がキャンプを視察して
「誰が監督をやっても優勝するチームですよ」と言われたのが一番大きかったそうだ。
結局やめてもこのチームをまとめるのは反広岡の一体感なんだなw 広岡は基本的に鉄拳制裁をやらなかったけど
これは当時では斬新だったろうな。
その代わり精神面を痛めつけるんだけどなw >>691
2無条件信奉派には潤三や工藤公康も含まれるんじゃないかな? >>694
関根潤三辺りは、広岡より厳しかったって話だしね。 >>694
関根の方が先輩なのに信奉はねえだろ
言葉の使い方がおかしい 別にコーチってそれでいいと思うんだけどね。
もちろん選手から慕われるコーチを否定してる訳じゃないけど
仲良しクラブじゃないんだから、まわりがとやかく言う筋合いはない 広岡は20年先をいってたな。
まあ時代の先を行き過ぎると反発をくらうのも世の常。 今の時代に広岡みたいのがいたら、選手にあんなことを強要して自分は痛風の治療受けてるのとかを
SNSで拡散されて炎上しそう。 >>702
広岡なら選手のネット利用を禁止するかも 広岡もやりそうだけどそれよりも西武が堤の方針で規制する気がする>SNS禁止
選手のCM出演禁止とか他球団にはない独自のものが当時はあったし 広岡は斎藤ハンカチの大学時代の髪の毛が長過ぎるとスポーツ番組で非難してたよ
六大学の主力選手だったりや成績伴えば関係ないでしょ 当時、ネットがあったら、広岡は自分の野球理論をブログで主張したのではないか?
当時の広岡の野球理論は斬新で、ファンの間でも、支持派と反対派に分かれて
激しい論争になったことだろう。 >>701
信長タイプだよね。
本人は自信と確信があってどんどん進んでいくんだけど周りが付いていけなくなる。
そしてそんな信長タイプの広岡が失脚した後天下を取ったのが家康タイプの森。
ただ時代が違うから、信長は殺されたけど広岡は超長生きで発言を続けている。 >>706
それこそ野村や落合のような強烈な個性と理論を持ったキャラで2ch的にも受けていたのは間違いないね
それこそ信者とアンチがヒロシン、ヒロアンと呼ばれたりしていたはず >>695
安田は本人のガンの方が不安だがな。
まあ、なんやかやで重用されていたから、
行くでしょ。
アニメの世界を真に受けちゃいかん。 滅多に選手を誉めない広岡が
現役時代の安田をプロの鑑と賞賛していた 安田は大学の後輩だね
この前昭和42年の週刊ベースボールを読んでいて、この年は広岡が巨人辞めた
翌年で、コラムを書いていたんだけど、その中で理髪店で広岡が散髪してもらった
話が出てきて店名が松本伸理容室って書いてあったんだけど、調べたらまだこの店
あるみたいだな。 >>711
早稲田ある理髪店ですね
30年位前に広岡関連でTVに出ていました 広岡達朗と同じ誕生日のあだち充は漫画「タッチ」の主人公に達の字をつけ、
「H2」の主人公の名前を比呂(ヒロ)にし、
「クロスゲーム」のヒロインの苗字を「滝川(広岡夫人の旧姓)」にしたりしているが、
これらは単なる偶然なのだろうか。 広岡が今の時代に監督だったら、節度ある食生活や科学的トレーニングは今では
普及しているので、選手たちとそれほど意見が違わないのではないか?
むしろ、的確な投手交代・代打など、采配面で広岡監督は注目されると思う。 今は選手に対してとことん厳しく接する監督は受け入れられ辛いからなぁ
緒方が1年目それで失敗したし、楽天時代の野村も叩かれることがあった
ベンチで選手を説教するコーチや監督が、とことん嫌われる時代
たとえ采配が的確でも、人格に問題があれば非難される時代に
広岡は難しいだろう そんなことはない
今は指導が甘すぎるから、体力・筋力はアップしているに、どんどん野球のレベルが低下する
情けない 言われてみればああいう厳しい指導者&監督見なくなったねえ〜
しいて挙げれば、現在で言えば、金本、森繁ぐらいか。
あとは、栗山筆頭に選手間との距離が近い兄貴分的な指導者か?
三原さんとかどうだったんだろう?
今嫌われ役を買ってでも出来る指導者っていないね、
ってかこの枠、需要あると思うんだけど・・ 巨人監督時代も知っている関口清治さんの話だと
「そりゃあ巨人時代の三原さんはおっかなかったですよ。控えや私のようなそれ以下の選手なんか近付くとぶっ飛ばされるんじゃ無いかって位に。只、西鉄に来てからは優しくはなりましたね。」
例えば寮の門限破りを防ぐ為自ら玄関先で新聞を読んでて、門限破りの当人が
帰ってきても、居眠りもせず、じっと新聞を読んだままで、顔も観ようとしないし声も
掛けないし、別に翌日になっても特に咎める訳でも無いとか。
逆になーんにも言わない三原さんに寮住まいの選手は後ろめたさやある種の
不気味さを感じていた様。
無論、舐めて掛かって朝帰りを繰り返した豊田や河村辺りは後々手痛いしっぺ返し
を。 「嫌われ役」の野球指導者の最後は、渡辺久信監督時代の西武の黒江ヘッドコーチ
ではないか?
黒江ヘッドコーチは選手たちがこっそりビールを飲んでいないか、宿舎の冷蔵庫を
点検したり、徹底した生活指導をした。それが自分の役目であり、監督を支える
コーチの任務だと考えていた。
だが、選手から苦情が相次ぎ、渡辺監督からも「黒江さん、そういうことしなくて
いいですよ」と言われてしまい、「自分のような古株の鬼軍曹の時代は終わった」
と覚って、1年で退団したという。 広岡、もう五流週刊誌しか相手にしてくれなくなったな。
そんなとこで物書くくらいならやらない方がいいと思うんだが。
かえって蔑まれるだけだろう。いくら身から出た錆とはいえ。 ヤクルト辞めた後の日テレ、西武辞めた後のNHKのイメージが強いけど
巨人辞めた後、ラジオ関東解説切られ
生活に困って週べに連載持たせてもらい助かったと以前言っていた。
昭和48年の東スポとか読むと普通に寄稿とかしてるのな 広岡
長嶋の守備の問題点を指摘していた 渡辺久や工藤は広岡と出会ってなかったら清原みたいに凋落してたかもしれないな。
清原が1年でも広岡の下にいたら今とは違っただろう。 >>722
黒江の後の大石は酷かったな翌年4位に落ちヘッドから外され翌年解任
この人20年以上コーチやっているが育てた捕手誰一人いないし 若い頃イチローにそっくりだからイチローもこういう毒舌ジジイになりそうだな ぺピートンとホールが広岡とプレーしてた対立してたのかな? 最後の鬼監督は伊原春樹だろう。
伊原が西武監督を事実上解任されてからはそういう存在はいなくなった。
金本や辻や森繁なども昔の鬼監督群から見ればかなり優しい http://blogos.com/article/242398/forum/
コメント欄が「考え方自体がもう古い」とか「お年寄り」とかアホばかりで情けなくなるな。
むしろ広岡はプロ野球にウェートトレを本格的に導入した先駆者だというのに。
ただそれに頼り過ぎてはいけないと言ってるだけなのに。
そして現場で働いてた人はこういってる。
↓
長嶋政権支えた元巨人コーチが「シニアモデル」デビュー<その2>
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170823-OHT1T50285.html
「清原は太ももも膝も悪い状態で午前中にジムに行って“追い込む”んですよ。体を大き
くするのが目的になると、どうしてもパフォーマンスは鈍る。広岡達朗さんがロッカーに来
られて、清原に『ウェートばっかりやるな。もっとノックを受けろ。シーズン中は、野球で体
を作らなきゃダメだ。ノックで左右に振ってもらって、ももの内側の筋肉を鍛えるとか』と言
われたんですが、広岡さんの方が分かっている(笑い)」
「最終的には野球の技術で仕上げていかなくてはいけないんです。ウェートの後で、投
手だったらキャッチボールやネットピッチをやったり、野手ならマシン打撃をやってみたり
、ノックを受けてみたり。2軍にいた時はそういう教育をしていました。」 >私は次代を担う若者たちに、王貞治や長嶋茂雄や野村克也の、ワングリップあけて
>バットを構える姿を見てほしい。
気になるのはここだな。野村の名前を出しているところ
広岡が野村のことを良い例で持ち出しているのを最近見た記憶がないw
「監督論」とか「野球再生」とかでボロクソに言っていたよなw 広岡と野村の仲がこじれたのは野村がヤクルトを優勝させたから
ヤクルト史上唯一の優勝監督というアイデンティティを汚されたからな
野村の解説者時代の本を読んでみても、広岡に対して
畏敬の念を抱いているし、その頃は広岡も野村に好意的だった 広岡って川相や坂本よりも格下だろ?
歴代の名遊撃手に必ずといっていいほど名前がでるけど、理由がさっぱり分からない。
打撃はボールを怖がって打てないお嬢様野球だろ? そんな程度の餌じゃ、まったく釣れないと思いますぜ、ダンナ。 現役時代の成績の話なら川相相手には評価分かれるだろうけど、
坂本には完全に負けてるでしょ やっぱり広岡が言うように野球はコントロールだよな。
投手はボールコントロール。打者はバットコントロール。
イチローが昔メジャーのオールスターかなんかのベンチでチームメイトに松井について訊かれて
「彼はアベレージヒッターだ」と言ってたし。
上原なんかコントロールだけでメジャーでやってるようなもんだしな。
今の野球選手の方が体格は優れていても、技術が昔の選手より優れてるとはあまり思えないわ。 >>730
辻って試合終了後のコメント見ていると選手も批判も少ないし金本と森よりは
優しい感じに見えるが菊池雄星のフォームの時はかなり怒っていたが 初対面の時は暗がりだかで顔も分からなかったが
握手した時の手の豆の感触でイケると思ったとか・・・懐かし 落合博満が選ぶ歴代ベストナイン
https://www.youtube.com/watch?v=7oWpNulIn_M
「ショートは守ることを考えたらオレの中では大橋さん。広岡さんも出て来るし、吉田さんも出て来るし。
攻守のどっちを優先するのかということ。」
落合も認める守備の名手広岡。というものの、実際のところ落合は大嫌いな豊田の名前を出したくなかっただけな気もする。 >>742
>ショートは守ることを考えたら
逆にこの段階で豊田さんの名前が挙がる方が、ものすごーく、、違和感ある 落合が現役が辞めた次の年に週べで落合が連載はじめて、
ある週、なぜか現役時代の豊田の打撃の連続写真を載せて落合があれこれ
言っていて、豊田のことを「一流」と言って概ね好意的の言っているのが
印象的だった。
まあ豊田も週べでコラムやっていたから悪いこと書けなかっただけかもしれないが 豊田は「打てる遊撃手」の先駆けとして、歴史に名を遺した人だと思う。
かつては打率1割台の遊撃手もいて、遊撃手は守備だけでレギュラーになる人もいた。
広岡も若いころはそこそこ打撃もよく、長打力もあった。 広岡も落合も野村も
「打てる遊撃手」より「守れる遊撃手」を評価するよね
辛口の広岡もGM時代、自軍の選手は決して褒めないのかと思ったら小坂に対しては大絶賛だったし、
野村も宮本に対しては守備に関してベタ褒めだしね。
この3人の中では
二岡<<小坂、宮本だし、広岡は坂本にも遊撃手としてダメだし出してるし。 広岡さんの教え子、クドちゃんおめでとう。3年間で2度目の日本一、シーズン90勝を2度達成。
昨年も2位とはいえ勝率は6割を超えてたし。立派な成績ですな。 遊撃手の守備については格段に高い技術を要求する広岡さんだが、守備も走塁も
まるでなってなくて、練習もあまりしない田淵を好んでいたのが、興味深い。
広岡さんは、田淵のような長打力があり花のある選手も好きだったのだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています