広岡達朗/廣岡達朗 その8 [無断転載禁止]©2ch.net
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選手時代はわがまま、お嬢さん野球。
監督就任後は一転管理野球でヤクルト・西武を初優勝に導く名将ぶり。
日本球界初のGMとしてはボビー・バレンタインを招聘&解任し、
有る意味2005年マリーンズ日本一の陰の功労者とも。
そして、解説者としての正論・毒舌ぶり。 とても魅力的な広岡さんについて語りましょう。
過去ログとかリンク集は>>2-10の辺りに。
■前スレ
広岡達朗/廣岡達朗 その7
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1380019217/ >>594
OB会は直接選手に指導しなくてもいいから
小脳の調子が悪くて運動機能が鈍っても無問題なんでしょう 数カ月前母校の大学の投手の指導を直接してたみたいだけどなw
元フジテレビのアナで住職していた人のブログによると OB会の写真見ても杖ついてるようだし、あの年齢になると体調もその日による感じなんだろうな
亡くなる日に上田桃子指導する予定だった荒川氏も、今年四度入退院繰り返していたらしいし あ、そうなんだ。
そういや広岡さんも現役引退したあと野球のコーチやる前にゴルフのコーチ(?)してたんだっけ。 『The GAME 〜震えた日〜』
2017年1月1日(日) 21:00〜23:55
1983年 プロ野球日本シリーズ 西武ライオンズ 対 読売ジャイアンツ
http://www.bsfuji.tv/thegame_1983japan_series/pub/index.html 長嶋が広岡を歴代ベストナインに選出してたな。
ソースは深層ニュース。 ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
https://www.youtube.com/watch?v=uWLnfkOLmfk京都京野菜ぼったくり取引価格
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ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロンドンは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」
中国違法建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュースマスコミ「クチキキ」総資産7億5千万 >>600
確かトレーニングコーチだったらしい。
ゴルフ場を裸足でランニングさせたとか書いてあった。
ランニングをショートカットした奴を見抜いて「お前もう帰れ」と叱ったとか 広岡はスモールができる選手が好みと言いながら実際に重用するのは長打力のある大砲タイプの選手ばかりだった
典型的なビッグボール派だったな、上田阪急の方がよほど俊足堅守の選手が多かった 上田阪急もスモールって感じでもなかった気はするが
確かに広岡野球はヤクルトや西武にしても、緻密いうより豪快があってはいた
ただそれは、自分の駒としての役目であって
あくまでも基本に忠実な組織型野球に変わりはなかった >>609
大田片平あたりを一時期練習態度が悪いという理由で干して
その後使ったら揃って活躍し始めたのを突っ込まれて
「これは嬉しい誤算って言うんだよ」って返したのが実に広岡らしい返しだなと思ったわ ヒルトン、船田、若松、大杉、マニエル、杉浦
石毛、山崎、スティーブ、田淵、テリー、大田、片平
両チームとも凄い打線ですよ。
V9巨人以上だ。 >>612
裏を返せば、それだけ川上巨人のV9野球が素晴らしかったってことだな 9番に.303 16HRの石毛を据えた1983年の西武とか反則だったからな V9の凄いのは単年じゃなく長く成績維持する選手がいたことなんだよ。
純血打線だったのもあるけど、そりゃあ>>612さんが言うとおり1年限りなら凄い打線ですよ
と言うか1年限りなら1985年の阪神の猛虎打線とか2000年の巨人ミレニアム打線とか
2001年のいてまえ打線もすごかった。
しかしながらV9みたいに選手が末永く活躍しないんだよ。
ただ長く V9の凄みは潰れていく投手が多い中で代わりが出てきたことでもあると思う 金本が講演で、現役時代に自分に気に入らない指導をしてきた広岡さんのことを「生涯打率.240の選手ですよwww」とディスってたけど、
監督として凄い打線を作ったのは広岡監督の方だった。 >>617
広岡は打てない選手という先入観があるが、OPSだと吉田より上。
二岡より打撃は劣るが、守備走塁は優ってる遊撃手。
選手にはそれぞれ役割がある。金本は守備はカープ時代から悪かった。ましてタイガースで肩を怪我してからは草野球レベル。
そのくせ連続イニング・試合とかつまんない記録に拘泥して足を引っ張りまくってたんだから他人のことは言えない。 ただ広岡も全盛期の金本に関してはかなり評価していたんだよな
金本が加わり軸が出来たことが大きい上に何より怪我に強く休まないのが素晴らしい、と >>619
野村も金本を評価してたね。何しろ努力の人だもの。
ただ肩を壊してからの金本は広岡・野村でも評価しようがないんじゃない? わずか3年でユニオンズが消滅したときに、巨人はユニオンズのショートの佐々木信也を獲得しようとしたが
佐々木の母校の慶応OB会が「何で慶応のショートを早稲田(広岡)のかませ犬にするんだ」と
抗議したために広岡は命拾いしたんだっけ?
佐々木は大卒新人の最多安打記録保持者で今も破られてないだけにありそうな話だが。 スレチだが何で佐々木信也を巨人以外のチームが獲得しなかったんだ?
レギュラーを確約すれば獲得できただろうに >>621
>>622
佐々木はセカンド専任だったような
671-180 .289
510-133 .261
327-*83 .254
143-*28 .196
傍系の傍系の余剰選手という事情はあったものの成績は年々ダダ落ちで
レギュラー確約どころかもう終わった選手、とみなされてた
豊田泰光の移籍交渉の時は「広岡のことは一切気にしなくていい」とまで
言われてて、豊田氏いわく「広岡さんはセカンド転向かな」と思ってたらしい 広岡ってヤクルトのコーチ・監督になったけど
それより前の産経アトムズ時代にも監督のオファーがあったんだよな。
断ったのは水野成夫が一緒にやっていくように推していた豊田泰光
と上手くやっていく自信がなかったからw
豊田が西鉄から巨人に移籍していたらどうなっていたんだろうか 豊田は巨人移籍のつもりでいたら急転直下で国鉄入りに話がとんとん拍子で進んだ
いつの時代も最後にものを言うのはコネなのかもしれん >>620
引き際は自分で決めなきゃいけないぞと、本人に直接言ってたな >>623
>豊田氏いわく「広岡さんはセカンド転向かな」と思ってたらしい
そんなバカな!
名手広岡とザル豊田、いくらなんでもそんな事有り得ないだろ 豊田は国鉄移籍でちょうど良かったと思う。
弱体化して893が出入りし出した西鉄に残留でも、
或いは紳士球団かつ川上の厳しい管理野球の読売に移籍しても
どっちにしても国鉄移籍より腐ったり干されたりしただろう >>627
バカな、と言われても、現実に豊田が川上監督と交渉して(しかも37年シーズン中から)
ショートに関してそう言われたと著書で述べている
豊田泰光『風雲録』
引用された立石康則『魔術師』
自分の思い込みだけで発言する奴は痛いよ
「 しかし巨人軍には昭和29年の新人王で、早大出身の名遊撃手、広岡達朗がいた。
広岡は、どちらかといえば、守備の人である。
そして豊田が巨人軍に入団した場合、ポジション争いするライバルである。
その点を川上に念押しする事も、豊田は忘れなかった。
「監督さん。(ショートには)広岡がいますが、どうしますか。広岡は、どっちをやるんですか」
「広岡は広岡なりに、やる所がちゃんとあるから、大丈夫だよ。心配するな」
そんな川上の返事を聞くたびに、豊田は「なるほど、広岡はセカンドか」と、一人納得し、
思わず笑みをこぼしたものだった。
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なお豊田は勝手にセカンドかと解釈したが、やる所=他球団だったかもしれん 額面通り捉えるなら放出も十分ありそうだな、大正力への直談判が早まったのか
この時期セカンドは須藤、船田あたりか 広岡にライバル意識を剥き出しにし俊足堅守の選手を揃えたチーム作りをしていた阪急の上田が
オリックス日ハム監督時代になると広岡の様なビッグボール派に転向した皮肉 昭和30年代後半の巨人は貧打だったから、強打者の豊田は欲しい選手だっただろう。
豊田・長嶋・王のクリーンナップは魅力的だ。
広岡はトレードに出されるだろうが、パリーグの弱小チームで伸び伸びと打てば、
新人時代の打力を取り戻したのではないか? エピソードを考えても出されるくらいなら引退でしょうよ 今思えば、すげーな。
トレードで豊田獲得出来たらどんな打線だったかな?
出来れば2番豊田で2番のイメージ払拭して欲しかったな。
そしてら今のNPBの2番打者のイメージ違ったかも 豊田を2番で使うなら、こんな打線かな
1(左)高林
2(遊)豊田
3(一)王
4(三)長嶋
5(右)宮本
6(中)国松
7(二)須藤
8(捕)森
9(投)城之内 >>623
佐々木信也の成績がどんどん下がったのは資産家の娘と結婚して成績の降下を気にしなくなったからだって言われてて
大毎で西本幸雄監督がクビにしたのもその2つの理由からだった。
巨人も同じ理由かな? >>25
東尾は投球はブラックだけど、監督としては雰囲気良いのかな
もっともナベQや辻の退団見ると非常だが、それは西武の方針?
(森解任も非常だったし) 東尾監督は選手からの評判はよかった。
選手時代の東尾は自分流で、細かいことにいちいちこだわらない人柄だったが、
指導者になってからも、その人柄は変わらなかった。 広岡監督の、既にトップの東尾への辛口、未完成な秋山への賛辞は
野村爺の「誉められる内は未だ未だ、貶されて初めて一人前」に通じるんじゃないか? 広岡は東尾を干している時でも
最後は肝心な場面で登板させていた気がする >「誉められる内は未だ未だ、貶されて初めて一人前」
って組織を司る者には常識なんじゃないの? >>644
自然食を食べろって言ってたけど
ここは絶対負けられないというゲームの前日は堤さんに頼んで
選手全員ににプリンスホテルのステーキを腹いっぱい食べさせてたからな。 >>643
広岡は東尾を相当買ってるんだよ。
なんかの番組で日本シリーズ終盤に東尾が1塁にランナー出してピンチになって
ベンチから駆け寄った時に、広岡に「大丈夫です。1塁ランナーは牽制で刺します」と。
1塁に牽制1球目緩く投げて2球目ビシャーと明らかなボークですよ。
しかし1球目が効いてるから審判がボーク取らない。
こういうの駆け引きが出来る味方で良かったとつくづく思いましたこういうのを
プロフェッショナルというんですよ」
とその時の様子を嬉しそうに広岡が語ってた 広岡はツンデレの典型だね
広岡と反目した選手も指導者になって広岡の良さを理解するし 東尾は一塁への牽制球がうまかった。
オールスターで、9回裏、二死満塁、打者はセリーグ四番の掛布、しかも甲子園球場
という最大の見せ場で、掛布に一球も投げず、一塁への牽制で高木豊をタッチアウト、
ゲームセットにしたことがあった。
スタンドの大勢の阪神ファンはがっかり、東尾はマウンドで大笑い、という場面を
鮮烈に覚えている。 未だにプロ野球史上最高の遊撃手は吉田か広岡と思っている人がいるのかな。2人とも守備はいいけど打撃がイマイチだな。
最高の遊撃手は西武時代の松井稼頭央か巨人の坂本勇人だろ?
坂本は順調にいけば2000本安打は間違いない。 東尾は投手として投げてる球威以外は全て一流なのよ。
牽制、フィールディング、打者とのかけひき、間合い、
それからノムが言う麻雀で培った博才に長けてたから投げてる球以外は天才だと言ってた
感覚的にこ場面で勝負したらヤバイな〜向こうのペースだな〜みたいな時に
ことごとくタイムかけたりして向こうに流れた空気を変える器量があったと。 >>654
ノーコンの若手時代にボコボコに打たれたり
太平洋・クラウン時代に酷使や弱いバックに悩まされながら20勝した経験も生きてるだろな。
当然、広岡もその当時から東尾を見ていた訳で
口では悪く言うけど内心は…だったんだろ >>656
広岡達朗は、まだ伸びしろのあるベテランには厳しい言葉を浴びせるんだよ
ヤクルト時代もエース松岡には、東尾同様ことのほか厳しかったからね >>654
>感覚的にこの場面で勝負したらヤバイな〜向こうのペースだな〜みたいな時に
そう。こういう時に相手チームに流れかけた空気を1球で変えられる魔球を東尾は持ってた。
それがビーンボール。危険球。
賛否あると思うがそういうのも踏まえて大人の投手だったね。 ちょっと前にラジオで稲尾の特集やってて、そこに稲尾の娘さんが出てきたんだけど
監督時代かな?父に会いに球場に行ったら、プロ野球選手って父の影響か、
ゴツゴツした泥臭いイメージだったんだけど
当時は華奢な東尾がいてしかも物凄くハンサムでドキドキしたって言ってたな 東尾は最後の年の中日との日本シリーズ第1戦でピンチにリリーフに出て
監督の森に“先頭の彦野だけ抑えてくれ”と言われて信用なくなったと思って
引退決意したらしい。(結局は最後まで投げ切ってセーブ)、
最終戦でも東尾が投げていて左打者のところでワンポイント左腕を出され
その夜のNHKの日本シリーズハイライトが数年前youtubeに上がっていんだが
解説が広岡で、東尾交代させてワンポイントリリーフ出した森監督の采配に
相変わらずチクチクチクチク言っていたわ。 回顧録による「公式見解」ではそうなってるね
一方新生福岡ダイエーに里帰りする道も模索していたが、
堤オーナーが「東尾選手にふさわしい選手じゃないとトレードは認めませんよ」
(ふさわしい選手がダイエーにいないことをわかってる上で)
とまず外堀を埋めたうえで、テレビ朝日の解説者の席を用意。
強制的に詰め腹切らされた、という話もある。 それにしても王の後任として広岡が巨人監督になっていたらどうなっていたか?というのは気になるところ
とりあえず原の外野コンバートはなしでサードとしてもう一度徹底的に鍛え直す、
守備面を重視しクロマティ放出→代わりに守備走塁に長けた選手と一塁を守れる外国人大砲を獲得、
この2つは確実にあったはず
あとは同じショートとして川相をどのように育てて行ったか?という点も >>663
確かに原はサードでもう1度でしょう。
原入団時の球団OB会でセカンドコンバート案に大反対
「原をセカンドにするならドラフトでなぜ石毛に行かなかった」と。
レフトかライトのクロマテイをセンターに進言したのは広岡では?
西武監督時代に同じようなタイプのテリーがセンター守ってたし。
守備コーチだった土井に進言したのでは?
試合中に集中力途切れるクロマテイを投手の真後ろのセンターに配置させて
「自軍の投手で調子がおかしくなったり異変に気が付いたらすぐに教えてくれ」
みたいな感じで常に試合に集中させたとか。
ショートは岡崎、鴻野、勝呂の争いから後の元木、二岡まで
あのまんま川相でしょう。それぐらい広岡好みのショートが川相
(広岡はショート二岡を元木以下と見ている) 広岡氏は西武の監督就任が決まった直後、ダブルプレイも確実に取れない当時の西武の内野守備を見て
「これはいかん、今から取り組まないと間に合わない」と、監督としての本来の契約日前から
同チームを熱心に指導していたと本で読んだことある。
ルール上こんなことできるのかと疑問に思ったけど作り話かな 新監督が秋季キャンプから契約とかと関係なく指導するのは当時はよくあった。
星野仙一も61年の浜松秋季キャンプに参加して「お前ら、覚悟しとけ」が所信表明だった。
広岡氏はこの所信表明で
田淵を「守れない走れないただ打つだけの人が一番の給料をもらってる」だの
東尾を「10勝しても同じくらい負けて、肝心なところで平気で打たれる」だの
ボロクソにこきおろしたわけだな
ポストシーズンの概念もいい加減でこの年の西武は12月の末まで「自主練習」を
西武第二球場で行っていた。 選手にも報酬支払いの根拠がない「自主練習」だった以上
指導する側も根拠のない「自主指導」なわけで、まあ本人の本以外にもいろいろ残ってるから
まあ事実じゃないの 86年以後も広岡が西武監督をやっていたら
・弛みや甘さが見られたら清原でも容赦なく二軍に落とす
・秋山は大型三塁手として使い続ける
・永射や金森は放出しない
・守備や確実性でデストラーデらをこき下ろす >>669
> ・守備や確実性でデストラーデらをこき下ろす
コキ下ろすかも知れないけれど、おそらく大事な戦力として大切に使うだろうな。
だって広岡は、自身があまり打てなかったホームラン、それを簡単に打つ人がホントーに大好きだったからネ。 大久保の打つ能力を凄い買っていたみたいだから、起用した可能性もある。
東尾もだらけず逮捕されなかったかも。 広岡はホームラン打てる遊撃手。昭和32年には規定打席不足で18本。ホームラン王が22本だからね。
そのかわり三振が多い。数字だけ見ると長打はあるが粗い打者。 >>672
その記録はよく知らないけど
広岡さんの手記だとゲーム前のバッティング練習を
まともにさせてもらえなかったのにホームランを打てたのかと モウリーニョとダブる。見映えが良い、毒舌、長期政権築けないところが。 >>673
負傷して入院中にゴルフの技術書を読んでたらふと思い付くものがあって
その年はゴルフスイングをイメージしてやってたらホームランが出たらしいよ。
まあ開眼とまではいかなかったんだろうね、以後の打席成績を見る限り。
移動→球場入り→練習→試合みたいな旅芸人みたいな試合形態で
打撃練習はせいぜい30分、とかいうのがよくあったみたいだね。
その30分のうち半分は打撃の神様が占めて、広岡クラスでもいまでいう廻し打ち
程度しかできなかった。 V9時代はどうやってホームランを打つかって話題が野手の中であったらしいけど
その割に末期は貧打なんだよなw >>669
工藤、ナベQは隔年エースと呼ばれなかっただろうし、
永射、片平、金森、広橋、立花の放出はなかったし、小田を先発としても使ってただろうね
秋山は広岡監督のときにセンターを守ったことはあったし、
日本シリーズで石毛の脚の故障もあったから三塁固定はなかったかな
清原は前述のとおり二軍落ちでも徹底して教育されてただろう でも清原のメンタルだと二軍に落とされたら
そのまま大成せず終わりそうな気もする 上田も逝ってしまったか
広岡も森繁扱いされたかつての川上みたいな立場になってきたな 根本陸夫監督時代に広岡コーチでデビューしたのだが同じくコーチデビューした関根潤三の話はよく出るが
コーチとして招聘した根本陸夫や入れ替わりになった上田さんのことはどう思ってたんだろう? この人野球選手の中では比較的若々しくて長生きだけど、
やっぱり食事管理とかの影響あるのかな >>682
痛風で休養。それが全てでは無いが、選手との溝が深まり、修復不能になった。どっちらけムードで、阪神との日本シリーズに敗れ、退陣となった。 二日酔いでホームラン打つのが偉いといわれていた時代に
現代アスリート理論を持ち込んだのは凄いと思う ちょっと不謹慎ではあるがそう遠くないうちにあるかも知れない広岡さんの葬儀に出席する、しない球界関係者の顔触れが今から気になる
なんだかんだで敵も多いけど影響力のある人だし教え子も相当いるし 今となっては広岡への感謝を口にする西武選手もいるが、
広岡が放逐された直後のチームの空気はどんなもんだったんだろ ちょうど辞任発表の日に選手一同はリハビリのためバスで長野に向かっていて、
途中休憩中マネージャーが連絡のため球団事務所に連絡を取って、辞任の報は
チームほぼ全員で知った。
そのまさに辞任した直後の空気を東尾が著書で語っている。
『「広岡監督が監督が辞任したそうです」−
バスの中はわっと沸いた。異様などよめきだった。中にはバンザイしかねないような
体を動かす男もいた』
まあわっと沸いたとかバンザイしかねないとか適当に濁してるけど、
後になっては、やめたのを聞いてみんなで万歳したってもっと直接的な表現で言ったるね。 1.やり方は認めるが人間性が派:東尾以下根本時代に多少の実績あるもの
2.無条件信奉派:田淵
3.無条件服従派:伊東秋山以下広岡以降で出始めたもの
いま感謝の言葉を口にしてる現場の人ってほぼ3.なわけで
当時の主力だった1.の人とはまた別の感慨を持っていたと思う >>690
森が監督になって東尾大田石毛らをホテルの自室に呼んで
「なんでもいいから思うことをざっくばらんに言ってくれ」みたいな
ことを言われて、ヘッド時代と違って森さんなりに気をつかってるな、と
その時はまだヘッド時代との言行不一致に慣れなかったけど、
結局チームが一体となったのは広岡がキャンプを視察して
「誰が監督をやっても優勝するチームですよ」と言われたのが一番大きかったそうだ。
結局やめてもこのチームをまとめるのは反広岡の一体感なんだなw 広岡は基本的に鉄拳制裁をやらなかったけど
これは当時では斬新だったろうな。
その代わり精神面を痛めつけるんだけどなw >>691
2無条件信奉派には潤三や工藤公康も含まれるんじゃないかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています