元日本ハムのマイナーな選手を懐かしむスレ その2
試合数の少ない二軍で0勝10敗を記録するのは並大抵ではない。 >>102
スゴイというよりもまずくないか
そんな状態なのに強行登板なんて 無理してでも優勝したかったんだろ
事実この年はPLさえコケれば帝京に可能性があった 芝草も島田も橋本よりは結果を残したな
野村の100勝はともかく >>105
芝草自身じゃなくて、指導者(監督)の問題かもよ
今無理して将来を棒に振る危険を冒さぬよう、血気にはやる選手を宥めるのも指導者の役割
まあ結局のところ準決勝でPLと対決してあえなく玉砕したわけで 素材はよかった
が、アマ・プロを通じて良い指導者に巡り会えなかったのが不幸だった
才能を開かせることは出来なかった 殆んどがそれに当てはまりそうだね
俺が惜しいなあと思うのは1999年1位の正田。
育ちきらないうちにチーム事情を優先してローテーション入りさせたが、無駄に消耗しただけに見える 育ちきらないうちにというけど、
最初の二年はファームでみっちり鍛えたという話だがな。 正田が9勝して新人王になったのは3年目だよ
1〜2年目は敢えて二軍に留め置いた、長期的視野で選手を育成しようとした点では成功例
その後の低迷は故障もあったが自己研鑽が足りなかった本人の責任と言ったら気の毒か 故障は言わば労災みたいなもの
本人の責に帰させるのは酷だ
2シーズンでローテーションを守ったのは讃えられてもいい。 >>遠藤よりも前に東大からロッテに入った小林よりは期待感あったが
哀しいかな全く通用しなかったな 小林も遠藤も選手としては数年だけでその後はフロントだよね
既定路線というか何というか… 小林は大学通算0勝(尤もチーム全体が勝てない時期)で実質テスト入団
遠藤は8勝だからね、実績が違う。
そして小林は退団後も渡米してMBA取得、いくつかの職を経てのソフトバンクだった。 話題性だけなら入団させない方が良い
京大からロッテ入りした田中も何となくそんな風になりそう 長い目で見たら多少の契約金と毎年1千万弱の投資で
将来の東大卒の社員が確保できるなら安いもんじゃない?
現に遠藤なんかフロントとして大活躍
あの時の同期で今も残っているのは賢介だけ ドラフト3位で入団しながらやっぱり自信ないといって1年で引退した小田 それならもう一人
東海大甲府から96年D6指名で入団の箕田卓哉。
わずか1シーズンで引退。
もちろん一軍出場なし。
二軍 13試合、2打数、0安打、0打点、0盗塁。 契約金はどうなったんだろ
違約金払え!とか球団は言わなかったのかな プロの世界に飛び込んでみて、自分の実力の限界に
早くも気付かされたんだろうね 大体自分がプロで通用するかどうか前以て分かりそうな気がすっけど
一年かけてやっと分かったというのもどうかと思うなあ
指名されても拒否できるんだろ? 選手は辞めるがスタッフとしてチームには残るということじゃないかな
もしガチで退団なら契約金は問題になりそう‥ 板東英二が本に書いてたよ
契約金もらったら一年で引退してその金を元手にして事業始めたらいいと
何も義理立て要らんと
その二人も退団してさっさと帰郷したんじゃないの いかにも板東氏らしい著述だね
小田の方は盛岡工業高校出身でここは野球よりもラグビーで有名。
実は小田の2学年上の田鎖という評判の投手が西武に入ったが
これも大成せず数年で引退している
ググって調べました 小田は高校の時甲子園に出て近鉄金村のいた報徳学園と対戦してボロ負け。
金村をして「あまりに弱すぎて勝った気がしなかった」と言わしめた程。 >>129
金村はそういうことを言うからマスコミに叩かれたんだな
無論、今はそれが彼の面白さであり、メディアでの大活躍に繋がってるけど
小田と同郷で盛岡商業高校から85年に4位指名で入団した山蔭という投手もわずか3年で引退している
こちらは引退後も打撃投手としてチームに残ったが 捕手なら選手としてはだめでも
壁として使って貰える道はあったと思う
それも断ったのかな >>133 >>136
名前だけでなく何かコメントも添えてね >>138
西武から来たのは江夏との交換。
西武は木村と柴田の二人を差し出して江夏を獲得した。
大洋へは自由契約にされた後近藤監督に拾われたらしい 1984年前後といえば俺の中では一番日ハムに入れ込んでた時期だが
その名前は覚えてないわ 二村って新人王取ったのに地味だったな
一旦大洋に出されてまた日本ハムに戻って来たことも忘れてたw 82年にユニを一新した時にはびっくりしたわ
特にビジターのオレンジ一色のやつ >>141
早川は日ハムから中日に移籍した縁で引退後名古屋で解説者やってたからそんなにマイナーということも無い >>141>>146>>147
君達は>>137が見えないのか 白井、
といっても「一幸」ではなく「仁」
ネットで調べると福岡酒店から入団とあるが、
どんな会社だったんだろう あけぼの通商みたいな中心企業じゃないかな〜
昔の都市対抗だとよくわかんない会社のチームあったりするし(現存すらしてない) ドラフト外、テスト生かな
ドラフト指名者一覧に名前出てないし >>147
西村はワンポイント起用とはいえ
足跡残せてる方だと思うよ
マイナーに含めるのは酷 左の強打者に打順が回ると颯爽と登板、1球で仕留める事が多く、
まさに「ワンポイント」な活躍だったよ。 親分に可愛がられて一年(1981年)だけ数字残した岡部
登板試合で殆んど負けなかったのがスゴイ >殆んど負けなかった
それ言ったら15勝0敗の間柴が黙っちゃいない
いい加減スレチなのでsage。 続けてスマン
岡部は親分に可愛がられてたの?>>156 名電時代に工藤とチームメイトだった中村稔。
元巨人軍に同姓同名の人がいるからややこしい >>3
坂巻も一年だけちょこっと活躍した
16試合先発7完投は大したもの 八木とか吉崎とか正田とか白井康勝とか短い間だけやたら活躍して消える投手やたら多いよね
それらの決定版が木田と工藤なんだろうが 中日で乱闘要員だった小松崎って1年だか2年だけ日ハムに来てまた戻ったな 工藤は3年間だけだったな
最後は野手に転向してたのは知らんかった 短命に終わったのはやはり82年の怪我の時の無理が祟った為だろう。
気の毒だわ。 鎌倉ってピッチャーいたよな?
北海道に移って1、2年しかたってない頃先発でそこそこ活躍してたような 藤王も小松崎もかつての指揮官・近藤監督を頼っての移籍。
鎌倉は球団の伝統、四国枠だな。 >>165
最初は今年中の復帰は絶望と報道されたが、解説者になったばかりの西本御大が
「あれは口三味線だから騙されたらアカン」とコメントしたのが印象に残る 鎌倉投手は典型的な一年草選手だったな
肘に負担を掛ける投げ方が選手寿命を縮めたか >>169
ケガしたのは本当だから強ち嘘でもないと思うがね
聞かされていた完治までの見込み期間が偶々短くなっただけ 完治してないのに投げさせられたからダメになったんだろ 沖泰司
社会人時代の所属企業であったスリーボンドという会社は沖の入団時に初めて知った。
歴史あるチームなんだね。 >>985
朝の連ドラの流れで来てるようだね
エキセントリックに演技させられてるっぽい スリーボンド、ハムビジターとそっくりのオレンジユニだった。
今は軟式だけど強豪だよ。 沖ってどこでも守れるのが売りだったよね
でも打てなかった 外野手で入団したが、大宮の移籍で捕手が足りなくなってコンバート。
学生時代に経験があったらしいが、若菜を補強して結局野手に再転向。 >>173
高卒即戦力の評価だったような。
実際一年目から先発を任されてたし。 >>173
3年連続で開幕投手をしていて、その扱いはないな
今シーズン台頭してきたソフトバンク高谷を見て、
白井一の代わりに抜擢された割に
すでに良い年齢だった渡辺浩司を思い出した。 津野も酷使で潰されたって話
……みんなそうなんだ
山本昌や工藤みたいに40過ぎても尚現役を続けようと思えば
よほど体が頑丈にできてるか、登板指令を拒否(リリーフ役を断る)するくらいしかない
自分のカラダは自分で守るしかないよな 体に負担とならない投げ方を研究し、オフ期のオーバーホールを入念に行うなど、
グラウンド外での過ごし方で明暗が別れるのではないかな 甲子園V投手の天理・ジャンボ南。快速球が魅力で期待したんだが、残念 >>194
すでに高校時代から故障持ちじゃなかったっけ?
一年下の谷口も期待を裏切り球界から姿を消して行った >>195
本橋と混同してないか?
南は90年の甲子園Vエース、本橋は86年の甲子園Vエース。
日常生活にも不自由するくらいに悪化してたという。 日常生活に支障って、ダメじゃん。
そこまでして優勝したいものなのか。
高校野球って何だろう、と考えてしまう。
スレ違いゴメン 謝るくらいなら書き込むなよw
アマ時代に投げ過ぎてボロボロになってしまった投手など枚挙に暇が無い 南は日本の球界を去ってオランダかどこかのやきゃうちーむ