>>75
4番じゃ無かったけどな。>1981年
6番で、7番の大型扇風機トマソンと共に「とどめの一発」の役割を担った。

この年のクリーンアップは3番・篠塚、4番・中畑、5番・ホワイトで、篠塚は
最後まで首位打者を争った.358(リーグ2位)、中畑も.322(リーグ7位)と
3割をマークするものの、共に長打力に物足りなさが残った為に、この年
チーム1のホームラン(22本)を放った原が、翌1982年の5番(そこで本塁打
・打点の二冠王の掛布にホームランは2本差の33本、打点は3打点差の92
打点(共にリーグ2位)を残す)を経て、1983年から新たに獲得した「現役
メジャーリーガー」レジー・スミスを後ろに従え、4番に定着する事となる。

ちなみにレジー・スミスは巨人との契約の際、「ウチには原という4番打者
が居るから、彼以上の成績を残そうとは考えないように。」と言われて、
「此奴ら何言っているんだ?」とカチンと来たらしい(爆
只さすがは元祖スモールボールのドジャースで野球頭脳を評価された程の
頭の良い選手、即座に「若き4番の原を支える」のが自分の役割と理解した
様だけど。
序でながらその契約交渉時に言われた言葉を守って、「原以上のシーズン
成績を残さなかった」とロバート・ホワイティング氏は記述しているらしいが。