【テレビ・ラジオ】懐かしの野球中継■■■ [転載禁止]©2ch.net
巨人戦は、日テレが独占。ラジオはTBSとRFのみだった。
最大延長9:24。一時期の日テレ・フジは9:54まで。
日本シリーズは、民放・NHKの並行中継があった。
テレ朝の日曜は6:33〜中継開始でお得感。
日テレ日曜夜の「独占!スポーツ情報」もほとんど巨人戦中継。
名古屋、大阪、広島などはローカル差し換えで地元球団中継。
独立UHF局では開始から終了まで中継して高視聴率獲得。なぜかサラ金CMのオンパレード。
甲子園、横浜、藤井寺、そして三重テレビ制作のナゴヤ球場の試合は、独立U局の中継に限る。
夕方ニュースで、直後に中継する球場の模様が少し流れるだけでも高揚する。
パリーグ中継はレアなので見てしまう。
スピードガンから、ノムラスコープや、投球フォームの残像を残すストロボフラッシュという発明品が出た。
最後まで中継できず、不満のクレームは誰が言っていたんだろう?
ラジオは、17時台のナイター情報ぐらいからワクワクできた。
土日のラジオで15時開始ゲームとかが長引くと、18時からのナイターに食い込んで混乱編成に。
テレビ中継終了後は、ラジオ中継に移行。これで遠距離局の周波数も覚えた。
視聴率30%超えも多かった、古き良き「昔の野球中継」を語りましょう。 19時から1分間の「ナイターミニ中継」のあと、CMを挟んで19時3分から正式なナイター中継、って構成の局が多かったと思うがあれって何の意味があったんだろ…? >>425
もしかしてスポンサーですかね?
日テレ1900の奴は「IBMナイター情報」とか何とか言ってた様な
まぁ3分だけスポンサーになってどうすんだって、感じもしますが >>424
巨人主催のNRN開放の翌1994年からTBSの横浜球団買収前年の2001年まで、
横浜×巨人の開催日限定で、ヤクルト主催試合の中継が可能となりTBS-JRNの電波にも乗せた。
一方、当時ヤクルト同様にNRN独占カードの横浜主催に関しても、1999年から、逆にヤクルト×巨人の開催日限定で開放。
RFラジオ日本に関してはTBSより条件が緩和されていて、1995〜96年にはヤクルト(96年から)、横浜主催(95年から)の同時開催日且つ、
どちらか(ヤクルトor横浜×巨人は除く)のカードの中継が可能となり、横浜主催に関しては、
ナゴヤ、甲子園、広島での巨人ビジターゲームの第1予備に組むことも許可され、
LFがサッカー国際試合の中継且つ、巨人戦が組まれてない日にRFがヤクルト主催を中継したり、
同じく巨人戦無しの日に、LFと神宮から並列中継したことさえあった。 テレ朝の横浜スタジアムはオールスターを除けば対巨人だと1982年が、
それ以外だと1989年の対中日が最後。
90年以降は関東ローカルで、地方開催を1997年まで細々とやっていた。
札幌円山、旭川での大洋→横浜主催試合の主催者に日刊スポーツが加わっていて、テレ朝が中継していた。 肉体改造さんの書くことは、ときに意味が深いですなぁ 「テレビなんて終わってる」って最近言われるらしいが、そんなの数十年前からそう。
そして「テレビを見ない人が増えた」と言われてるが、そんなことはなくて
まだまだすごく多くの人がテレビを見て洗脳され続けてる。
ワクチン接種をする人が多いことを見てもわかる。 >>427
長年に渡りヤクルト&横浜主催はニッポン放送が牛耳っていたわけだけど(ヤクルトに関しては現在まで)、
(今は野球中継はやっでない)TBSには条件を厳しくして逆に読売系列のラジオ日本には優遇していた感があったよね
まだTBSがベイスターズの親会社になる前、新聞ラジオ面で当日の各局中継カードを目にした時、
ラジオ日本の広島対巨人戦の予備カードが横浜対中日になってた時は余計にそれを感じた 横浜の局相手だから予備カードを横浜大洋に誘導していきたいのは道理 1994〜2003 TBSとRFラジオ日本におけるヤクルト&横浜主催試合中継条件
ヤクルト(1994年〜2001年TBS、96〜2003年RFに条件付きで開放)横浜(1995〜2001年RF、99年〜2001年TBS)
TBS、RFラジオ日本ともにヤ×巨、横×巨、横×ヤの3カードは中継不可(ヤ×横はRFが2003年にLFと並列中継実績あり)
TBSのヤクルト(横浜)主催試合中継は横×巨(ヤ×巨)の裏カード時限定
(1995〜96年は水木金の巨×横の裏カードのヤクルト主催も対象)
RFの横浜主催試合中継条件はヤ×巨の裏カードのほか、巨人戦がない日も中継可(LF中継時は不可)
巨人ビジター中継時の第1予備カード設定可(LFが横浜主催を第1予備に設定の場合は不可)
RFのヤクルト主催試合中継条件は横×巨の裏カードのほか、巨人戦がない日の神宮、横浜同時開催日にLFが横浜を本番カードにした場合
サッカー国際試合をLFが中継する場合、当日セ・リーグ唯一の試合がヤクルト主催のみ(この場合はLFと並列中継が条件) >>437
一部からは”終わったもの”呼ばわりされているテレビだけど、
実は未だに必要とされている >>440
巨人戦が組まれてなかった日はニッポン放送が神宮のヤクルト戦、ラジオ日本がハマスタ
なのにTBSはパ・リーグでそれも西武戦ではなくオリックスか近鉄絡みのカードだった まだTBSラジオにハマスタの一部開放がされてなかった頃のこと
そのせいで98年のセ開幕戦の在京ラジオ中継は
ニッポン放送がヤクルトvs巨人、ラジオ日本が横浜vs阪神、TBSが広島vs中日と
偏らずうまく棲み分けられてよかった 巨人主催がNRNに開放されていない時代は、
ABC:巨人x阪神、MBS:オリックスx西武、OBC:ロッテx近鉄
と在阪3局も棲み分けができていた場合があった。 この時期になると思い出す
広島球場のクモ男垂れ幕事件
しかもその試合、NHKで生放送だったんだよなw TBSラジオは野球を完全に潰して宇多丸のくだらない番組(確かスポンサー無し)をやってるね。
野球撤退のあの辺から凋落が目に見えて現れて今では聴取率トップからも遂に陥落。
伊集院に喧嘩を売ったり、大赤字イベントを強行して尻ぬぐいを番組制作費削減でごまかしたり
スポンサーが年々減ってるのに放置したり、無名タレントをごり押ししたり。
年寄り向け名物番組を廃止して訳わからん番組に置き換えたり。
もうどうしょーもないダメ放送局になってしまった。
石川さんや山田さんの名実況も遠い遠い昔だ。 自由編成な独立UHF局の素晴らしさがここでよくわかります プロ野球〜後楽園
巨人✕阪神
解説 金田正一
実況 浅見源司郎
【中止のとき】
7:00 ときめきトゥナイト
7:30 木曜スペシャル >>463
89年の10.12 、パリーグ優勝の行方を占う
ロッテ✕オリックスのダブルヘッダーを中継してくれて感謝だった >>449
「巨人ハ永遠ニ不ケツデス!」
あの手書きの垂れ幕の文言は忘れられないわ TVKといえば川崎→横浜球場からの大洋×阪神戦をサンテレビでネット受けしてたね
たまに神宮からのヤクルト×阪神戦もあった
解説は森中千香良氏 >>458
キー局とは違って、変なしがらみも少ないだろうし >>467
この時期のTVK・テレビ埼玉のテロップは、TBSのテロップのデザイン違いみたいな感じだな。
確か当時のTBSのテロップは、「放送技術」誌でも紹介された自社開発だったと思うが、
それを独立局にも売っていたのかな? 日曜日、ジャイアンツタイムマシーン見てたけど、87年最後の後楽園でヒーローインタビューの吉田アナがアロハシャツみたいなのを着ていて仰天! おそらくこの時期だよね
季節外れの暖かさだったんだろうか >>472
それまでドットの荒い機材を使っていたRCCも
1990年途中からカウントとランニングスコアが同様のものになったけど、
tvkみたいに得点のチーム名が帽子マークで、こちらはカウントに色がついて
ホームインの時は球団名の後ろに帽子のマークがあった(1993年からTBS同様の2行表示に)。
その一方、選手名はカウント・ランニングスコアと別機材だったのかフォントが違っていて、
中国駅伝などの駅伝中継と同様のものだった。
1993年のもの↓
ttps://www.youtube.com/watch?v=wypZCE0rDmg
オープニングキャッチが「TBS SPORTS」だが、
RCCでは同様の様式とタイトルコールで「RCC SPORTS」だった。
系列局はタイトルコールなしの「JNN SPORTS」。 ある日巨人戦が延長されて生放送の欽ちゃんの番組に食い込み、
関根勤が長嶋のモノマネで解説(内容はデタラメ)したのがくだらなくて面白かった
確か角が投げてた 1980年代の関西で、ホームランが出るたびに画面にデカデカと「ホームラン」てテロップが出てたのはどこの局だろう?
全国ネットでは見たことがなかったので、京都の親戚んちに遊びに行った時にたまたま目にして、妙に受けた記憶がある。
tvkでも同様のことをやっていたのを、高校野球中継の合間にやる「PLAY BACK FINAL」で確認することが出来る。 【地球が、危ない】 警告をテレパシー受信する人々
://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/earth/1663635074/l50
>>471
サンテレビで年1回くらい西武vs阪急(オリックス)をテレビ埼玉からネット受けしていたが
スコア表示のLとBがチームロゴ風になっていたのが印象的だった
TVKの大洋vs阪神戦は結構頻繁にネット受けしていたがそちらは普通だったと思う
「W-T」だったか「横-神」だったかは忘れたw >>481
そのテレビ埼玉のスコア表示はNHK BS1の中継でもそのまま使われていたな。
TVKは大洋時代なら漢字だと「洋」だったかも。
>>463 の時期は、大洋戦でも帽子のマークになっていたから、その前かな? >>483
TVKは初代テロップと2代目(テレビ埼玉とほぼ同一フォント)、3代目(TBSタイプの色つき)時代は
W→☆Bタイプで、4代目(95年〜02年頃まで)から漢字表記となった。 >>484
d。
TVKはサンテレビのテロップを借りた事もあったと、以前出ていたな。
三重テレビ(東海テレビ)も借りた事があったらしい。 >>487
85年か86年のヤクルト対巨人で延長時間内に収まらず、欽どこ内で試合終了までやった。
時間にして10分以内で、解説が武上四郎、実況が太田真一だったのを覚えてる TVKベイサイドスタジオでは1988年に中日vs大洋の当時の日本最長試合を最後まで中継した後
カメラがスタジオに切り替わって司会の宮内恒雄が今日は日本記録なので奮発して視聴率プレゼントのTシャツを2枚とかやっていた >>490
制作著作 三重テレビ 制作協力 東海テレビという事で、
プロ野球ニュースの冒頭でも中継挿入されたが、解説が藤波行雄だった(アナは新田か宗宮だったと思う)。
番組内ではラストに紹介し、後年藤波が本番に間に合うか微妙な時間に局へ到着。
スタッフ共々階段を駆け上がってスタジオ入りし、リハーサルなしのぶっつけ本番で放送したと語っていた。 80年代後半からは最大21:21~21:51まで延長の体制に伸びたからカトケンや日曜の大河オタにも余裕出来たな。 >>491
三重テレビ
解説・河村保彦 実況・植木圭一 >>496
ナイターとの連動企画でその日は生放送に変えたのでは?
萩本欽一絡みだと欽ドンでも82年中日優勝の時も生放送に切り替えたほどだから 11PMナイター
月曜と金曜は生中継が無く、11PMのテーマの後にスポーツ行進曲。
巨泉、松岡きっこと日テレの実況アナ、解説者1名が出演。 綱島理友のユニフォーム物語によると
日拓の中継映像をNHKや在京キー局で探したんだけど残ってなかったそうな 「よみがえる熱球」の野村克也の回で江本の東映時代の映像が流れたって聞いた さっきのチコちゃんで代打オレの映像が流れてた
金田監督、P村田、PHノムさん
この数年で鬼籍に入った大御所がそろい踏みで映ってて感慨深い その段階で、この3人がやがて同じユニフォームを着る
なんて、誰が想像したことだろう 昔、よみうりテレビの阪神戦中継で、実況上岡龍太郎、解説板東英二ってのやってた >>503
上岡龍太郎は関西の良さを体現していたな。卑しさが一切無い笑いであり、去り際も含めて完璧な人だった。 自身の引退後、維新にすり寄り
安倍晋三を持ち上げる関西のテレビをどう見てたんだろう 「こんなTV界など見限って正解だったな」
ぐらいのことは思っていたかも 非常に残念ですが、あなたの余命は少ししか残されていません >>503
ytvの上岡出演といえば、1989年に阪神対広島戦で川藤や小城敏アナと出た時、
広島テレビでは小林誠二の解説と加藤進アナの実況に変えられていた。
広テレはオフチューブでなく乗り込みだったが、ytvの真下に放送席を組んでいたのが映されていた。
スコア表示・OP・提供読みはytv出しだったが、出演者のクレジットは一部差し替えて、
制作は「広島テレビ・よみうりテレビ」表記だった。 >>508
その試合はマイク仲田が完封勝ちしたのかな。
板東英二がMBSの深夜番組で「阪神は優勝争いと関係ないんやから、要らんことせんでええんや」と言ってたね。 ytvの放送席が映った時、加藤アナが
>ご覧いただいております映像ですが、これは読売テレビの放送席です。
>今晩は読売テレビの協力を得まして、甲子園球場から阪神対広島〇回線の模様を、小林誠二さんの解説でお伝えしています。
>読売テレビでは解説が川藤さん、そしてタイガースファンで知られる上岡さんがゲスト迎えられております。
と放送席の模様を実況していた。 >>511
そのコンビで1990年?に阪神対広島戦をやった時も広テレでは小林誠二・加藤進に差し替えだった。
この時はスコアも広テレのものに変えられていた。
この年から脇田義信アナは実況を退いていたな。 >>505
「そこまで言って委員会」なんか、まさにその典型みたいなもんだからね 田口権一(兵庫尼崎ボーイズ-PL学園-Honda) 田口権一(兵庫尼崎ボーイズ・PL学園・Honda) 板東英二と言えば、
ニッポン放送の解説の時は巨人推しで
MBSの解説の時は阪神推しになることで有名 外国人
日本人
ハーフ
ダブル
クォーター
人種
民族
遺伝
遺伝子
DNA
世界
国
地域
外国
海外
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国際社会
国際結婚
先祖
子孫
子孫繁栄
国外
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