大正天皇崩御の日は全国的に役所がパニック状態に陥り、
出生、死亡届は受け付けて貰えない自治体も多く存在したと聞く。

植木等も1926年12月25日生まれだったが、親が出生届を提出しに行ったら、
「国家の一大事に不謹慎だ」と役人から罵倒され受理されず、仕方なく帰宅。
年明けに改めて出生届を提出したという。

おそらく関根翁の親も同じ目に合ったのだろう。