【広島優勝】1975年のプロ野球【巨人最下位】 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
川上哲治がこの年の巨人の最下位に関して解説者の目線から
当時どのようなコメントをしていたのかとても興味がある >>783
川上はまだこの年読売グループの役付きでもあったから表立って批判はして居なかったはず。
翌年完全に離れたが、優勝しているし。 >>783>>784
川上さんは長嶋さんに組閣案を断られて批判するというより勝手にしろという
感じで見捨てたらしい。
78年からだけど表だって批判してたのは水原茂。 野球を知らないなら
川上さんのように牧野さんを招へいしたりと不得意な分野のスペシャリストに
助けてもらえばよいしかし長嶋さんは人間を知らないこれは監督としては致命的な
欠点だと >>777
駒田が新人当時二軍でパ・リーグと試合やったら相手が社会人チームに見えたって。
要は当時不人気のパ・リーグは確実に入団してくれる、もう後がない社会人選手なんかを指名する。落合も自分はその手合いだと言ってたね。 江川が謹慎解けて初登板した平日昼の二軍戦は、
観客がナマポみたいなオッサンだらけで異様だったという伝説が残っている。 >>785
でも長嶋解任の引き金になったのは80年の週刊文春川上派座談会なんだよね。
水原は80年もテレビ番組で長嶋采配をこっぴどく批判したけど、長嶋には恨まれてないんだよな。
>>786-787
面白い情報だな、それ。
戦前の職業野球も平日はガラガラ(当時はナイターなんかないから)で、
水商売の女のヒモ男みたいなのが客層だったらしいなw 水原はもう巨人OBって感じじゃなくなってたからなぁ 広岡は反川上派で森は川上派だと思うけどこの2人はなんでヤクルトと
西武で一緒にやってたのかと思う。 結局喧嘩別れするが
藤田監督の時に森はバッテリーコーチ断って西武いったし 黒江・森・高田を軽視して柴田や堀内を首脳陣で重宝したことが
巨人をだめにしたわ 川上と喧嘩した広岡が解説者として視察に来た時、
ほぼ全員に無視される中唯一広岡と話をしたのが森
そのことを感謝していた広岡が、ヤクルトの監督になった際
森をコーチとして誘った 森が藤田巨人に入閣して西武拒否してたら歴史変わってたかな >>794
ゲス川上、大人気ないな。
だから、”湯口事件”でも遺族の神経逆撫でするようなこと
言えるんだろうがw 選手時代の広岡は激情家で、川上監督は扱いにくかったんだろうと思う。
打者としてはもうほとんど打てなくなっていたが、気難しく、プライドは高かった。
広岡が引退するとき、川上と広岡の人間関係は破綻していた。 森が広岡についていき結局喧嘩別れ。 藤田巨人に入閣していれば巨人の監督の目
あったのに それでもナベツネがオーナーになって長嶋現場復帰に執心してたから
仮に藤田についていっててもその時点で巨人での指導者人生は断たれてたろ >>792
柴田はすぐ解任になっただろう
堀内は3度もユニフォーム来たが
王時代投手球団ワーストの防御率で解任、2度目は三本柱頼みで
ヘッドコーチで優勝逃しで長嶋が辞めないので代わりに解任
3度目は監督として 土井は王政権でコーチしてたけど評価はどうだったの?? ロッテ三井を獲得するような話あったけど仮に三井獲得して加藤初スルーしてたら
81年の優勝も怪しかったかも >>804
三井のトレード交換相手は
高橋一三だったな
長嶋が持ち掛け
何故かカネやんも乗り気だったのがコーチら周囲の大反対でボツになったが
高橋一三がハムで地味に息長く戦力になったのを見ると
カネやんは案外見る目あったのかもなw >>797
広岡の晩年はもう打撃ボロボロみたいな感じで言われるが、数字を見ると引退年はともかくそんな特筆した貧打というわけじゃないよ 広岡の打撃がショボくて長嶋にホームスチールさせた訳じゃなく
スタンドプレー大好き長嶋の独断だからな。
それがわかって後年和解した。
「ONの前を打つ柴田、土井が胃潰瘍みたいに痩せこけてた」
とビートたけしが言ってたように、
あの2人の周囲は何かと気苦労が絶えなかったんだろう。 そういうことにしないと広岡がかわいそうだからそうしたようにしか思えん。 >>807
その二人の仲を拗らせたのは長嶋のせいだったのね 三井のトレードが破断したのは張本か取れそうになり高橋を張本の交換要員にあてようと
したと聞いた。 柴田出すなら東尾が取れたと聞いたことある >>807
ビートたけしの戯言真に受けんなよ
あのころの野球選手はガリヒョロばっかだよ >>788
第一次政権時代の長嶋監督が不本意な解任を食らったとき
水原は 「かわいそうに・・・あの球団は冷たいんだよ・・・」 と涙ぐんでいたという >>813
水原翁も巨人東映で
実質監督解任だったからな >>813
ソースは?
それおかしいだろ。
同じ80年に長嶋采配を批判してたんだぜ?
掌返しにも程があるわ 「采配批判」はしても「監督解任」すべき、とまでは言っていないんじゃないの 広岡によれば、監督時代の水原は、正力松太郎オーナーと深い信頼関係で
結ばれていると考えており、それが誇りでもあったらしい。
だから、監督を解任されたときの衝撃は大きく、巨人の冷酷さを思い知った。
水原は、長嶋解任にも同じことを感じたのだろう。 上田利治氏の逝去はやはり残念
古葉竹識氏のコメントが聞きたいんだけど 75年当時上田さんも古葉さんも40手前だったというのが驚き
当時の映像見ても今の各党党首より貫禄があるw 上田監督(阪急)、古葉監督(広島)、長嶋監督(巨人)、江藤監督(太平洋)は
当時まだ30代。今の30代よりかなり風格があったように感じる。 >>816
同じことだろ。そういう批判が世論の後押しになって解任ムードが生まれるんだから。 それでも
まさかいきなり解任されるとまでは思ってなかったんじゃないかな >>822
3年続けて優勝を逃したのにいきなりはないだろ 当時の巨人の感覚では3年も優勝を逃したら監督解任もやむなしだったもんな 80年は最終的に3位Aクラスだったけど開幕から低迷して優勝争いに
全く絡めなかったから
5位に終ったけど中盤まで首位争いしてた79年の方がまだマシって印象 長嶋監督の采配は、巨人OBの間でもかなり評判が悪かった。
青田昇が解説で長嶋監督を散々に批判しているのを、当時よく聞いたものだ。
「今の投手交代はありえませんよ」「ここで代打上田はないでしょう。ここは代打原田ですよ」
「もう長嶋監督の采配に、僕は呆れ果てましたよ」などと、いつも言っていた。 あれ?でも青田って第一次長嶋政権にコーチで入閣してたような・・・
すぐにはじき出されたけど 金田はこんな自信があったのかな♪
高橋一三を再生させる
ブレイクする前の新浦の素質を見抜き&育てる自信があった
南海野村克也もV9時代に、川上監督に将来のエースだから新浦は出せないと断られてるし…
いずれにせよ、金田さんは左の本格派が欲しかったんだね〜
>>809
> 三井のトレードは金田が新浦要求して破談
>>805
> >>804
> 三井のトレード交換相手 >>828-829
青田はよく言えば「マスコミ受けする発言」が得意。
悪く言えば「調子いい人」。
この発言はおそらく長嶋に誘われて巨人コーチになったが、
週刊誌に暴力団との付き合いを書かれてシーズン前にクビになった80年のことだと思う。
まあ長嶋が自分を切り捨てた(表向きは辞任)ことに対する恨み節もあっただろうが。
で、この年の秋に長嶋が解任されたら、今度は川上・藤田批判に鞍替え。
それは世間が長嶋を惜しむブームに乗っかったんだろう、
次の年、藤田で優勝するがさすがにまた鞍替えはできにくいようで、
基本批判的だった。特に三振の多かったトマソンをターゲットに叩いていた。
でも10年ぐらい後にラジオ番組で「あの年トマソンがいなかったらガンちゃん(藤田のこと)優勝できなかったかも」
みたいな真逆なこと言っててコケそうになったわw
そんな感じでこの人のコメントは時流をかなり意識した恣意的なもので、
そんなに真に受けてはいけないと思う。 野村にも同様の発言されたり榎本の晩年を狂わせたり、
確かに青田はその手の発言が多い 当時はクソガキだからわからなかったが、青田や別所のいうことなんてまともに聞くべきじゃなかった、ってことか そんなことはない
青田の指摘は的確で、解説も的を得ている
阪神や阪急の優勝は、作戦担当の青田ヘッドコーチ無くして有り得なかった
ただ、余りにも単刀直入すぎるので、周囲から煙たがられて人望がなかった >>833
あと千葉もな。
沢村の全盛期なんか見てもいないのに青田と二人妄想で「これぐらい速かった」とスピードをどんどん上げていった老害。
青田は大洋の監督になったとき「日本シリーズに出たら報奨金をいくら出す」という契約までしたが、
結果は最下位。ハッタリばかり。 俺は青田って晩年ズームイン朝に出演してた頃のイメージしかない
当時から別所と並んでアンチ巨人の天敵だった
でも青田の巨人ごり押しはビジネスだったってことか >>836
青田が広島に来てイレコミ情報に出た時、
その後のHTVローカル枠にも出たけど、一転してまともにカープの分析をしていたな。 >>831
青田はバリバリの長嶋信者だよ。 長嶋の1次政権は川上が育成しないだの
ダウンスイングを教えるバカコーチが悪いとか散々言ってた。
80年初頭解雇されたときは長嶋監督と組ませるのを快く思わない人物がいると
言ってたくらい 作家の小林信彦が
「青田さんは山本浩二の暴力団との交際の噂が出てきたとき、
『そういう人に礼を欠くのはいかん。俺は北海道からメロンを贈った』
ととんでもない発言をする」
って書いてた。別所・青田が当時の巨人の老害二巨頭だったが、見てて面白かったのは間違いない >>839
> 別所・青田が当時の巨人の老害二巨頭だったが
アホか?
当時青田は球界では『優勝請負人』と呼ばれ、他球団から引っ張り凧だったんだよ。
そのオフの巨人は、伊東キャンプで鍛えられた若手のレベルアップが完了し、巨人最大の弱点と言われた長島迷采配が、青田がヘッドコーチに就任することよって解消されようとしていた。
これを驚異に感じた他球団、そして強い巨人の復活を嫌ったマスコミの一大キャンペーンによって、長島-青田のタッグは潰されてしまったんだよ。
前年の江川問題で世間からの批判があったにせよ、この時の巨人はやけに弱腰で、青田を守る事は出来なかった。
また、ファンサービスの一貫として取材には常にオープンだった長島だが、この事件後しばらくは、マスコミと一切口を聞かなくなってしまった。 暴力団との付き合いや野球賭博の疑惑が持ち上がった青田を
長嶋と付き合わせたくなかっただけじゃないかと思うけどな
指導は抜群に上手かったが、自分の弟子である中西や長池に立ちはだかった
野村に対しては徹底してボロクソだったな
「狭い大阪球場でギリギリのホームランを打って本数を稼いだ紛い物の選手」と
評していた 阪急はスペンサーにそそのかされて
西宮球場のフェンスを手前にさせた癖に何いってんだ。 >>840
で、その優勝請負人は大洋の監督になって優勝させたんですかあ?www >>840
失礼、当時というのは1990年頃のこと。
>>841
中西って青田の弟子だったんですか? >>841
青田氏は西本上田の阪急野球に比べたら野村野球は子供とか言ってた。
>>845
三原さんを通じて知り合いだったとか 青田さんは今はなき 『月刊カープファン』 で古葉カープを称えていた
たしか2度目の優勝を果たした1978年の秋の号
その中では前年優勝の広岡ヤクルトの “管理野球” をけなしてたっけな >>838
青田は「長嶋派」だが「長嶋信者」ではない。
信者だったら>>828みたいな批判するわけない。
評価として行き着くのは>>831でかなりブレがあったいい加減な人、
ただし晩年まで長嶋派だったのは間違いない。
それは元々巨人を出て行った時点で巨人の主流派にななれるはずもなく、
たまたま長嶋にコーチ要請されたいきさつもあり、
その後川上派が成功しこともあって親長嶋にならざるを得なかっただけ。
長嶋派の忘年会「伊東会」にも出ていたから長嶋派なのは間違いない。 青田が長島派というよりは、長島が青田派なんじゃないの?
長島は現役のころから青田にアドバイスを貰いに行っているし、川上と青田の関係、川上と長島の関係なとを考えると、長島が青田派と考えるのが適切
ちなみに青田は千葉派…かな?! >>850
青田は三原派。
千葉とは友好的だっただけ >>851
三原派繋がりで川上とも親しかったそう。
当時の三原監督はあからさまなスター主義で、4番やレギュラークラスは「お客さん
を集める看板」として非常に優遇した一方、控え以下にはとことん冷たく、それが
三原排斥運動の一因とされる。 青田は三原に呼ばれて西鉄入りが目前までいったからな 青田昇と大下弘が何かのテレビCM (関東ローカル) で共演してたなあ
ちょうど70年代の中期ごろ >>853
結局は土壇場でご破算になり、三原との関係に皹が入る
>>855
別称と合わせて三人で、球界の『三悪人』と呼ばれていたからねえ・・・ >>854
その後も大洋監督に就任した三原監督の誘いに応じて、大洋やセ・リーグ各球団の
細かな情報を提供したりと。
後に阪神のヘッドコーチに就任して、強烈なしっぺ返しを喰らわせたけど。 >>858
強烈なしっぺ返しって結果論じゃん。
ぎりぎりの優勝だし大洋阪神どちらが優勝してもおかしくなかった。
国鉄を馬鹿にしたので国鉄が阪神をアシストする敗退行為まがいの試合をしたことが響いた。 で、そのスレ違いの話題をいつまで続けるんでしょうか。 >>855
たしかどこかの温泉ホテルのコマーシャル プロジェクトX 挑戦者たち
史上最大の集金作戦
広島カープ市民とナインの熱い日
危機迫る 球団解散 鯉登れ
日本で唯一の"市民球団"として、1950(昭和25)年に誕生した広島カープ。
原爆で深い傷を負った広島にとっては、復興への大きな希望の星だった。
しかし1年目のシーズン終了後の3月、資金難から、カープの解散が発表された。
「復興への希望の灯を消すな!」
――困難を乗り越え、市民球団・広島カープの存続に至った感動のドラマを追う。
http://www.nhk-ep.com/products/detail/h21036AA
http://www.dmm.com/rental/-/detail/=/cid=n_636nsdr21048r/
なぜ、漆黒の暗黒時代でもカープは愛され続けてきたのか?
なぜ、FAやトレードで人を獲らず、自前で選手を育成していく方針なのか?
なぜ、鳴り物応援は広島からスタートしたのか?
なぜ、黒田と新井がMLBから古巣広島に帰って来ようと思ったのか?
このDVDを見たら、すべてが分かります。 こんなところまで宣伝に来るんじゃねえよ
プロジェクトXっていつの番組の話してんだよ
FA参戦はともかくトレード自体はNPB全体で近年低調だよ そもそも初優勝はルーツがやった大がかりなトレードの結果やろ
東映からセカンド大下、阪急から抑えの宮本、中継ぎ渡辺みんな活躍して大当たり >>863
ネタバレだがプロジェクトXには1975年広島初優勝時に最晩年の広島初代監督が出ている >>864
その下地に、社長命令下での根本政権でむちゃくちゃ鍛えたのがあるんじゃね。 この年に出たレコード 「それ行けカープ」 のB面曲 「勝て勝てカープ」 って
作詞者が巨人の 「闘魂こめて」 と同一人物らしいな 「闘魂こめて」は「六甲颪」と同じ古関裕而だろ。 「勝て勝てカープ」は池田何ちゃらって人。 大体今の強さはピーコキヌ時代の成功体験を断捨離してあるんではないか
忘れられなくて没落してるのが中日、フジ、東芝あたりな >>869
>大体今の強さはピーコキヌ時代の成功体験を断捨離してあるんではないか
難しくて分からないんだが、それはどういう意味ですか? 根本イズムの発祥は広島
若手を4年計画で育成させ、その間を資金繰りで他球団の有能選手をかっさらう
広島
若手育成 衣笠、三村、山本浩二など
他球団 大下、江夏など
大下がいたから高橋が育成できた
江夏がいたから大野が育成できた
そうして脈々と伝統を築いた
このノウハウが後の西武やダイエー、ソフトバンクにも続く そうした伝統って西武だと山崎→石毛、辻
ダイエーだと秋山→松中あたりか 根元がクラウンライターに招聘された理由は育成手腕を買われてのことだったからな
後のフィクサーぶりを発揮したのは西武時代になってから 70年代後半の広島はマツダが元気だった分トレードとか活発で年俸とかも
パリーグとか大洋あたりと比べると高かったよ。 むしろ張本加藤以外は
巨人のほうが補強に消極的なくらい 広島初優勝打線
1大下2三村3ホプキンス4山本浩5衣笠6シェーン7水谷8水沼
NPB初の200発打線
1高橋2三村3ライトル4山本浩5水谷6衣笠7ギャレット8水沼
古葉広島最後の優勝、日本一
1長嶋2山崎3高橋4山本浩5衣笠6小早川7長内8達川
見事な世代交代 根本さんが絡むと一時期勝つのではなくて長期勝つチームになるよね >>874
巨人で代打だった萩原がカープにトレードされた時に「え、そんなに安いんか」って驚かれた。巨人では一万単位の査定で萩原の給料はカープの二軍クラスだったって。
要は巨人はウチに在籍出来るだけで十分だろうって締め付けてたんだろうと思う。 根本イズムっていうノウハウが浸透するから
仮に低迷期迎えても致命的な低迷期にはならない
広島も確かに25年かかったというが
選手自体は粒は揃ってた
特に野手は切れ目がない
根本が広島の監督だった時代に選手だったのが今のスカウト部長苑田氏
この人自体は怪我して短命だった
が、当時守備コーチだった広岡達朗にスカウト学を学ばせ今を築いた
広岡達朗にしても巨人を追われた中で根本に拾われた
卓越した技術を買われたから
広岡達朗や関根潤三など
元巨人の選手をコーチにしたのも根本イズムの一環
その集大成が世界の王のホークス監督
名前と金で圧倒させる→その間に若手を鍛えドラフトで有能選手をとる→そだつ若手
これが根本イズム 根本イズムは否定しないが、広島の場合は根本重松古葉木庭の合作だからな
衣笠浩二外木場他土台は根本
大下や初優勝移籍組は重松ルーツ
江夏やその後の黄金時代の若手は古葉
スカウトとして一貫して手腕を発揮したのは木庭
古葉の手腕で広島が強くなってなかったらおそらくクラウンフロントは根本を呼んでない
根本は昭和47年途中で退団しその後の広島の人事とは関わってない
また、根本ぬきの古葉だけの力でもダメだった(のちの横浜大洋) 古葉は根本イズムいうより野村イズムだからな
だから南海でくすぶりかけた江夏を獲得できた
江夏がいたから大野が一人前になれた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています