1978年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
>>82
クラウンライターの福岡最後の試合が巨人との連合チームでのレッズ戦だったな。 >>84
そういうチームって普通は壮絶にずっこけるのが定番なんだけど 翌年の広島は珍しく前年の勢いをそのまま持続できたのか
まあ3年前の優勝メンバーが数多く残ってたし
大野や北別府といった新戦力も育ってきてたから元々底力はあったんだろう この年のASで阪急の選手が巨人のユニフォームに輝きがない
日シリに出てくるのは首位ターンのヤクルト(巨人は0.5差の2位ターン)
って言ってたな
まさか日シリで負けるとは思ってなかっただろうけど >>86
はたして開幕4連敗に始まり、6月くらいまでは5割に戻したかと思えば又借金生活
に逆戻りを繰り返すって状態でよくある前評判倒れのズッコケか?と思われたが。
当初快調に首位を走っていた巨人が江川初登板を境に何故か崩れ出してにわかに
大混戦となったのに救われたのと、1番・高橋慶彦の32試合連続安打で勢い付いた
格好。
何てったって俊足の1番打者が毎試合塁に出るんだもん・・・・、4番の山本浩二ですら
3割を切った不調気味の打線でも何とかする罠。 >>87
対抗馬と思われたヤクルト巨人が死んじゃったからな… この年の大洋は5月位までは首位にいたものの
6月にヤクルトに捲られ首位陥落
更に7月に巨人に抜かされるどころか広島が猛追撃で急接近
8月は3位に踏み留まるも9月にAクラスを明け渡し
結局4位で終了した なんか今年のdenaが
この年みたいな推移しそう… >>93
今年のDeNAが78年以来の30勝一番乗りを果たしたというのも何かの偶然か??
まあ、まだ何が起こるか分からんけどね。
この年のヤクルトの躍進、巨人まさかのV逸、広島の猛追なんて想像できたか??
大洋だって、4位とはいえ久々の勝率5割以上だったし。
78年のセリーグ上位3チームは引き分けが異常に多かったんだよね。 >>94
となると今年はお盆辺りまでは
巨人が首位にいるが
明けに失速を起こしてヤクルトが逆転優勝
広島は土壇場でdenaを捲って3位で
中日阪神の最下位争いか!?
阪急(オリ)の日シリ出場は流石に難しい
と思うが… 「逼迫経営」
トレード候補に上った当時の選手が口々に、「クラウンライターとかいう所だけは行きたくない。あそこに行くくらいなら辞めた方が・・・」とまで
発言するほど、当時のライオンズの経営不振は球界に知れ渡っていた。前年に太平洋クラブからメインスポンサーを引き継いだクラウン
だったが、逼迫経営に変化は見られなかった。苦しいのはチームも同じ、70年代は既に75年を除き、7度のBクラスに5度の最下位。黒い霧
事件による低迷期の真っ只中にいた。
オフのドラフトで江川卓に入団拒否され苦難のスタートを強いられた上に、春の島原キャンプ初日では投手コーチの江田孝が脳梗塞で逝去
するという衝撃に見舞われるといった暗いニュースが続いた。
前期は5月終了まで借金13の苦しい戦い、だが6月に1分けを挟んだ7連勝をするなど12勝2敗2分けと進撃し3位で全日程を終了したが、
日本ハムが残り2戦に連勝して敢え無く4位。後期は開幕から3分けを含んだ7連敗、それでもここから広島黄金期の礎を築いた根本陸夫
新監督が鍛えた真弓明信、立花義家の新一・二番コンビに、倉持明、池田弘、大家好正といった若手投手が躍動して、残り15試合となった
9月5日まで5割の3位。しかし直後に10連敗、1つ勝ってまた4連敗でフィニッシュして、5位で終了し通算でも5位に終わった。
防御率リーグ3位の投手陣ではエース東尾修がフル回転して23勝、3年ぶり300イニング&20勝突破したが、期待の永射保が病欠で殆ど
投げられないなど、それ以外は2桁勝利すらいない状況。これでは二期制であってもシーズンを戦えない。打線では6月に400号を達成した
ベテラン土井正博が、5月に史上3人目となるパ・タイの6戦連続本塁打に5年ぶりの3割をマークするなどチーム三冠の奮闘を見せた。
チーム打率でもリーグ3位だったが本塁打で5位、四球と犠打で6位と細かさに欠けて得点では5位。真弓、立花以外の若手でも土井とは
高校の後輩に当たる山村善則が13本塁打したが、リーグワーストの25失策。リーグ5位である116失策の象徴となってしまった。
球団は10月12日に西武への身売りを発表、29年間の福岡生活に別れを告げた。長く続いた低迷と逼迫経営打破を目指した投打の若手
登用で、Bクラスながら根本に評価の声がチラホラとあった。根本は閉幕後に「基礎体力が無く、チーム愛が足らん」と言ったが、コロコロと
親会社が代わり、さらに本拠地移転となっては選手からもチーム愛など生まれ難い。根本ほどの人物であればそれは承知の筈だったが、
実際に中に入って接した選手の動きもまた、想像以上に“逼迫”して愛情どころではないように見えていたからなのか。 (了) 江田コーチって、その前年の選手名鑑で「顔色悪いなあ」と思っていた。
そしたらあんなことに。
子供心にも何か感じていたのだろうか? この年の今日、読売&江川による”空白の1日”が行われてしまう。 恐怖の200発打線
1遊 高橋慶
2二 三村
3右 ライトル
4中 山本浩
5三 衣笠
6一 水谷
7左 ギャレット
8捕 水沼 >>95
一応ヤクルトの逆転優勝と巨人の終盤失速は当たったか… この年から82年ぐらいまで
広島は基本的には打線は変わらなかった
ギャレットと三村ぐらいか
78
1高橋2三村3ライトル4山本浩5水谷6衣笠7ギャレット8水沼
82
1高橋2山崎3山本浩4ライトル5水谷6衣笠7長嶋?8達川 >>106
なに言ってんだこいつ?
>ギャレットと三村ぐらいか
>8水沼
>8達川
自分で書いてることすら確認できないアホだし
デュプリー、ガードナーと外国人が入れ替わってることすら言及してない ろくにみてないのにネットでチョロっと読んだだけの知識で語るのは
もうやめたら妄想君 日本シリーズでヤクルトが阪急に勝ったのって大波乱だったの? 当時の阪急は昭和末期〜平成初期の西武並みの走攻守投に隙の無いチート戦力だった。
福本・蓑田の走塁、衰えた長池を代打に回して(代わりに代打屋の高井をDHに)
中日から島谷をトレードで獲得して4番に据えたり、
投手陣では山田はキャリアハイだし足立の衰えも島谷と共に来た稲葉でカバー、
佐藤義や今井が台頭と充実していた。 山口がシリーズまで持たなかったが痛かったな
特に今井を引っ張りすぎて逆転された第4戦とか見てると そういえば「がんばれタブチくん」で、解説者が
「巨人が2年連続で勝てなかった阪急が、ヤクルトなんかに負けるわけ無い。もしヤクルトが日本一になったら逆立ちで東京音頭踊りますよ。」
…と言ったら、3コマ目に広岡監督の胴上げ→4コマ目に球場の絵と立て看板があって
看板には「解説者が逆立ちで東京音頭を踊る会場」って書いてあったな。 YouTubeで日本シリーズみたけど
打撃戦ばかりで実に面白かった >>115
その前にヤクルトがリーグ優勝したら坊主になるというネタもあったな >>112
9回表1点差ノーランナーから、伊勢「大明神」がショート内野安打で出塁、次のヒルトンが今井のカーブに泳がされながらも
レフトラッキーゾーンへ逆転2ラン!これでタイに。 山田をあそこで投入していればな
そうなると第5戦は白石
仮に落としても残り2試合で足立と山田を使えた 山田は第1戦160球くらい投げていた。特に最後1点リード2死満塁で杉浦にファウル連続で12球くらい粘られてやっとこさショート
フライに打ち取ったが、その疲労もかなりあったはず。
杉浦は翌年のオールスターで山田から「雪辱」のヒットを打って喜んでいた。
ヤクルトが次にシリーズに出た92年第1戦では延長で鹿取からサヨナラ満塁アーチを放ってた。 この年のオールスターファン投票からの選出は掛布じゃなくてヤクルトの角なんだな
煽りで30本打った衣笠が選出されない結果になってしまったと でも衣笠にとってはオールスターの選外(三塁だし競争相手は掛布や高田など高め)な方が
連続試合出場(この頃はフルイニングも)の兼ね合い上、
貴重な休養に当てられてかえって良かったのでは? >>118
これが打のヤクが守の阪急を押し切ったのか…
95の時もヤクがオリを押し切ったけど
翌年の巨人は投手陣の不調と
落合のアクシデントでオリに押されていた… 「スランプと800号」
スポーツの世界、過去より成績を下げると周囲から「〜に終わった」や「〜に留まった」などと言われることが多い。しかしジャスト3割、39本塁打の
好成績を出しながら、そのような評価にさらされたのが78年の王貞治だった。
この年が明けてすぐに王は「8月の夏休み中に800号を打ちたい」と公言していた。野球ファンの子供たちのためにもという、王らしいコメントだった。
前年世界新の本塁打記録を打ち立てるなど50本塁打を放ち通算766号、前年も8月23日での34号到達を考えれば800号は一つの通過点の
はずだった。
開幕戦で二年連続となる満塁弾を放つなど上々のスタートを切った王は、4月.371の高打率に10本塁打24打点。チームの好発進に貢献したが、
5月も8本のアーチを放って首位を走るチーム共々視界は良好だった。大スランプに陥ったのは6月の事。春先から納得のいくような本塁打が無く、
自ら「色々思い悩んでいるうちに深みにはまった」と言ったように20年目38歳となっても、究極の打撃を追い求める王を象徴した不振のきっかけ
だった。春のキャンプで二度も足首の怪我をして、満足のいくメニューをこなせなかった事でのスタミナ切れも、6・7月の2ヶ月で本塁打3本ずつしか
打てなかった要因だった。
何かヒントをを得たのか、後半戦は打撃を取り戻した。7月28日は勝ち越し、29日は逆転3ランの2戦連続決勝弾。8月9日、18日にも勝利打点と
なる決勝アーチを架け勝負強さも取り戻した王が800号を達成したのは8月30日、夏休み中ギリギリの金字塔で面目を保った。達成後の残り20
試合では本塁打5本、結果39本塁打を放ちながら78年の王は“留まった”と表現された。
開幕前に言った「40本がホームラン打者のボーダーライン」にも及ばず、広島・山本浩二にキングを奪われたばかりか、山本のチームメートだった
エイドリアン・ギャレットの本塁打数も下回る3位タイであった事から考えれば、それもある意味で仕方の無い事だった。それでも118点で8年連続の
打点王獲得は、さすがの一語に尽きる。チームの3年連続優勝は成らなかったが、出場した全130試合で王は長期スランプの時期も含めて、
本塁打も忘れて走者を還すチーム打撃に徹していた。 (了) 千葉パイレーツと最下位争いするほど弱かった阪神タイガース >>125
衣笠の性格からすれば出場したかったんじゃないかな
地元広島での開催もあるし この年から南海の暗黒時代が始まったけど
阪急・近鉄以外のチームには結構善戦している
日本ハムには1勝とは言え勝ち越してるし
(ハムキラー森口の存在が大きかった)
その分、阪急には19敗、近鉄には17敗もしていて
目も当てられない様だけど 25勝した鈴木啓が日米野球に出ていないな。疲労困憊で辞退したのかな? 西本監督は一旦辞意を表明してたが慰留されて翌年も続投
もしそのまま辞めていたら、恐らくマニエルのトレードも無く
79年も阪急の優勝って事になった可能性大か
案外日本ハム辺りがマニエルを獲得してたかもしれんけど マルカーノ、ウイリアムスのいた阪急、リー兄弟のロッテには空きが無いけど
日本ハム、南海、西武のどこかにマニエルがトレードされていたら
翌年のペナント争いはかなり違ってただろう >>44
日ハム組織票に負けず福本ファン投票選出 本当の人気選手 >>136
オリックスは球史に残る伝説級選手がいないと勝てんのかよ…
by ちなオリ レッズの監督が、巨人・南海・近鉄連合軍戦で先発した村上(南海)を絶賛していた記事があった。村田(ロッテ)のような投手になりそうと‥‥
単なる社交辞令だったのか? この年にセの野球中継のメインカメラが正式にセンターカメラに移行した
とあったけど、開始当初の評判はどんな感じだった?
身近な人の感想とか何でもいいから知っている範囲で教えていただきたい >>139
結構評判は良かったように思う。
と言っても地方の子供に過ぎない自分の
身の周りという狭い世界の中だけど 日テレは当初やらないと言ってたが、開幕戦からいきなり開始。王が江本から2年連続の開幕満塁を打ったが、
その時走り出す前に両ひざに両手を置いて打球の行方を追ってたシーンは印象的。
この年の巨人は吉田・矢沢のベテランが故障して、山倉・笠間・福島ら未熟な若手捕手がマスクを多く被ってた。
そんな時期にセンターカメラ導入は相手にとってはオイシかったはず。 佐藤義則ってこの年と95年にヤクルトに日本シリーズ負けたが
昨年コーチとして日本シリーズヤクルトに勝った それから10年は中日と広島以外みんな関東か関西だっけ ヤクルトの連続試合得点を止めたのは
当時のマイナーで伏兵な大野豊(広島)だった。 6月12日夕方仙台で大地震。かなり死者が出て、翌日の新聞には大洋漁業仙台支社が潰れた写真が。
ところが5日後大洋−広島戦が予定通り宮城球場で開催。NHKのスポーツニュースでは「スタンドにはヒビが入って
います」よく試合やれたなあ(笑) >>151
おらあいつも思うんだけど、プロ野球を中止したのって1945年だけだよね。
全国各地で空襲がありながら野球をし続けたって、いい意味でも悪い意味でも凄いと思うね。 >>148
確か、ヤクルトのリーグ最終戦だったっけ? ヤク 躍進的Aクラス(接戦優勝)
巨人 躍進的Aクラス
広島 あわやBクラス
大洋 もしやAクラス
中日・阪神 壊滅的Bクラス
阪急 圧倒的Aクラス(本当は日本一)
近鉄 偶然的Aクラス
日公 あわやBクラス
ロッテ もしやAクラス
クラウン 善戦的Bクラス
南海 惨劇的Bクラス ゴトウ監督の送別会を選手会で企画するも
会費の決め方でごたごた揉めて結局お流れ、というタブチくんのネタが秀逸だった あと電球を取り換えようとしてたのを首吊り自殺と勘違いしたタブチくんに押し潰されるネタも >>154広島は8月上旬まで借金生活で
それから躍進(6連勝や9連勝)して
3位に入ったからあわやBクラスではないぞ。 >>132
何だかんだ言ったって、ノムさんは偉大だったということよ。 >>139
知り合いでは年寄りほどバックネットの方が良いと言ってたな CSで1978年の後楽園巨人阪神の開幕戦観てたけど堀内も江本も1球投げるのに1分費やすとか昔はチンタラチンタラ試合やってたんやなぁ。
実況が従来はネット裏からカメラ回してたのを今シーズンから日本テレビは後楽園のセンターにもカメラを置いてより迫力のある野球中継をしていくと紹介していたな。
ピッチャーが帽子のヘタでサイン送るとか懐かしいな。 この年から王・張本が全盛期の力がなくなって、衰え始めたように感じた。
前年の昭和52年が最後の輝きだったんだなあとしみじみ感じた。 ライオンズ消滅発表後のLASTゲームに王貞治出場って未来暗示のVSレッズ >>165
王は最後の2試合で8打数5安打。3割ジャストにして、シーズンを終了。 この年の日本シリーズ第7戦で大杉が足立から打ったあの本塁打は、記録上はもちろん永遠に本塁打だけど実際はどうだったんだろう
大杉が打った直後に足立がヤクルトベンチを見たらヤクルトの選手たちは最初「クソッ!」といった感じでみんな悔しがってたとか 田淵や古沢らが西武にトレードされていたな
古沢は後に高橋直樹とトレードされることになる http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q14165616744
↑
これ見てみるとタブチくんではボンヤリキャラだった
後藤監督ってぐう無能だったんじゃ…(´・ω・`) >>175
ドジャース、ジャイアンツの監督を歴任し、ジャイアンツ監督時代の1954年に
ワールドチャンピオンに輝いたレオ・ドローチャー監督の自伝の原題
「善人はビリに終わる(邦題は「お人よしで野球に勝てるか!」)」
を地で行く御方でしたな>後藤監督
ちなみにドローチャー自伝の題名はジャイアンツに於ける彼の前任監督
メル・オットー(一本足打法で本塁打を量産&人格者として知られ、現役時代の
実績・人気とその人徳により7年間監督を務めたが、チーム成績は低迷したまま
に終わった。)を揶揄したものだけど。 阪神のブリーデンの退団理由がいまだによく分からん。
怪我の長期化のためといっても、どこの部位を怪我したのかがまったく不明。 >>166
確かスタメンこんな感じだった。
外野守備自信ない。
土井正博がスタメンじゃなく、立花が5番。
遊 真弓
中 柴田
左 竹之内
一 王
右 立花
三 高田
二 基
捕 若菜
投 東尾 阪神戦でヤクルト大矢がサヨナラホームラン
あと1分で引き分けの場面で… >>170
そして翌年オフには巨人を追われることに… 張本は極度に守備が悪かったので、バッティングが衰えると、たちまち
レギュラーで出場するのが難しくなったと思う。
飛球を追って右往左往するレフトの守備は、危なくて見ていられなかった。 広島とヤクルト同時Aクラスなった年は大不況になりがち?