1978年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
野村派の追放で一気に転落した南海だが、この年は只でさえ戦力ダウンの上に
そこに追い打ちをかけるようにチームの中心選手達が故障で成績を落とした。
野手では藤原と門田、特に攻守どちらにも秀でた外野手だった門田がこの年は肩を痛め
翌年のキャンプでのアキレス腱切断で完全に打一本の選手になってしまう。
投手では一番潰しが効く年齢の金城が肝炎再発でシーズンをほぼ棒に振ってしまう。
おまけに広瀬監督らの時代遅れの首脳陣。
捕手の穴は野村の後継者育成に失敗して来たつけが一気に噴出。
こうして見るとなぜ藤田学は前年と同じ16勝もできたのだろうという感じ。 晩年のヨタヨタした守備しか見ていないから、門田が「守備に秀でた」イメージがどうもわかない。 南海も野村一派の集団退団を黙って見ていた訳ではなく、新外国人として
カルロス・メイとボビー・トーランというメジャーでもそこそこ名の通った選手を獲得してはいた。
メイは12HRながら打率.312(チーム最高打率)で打率6位、80打点とクラッチヒッターぶりを発揮したが
トーランはメジャーでアキレス腱を断裂した影響からか全く振るわず(.267 6HR)あえなく解雇に オールスター組織票が批判されて辞退した日ハムの古屋、菅野は
古屋はのちに何度も出場したが菅野は結局出場なしで終わった >>440
トーラン、、名前からしていかにもダメっぽい雰囲気があるなw
トーランがクビになって、王天上が来たのか。 メイはメジャーでも1000試合・1100本安打を記録した実力者で、ベトナム戦争の兵役に就いてた時に
バズーカ砲の暴発事故で右手親指を吹き飛ばされるも、独自の打法でメジャー
(主にホワイトソックスでプレー)を生き延びてた。
トーランはカージナルス時代には68年の日米野球に来日し、その後レッズでビッグレッドマシン最初期メンバーに
名を連ねていた。
アキレス腱を断裂し戦線を長期離脱してレッズからも移籍したが、後にアキレス腱を断裂した門田が
怪我からの復帰話をトーランから聞き、リハビリ中の励みにしてた 75年のAS遠投競争にパ代表の一人として出てる>門田 中日を追い出される形でクラウンライターに移籍したデービスだが、クラウンでも奇行癖は治まらず
遠征先の宿舎のルームキーをそのままかっぱらって福岡へ戻るのを繰り返してた。
ある時、抜き打ちで選手の持ち物検査であった際にデービスの鞄から大量のルームキーが見つかり
「この大量の鍵は何だ?」と聞かれるとデービスは「ルームキーをコレクションするのが趣味なんだ」と
答えたという >>443
チームが弱過ぎた為に日の目を見なかったけど、間違いなくメイは優良助っ人。
退団した翌年の新外人ダットサンがまるで外れだったことを考えると
もう1年メイを残してみてもよかったんじゃないかと思ってしまう。 中日時代のデービスは、俊足の上、長打もあり、実力はあったが、人柄が悪過ぎるので
評判は悪かった。スポーツ新聞にも散々に書かれていた。
練習の態度が非常に悪くて、チームの士気に影響したらしい。
「いくら実力があっても、デービスなんかいないほうがいい」と言われていた。 >>448
アメリカ時代のデービスはどうだったんだろう。
活躍してるから素行には目をつぶってもらえてたのかな。 投手陣が悪いチームは短期決戦は無理と言われてるが
去年・今年の西武で顕著に出てるし
この年のヤクルトはなぜ日シリでそれを覆せたのか
阪急に山口の故障もあったけど 第4戦5点差逆転勝ちが大きかった
あれ阪急が普通に勝ってれば3勝1敗で4連覇間違いなかっただろう >>451
あれ確か打者ヒルトンのところで山田投入のつもりだったらしいね。
なんで結局交代をやめたのか分からないけど、どうもこのシリーズは
阪急に油断があったんじゃないかって感じがする。 上田は山田に交代させるつもりだったが、ナインが「雄ちゃん(今井)に続投させましょう」と説得し、上田も情に絆されたら最悪の結果が生まれた その投手交代の判断ミスが翌日にも響くんだよね。
ブルペンでリリーフ準備O.Kまで仕上げていた山田が翌日先発して、案の定ピリッとしない投球で連敗してしまうわけ。
バカな新聞記者などのマスゴミは「山田は休養十分にも関わらず」などと言う人もいたりしてむかついた。 まあ、それもこれもリリーフエースの山口高志がシリーズ前に故障離脱したのが全て。
山口がいれば監督がリリーフの投手交代に迷うなんて事は無かっただろうに。 同じような継投失敗は1983年の巨人の第6戦でもあったな >>453
後年、取材で、審判に交代を告げてからマウンドへ行けば良かったと後悔を口にしていた。 この年から南海のレギュラー捕手の座をつかんだ黒田。
とにかく打てないけど19死球でリーグ死球王。
ポジションを守るために必死だったんだろうな。
チームは暗黒の時代の幕開けだったけど黒田当人には
まさに千載一遇の世に出る機会だったわけだ。 >>458
黒田は野村追放がターニングポイントになったね
あの後は西武にトレードされて日本一にもなれた
黒い霧事件後の投手不足が切っ掛けでエースになった東尾にも近い >>459
黒田は西武移籍の前年81年は香川、吉田、岩木と併用されるようになって
完全なレギュラーではなくなっていた。一緒に移籍した片平もそうだが
ブレイザー監督の評価があまり高くなかったようで、それが幸い?して
西武に移籍となった。レギュラーのままだったらさすがに南海側もトレードには
応じ無かったろうな。西武移籍で更に黒田は運が開けた。 1番福本70盗塁
2番簑田61盗塁
て、凄いね。
この年に限っては福本よりも簑田の方が凄いと思う。
それは福本は次打者が2番の簑田で盗塁のアシストをしてくれるけど、簑田の後はクリーンナップなわけで
2番打者ほど盗塁のアシストはしてくれない状況での61盗塁だから。 二人で131盗塁って、今にしてみたら凄い数字だよね
チームの盗塁数がこれより下というところが多いから 強いチームには機動力もあるからな
一見豪華でもヒットを四本続けて打たないとホームに帰ってこれない
打線は怖くない >>256
日本一前も人気あったよ。
V9時代は巨人戦しか客が入らなかったが、
最後まで優勝争いしたので、
その翌年初の黒字になり戦国時代になった
巨人戦以外のカードも客が増え、
長嶋巨人との優勝争いで人気定着。
村上ファンドのオッサンが覚えてるスタメンもこの当時。 1985年の近鉄打線もなかなかだ
走れる選手が大石しかいない野球盤打線 最近は外野が定位置で、走者がすぐスタート切れる二死でも
ヒットで二塁から還って来れない場面が増えた気がする。
外野守備が洗練されてダッシュからの送球が早くなったのに
走塁が洗練されてなくてスタートが遅いとかよく見るし(怒) この年の阪急は前年と比べても決して弱くない。
むしろ1、2番が充実して、強化されている印象もある。
日本シリーズでヤクルトが勝てたのは、やはり池沼と呼ばれた広岡監督の采配だったからだろう。 広岡は頭脳的な采配をするからな
見ていて勉強になる >>469
池沼じゃなくて知将じゃないのか
同音異義語でも、意味合いは対極だぞw 江川事件が起きるまでは阪急・ピーマン・北の湖が
3大子供の嫌われ者扱いだった この年に阪急が日本一になっていたら、上田は翌年以降も監督をやっていたのだろうか。 「まさかの退陣」
元々のきっかけは「もうお前は限界だ」と言って、八木沢荘六を強制引退させた事からだった。78年5月26日の日本ハム対ロッテ戦で、8回から
登板したロッテ・八木沢は最終回に2点リードを守り切れず敗戦投手なり、試合後に引退とコーチ専念を発表した。ところが、これは監督である
金田正一による指令だと分かり選手から不満が噴出してしまうと、ロッテは真っ逆さまに落下していった。
八木沢は当時まだ33歳、しかもリーダー格とあって影響力もあった。確かに直近2試合続けて先発で早期KOしていたが、引退発表の時まで
3勝2敗1Sで防御率3.69と平凡な成績という事を考えると、金田特有の投手像と気分によるものだったのか。
78年ロッテの滑り出しはむしろ上々だった。4月に4連勝と7連勝、5月にも5連勝、前年阪急とのプレーオフで最終決戦まで持ち込んだ自信と、
リー兄弟結成による強力打線で4年ぶり優勝もあると思われていた。阪急をピタリと追走し5月15日には貯金12で0.5ゲーム差に迫るほど
だったロッテ、八木沢の一件が起きる前日でも20試合強を残して4差で直接対決も8試合ある状態だっただけに、指揮官の求心力低下は
致命傷となった。5月31日の対阪急で打撃戦を制し5差としたが、6月に入ると前期の閉幕まで1勝も出来ずリーグワーストタイの15連敗まで
喫して5位で終了した。
勢いを失ったチームは後期に入っても今ひとつで5割近辺を上下していたが、皮肉にも後期復帰していた八木沢が完投勝利を挙げた8月22日の
一部スポーツ紙に、重光武雄オーナーの了承を得たとして「金田更迭」の見出しが出ると、翌日から2分けを挟んだ8連敗で終戦した。後期は
最終的に3位ながら借金持ち、まさかのシーズンを過ごした金田は最終戦の試合前に「ワシはもう疲れた」と言って辞表を提出した。
打撃陣でリー兄弟をはじめ山崎裕之、得津高宏らが奮戦したが、規定投球回クリアがわずか2人でリーグ最下位の防御率を記録した投手陣が
足を引っ張った。木樽正明の引退、成田文男の故障、金田留広と三井雅晴はピークを過ぎるなどV戦士の後を育て切れず、大洋からトレードで
来た奥江英幸も4月の移籍後初勝利以降は8連敗で終わり戦力になれなかった。大洋時代74年からの4年間で28勝を挙げ76年には11勝して
いた実績を活かせなかったが、同じ移籍組の野村克也も捕手出場31試合ながらリーグ最多タイの7捕逸に打っても30安打だけと南海時代の
面影はなかった。オフには1年のみ在籍の渡辺秀武と弟・留広を広島へ、野村と山崎を西武へ放出、チームはワンマン体制のお祭り野球から、
山内新体制の手作り野球へと舵を切った。 (了) この年の今日、ライオンズが福岡から所沢への移転を発表 >>476
またお前か
だからプリントアウトして家族に読んでもらえキチガイ >>475
あるいは、日本シリーズでのあの抗議がなかったら、上田氏は翌年以降も監督でいただろうか いずれにしても、この年で一区切りという感じだったのね >>476
コラムさんのレス久々に見るけど相変わらず面白い…
今年は西村と三木が理不尽なクビだし… >>484
西村と三木、どちらも無能ぶりを曝け出していたからね >>474
対象が子どもじゃなくて成人男性(巨人大鵬卵焼き時代の子ども) 普段不人気のパリーグでも西鉄や南海や西武は一時は巨人を食いそうなぐらい人気が出たのに
阪急だけはどんなに勝ち続けてもサッパリ人気が出なかったな >>488
阪急の立地が阪神とかぶるので、集客できなかったんだろうね
上田阪急と同時期の長嶋巨人の人気が高かったので、「巨人を倒す」よりも「長嶋の
巨人に勝ってほしい」ファンのほうが多かったのかも知れない 7月のヤクルト対巨人で凄絶な試合があった
シピンの暴力退場は知られているが
先発ライトが2回でko などで雰囲気が
騒然としていた中で試合が進み
その後大杉が自打球が顔面に当たる
いうアクシデントが発生、当然大杉は退場
さらには代打の伊勢まで顔面自打球で退場と一気に修羅場とかした
伊勢の場合は死球かな?そのあたりは
うろ覚えですまん。
9回裏、巨人の2点リードだったが負けられないヤクルトが粘りに粘って執念で追いつき引き分けに持ちこんだ
代走青木の神スライディングで同点になったはこの試合だったかな
ヤクルトの対巨人戦は角のサヨナラ3ランとかもあって、巨人コンプレックスとか揶揄されていたがこの年だけは払拭できた。広岡さんのおかげたろう >>476
スポーツ新聞でも金田ロッテは散々な書かれようだった
南海から野村が移籍してきて面白いチームだったんだけどね 王貞治の通算800号が8月30日、
今井雄太郎の完全試合が8月31日だったっけ? この年の夏頃の週ベで阪急の選手達が、今年のシリーズの相手はヤクルトだ
と言っている記事が載っていた。まあ実際その通りになったわけだが
この時点では自分達がそのチームに負けるとはまるで思ってない事も伝わってきた >>501
阪急のこの年のスローガンが、
「パーフェクトベースボール」
偶然だぞ! >>505
ペナントレースだけだったら完璧に近かったな、この年の阪急は この年の鈴木啓示の成績はやっぱり何度見てもすごい
最多勝25、最優秀防御率2.02、最多奪三振178 30完投 8完封
普通に見てMVPも妥当なのに、結局最後の大事なとこで負けちゃう・・・ 鈴木啓示はすごいんだけど、「パリーグの弱いチームのワンマンエース」を脱しきれ
なかったと思う。ライオンズの東尾もそうだったが、西武になってからは次第に
常勝チームの大黒柱の風格が出てきた。 阪急の後継球団とヤクルトが共にリーグ優勝は今年で3回目
(初回はこの年) 意外だったが、阪急の中沢はこの年初のベストナイン&ダイヤモンドグラブ賞
ダイヤモンドグラブ賞はこの年の一回きりだった >>511
そして、今年の日本シリーズはこの両チームの対戦となった
そういえばこの年も、日本シリーズで神宮を使えなかったんだよね >>511
今年で3回目だけど、今回もヤクルトの日本一で幕を閉じた ヤクルトは日本シリーズに出る機会は多くないが
出た時には何かを起こす可能性を秘めているのはこの時から受け継がれてるのかなと
監督森時代の西武の日シリでの連勝記録と今回セ球団の日シリでの連敗記録を止めたし >>515
そもそもヤクルトは日シリに8回出て6回も制覇してるというのがかなり凄い印象…
昨日の川端のタイムリーと清水は神がかりすぎたな… 黄金期阪急に勝ったのが広岡ヤクルト
黄金期西武に勝ったのが野村ヤクルト
だね この年のヤクルトがここまで強くなったのが謎
前任の監督が育成を頑張っていたという話も聞かないんだけどね 76年序盤で荒川が辞任し後任として広岡が監督になり、食事改善とか
いろいろやり出したのがきっかけ。また、日本ハムから移籍してきた大杉が
やっとセリーグに順応するようになったのも >>515
地味に巨人以外のセリーグ球団が久しぶりに日本一になるケースもヤクルトが当てはまることが多い感がある >>518
前年の若松大杉マニエルの数字見てみなよ
3人の打率打点本塁打はチームレコードとしていずれも20年ぐらい破られなかった
こんな核がいてキャッチャーがリーグナンバーワン大矢 後は投手だけじゃん マニエルが打つようになったのが大きいな
1年目はあまり打てなかったが、2年目以降強打者になった
マニエルを切ったとたん、弱くなった ヤクルトって、過去7回中5回は優勝翌年がBクラスなんだよね。何でこう反動が来るんだろうか?
来年に関しては、万に一つも崩れる要素がないが。
2002年は2位だったが、優勝した巨人に10勝18敗と大きく負け越したので決して見てくれは良くない。
1978→79(6位)
1992→93(1位)
1993→94(4位)
1995→96(4位)
1997→98(4位)
2001→02(2位)
2015→16(5位)
2021→22(??) >>523
八重樫が今だから言えると回想していたが
「日本一の翌年に最下位になったのはマニエル放出が原因じゃない。
シーズンオフはサイン会やイベントで副収入を稼ぐチャンスだったのに
それを秋期練習で潰された事だった。あれで「広岡監督はもういいや」という
空気がチームに蔓延した」そうだ >>519
セリーグに順応したからではなく、
移籍後荒川のダウンスイングに取り入れたが合わず、
本来のバッティングに戻して打てるようになった。 >>524
当時は年俸がそれほど高くないから、副収入は貴重だったのかもな
後の西武くらい年俸が高ければ、副収入がなくてもいいかも知れないが 堀内が1度だけ20勝した年のオフはサイン会しまくって翌年成績ガタ落ち >>524
V旅行で選手本人以外費用が自己負担だったせいで
翌年以降やる気を失った近鉄みたいなもんか >>526
西武の場合は選手のCM出演禁止とかやっていたけど
「結果を出せば年俸を上げてやる」という方針だったので
そのやり方は広岡監督に合っていたんだと思う
山崎裕之の回想だと1982年は数字だけなら減俸されてもおかしくないのに
「こんなに上げてもらって良いの?」と思ったほど景気よく給料を上げてもらえたそうだ >>526
掛布が若虎としてブレイクしてTV等に呼ばれたギャラを貯めこんだら
フェラーリを買える位の金額になったと言っていた まさに、チリも積もれば山となる
というパターンだね >>523
広岡の時はフロントとの内戦でチームが瓦解
野村の時は監督の慢心
真中の時は元々乏しい戦力での僅差の勝利で翌年Bクラスは特に不思議じゃない
>>524
そもそも広岡は78年の日本一を置き土産に勝ち逃げする気だったし
オーナーの松園・社長の佐藤もさっさと武上を監督にしたいからどうぞどうぞって感じだったのが
フジサンケイが「優勝監督を辞めさすと体面が悪い」と言って続投させ
広岡が「俺の好きなようにやらせてもらえるなら続投」と言ってやりたいようにやってフロント&選手と大揉めしたからな 体裁じゃなくてあのシリーズで記録した視聴率45.6%だよ
共同経営者の水野成夫が倒れた瞬間に球団を売っぱらったほど
大の野球嫌いで知られたフジ社長・鹿内信隆も「広岡という男は絶対に必要だ、
お前ら広岡を辞めさせたらクビだ」と関根潤三とアナウンサーの深澤弘を脅し、
この二人で何とか残留を翻意させた。
(越智正典「巨人を超えた男より) >>528
Jスポの番組で金村が面白おかしく語っていたね