1978年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
>>341
当時の圧縮バットの方が飛んでたけどね。 >>339
シリーズ直前に故障し登板不能になっていた(が、それを隠す為に選手登録は残した上で、ブルペンで投球練習させたりしていた)山口高志の
亡霊に怯えて自滅する姿しか(´・ω・`)
広岡・森並びにヤクルトの選手達は、第1戦の
山田久7回までに5失点→8回表に阪急逆転するも山口登板せず山田続投→山田5失点ながらも完投勝利
との阪急の投手起用を観て、山口高志のシリーズ登板不能と見抜き、精神的優位に立った様で。
後に大矢も「(逆転負けしたけど)第1戦で「こりゃイケるぞ!」というムードになった。」と述べていた。 山口高志が出ないのはなぜ?と当時不思議に思っていた。まさか投手生命にかかわるほどの重傷だったとは…
山口の離脱がなければ阪急がV4を達成していたのは間違いない。
第1戦、河村に逆転ホームランを打たれた安田もこの年を最後に事実上投手生活が終わってしまった。 第1戦・・・山田〇VS安田●
第2戦・・・今井●VS松岡〇
第3戦・・・足立〇VS鈴木●
第4戦・・・今井●VS安田〇
第5戦・・・山田●VS梶間〇
第6戦・・・白石〇VS鈴木●
第7戦・・・足立●VS松岡〇
13勝の佐藤、山口未登板
10勝の稲葉敗戦処理1登板 「移転効果」
川崎市とのひと悶着を乗り越えて大洋が横浜新球場をフランチャイズとした移転を決めたのは77年の事だったが、移転元年の78年シーズンへの
ファンの期待は高いものではなかった。マウンドが上下するシステムに人工芝の横浜スタジアム、マリンブルーを基調とした新ユニフォームは
イメージを一新するには十分だが、メンバーは広くなった新球場に合わせジョン・シピンの代わりに獲ったダニー・ウォルトンとフェリックス・ミヤーンの
新助っ人野手に、間柴茂有とのトレードで獲得した野村収ぐらいが目立った新顔といったところで、監督も第二次政権2年目の別当薫が指揮を執って
いた。
実際にプレーする選手には、環境の変化に目新しさを感じていたのか快調なスタートを切った。横浜スタジアム開幕戦となる4月4日の巨人戦を
2年目・斉藤明雄の完投で勝ち、16日から全て3失点以下で7連勝、5月も同じ16日から巨人と阪神への3連戦3連勝を含んだ7連勝を記録して
トップに躍り出るなど巨人と首位争いを演じた。6月には前月から躍進してきたヤクルトを加えての三つ巴になり、大洋は月間負け越しを喫しながら
首位・ヤクルトと3差の3位で踏ん張った。7月はエース平松政次を4月後半から5月上旬の期間以来のリリーフに回して、2度の対ヤクルト3連戦に
勝ち越すなど一時は巨人を抜き2位に浮上してヤクルトに1差と迫った。
しかし痛かったのは球宴直前に地元川崎・横浜で迎えた月間3度目のヤクルト3連戦での全敗で、特に3戦目は連投の野村と斉藤明ら4本柱全員を
注ぎ込む豪華リレーで逆転負けの10失点とショックは大きかった。同じ先発要員の安田猛をリリーフ投入したものの3連戦で同じ投手が二度出て
来なかったヤクルトと、野村と斉藤の他に平松も二度登板した大洋の差は、まだ前半戦だと分業を大きく崩さなかった敵将・広岡達朗と、勝負所に
踏み切るのが少し早かった別当との差ともいえた。
球宴後の成績は5割止まりで後半戦31勝13敗と勢いを見せた広島に抜かれ4位に終わったが、「Bクラスならせめて個人記録を」と別当が言った
ように投手では野村が17勝で最多勝とカムバック賞、新エース斉藤はリーグ最多イニングで16勝、先発と救援両用の平松も10年連続2ケタ勝利の
意地を見せてチーム防御率を最下位から2位へと引き上げた。野手でも300号達成と当時の二塁打リーグタイ記録を打ち立てた主砲・松原誠、生涯
最高の23本塁打80打点の高木嘉一、11年目で初の3割を打った中塚政幸の3人が打率ベスト10に名を連ねたバランスの良い打線でチームは
7年ぶりの勝率5割以上、移転の効果を考えるとひとまずは成功とまではいかないまでも一定の意味はあった。 (了) 巨人がV3逃した理由
・江川が来なかった
・王、張本の衰え
・長嶋采配 >>346
>>346
佐藤義はベンチには入っていた。
第4戦で試合前に鼻を触ってるシーンと、第7戦の長い中断明けにベンチから立ち上がるシーンが映像に残ってる。
稲葉共々、どしどし使っても良かったのではないか。
山口は腰痛で使い物にならなかった。 巨人とヤクルトとのマッチレースに敗れた年の巨人はなぜか一悶着
78年→江川ドラフトで阪神とイチャモン
92年→一茂トレードでノムさんとイチャモン
01年→マルハ球団売却問題で横浜とイチャモン
15年→賭博問題で笠原とイチャモン 「プロ野球ニュース」 でクラウン・巨人連合軍対シンシナティー・レッズ (福岡・平和台球場)
の試合の模様を見ているとき、急に悲しくなって涙がポロポロ流れた
By 福岡人のジジイ (旧ライオンズファン) 川藤「ワシが野球で食っていけたのは長嶋さんが新浦ばかり使ってくれたおかげや」 >>352
あの試合の最大の謎は「5番ライト立花」 >>356
この年から監督になった根本陸夫が立花を抜擢し、一年間レギュラーで使ったから プロ入りしてまだホームランがなく、デビュー時3番打ってたとはいえ、クリーンアップタイプではない立花が、王の後の5番は、やはり違和感あるねえ 立花は翌年開場した西武球場での公式戦第一号ホームランを記録したな。 >>349
ちなみにオリックスVsヤクルトの日本シリーズの時には佐藤義則先発していた たられば抜いたらこんなスレの存在意義あるのだろうか? だからと言って、讀賣ヲタの戯れ言を正当化する気にはなれん この年こそ巨人優勝して阪急破って日本一なってほしかった。
アニメ版新巨人の星ではそうなったが。 今時アンチ巨人やってる人って貴重だね。昭和の香りがする。 昭和53年のシーズンでは、王・張本の衰えが見え始めた
巨人が阪急に勝つには、昭和51年の日本シリーズがチャンスだった
昭和52年は阪急があまりにも強過ぎた シリーズ前予想じゃ巨人有利の声もあったけどね
…
それでも足立は打てないなとは思ったよ。 阪急や巨人よりもまだ優勝経験の無いヤクルトを日本一にした方が有意義だろう 77年の日シリは森とかほとんどの評論家が巨人の勝ち予想してたよ 78年のシリーズ
稲葉は虫垂炎だかの手術明けと聞いたが真偽は?? >>376
まだ読売の縛りが強かった頃だしな(´・ω・`)
かなり後の1990年の日本シリーズ前予想でもテレ朝ニュースステーションの月曜スポーツコーナーのコメンテーターを務めていた江川が明快に
「西武の4勝1敗」と西武の圧勝予想したのに対して、一般週刊誌面(無論読売とは何の関係も無い)で「巨人OBがそんな夢が無い話をすべき
では無い」云々と江川批判が展開された位で(w
まだ「プロ野球の発展の為には巨人が強くないと」いう考えが深く信じられていた時代の話。 球界最大の英雄である長嶋が
無名の上田に負け続けるという現実を
多くの野球ファンは認める事が出来なかったんだろう。
当然の反応だ。 >>305
この年の阪神ってこんなに勝率悪かったんだな 江本がソフトボールの投げ方でジャイアンツ戦に完投勝利したのって本当?
観た人いる?? >>378
今年広島が日シリで勝てなければ
この雰囲気になりそうな悪感… あの頃とは違って、今は讀賣の栄華など
誰も望んではいない 昭和の香りでもなんでも讀賣なんざ大嫌いよ
若い頃は試合の度に讀賣ファンを殴り倒してたわ 上田が「クラウンは真弓とか若菜とかキャバレーの姉ちゃんみたいな名前なのに、よう打ちよる」とか言ってた 巨人戦中心のナイターもテレビでもちろん見てたが
今井の完全試合とか鈴木と東尾のどちらが先に20勝に到達するかとかラジオで熱中して聴いてた クラウンに15才の練習生が二人いた
吉田大介(福岡市立志賀中→修猷館高定時制→所沢高定時制)
太田浩喜(福岡市立花畑中→修猷館高定時制→所沢高定時制) 5月に八木沢が現役引退コーチ専任、6月に現役復帰ということもあった。
その後ローテに復帰して9月に規定投球回に一瞬到達するが、不振で結局最終規定投球回数に到達できなかった。
代わりに仁科が二番手投手に台頭した年であった。 現役引退コーチ専任→1ヵ月後に現役復帰だなんて、
一体何があったんだ? きっかけは八木沢に対するカネヤン暴言事件。
確か記者団前に「お前はクビだ」と言い放ち、暫く問題になったような。 当時でさえそうなら、今なら大問題だろうな
ヘタしたら、監督のクビが飛ぶw 金田がテレビで言ってたがある日グラウンドに出てきたら、いきなり監督を首になってたとか 昭和53年のロッテは金田監督の暴言が過激化し、采配もおかしくなっていた。
試合中にベンチで選手と怒鳴りあいの喧嘩をすることもあり、選手の心が離れていった 前年に野村が「度重なる公私混同」を理由にクビになったという事実が出来たことで
必然的にどのチームも秩序を守っていかなければならない空気が出来た
そんな中金やんは旧態依然のままで、チームがBクラスが定位置になると
コーチ会議を欠席してゴルフに行ったりして不興を買ってしまった
拾った野村が活躍しなかったこともそんな空気を更に後押ししてしまった 金田さんはチームの調子がいいときは、陽気にチームを盛り上げて、記者たちにも
選手をよくほめるが、チームの調子が悪いと、言動が乱暴になったり、チーム運営や
采配が投げやりになったりする
当時、金田さんの投げやりな態度は、スポーツ新聞でよく批判されていた
>>398
コーチ会議を欠席してゴルフに行くのは酷いね
アトムズ監督時代の別所さんも、指導を豊田さんに任せて、自分は麻雀に興じて、
豊田さんがそんな別所さんの態度に疑問を呈していた
大投手出身の監督は、こうなりがちなのだろうか? 野村もサッチーに会うためにチームを抜け出していたし
長嶋稲尾小山も現役時代、スランプに陥った時のストレス解消法は
移動日にチームから離れてゴルフに行くことだった
そういうのがまかり通っていた世代だったとの解釈も出来るっちゃ出来る 昨夜のヤクルトOB戦に若松、松岡、安田、大矢、八重樫、杉浦らのV1戦士が出場したね
特に癌で余命宣告されていた安田が元気に姿をとりあえず見せてくれてよかった 金田さんや野村さん、長嶋さんと同じ世代でも、榎本喜八さんは真面目な性格で
酒とか女とかゴルフはしなかったらしいね
趣味は猟銃で、スランプになると怒り狂って部屋の中で猟銃を乱射することもあったが、
この真面目さは他の選手も見習うべきであった >>405
息抜きを知らず何事も思い詰める性格でストレスを貯め込んだ末の行動として、戒めとして紹介される事が多いね。
元々3安打しても自分の打撃が出来てないと1人悩み苦しむって性格なのに、永田オーナーの意向で同僚が次から次とトレード放出されてミサイル打線只1人の
生き残りとしてチーム内で孤立化してしまった事とか、自身の加齢に伴う体力気力の衰えとか次から次と難題が降り掛かってきたらね・・・・・・。
1963年をピークに自分(の打撃)は壊れたと言っていた人だし。 臍下丹田に気を集中して打つ優れた打撃理論を持っていた
榎本さんを打撃コーチとして迎えて若手打者の指導をしていれば、長嶋巨人は三連覇できていた 榎本は人付き合いが下手だったし、それはさすがに無い
荒川博と山内和弘くらいにしか交流が無かったし、長嶋をライバル視してた。
(王は荒川道場の弟弟子と見なしてた) >>407
そんなタラレバ、後からだったらナンボでも言えるわなw >>412
お前らの脳内には珍カスと虚カスしかいないのかw
これだから知恵遅れは困る この時代なら鯉カスと竜カスとヤクカスと鯨カスと近カスと急カスと南カスと西カスとガムカスとハムカスもいる ジュリーはレコード大賞連覇を逃し、最優秀歌唱賞と発表された瞬間思いっきり嫌な顔。
受賞式でも「ファンの皆さんごめんなさい。本当に残念です」と発言、最優秀歌唱賞の権威を落とす。
レコード大賞はピンクレディー。 9月6日まで巨人首位。試合消化の違いで実はヤクルトの方が優位だったとあまり気付かれなかった。
9月以降ヤクルトは奇跡的な勝利、巨人はアホな星落とす機会増える。 中日がヤクルト支援に回ったおかげだなw
後年、廣岡がラジオで「あの時は私も随分といい思いをさせてもらった」と語っていた。 セリーグMVPは打率2位の若松だったが、その若松を打撃3部門全てで上回った広島の水谷は、外野手ベストナインにすら選ばれなかった。
(若松以外の外野手ベストナインは、本塁打王の山本ピーコと、39本塁打のマニエル) すいません、すげー適当なこと書いてしまった。水谷はこの頃既に一塁手だった。
意地でも王をベストナインに選んでた時代だから、そりゃ水谷は選ばれないか。 確か1979年、三部門全てで王を上回った大島がベストナインにかすりもしなかった そんなに王ってだけで偉大なら今年1/3イニングだけソフトバンクの一塁を守ってベストナインに選ばれるがいいさ 王が引退した80年は、さすがに首位打者の谷澤がベストナインに選出されたが、
それでも記者陣は打撃30傑中最下位の王に半数近い票を投じていた。 1978年の捕手、大矢が選ばれて、大矢より打撃成績の良かった田淵、木俣、水沼は落ちた。
ヤクルトが優勝しなかったら、多分大矢はかすりもしなかったろうね。 >>200
田淵不振は阪神初の最下位で田淵放出につながって行った >>411
キチガイはお前
榎本にコーチなんて務まるわけがない http://hissi.org/read.php/meikyu/20190722/TlZvOElFTDM.html?name=all&thread=all
板:野球殿堂(仮)
日付:2019/07/22
ID:NVo8IEL3
名前の数:1
スレッド数:12
合計レス数:12 コイツ、NVo8IEL3に親でも殺されたのか
とでも言わんばかりに粘着しているな 8月20日巨人102試合消化 4.5差首位
9月6日巨人115試合消化-0.5差首位転落 以後浮上できず この年も、82年も86年もライバルが試合数を残していて5ゲーム離していても「負け数」が多かった。
今年は逆に残り試合数も多くて負け数もずっと少なかったから、見た目以上に楽だった。 ヤクルトスワローズの日本一
それがあったのは、この年の今日だった 訂正
この年の今日に発生したのは、ヤクルトのリーグ優勝だった
スマン… 野村派の追放で一気に転落した南海だが、この年は只でさえ戦力ダウンの上に
そこに追い打ちをかけるようにチームの中心選手達が故障で成績を落とした。
野手では藤原と門田、特に攻守どちらにも秀でた外野手だった門田がこの年は肩を痛め
翌年のキャンプでのアキレス腱切断で完全に打一本の選手になってしまう。
投手では一番潰しが効く年齢の金城が肝炎再発でシーズンをほぼ棒に振ってしまう。
おまけに広瀬監督らの時代遅れの首脳陣。
捕手の穴は野村の後継者育成に失敗して来たつけが一気に噴出。
こうして見るとなぜ藤田学は前年と同じ16勝もできたのだろうという感じ。 晩年のヨタヨタした守備しか見ていないから、門田が「守備に秀でた」イメージがどうもわかない。 南海も野村一派の集団退団を黙って見ていた訳ではなく、新外国人として
カルロス・メイとボビー・トーランというメジャーでもそこそこ名の通った選手を獲得してはいた。
メイは12HRながら打率.312(チーム最高打率)で打率6位、80打点とクラッチヒッターぶりを発揮したが
トーランはメジャーでアキレス腱を断裂した影響からか全く振るわず(.267 6HR)あえなく解雇に オールスター組織票が批判されて辞退した日ハムの古屋、菅野は
古屋はのちに何度も出場したが菅野は結局出場なしで終わった