【毎日大毎ロッテ】 オリオンズ 【川崎宮城南千住】 [転載禁止]©2ch.net
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栄光のオリオンズについて語ってくれ!!
「あんな場面でスクイズを指示する馬鹿がどこにいるんだ!!」 >>438
でも最初の数年の求心力はすごくて
ノムとか上田みたいな理論家が
チームの戦力とかを超えた得体の知れない力が怖かったと言ってるな。
またこんなチームは見た事がないとも言っている。 池辺は34をカネヤンに取られて16番にされて、挙句の果ては阪神行きだったな。
金田ユニで16番の池辺の写真は見た事がないな。 第一次の時のカネやんは勝負勘が鋭かったと当時の選手が証言してた。
代打や継投やエンドランなどがズバズバ決まったらしい 親会社のCMに出た監督って、金田が初めてかな?
ガムはロッテ 野球は巨人w
晩年は名球会で問題を起こしたりして、最近はほとんど姿を見ないな >>437
当時の福岡ではとてもじゃないが球場でロッテの応援なんかできなかった
ホークスの時代に変わったてからは応援団が声をはりあげて歌っているが 今じゃグランドの選手が主役なのがわかっていないのか?と思うぐらい
糞やかましい応援してるな、ロッテのサポーターとやら ロッテが川崎から千葉へ移転する時に、川崎市が慌てて川崎球場をドーム球場にするからと言ったが、既に遅しだった。
さっさと改築すれば客が集まったのだろうか?
ロッテが川崎市民にとって人気があったかどうかわからないけど、同じ神奈川県にもう一つの球団があるから人気がそっちへ流れたと思う。
しかし、後楽園→東京ドーム時代の日本ハムと、西宮球場時代の阪急→オリックスではカラカラではなかった。 別にロッテのファンではないが、その他5球団が
グランドの選手が主役なのがわかっている応援をしてるようには到底見えないがな 川崎時代の怖い応援団は
千葉に移転してから3年ぐらいで身を引いた。
そういや内野席に応援団が陣取っていたのは川崎が最後かもな。
今のロッテサポは松本団長の名を知らないのが殆どだろな 大洋が川崎から横浜に移転するときも一応は反対運動をやっていたが
「近くで巨人戦を見られなくなるからだろ」と冷めた目で見てたな
あのチームもイマイチ地域に密着していたとは思えず なんだかんだで稲尾の頃までかなり強豪球団だったんだな。
あの暗黒期は負け越しにも陥ったような通算成績だが・・
===
千葉ロッテマリーンズ年度別成績
http://bis.npb.or.jp/teams/yearly_m.html
(1950-2015 通算成績〉 4283勝4217敗359分 .504
稲尾監督退任と同時に落合が抜けたせいか
有藤監督になって沈んでかねやん二期でどん底って感じ 80年代後半から千葉移転まではロッテファンというだけで後ろ指を指された。
これは誇張ではなくまじで そういや内野の応援団って他のチームにもいたね
後楽園では巨人応援団がダグアウトの上に乗って旗を振ってたきがす
ことしも10、18の季節が近づいてきた
雨天中止が多かった昔は20日ぐらいまで普通に消化試合してたね 落合が抜けたのは痛かった。落合を中軸とした強力打線を続けてほしかった。
でも、ロッテにはもう落合の高額化した年俸を払えなかったんだろうな。
あの勢いで毎年三冠王を取り続けて、ますます年俸が上がったら、
球団の財政は厳しくなってしまう。 スポニチで見たが、本社はロッテから1億円選手を出そう!
という意欲はあったが球団内部が消極的だったらしい。 落合はロッテ時代の方が、マスコミとの関係が良好だった気がするな。
中日移籍後、星野との関係が色々言われてから距離を置く様になった気がする。 落合は守銭奴扱いされたけど、王や長嶋が金金いわずに提示された額のまま
受け入れてたのが良くなかったと盛んに言ってたね
金もっとよこせ!というのは日本人的に好ましくなかった風潮があったし
王さんは国籍上日本人ではないが、メンタルは下手な日本人よりはるかに上 >>456
王と長嶋については、真偽は不明だけど
事前に非公式に折衝して金額を合意した後、
表向きには一発更改をした様に演出していたという説が一部で出ていたな。
以前出ていたアンチ巨人本にも書かれていた。 「俺は生まれてこのかた、ロッテファンには出会ったことがない」
東京の友人がこんなことを言ってた(現実にそうだったんだろうけど)
暗黒の川崎時代の思い出話 川崎移転後も仙台にはそれなりにファンがいたはず。
宮城球場の老朽化によるロッテ試合の減少や移転後の時の経過による自然減で
楽天が誕生する前には激減していたけど 金田監督で優勝していたころは人気はあったんでしょ
関西球団の優勝に食傷気味だった一時的な「にわかファン」ばかりだったのかもしれんが 東京ハムはイケメン選手目当てに多少は若い女性ファンはいたが
川崎ロッテは・・・
自分は私設FCにお世話になったので知り合いはたくさんいました
ほとんどいい人ばかりでした
川崎移転前は知りません >>460
関東のパ・リーグ球団の優勝(西武ライオンズ優勝以前)
1950年 毎日オリオンズ
1960年 大毎オリオンズ
1962年 東映フライヤーズ
1970年 ロッテオリオンズ
1974年 ロッテオリオンズ
1981年 日本ハムファイターズ
少ねえ・・・ 南海、西鉄、阪急が占めて関東の球団はお手上げだった昔のパ NHKオンデマンドにドラマ「フルスイング」があったのでみた
元コーチの高畠さんをモデルにしたドラマなんだが、この人は
ノムさんが南海解任にされた時に一緒にロッテに来たそうですね CS負けちゃったか・・・
まあ来年は下剋上なんて言葉に踊らされずに堂々と優勝しようぜ
1シーズンを通しての優勝は1970年が最後なんだよな 今年も「CSに出れた」「福岡まで行けた」の達成感あるシーズンで、
屈辱は無いから来年にはすっかりリセット。
祝CS進出決定のボードを掲げてみたり、本拠地のファンへ
「〇〇(地名)へ行きましょう」と呼びかけたりを恥ずかしいと
感じる自覚がなく、CSなど通過点という感覚のホークスがそんな
程度で祝ってたら「敵地に行こうでなく福岡で迎え撃てよ」と
ファンも呆れムードに包まれることでしょう。
優勝せずにCSを勝ち上がった中日、阪神は胴上げをしなかった
のに、ロッテだけ胴上げをやらかす等そんな節度の無さも含め
精神的な成熟度の低さがチームの伝統にすらなっています。
守るべきものが無い戦いに勝利してもプライドは生まれない。
プライドが無いから伝統が築けない。
守るだけで失うモノしかないのが王者。
下剋上というノリだけのポストシーズンだけでは成長も
進歩も無く、これからも過去の繰り返しに留まることでしょう。 ヤクルトの山田哲人が10月27日、ソフトバンクとの日本シリーズ第3戦で3打席連続本塁打を放った。
日本シリーズでの3打席連続本塁打は、1970年に巨人・長嶋茂雄がロッテ戦で放って以来、史上2人目
の快挙。1試合での3連発は史上初で、1試合3本塁打も史上初だ。
この日はロッテOBの山崎裕之がラジオで解説
前回、1970年の長嶋のときは、対戦相手・ロッテの選手として直に見たわけだな。 そのうちの1本をなんかの番組で見たことがある。
完璧というより、泳ぎながらも長嶋一流のミートポイントを合わせながら打った打球で
いかにも東京スタジアムって言われたんじゃないか?
と思う打球だった。 そういや今年のドラフト3位も「成田」だったな。
時代は巡るものだ。
先輩の成田に倣って大成してほしいもんだね。 日本シリーズの被本塁打数
山田久志 23本 127.2回
足立光宏 15本 124.0回
工藤公康 13本 120.1回
渡辺久信 11本 90.1回
別所毅彦 10本 100.2回
稲尾和久 10本 113.2回
成田文男 9本 14.2回
高橋明 9本 37.0回
高橋一三 9本 98.0回
堀内恒夫 9本 140.1回 >>467
>1試合での3連発は史上初で、1試合3本塁打も史上初だ。
どこかの記事のコピーだろうけど気がつかずに(?)ダブって書いてるなw 1試合3連発は、 本塁打 本塁打 本塁打の純粋に本塁打が連続してないとだめで、
1試合3本塁打は、 本塁打 三振 本塁打 本塁打みたいに途中に何か挟まっても
いいんじゃないかな。 オールスターで言えば
1試合3本塁打はギャレットが初で、1試合での3連発は掛布が初 今のロッテは補強には渋ちんだけど
昔は上尾高の山崎裕之を自由競争で契約金が高騰する中、
5000万円以上、いまでいえば、
6億円をゆうに超えているであろう金額で獲得したんだよね。
果たして今と昔、どっちが総合的に見て良いんだろうかね? 大映本体は65年の時点で既に斜陽だった。
67年に粉飾決算が露呈して一気に経営悪化。
70年には自前で配給網を維持できなくなり(日活とダイニチ映配を立ち上げ)
71年3月にオリオンズから手を引いて半年ほどで倒産 永田さん私財も吐き出してすっからかんに
なったらしいが自己破産しなかったから
他企業の社外役員辞めずに済んで復活出来たんだな
因みに当時の監督だった濃人は優勝時
自分より先に永田さんが胴上げされた事を根に持って
永田さんの告別式には行かなかったらしいってのを
何かで読んだ記憶がある 萬屋錦之介の主演映画 『日蓮』 (1979年・松竹) は
たしか永田さん (日蓮宗の信者) がプロデューサー
まだ元気はあったんだね 永田はやってる事がムチャクチャで周囲に迷惑をかけ続けたが
憎めないところがあったわな >>484
オリオンズ時代には東京に本拠を構えてたこともあるし、
全く縁がないわけでもないからな。
個人的には、ハムがまだ東京にいたころ、よく通い詰めていた。
明らかにロッテの方が外野が早く埋まったし人も多かった。
空席も多くてゆったり観戦できたし、マイナー感がたまらなくて、
いまだに俺の中では東京ドームでのハム対ロッテは黄金カードw
まあ、今回はあの雰囲気はもちろん望めないだろうがなw >>483
楽天の三木谷みたいに、いかにも単なるビジネスでやっているというような
オーナーに比べたら、はるかに好感が持てるよ >>486
野球とチームに対する情熱は
当時の12球団でも随一のオーナーだったね
ファンもそれがわかっていたから
東京スタジアムでの最初で最後の優勝時
観客から胴上げされたんだと思う >>486
>いかにも単なるビジネスでやっているというような…
西武の堤もそんな感じだったな 只、日米問わず
オーナーのチームに対する情熱=オーナーの現場介入の多さ
として反映してしまうのが実に残念(´・ω・`)
メジャー版永田ラッパと言うべきスタインブレナーがオーナーのヤンキースにしても、
彼がオーナー権を剥奪された期間に、オーナーの現場介入のプレッシャーから解放
されたGM・監督以下のフロント・現場主導でファーム整備がなされ、90年代の名門
復活の基盤となったと今でも指摘されているし。 今現在の千葉ロッテマリーンズを見ていると永田オーナーの時代は幸福だったと思う。
現在の千葉ロッテの球団社長も観客増のための策を色々打っているけど、
野球そのものに絡んだものではなく、外側の飾りつけばかりに目が行っているように思う。
先日報道のあったお菓子の球場計画等々、野球そのものとは離れていることばっかり。
社長は(オーナー代行もそうだけど)野球そのものにはあまり興味がなく、
イベントをやることに高い比重を置いている気がするんだよな。
飾りつけのみを一生懸命しつらえても、肝心な本体がおろそかだったら、大きな成功は望めないのではないかな・・・。
そりゃオーナーが試合中に選手起用を提示したFAXを送る、とかなると弊害が大きいけど、
(ゆがんでいるとはいえ)愛情がある分まだマトモなのかな、と思う。
愛情の反対は“無関心”だからね。
だからチームを強くすることに必死だった永田オーナーみたいな人がいた時代を、心底うらやましく思うよ。 岸信介がロッテに球団スポンサーを命じなければ
大映倒産時にオリオンズ球団も存続危機に見まわれたんだろうな >>488
堤はまだチームを強くしようとはしてるからねえ
今みたいにすぐに球場ごと売却したいという感じではない。 堤が凄いところは
現場は全て根本に一任して
堤の部下にもそれを守らせた事 東映フライヤーズの球団史も
ベースボールマガジン社から出て、
球団史シリーズから外されているのは
オリオンズだけになった。
東映に先を越されたのは意外です。 毎日、大毎、東京時代もたっぷり載せた球団史MOOKを希望 ミスターオリオンズの榎本が野球殿堂入りですね。
かなり遅くなりましたが、喜びたい。 おお、榎本さんが殿堂入りか。自分もすごくうれしい。
愛用のバット、精神統一の修業のために藁を切った日本刀・蛙を撃った猟銃などを
殿堂博物館に展示してほしい。
今の少年ファンたちも喜ぶだろう。 >今の少年ファンたちも喜ぶだろう
ネタ的にじゃね
榎本?誰
あぁ蛙や家の中で猟銃ぶっ放した,
アレな野球選手だったヒトでしたっけ? >>498何でお前みたいな出来損ないの大人が育っちゃうんだろうねぇ…。 親の顔が見てみたい。お前、その年齢になって親の顔が見てみたいとか言われるのって本当に出来損ないだよな(動かせない真実) たとえリアル世代でなくてもそのチームの大物OBなんだから伝説は語り継ごう 自分が調べて満足すればいいだろ。
他人に強制するようなものじゃない。 猟銃で蛙を撃つ練習をしたからこそ臍下丹田の集中力が鍛えられて
研ぎ澄まされたバッティングができたんだよな
語り継ぐべき伝説の大打者だ 榎本の猟銃事件どころか王の真剣での藁切りも今だったらアウトだろうね。
たかが野球で本身を振り回すなんて!ってな感じで。 名著沢木耕太郎「敗れざる者たち」に1章ある。結果的にこの名著の記述が榎本氏のイメージをを増幅させてしまったのは残念だが、凄まじい生き様を伝えてくれている。
ジャイアンツのV9の陰に隠れ、オリオンズの場合は74年の日本一の栄光で、逆にそれ以前の名選手が色褪せて見えてしまうことにもなったかな。
殿堂入りは遅かったけど、奥様がお元気のうちでの嬉しい知らせで、何よりだった。 榎本の場合、安打製造機といっても、張本なんかと違って引っ張り一辺倒だからね。
王と一緒。師匠が同じ荒川ってのもあるが。 榎本はHR打者としてはやや非力なのが災いして
チーム事情で一発を狙わざるえなくなってから打撃が狂い故障がちになって衰えていった。
本人いわく首位打者の66年も満身創痍でなぜタイトルを獲れたか分からないらしい 山内が残留して、ずっと山内といっしょにクリーンナップを組めていたら、
榎本は自分の打ち方を続けられて、もっと長く活躍できたかも知れないな。
中距離打者の榎本が三番で、その後に山内と葛城がいて、さらにアルトマンが
加入していたら、すごい打線になっていただろう。 山内は広島でも移籍一年目で首位打者になってチームも初のAクラスになった。
榎本と三四番ならちょっと手がつけられない打線になるな。成田、木樽、八木沢、村田と投手は揃いだしたからオリオンズの天下になったかな。小山とのトレードはなんだったのかって。 昭和40年代のオリオンズは投打とも戦力は充実してたと思うけど
嘗て自分達の指揮官だった西本幸雄監督が作り上げた
阪急の後塵を喫する事になったのはまさに皮肉。 西本監督が継続していたら
大毎時代を築いた可能性もありますね。 >>513
放棄試合が要因とは云え
優勝監督の濃人や後任の大沢親分が解任されている
永田~中村~重光体制のオリオンズで御大が長期政権は
有り得ないと思うわw
御大が阪急近鉄で結果を残せたのは
小林佐伯の両オーナーの支持があったから
球団上層のアンチ御大を抑えられた
阪急でも最後は勇退とは名ばかりの解任に近い形だったし 西本監督がその後も続いて、ずっと榎本さんの相談相手になってくれていれば、
榎本さんもあまり心を病まずにすんだのになあと思う。
西本監督なら室内で猟銃を乱射して暴れる榎本さんを温かく見守り、意味不明の
言動に対しても笑って水に流してくれただろう。 >>510
はあ?
いつ山内がセリーグで首位打者になったんだ? >>514
阪急は小林米三が急死してから、技術系出身叩き上げの森薫がオーナーになっているけど、
同様に西本をバックアップしていたな。近鉄移籍時も森が会見に姿を見せているし。
森と柴谷貞雄といった叩き上げオーナーの時代がちょうど球団の全盛期だったな。
小林家に婿入りした三村公平が売却を決断したが。 確かにオリオンズの経営陣の変遷を見る限り
西本監督の長期政権の可能性は薄そうだ
でも、やはりもしそれが実現していたら
と思ってしまうよねえ
西本監督が作り出した阪急の強さを見ると 阪急と違って親会社の経営が弱かったから無理じゃないかな。
大映は映画全盛期でも大手でブービーだったし
毎日新聞は大毎以後やる気を失って徐々に球団から手を引いていった 榎本は結婚するとき別当監督が仲人をしたんだっけか
ものの本では練習で打ったボールが神社に飛び込み
それが縁で神主の娘に惚れたとあった
>>514
広島では首位打者はとってないよ
3割打ってベストナイン 若林、荒巻、別当、西本、小山、山内、田宮、村田、落合、榎本。
殿堂入りを多数輩出している。
やはりパの名門だ。
有藤も選ばれて良いと思う。 榎本さんには打撃コーチになってほしかった。
そして、若い選手たちに臍下丹田に気を集中してホームベースの上にお城を
築いて打つ最高のバッティング技術を伝授してほしかった。
このバッティングを継承する選手がいないのは、いかにも惜しい。 「日本は私たちの優勝自販(JAPAN)機」 韓国サッカー協会ポスター
http://livedoor.blogimg.jp/oboega-01/imgs/f/9/f933400c-s.jpg
どこぞの在チョン球団、今のバカチョン・ロッテみたいなポスターだな
昭和時代の在チョン球団は、まだ日本人名を名乗る在チョン芸能人と同じく
出自を明らかにせず、出しゃばりもせず日陰の存在だったが 71年のロッテって独走優勝した前年とほぼ同じ成績
(と言うか勝ち星は同じ、負けは一つ少ない)なのに
阪急に3,5差の2位
こういうケースって他にもあるのかな 中村さんもですかね
やり方は決して成功だったとは言えないが苦しい時代に球団を引き受け
現在までパリーグが続くのに必要不可欠な功労者で間違いない 毎日時代のオーナーは空気だよね。
そこそこ強かったのにな 永田さんの大映スターズと合併する前は
もちろん毎日新聞のお偉いさんがオーナーだよね >>525
思い付いたのは
1954 西鉄 90勝47敗3分 .657 2位南海に0.5ゲーム差で優勝
1955 西鉄 90勝50敗4分 .643 優勝南海に9ゲーム差の2位
1956 西鉄 96勝51敗7分 .646 2位南海に0.5ゲーム差で優勝
1957 西鉄 83勝44敗5分 .648 2位南海に7ゲーム差で優勝
1959 大毎 82勝48敗6分 .631 優勝南海と6ゲーム差の2位
1960 大毎 82勝48敗3分 .631 2位南海に4ゲーム差で優勝
1961 東映 83勝52敗5分 .611 優勝南海と2.5ゲーム差の2位
1962 東映 78勝52敗3分 .600 2位南海に5ゲーム差で優勝 10・19で仰木にどやされた佐藤健一が好きでした
プロ野球大運動会の走り高跳びで優勝したこともあるんだぞ 8 弘田(強肩、快速、小柄)
6 飯塚(金田の怒られ役)
5 有藤(ミスターロッテ)
DH リー(外人No.1)
3 レオン(外人No.2)
9 得津(職人、左打者)
7 白 (No.1コリアンバッター)
4 水上 (ロッテの貴公子)
2 袴田(堅実捕手)
投 村田(世界のまさかり)
他の印象深い選手
内野 長谷川(一夫)、山崎、新井、
外野 庄司、高沢、張本
投手 水谷(張本に背番号10を譲った) 三井、荘、仁科
あと南海から来た野村克也、代走飯島、それと
いつも赤いポロシャツを着ていた応援団の大声のオジサン。
う〜ん、あの頃は楽しかった。。 83年に川崎球場でロッテの芦岡がレフト場外へ消えるホームランを打ったんだけど
川崎球場でライトならまだしもレフト場外を見たのはあれが最初で最後 堀幸一のレフト内野スタンド場外ファールを見たことがある 経済】ロッテお家騒動、弟2連勝で「脱日本・韓国化」加速[3/07](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1457321234/
さっさと球団ごと日本から出て行けよ
しばき隊やSELADsと同じような黒ゴキブリ・チンピラ応援団も一緒にな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています