元広島のマイナーな選手を懐かしむスレ その3
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2000年代の左中継ぎ 広池、佐竹のコンビ。
菊地原や河内と考えたら、マイナーだな。 ウルソー
ヤング
ベルトラン
ニューマン
ベイル
ワトソン
コジロースキー
日本人が駄目すぎて毎年のように外国人左腕を補強したが
まともなのはベイルひとりだった・・・ >>255
ベイルは最初の入団時は好成績だっただろ
あとコジロースキーじゃなくてコズロースキーな
これも一年目はそこそこの成績残してる >>255
懐かしいな・・・
ウルソー ビア樽みたいなワンポイントフォアボーラー
ヤング オリンピック金メダリスト
ベルトラン 記憶にない
ニューマン ヤクルトのお古
ベイル 先発で10勝、抑えで30セーブの優良外国人
ワトソン 3ヶ月くらいしかいなかったけどあと1年様子を見たかったかも
コズロースキー 抑えも先発もやったけど中途半端だった 試合前のランニング中のガードナーに声を掛けたら
ピースサインで答えてくれたのがうれしかったなあ
来日1年目は活躍したのに2年目は急に打てなくなってあえなくお払い箱 >>248
恐らくその山本捕手だったと思う。昭和56年9月?中日の三沢が先発してた中日戦でライトスタンドにいてブルペンの金網越しに
山本捕手に握手してもらったこと覚えてる。分厚い手だった記憶がある。
川端という投手と白武という投手が西区草津南の同じマンションに住んでた。 既出ですが山根和夫(けっしてマイナーではなかったと思いますが)に良く似た漫才師がいませんでしたっけ?思い出せない‥‥ >>262
名鑑には団しん也に似ているとよく書かれてたね >>263
それぞれ!ありがとう、スッキリした(^^) (・ε・)「河野はこのスレでも冥福コメ書かれないなんて実におまんこだね」 1年だけだが抑えで活躍したしオリンピックにも出たし
丸刈りやら逆レイプやら肘が痛いやら佐々岡に謝れやらネタも豊富だし
河野は言うほどマイナーでもない >>213
いつも投げる前にお祈りする人だっけ?
違ってたかな
浩二監督時代によく使われてた投手はどれもタイプが似ていて
記憶がごちゃごちゃになってるw 捕手としてはメジャーの西山
三塁手としてはマイナーの西山
外野手時代の野村研二郎 衣笠を早くサードにコンバートして渋谷をファーストで使って育てれば
大成したかな?
衣笠の代わりに斉藤を使って育てれば大成したかな? 一年だけ活躍した前間
高校時代は学業優秀で国立大への進学も決まっていたというが
意気に感じてプロの世界へ でも結果は×
厳しいね 半年だけ活躍した守岡
外国人選手を獲得して出番がなくなったね 前間は最後の年も一軍で投げていてクビになるような成績ではなかったのに自ら引退したんだっけ >>276
理系出身の野球選手は割と珍しい
プロ入りせずにそのまま進学→就職していれば
今は… >>282
適性があったとしても理系学部なら研究やらレポートやらで多忙で
部活動との両立が難しいからじゃないかな 原辰徳と同じ時期にデビューした(年齢は違う)のでチームもタイプも違うのに
「もう一人の原」とか「影の原」とか、マスコミに取り上げられるときは
本人にとっては失礼極まるリードが付いていた 80年代に終盤の代走で良く出てきた、
「足のスペシャリスト今井」
割とあっさりと引退して実家の魚屋を継いでた。 80年代の走り屋といえば、セリーグは今井、パリーグは近鉄の藤瀬 今井の息子は古葉監督率いる東京国際大でレギュラーでプロ志望ながら、
指名はなく。社会人でもプレーしてたが。 カープ初期にいた三村勲は三村敏之より後に亡くなったんだね
今年も健在の秋村
===
宮城球場
2017年(平成29年)、楽天との命名権契約を更新。同時に球場名を「Koboパーク宮城」に改称。
8月30日にナイトゲームとして催された楽天対西武戦では、8回表の終了後に激しい降雨で中断している間に、野鳥の大群がグラウンドに飛来。内外野を低空で旋回したため、グラウンド整備後も試合を再開できない事態に陥った。
スタッフが笛を吹きながら野鳥を追い掛け回したり、中堅の後方から花火を数発打ち上げたりしても上記の事態が変わらなかったため、最終手段としてテレビ・ラジオの中継ブースと1塁側・3塁側のダッグアウトを除く照明を消灯。
この状況でドローンを球場の上空に飛ばしたところ、野鳥の大群は内外野から離れた。しかし、すべての照明の再点灯に時間を要したため、試合が58分間にわたって中断。さらに、8回裏の終了後に雨脚が再び強まったことから、
2度目の中断を経て球審の秋村謙宏から降雨コールドゲームを宣告された(結果は8-8の引き分け)。2リーグ分立(1950年)以降のNPB一軍公式戦において、鳥の飛来で試合が中断した事例は、この試合で4例目である[34]。
>>287
もう一人の原はまだ許せるが影の原はダメだなw
球界は巨人中心に回ってると関係者の誰もが思い込んでいた時代には
不思議でもないことだったのかもしれない 前間は活躍しかけた矢先に「野球選手では将来が不安」といって引退してしまった
先見の明がある 誰か教えていただきたいのですが
高橋俊春投手ってどんなフォームから球種何を持っていましたか? >>294
先見性があれば端からプロ入りしてない罠
何年在籍してたか知らんが貴重な時間を無駄にしたことは確かだ 野球漬けで生きてきた人間にそんな事言っても無意味
プロで自分の可能性を試せる機会を貰えたことに無上の喜びを感じてるのに。 京大からロッテに入った田中もクビになったな。
でも引退後すぐに三井物産に内定だって。 シュールストロム 谷繁に危険球退場になる 横浜ファンから野次 >294
前間はプロ入り時に筑波大進学希望だった。
まあ野球での入学だろうが、体育教員として指導者にはなれたはず。 スカウトとしては著名でも選手としては無名だった田村 >>299
大手商社系なんて普通じゃなかなか入れないでしょ
まあ京大卒というアドバンテージもあるけどさ
なんか、釈然としない あまりうらやましくないだろ
今まで個人事業主だったのが社畜に落ちるだけじゃん >>303
無名はかわいそうw
プロ入り後も注目株として扱い良いほうだったけど?
ただ、メガネ掛けてる風貌だけで「広島の古田」「古田二世」命名。
スポーツジャーナリズムの安直なネーミングに辟易したのを覚えてる 新人か2年目くらいのとき、まだ年端も行かぬのに熟女好きを公言してファンを減らした田村 >>307
>まだ年端も行かぬのに熟女好き
おまオレw >>306
所詮スポーツ新聞の記者が考えることだから。
古今東西「○○2世」が元の選手に並ぶくらいに数字を残せたためしがない
名づけられたら大成しない悪魔のニックネーム 田村さんは樟南高校時代、相棒の福岡投手ともども甲子園の人気を独占した選手なのに 西山はケガがばかりでシーズン通しで活躍できなかったのは
血の気が多うてすぐにカッとなってプレーが粗くなるからなどと言われてたな 打てる捕手はリードが疎かだし、
リードが信頼できる捕手は打てないし、
なかなか両立してる選手はいないな
古田は奇跡の存在 山本浩二の後輩でドラフト1位の約束された鯉女房こと瀬戸を押しのけ
南海を放逐された西山がレギュラーを掴み取り
東都の本塁打王でドラフト1位の町田を代打要員に追いやって
同期でコネ入団の金本が4番に座る 高校時代の江川から唯一ホームランを打った選手という事で、石淵国博がTBSの番組に出てた。 その番組見てたけど、石淵氏のことはさておいて
昔は地元のテレビ局が興行として高校野球チームを招待して試合をさせ、中継することができていたことに驚いた 今でも地方新聞社が強豪校有名校の招待試合を有料で興行してるよ。
あとは地方球場のこけら落しに地元選抜と強豪校を対戦させるとか。
一番近いところでは清宮は引っ張りだこだった
早稲田実といえばブランドだもんな
スレ脱で申し訳ない
江川からホームランを打ったというたったワンシーンを切り取られて
プロ側の事情で人生を変えさせられたのはどうなんだろう
石淵選手もプロ行きなんて微塵も考えてなくて就職決めてたのに
急に指名されて進路を変えたわけだからな 嫌なら拒否すればいい
昔は特に不人気球団の場合は拒否されることも珍しくなかった プロ入りしなければ、社会人野球の一流企業に就職していたと煽ってたが
当時は指名されるような選手は進学か、高卒でも殆ど社会人内定貰ってたからね。 >>313
古葉の時代にも道原水沼達川の三人が日替わりでスタメンマスクかぶってたことあったね
最後は若さで達川が正捕手になったけど・・
堀場もダメだったな 90年代に望月という投手がいたが
登録名が本名の「はじめ」の読みをそのままに文字だけ「秀通」に変えてたのが印象的
改名してから活躍できるようになったから縁起も良かったのだろう 望月は引退してから理学療法士の資格取って今はロッテでリハビリ支援してる。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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F0FOJ 若返りと称した大量リストラの渦に巻き込まれて広島を去る時には
さんざんこき使っておいて最後はこれかよ!と
ファンとしては残念に思ったものだ
記者の取材には他球団で再起をはかると意欲を見せ、ダイエーがそれに応えたが
結局一軍登板なし、肘はもうどうしようもなかったんだろうな >>331
地元出身なので敢えて贔屓目に書くと、
入団時の評価も高くて、期待に違わぬ成績を残したのに
古葉にハマらなかったのか、急に出番が減ってロッテへ放逐。
先発もリリーフもこなせるユーティリティープレイヤーだったはずだが・・ 鈴木健(羽黒工〜日本石油)はバルセロナ五輪凍結選手という期待された投手だった。 >>333
二年目以降の低迷は明らかに投球過多だわ
便利屋扱いされた投手の宿命な >>334
日本じゃ芽が出ないので台湾に新天地を求めたが勝てず
何がダメだったんだろうな 土居、小林誠、北別府、望月・・・
初優勝(1975)の後から日本一(1979)のあいだでよく登板していた期待の若手だったな
1980年代の大洋の中継試合で解説者が、松本、相川、高橋一あたりの
若手投手陣がよく登板してたときに、その時代の広島のことを例に挙げてたわ 広池引退後西武で出世してんのな
名鑑見てたらフロントの幹部になっててびっくりしたわ 引退後は広島のフロントに入ってくれとお願いしたら
そろそろ老いた両親の傍にいたいということで
親交のあった西武のフロントに強く推薦したくらいだからねえ
もともと数少ないまともな常識の有るプロ野球選手だったし
出世しない方がおかしいわな 経歴が立教附→立教大→ANA(非社会人野球)だっけか。
そらフロントの幹部に出世するわな。 沢幡誠士
北関東で剛速球投手の称号を得てドラフト外でカープ入り
おまけで捕手の菊池もついてきた サッチーの次男ケニー野村
同時期に義父野村克也が西武に、兄の団野村がヤクルトにいた
母とは最晩年に和解できたらしい >>346
そんな称号持ってるのにドラフトにかからなかったのか 今日にもリーグVが決まりそうだが
1979,1980年の連続Vの時の高揚感とは段違いだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています