元広島のマイナーな選手を懐かしむスレ その3
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>>4
わが地元・舞鶴の星だった
入団会見に合わせて壮行会やったのを覚えてる でも最後は寂しい引退だった
エース級だったのがバッピに転身するなんて残酷だな 原は高校のとき凄い強打者だったよな。
高知の杉村と倉敷の松島も凄かったよな。 >>15
日ハムへ出されるときに地元で物凄い反対運動が起きただけに
その落差が大きいと思った
2年ブランクが開くと、もうファンの脳裏からは消えてしまうのが現実らしい 小畑はマネージャーになってから、
ファンサービススレではファンへの威嚇的な態度等で評判が悪いが、
現役時代はどうだったのかな? >>18
スポーツ新聞の扱いが悪すぎた
デーリーでも小見出しでわずか数行だったからな
今でも覚えてる 金田留、渡辺秀なども同じ時に引退表明した
ベテランを一掃する方針だったのかな メリー渡辺はもう40歳過ぎてたので予定路線。
金田は分からん
小川邦、福士、萩原、道原などが退団・引退に追い込まれていった ライトル スピルバーグ監督「激突」主人公の気の小さいドライバーに似てた。 82年(4位だった)オフは切り替え等したな。
水沼、水谷も放出したし。
この時期いた斎藤はマイナーか。
練習の時の怪我さえなければポスト浩二筆頭(当時)だったのに。
あと84年だけ活躍した伊藤寿文 中日都キラーだった覚えが。 野球選手の再就職先の斡旋は球界全体として確り取り組まねばならない課題だと思うよ。
野球ができなくなり失意のうちに余生を過ごすはめになっている元スター選手は福士だけではない。 やっぱアルフォンゾソリアーノじゃね?
いつの間にかヤンキースのレギュラーでWS出てたからな
その後はシーズン40本塁打40盗塁やったり化けたな
そして年齢詐称してたのもメジャー行ってからバレたw >>24
斎藤選手覚えてるよ
サインをもらったことがあったがその時に見せてくれた二の腕の太さに驚嘆
野球選手でもあれほど太いのはなかなか居ない というか話題にもならなかったぞ
やはりマイナーチームの悲哀か。 兄弟だから何?
って感じじゃないの。
巨人の二男とは顔もそんなに似てなかったし なんで三兄弟の真ん中だけあんなクッキリした顔に生まれたんだろうね? 原・音・高の漢字一文字トリオ。
音は一時レギュラーに定着していた時期もあったが。 福士投手のマンションの前に石橋内野手の家があり、その100メートル先に古葉監督の家があった。
金田留広投手が「人生の師匠」と尊敬する合同産業・網野社長の家も同町内にあった。
あと大野投手小早川選手。小早川選手、ライトル選手など古葉監督の家に「味噌を借りにいける」くらいの距離だった。 和夫はいい所までいって最後に打たれて負け投手、というパターンが多かった 84年のシーズンは、エースと言ってもいいだろう。
80〜84年は平均で200イニング投げてるし
先発3本柱には十分に位置する存在だった。
晩年は西武で渋い活躍をしたな。 リリーフは好きじゃなかったらしい
投手は勝ち試合でも負け試合でも先発完投するものという美学?が
あったとかなかったとか・・・・・ まだ80年代中盤くらいであればそういう考え持ってる投手は存在したんじゃないの 大野さんもリリーフには最初のうちは抵抗があったとか言ってたなあ
みんな同じなんだね 美学とか云々よりも
リリーフ専門になると毎日ベンチ入りしてウォーミングアップしないといけないし
しんどいだけだからみんな嫌がってるんだろ だから広島でも抑え役になった江夏は俸給で報いることを要求した。
至極真っ当な考えである。 というか西武での実働は2年そこそこじゃなかったかな >>62
ベンチ入りする毎に●●円、だとか。
試合に登板しなくても、ブルペンで練習しなくても、
ギャラが発生してたわけだ。 >>68
仙台育英出身の投手だよ
背番号1で期待は大きかった 金城という姓の選手は数人知ってるが(もちろん基泰が一番有名)
その人は知らなかった
ググってみて初めて知ったという >>73
コントロールに難ありでプロで投手としては厳しいと思ってた
いつ野手に転向するのかと・・・ 地元からのエリートコースといえば盈進からドラ1で入団した左腕田辺 >>75
ちゃんと育成しなかったから使えないのは当然 >>76
高校時代でピークを迎えてしまった典型的なケースだね
故障持ちというわけでもなかったのに、全く伸びなかった 田辺も片岡も現役時代を知らないが、
そもそも素質が?だったんじゃないの?
超高校級がプロで通用しなかった例など枚挙に暇がない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています