元巨人軍のマイナー選手について語ろう
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南海から巨人に来た山本雅夫はなんか不気味だった。
解説の村山実も「なんか不気味ですねえ」と言ってた。 >>485
山本×三宅は、すごく不釣り合いなトレードだったと記憶
もしかして金銭もプラスされてたっけ 三宅は「将来20勝投手に化ける器」とされていた。
一方の山本もロッテでは主力を打てるとされていた。 当時江川と小松ぐらいしか居なかった150キロ超えに3人目の150キロ超え
しかも左腕で150キロ超える逸材と言われたロマン枠 ロマン枠といえば当時巨人に稲垣ってのがいたなあ、中卒で田中土質研究所とか
王2世の期待
なんでも荒川道場に通てって、名刺で割りばしが切れるとか言われていたが、
そんなの良いから早く打てるようになれよって思ってた 三宅がロッテから来たのと入れ替わりで退団してラジオ日本の解説者になった中村稔さんが、
三宅を見て、「(なんで獲得したのか)分からない!」とコメントした
自分がコーチだったらどう育てていいか見当がつかない(くらいに制球に難がある)、とも。 >>491
たしか山本・鹿取と三宅・庄司で決まりかけたと日刊で見た記憶がある。巨人側が鹿取の放出に難色を示して結局1対1のトレードになったんじゃなかったかな。 >>497
庄司って、出戻り予定で?
庄司は今の大田と被る
ファームで打率、本塁打、打点、盗塁の四冠王になり
守備も俊足強肩で巨人からロッテ行って活躍したイメージ >>498
趣味が凧揚げ。
パワーヒッターではないよ。
で、趣味が凧揚げ。 大ガスから入った松谷はよく覚えてる
20勝も夢じゃない、なんてね 20勝はいくら何でもとは思うけどw 結構な期待はしたね
ファームでノーノーとかやってたし、一軍昇格後にすぐに台頭していた
藤田監督が完投主義じゃなくて、分業制を導入していたら、
先発の一角か、ロングリリーフ可能な重宝されるパターンとかになれそうな器だった。
十数年後の野間口にも、似たような期待を抱いたっけなぁ 高校は普通の公立出身だが中学時代から強豪私学のスカウトに注目されるほどの逸材
もし進学先が違えば、また別の選手人生が・・・スマンまた無意味な妄想を >>505
大阪市立高校だったな
なぜか校舎は大阪市から遠く離れた枚方市内にある 松谷は徳光アナがプッシュしてたっけな
徳さんの推してた選手で大成した人いたっけ?? 吉岡とか推してた印象ある
その眼力に狂いはなかった(´・ω・`) 日曜の朝に江川とジャイアンツについて語り合うコーナーがあったね
俺の記憶では、徳光アナが高野忍にイレ込んで将来性を熱く語ると
江川が冷酷にツッコむという場面が結構あった 徳光が巨人のファームごと愛してたのにたいして
長嶋がことごとくFAで外様を獲得してたからねえ
2000年ドラフト指名選手で1番期待しているのは?で徳光、「九州のバースと言われた山下君」
とドラフト5位の高校生をいの一番に挙げるほど。
正直な話、長嶋の巨人愛と徳光の巨人愛は真逆なのだが徳光は長嶋を崇拝している 何々のバース、何々のダルビッシュで当たった試しがない 大竹憲治は「王二世」と呼ばれて期待されたね
5番ファーストでスタメン出場したこともあったので、将来は大竹が王に代わって
巨人のホームラン王になるかと思ったけど、間もなく引退してしまった 第2期長嶋時代にかなり大型野手集めてそれもほとんど体デカくて、俊足強肩
素材型を多く集めたが肝心の1軍長嶋がFA主体。
内野手 後藤孝185、大森188、吉岡189、福井189、十川184、斎藤宣185、
外野手 佐久間190、渡辺政仁185、高野183、四条185
今思えばFAが無く監督が長嶋でなかったら現SB柳田クラスの化け物が数人出てきたと思う >>514
その殆どが鳴かず飛ばず、まさに才能の墓場。
新天地近鉄に行けた吉岡はついていたな。
まあ大森みたいに場所変えてもダメな奴はだめだが。 渡辺と吉岡は投手に固執したのがなあ〜
1年目からとは言わずに入団3年目以内に野手転向してたら違ったと思う
渡辺政仁の野手転向10年目は遅すぎだけど、それでも解雇されず野手転向は
それなりに野手として才能あったんだろうねえ〜投手として希少なサウスポーが邪魔したな それよく言われるけど、吉岡はドラフト指名された時点では打者希望だった。
巨人の方が投手で、という感じ。
ソースは当時のドラフト25年(べ社) 当時、吉岡が肩壊して本人的にはもう野手転向を決めてたのに
病院に藤田監督が見舞いに来て「大丈夫だ、すぐよくなるから頑張れ」
と言われ野手転向言いづらくなったとか言ってたな 吉岡といい、同期の浅野といい、早く投手見切っていればなあ 肩を壊したら、投手継続なんて
ほぼ無理だろうに、随分と見切りが悪いな 吉岡は打者としての素質元木より上だったと思う。
当時の巨人は投手は安泰で数年先まで無心配、むしろ打者の方がポスト原の育成急務だった
はずなのだから、吉岡は打者で行かせるべきだった 当時の吉岡投手としての評価、ドラフト前の評価だけど週刊ベースボールだったか?
確か体格的にも甲子園経験者的にも球種の種類も
第2の槇原になれる、とか書かれてたの覚えがある。
そして打者としては足が遅いと言われてたが、当時ヤクルトにいたパリッシュがたまたまTVで甲子園大会の吉岡の打撃観て
「高校生ながら凄い素質の打者を見つけたと、絶対打者1本でいけ」って進めてた覚えがある
そんなことは無く、青田昇などは外野手で育てれば西武の秋山よりポテンシャル高いと言ってた マイナーじゃないけど淡口のスイングはかっこよかった 淡口はパリーグの弱小球団に入っていたら、レギュラーで3番か5番を打っていたと思う。
通算成績は、.280 1500安打 本塁打150本くらいになっていた。 福王
成績は4流だが特異なもの名字のおかげか、結構知名度はあるよな 王〜藤田〜長嶋と一軍にいることも多かったしね
スタメンの記憶はほとんどないけどw 一時、顔が似ている宮本と区別付かなかった。
その後、知名度の差がだいぶ開いた 福王は超人気番組だったボキャブラでネタにされてより知名度が上がった 1984年か・・
背番号がデカくなってこの頃には期待値は下がりつつあった
それにしても西宮球場が懐かしい
記者席の在阪民放の名札がガッツリ映り込んでいた でも西宮は在阪のG党には馴染みのある球場でもある
なにせトレードで阪急に行った選手が当時は結構いたので。
甲子園の阪神戦では見れなくなってもここに来たら見れる。
80年代以降阪急に代わって近鉄とのトレードが増えた 巨人と阪急というと柳田×永本+αの謎の行きつ戻りつトレード >>535
オープン戦では調子良いのにってパターンだな 1978(昭和53)年限り引退
[57]金島
[64]小泉
[65]猪口 お前ら ど真ん中投法 ギョロ目の堀本律雄 をご存知か?
一年目で、いきなり28勝 防御率⒉00 正力松太郎賞受賞。
しかし 監督が水原さんから川上さんに変わるや、川上と
度々衝突し、大毎の柳田とトレードされた投手。 お前ら ど真ん中投法 ギョロ目の堀本律雄 をご存知か?
一年目で、いきなり28勝 防御率⒉00 正力松太郎賞受賞。
しかし 監督が水原さんから川上さんに変わるや、川上と
度々衝突し、大毎の柳田とトレードされた投手。 昭和52年から野球に興味持ち始めた。
この年の巨人軍の選手名鑑を当時の友に何度ももってこさせて、食い入るように
見て、自然暗記した。
50岡田 51福島 53吉澤 55迫丸 57金島 58庄司
60倉骨 61荒川 62外園 63黒田 64小泉 65猪口 66新井 68松原
こんな感じだったが、56とか誰かいたかも >>547
この頃はガキだったので、名鑑の写真見ては誰がイケメンで誰がブサイクかで○とか×とかつけてた。
この中では猪口がイケメン。 あ、56は確か伊原だった
53の吉澤が凄い童顔だったのが印象的 大北は二軍では活躍したのに、一軍に上がるとサッパリだった >>546
ラジオ関東の解説者、須藤大洋時代の投手コーチやん 帝京中退して日大二高から来た原正俊だな、彼の入団で「原辰」になってた。 最近の巨人は新人にいい番号与え過ぎだ
11番や19番なんて本来なら準永久欠番でもおかしくないのに何で新人に与えるのか
昔は斉藤も41番からだったし50番台トリオもいたしカルビ村田も56番からだったのに
新人にはまず大きい番号を与えて活躍後に軽い番号を与えるという伝統はいつ途絶えたのか 高卒で全国区でないとドラ1はわりと30番台以降だと思うけどね。
大北や鈴木康友なんかは入団交渉の経緯で1桁だったけどすぐに降格してるし。 肉体改造するときまって「プロレスラーにでもなるんか」と突っ込むのがお約束 福王は、なぜあの成績で、放出もされず巨人一筋でいれたのか不思議 引退セレモニーまであったよな 引退セレモニーはともかく渡辺政とか高見とか成績にかかわらず10年以上在籍できる選手は
たまにいるな 渡辺政は左腕で「桑田以上の素質」「秋季キャンプ期待の星」
高見はカベ?
あれで残れるのは少なくとも人間的には問題ないということだろう 渡辺は期待の生え抜き左腕で10年近く匂わせて、その後は打者でもファーム中軸で生き延びる。
捕手はかつて、ブルペン要員も選手登録必要だったという時代があったが高見は既にその時代でないのに
名残だったのか。 実力勝負の世界と言いながら結構情実に左右されてるのね 情実と言えば同じ中途半端な成績でも慶應卒の上田が残れて早大卒の仁村があっさり斬られたのはなんでだろう >>565
捕手は二軍や三軍で人手が足りない事態に備えて
コーチや打撃投手を一時的に現役復帰させるようなポジションだからな 捕手は誰でも出来るポジションじゃないからどうしても予備の予備的存在が必要に
なるわけで、その場合、契約金はじめ獲得費用がかかる新人獲るよりも、今後の
期待はできなくとも古株を「とりあえず残しておくか」という具合になるんじゃないかな? 平田薫が左キラーとして使えなくなったので南海から強奪した山本雅夫
確かに右投手が打てそうにない極端なクローズドスタンスだったけど
左キラーとしては西武→巨人の西岡よりも上だった様に思う
とにかくパワーが凄かった、フル出場してたら30本打てそうな割でHR打ってたな >568
至極単純にその当時は慶大閥だったから。上田も藤田時代に重用されてMrで引退。
仁村は95年に早大監督出身の石山氏がフロント入りするとコーチで球界復帰。
詳しく知らないけど仁村もスタッフでなら残留あったかも、現役で一花咲かせて結局Gから球界に戻ったからいいけど。 早大と言えば越智大佑は功労者なのに球団職員とポスト用意されずにほっぽり出されてたな。同時期に活躍した西村健、山口鉄にはコーチ手形までしっかり用意されてたのに不自然だった。
退団前に反社会との繋がりがあった噂を懸念したのかね。 越智は早大だけど上の代だった和田、青木らに比べると大学時代からかなり輩臭がしてた。
出身も愛媛の新田高校で・・。 現役時代関わりあった山口や同郷で大学の先輩である藤井がある日を境にパタっと付き合いやめてたよな
引退後完全に居なかった人扱いされてたのも不自然だった >>548
三枝の愛ラブ爆笑クリニックで見た限りでは普通のオッサンだったけどな >>572
名前の出てる選手以外で覚えてることを適当に書いてみた
佐々木 オリックスからトレードされてきた 二塁手だったはず
羽根川 ロッテに移籍してから初登板 相手チームの選手がベンチで名鑑見ながら「こいつ誰だ?」となっているシーンが
その年の珍プレーで取り上げられた
大野 ヤクルトに行ってからは代打の切り札
大須賀 「巨人をクビになって広島」は前年の福井に続くパターンで「福井二世」と期待されたがダメだった
四條 オリックスで日本一になった一塁の守備固め
佐藤宏 堀内政権下でやたらよく投げていた左のサイドハンド サングラスがトレードマーク
石毛 90年代前半の巨人の守護神
谷口 藤田政権最晩年のドラ1 怪我に泣いた
岸川 ダイエーから移籍してきた左殺し 数字が悪い割には大事なところでよく打った印象 V1の年に四番を何度か務め
10年ぐらいコーチもしてたけど44歳で亡くなった相羽欣厚 カムストックっていたね
徳光アナがカミーってニックネームで呼んでいたが全く定着せずw >>557
聖火リレー走ってたな康友
智弁の五条生まれなのに天理に行ったんだね 智弁がはまだ甲子園で実績少なかったか、高卒時は早稲田希望だったのでその辺もあってか。 條辺のうどん屋さん繁盛してて良かった
デーブのyoutubeで見た 原なんとかって選手が90年代前半に居た
そのため、原辰徳の新聞やスコアボード表記は「原辰」だった ドラフト外入団で最も若い背番号を入団時にもらったのは投手では松本基淳、野手では平田薫であってる? パセラって背番号5だったよな
外人だからドラフト外云々関係ないけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています