実在しない選手の想い出をでっちあげるスレ
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まずは阪急・ヤクルト・阪神で活躍した尾沢慎太郎について語ろうか 檜高は露骨に手を抜くクセがあったからな〜
76年は結婚したから珍しく頑張ったんじゃないかな? >>198
俺の中で畑山の思い出と言えば96年終盤の最後の狂い咲きだな
メイクドラマ完結へ向けての世間の追い風と江藤離脱で最悪の空気の中、
三村監督はこの年絶不振で6月頃から2軍に落ちてた畑山を1軍に呼び6番サードで即スタメン、
復帰初打席でいきなりのホームラン、そこから2試合連続ホームラン含む3試合連続猛打賞
結局大勢を変えることは出来なかったが元主軸の最後の意地を見た >>205
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うそつくなw
確かに南アジア系の血が入っているが、クオーター ダイエー初年度にいたイオンって外人、使えたよなあ
契約更改でで揉めて退団しちゃったけど
なんか惜しかったわ バナザード、アプショーが翌年落ち目だったから余計にな。 イオンは数字的にはまあまあだったけど、
古溝には13打数1安打の三振7、小田に至っては14打数0の三振12で
チームメイトの永射に特訓してもらったんだが、かすりもしなくて、
「モウ永射ノカオハミタクナイ」とか言ってたからな 1990年にドラゴンズに入団した沖縄出身の照屋は2年目こそ
1軍で37安打を放って片鱗を見せたが、結局性格的に星野と合わなかったのか
わずか4年でクビになったね 照屋は沖縄出身ということもあってちょっとのんびりしたところがあったからな。
あと守備がイマイチだったから守道の時代には完全に干されてしまった。 同じ沖縄出身の伊礼とチームメートだったけど、
伊礼は沖縄水産出身のヤンキーで照屋は沖縄尚学出身の坊ちゃん。
沖縄人同士でも水と油だった。 イオンはナゴヤ球場での近鉄3連戦でブライアント顔負けの1試合3ホーマーを中1試合を挟んで2試合もやったことがあったな。
「イツモコココデヤリタイヨ」と言ってたっけ。星野が翌年獲得に乗り出さなかったのは意外だが左投手に弱すぎたか イオンは岸川と同じで平和台ヒッター。
同じく狭いナゴヤだったからこそ出来た芸当だったろう。
藤本博、小川宏らで担っていたサードにイオンが入る事で、大幅な打力向上が見込まれたが、
代わりにバナザードが抜ける為、セカンド森脇になる事もあり、効果はあまり無かった。 イオンは地方球場に強かったな。
ナゴヤの近鉄戦もそうだが、地方球場の試合の時は杉浦監督が必ずイオンを一軍登録していた。
確か趣味が全国のショッピングセンターに行くことで、地方はいろいろ回ることができるから
楽しいみたいなことを言ってた気がする。 地方ではないが俺はイオンを出来たばかりのニチイ系のマイカル本牧で見た。
セリーグなら分かるが何でダイエーの選手が横浜のこんな場所にいるんだと思ったよ イオンが眼鏡をかけている時とそうでない時の違いは何だったんだ? イオンはアメリカに帰ってキャリアを全うした後、日本に移住したんだよ。
あまり知られてないが。 >>220
土日祝日の試合では眼鏡で平日だと裸眼だった イオンは大活躍した近鉄3連戦のあとの川崎球場でのロッテ戦にも帯同してた。
荘からホームランを打ったが、その時に試合前に横浜のショッピングセンターに
寄ったのが良かったとか言ってたな。 イオンは俺が見に行った西武戦で岡田という投手相手に全く手が出なかったぞ。 >>225
岡田展和か?
巨人に行く前にも出番あったんだな。
イオンはサウスポー対策で右打席にも挑戦してたけど、相手が左→右にスイッチしても、
試合途中で打席を変えなかったから、そうなると今度は右腕の中継ぎに抑えられていた。
右打席でも鋭い当たりを打っていたし、器用だったんだけどなあ。 天神商店街が催したイベントにはバナザードやアップショーは来たけど
イオンの姿はなかったな イオンの話ばかりだが、その前年までいたジャスコットの事も思い出してほしい
長らく南海を支えた選手だっただけど、衰えは隠せずにイオンと入れ替わりで退団したんだよな
引退後は中国代表チームでコーチしてたけど、数年前に亡くなったらしいね ジャスコットは基本的に門田とキャラが被り気味だったのがなあ。
ただ門田と違って足が使えたから代走として出てくることもあったな。
大阪球場の帰りになんばCITYでたまに見かけたわ。 同時代のホークスにはニチーて投手いたね。
抑え候補で入ったけど、開幕から3試合連続救援失敗で早くも中継ぎに降格してたけど。 ダイエーと言えば、中継ぎエースの丸越
派手さはないけどコントロールが良く安定感あって、なぜか主婦人気が高かったんだよな
今は、二軍コーチで良い投手をバンバン育成してるから、そろそろ一軍コーチの声が掛かる
かもね DeNAベイスターズの初年度にいたグリーって投手
炎上連発でわざと駄目な奴連れてきたんじゃないかって噂も流れたくらいだったね >>232
中継ぎでも外国人枠使う価値がある程の働きが出来なかったから、
代わりに、オーバーサイドアンダーと変幻自在の仁取が一軍に上がって来てたよな。
仁取はもっと話題になってもいい選手だったが、いかんせん人柄が地味だったかな。
南海〜平和台時代までは、たまに出てきては渋い働きを続けていた。
福岡ドームに入ってからはかったり消えてしまったが。 >>235
あと中継ぎで欠かせないのが池屋。
手足をくねくねとタコのように動かしながら投げていた。
しかも口をとがらせながら。
よくみんながまねをしてたよね。 阪神に野田と一緒に入団した投手の福島はイマイチだったな。
野田より一軍へは近い位置にいると言われていたけど、近い位置にいたのが
かえってアダになったか。 福島の投球は長身で大きなワインドアップで見栄えがしたことから、
タワー投法とも呼ばれて将来の虎を担うといわれてものだが、
後にもっと長身の庭園が出てきてすっかりお株を奪われた感じ。
まぁ庭園は二段モーションなので福島とはちょっと違うか ベイシア・K・ワークマンは、安売り打線の主軸を担ってチームを牽引した。
特に北関東のファンから愛された選手だった。
土屋打撃コーチの戦略がよかったみたいだわ 庭園はワインドアップをグラブの先を丸めて輪っかを作るようにするんで
ボールの持ち手が隠れず、球種が読めると言われてたな 76年のシリーズ第6戦で、途中出場から3打席連続ホームランで巨人7点差逆転の立役者になった、ストームウッズは忘れられない。最終戦長嶋があまりにも興奮し過ぎて、試合に出すの忘れて負けたんだっけ。それでキレて帰国したなー。 戦力外通告の番組の藤江の回でブルペンキャッチャー羽衣隆介映った! 羽衣ハゲたな〜 今でゆうと、神木リュウノスケ似の色白美少年だった面影ゼロやなあ
歳月は酷い 羽衣って死球受けたら、パウエルだろうがガルベスだろうが
ヤクルトの石川だろうが突進して行ってた奴か。
石川だけはボコボコにしていたな 巨人の山下って覚えてるか?
職人肌で水野、吉岡と仲が良かったのがオフ番組で紹介されてた
水野の新春講演で三人でコーチやりたいときいて思い出した >>244
いや、羽衣は守っている際、死球で怒った打者に対し
「俺に来い!」ってやってた。
喧嘩っ早そうな人柄では無かったが、責任感と頑丈な体で受け止めてた。
何せマスクとプロテクター着けたままだったから大事には至らず、
むしろマスク越しに羽衣を殴った外人が手を怪我して欠場してた。
まあ、ちゃんとなだめる事の方が多かったよ。
突進して行ってたのは中日の小板橋じゃない? ショーバンは後輩イジメるし、ロッカー荒らすし、常時情緒不安定やったな。 >>245
コーチは叶わなかったがマネージャーとして球団に
残ってたね >>244
山下さんなら地元和歌山で喫茶店やってるよ
あそこのハンバーグ好きだからよく食べに行きますよ 水野吉岡山下の雑用係3人組
プロ野球歌合戦で歌ってたよな 俺が和歌山に行くときは落合記念館→喫茶ヤマシタは定番コース。
太地町と和歌山市内だから離れてるけどね。
時間があればその後、なんばパークス、西宮ガーデンズに行く >>253
喫茶ヤマシタ、2年前に一度入ったな。
店員の女の子二人がめちゃめちゃ美人だったのが思い出w
今もいるのかな。 ヤマシタはハンバーグもいいけどナポリタンが絶品!!
余談だが、喫茶ヤマシタと同じ国道沿いに、阪急で一時期
レギュラーだった鍋坂次朗のスナックもあるよ >>255
山下はもともとドラフト指名自体が予想外で、
本人もプロ入り前は飲食店でもやろうと考えてたからくらいだからな
>>247
小板橋はちょっとなにかあると真っ先に飛び出していったよな
畑山公治との名勝負なついw
マイケルバートに一発で倒されたときもワロタ 左の秋月右の廣瀬の継投は痺れたなぁ
阪急最末期〜オリックス初期の話ね
あと昔鬼園っていう長身で強面のバッターいたな
どこのチームだっけ? 忘れちゃいけないのがマック、モス、ケンタッキーの助っ人トリオ
マックとモスがバッターでケンタッキーはピッチャー >>258
ケンタッキーは甲子園での乱闘が語り草だったはず 06年に日本球界に球界に復帰して西武にいたわな
マックは打率ランキング上位の常連
ピッチャー使い切った時に緊急投手して1イニング三凡して雄叫び上げてたのは印象に残ってる
東京ドームが大の得意
モスはセカンドで守備職人
今はアメリカで農場経営してる 定番のヤジが
「お前、球場向かいのロッテリアでハンバーガー買っとったやろ〜
モスのくせに〜」
だったな >>257
秋月は凄かった
ピッチングもだが、なにげにフィールディングが神レベルだったよな 鬼園って元中日だったね
元々捕手で入るも内野にコンバートして成功したわな
モスはグラブが緑色だったの覚えてる 野球ロボット オズマは唯一の親友は星飛雄馬と言った
日本を去るとき大リーグ養成ギブスを鞄に忍ばせた星一徹(ボス)に大粒の涙流したな…
現代のチャラチャラ芸能人化したプロ野球選手に巨人の星を見せてやりたい 途中で書き込んでしまったw
すごかったのが92年のパの新人王争い
甲子園のスターだった沼が新人王になると思ったら… 鬼園は長身強面の割りに長打力は無かった。
ダウンスイングでチャンスにライナー性の当たりを連発していた。
選手時代も自他に厳しく、コーチになってからも文字通り鬼軍曹だったけど、
ファンに対しては神対応だった。
子供の頃から強面の外見のせいで、人が近付かなかった過去からの反動らしい。 鬼園のアニキは地元では知る人のいない九州の広域暴力団の組長
ただ、そのアニキはカタギで名の知られた弟に配慮して違う名前で渡世名使っているけどね
鬼園は日本シリーズでのフェンスぶつかりながらのスーパーキャッチだね、気絶していたけどボール離さなかったってマンガかよ >>257
廣瀬は毎年60試合投げてたオリックス初期の中継ぎエース(ヤクルトから87年に移籍)
技巧派の秋月に対して速球派だった
>>259
マックは東京ドームが得意で巨人キラー
対巨人戦の打率が高く巨人ファンからも恐れられてた
期間限定で赤い髪の毛にしてたなw 廣瀬と秋月はニノミヤのCMに出ていたのを思い出す。
バブルラジカセや8ミリビデオカメラを抱えて出演してたな >>266
沼の他に即戦力ルーキーの柳楽や藤巻、3年目で一軍に定着した友部も候補でしたね
沼が引退して今年でもう4年経つのか
メジャーにも行って最後は日本で引退したいって言って楽天で移籍したわな >>270
廣瀬は弟も入って来たが、こっちはむしろ秋月タイプの左腕だったから紛らわしくなった。
アマチュアの王みたいな感じで兄程プロで伸びなかったな。
廣瀬、秋月とルックス的にも華のある二人の活躍は中継ぎの地位向上のキッカケとなった。
巨人はマックに致命的にやられたトラウマから、メジャーリーガーのシェ−ン・マック獲得に踏み切ったと言われている。 ケンタッキーは阪神を苦手にしてたがカーネルおじさんと関係あったのかなかったのか... 沼はタイプが似てる稼頭央とよく比較されてたな 打って走れるショートだったし
柳楽は六大学、藤巻は都市対抗を沸かせてプロ入った投手で友部は無名高校からテスト入団だった外野だったな >>274
ケンタッキーはよくデイリーにネタにされてたなw
>>272
結局あの年って新人王どうなったんだっけ? 俺は90年代後半から野球見出したんだけど
ちょっと時代がずれてると話題についてかれないな 柳楽は13勝した97年がキャリアハイだった
藤巻は元々先発だったが後に中継ぎに転向したっけ、ロングリリーフもできたし ちなみにプロ入りした時26歳で既婚
友部は新人王争いの後は打撃に難があってほとんど守備固めや代走で出てた印象 小柄な美少年だったよな >>279
柳楽も藤巻も移籍して再起したよな
2人とも2年目以降で伸び悩んで柳楽は二軍の帝王、藤巻は敗戦処理だったし 90年代前半にいた日本ハムのキャッチャー、松川おぼえてる?
捕手にしては俊足で、1番打ってて、シーズン前半はリーグ盗塁王だった。
ところが近鉄戦の試合でブロックした際に足首を痛めてしまい、
全く走れなくなってしまって、攻守ともに精彩を欠いてしまったな。 >>279
柳楽は横浜優勝に貢献したんよなあの時(96年に近鉄から移籍)
03年にメジャーに挑戦したけどマイナー止まりでこの年限りで引退
藤巻から確か西武から95年に巨人に移籍して00年に引退
友部は日本ハム(97年引退)
>>281
走れるキャッチャーで当時珍しいって思った
同じ日本ハムにいた友部と1,2番コンビは見たかった 松川はあのケガは惜しかったよな...
規定打席乗ってた分尚更 アベレージヒッターで良化版関川だったな。
関川は外野に転向したが、松川はキャッチャー守ってない時はセカンドだった。
怪我の後は殆ど内野の控えだった。
キャッチャーとしての守備面でも機敏な動きでの二塁送球が巧かった。
田村が居なくなって今こそって時には松川もどっか行ってたなあ。 渡辺久一は 今もまだまだかっこいいな
久一のピッチングは惚れ惚れした
今も保ってるしな
現役復帰できそうだな 秋山幸一は 変わってしまった
禿げてデブになった
昔は あんな溌剌としてたのに カージナルスのハリマンて、若い頃オリックスにいたんだな〜
ハリマンを二軍で腐らせるとかさすが負広wwwww 阪急の梅田、阪神の千鳥、南海の堺、近鉄の生駒
いずれもあまり目立たない選手だったが、代打ではそれなりの活躍してたな
ヤジは凄まじいものがあったけどw 千鳥は大型内野手でポストどんでんと言われた時代が長かったが
大きいのを捨てて小技に徹するようになってから出番が増えたな 千鳥がいなければ大道もいたかった。
高校時代スラッガーだったのにプロになってあんなに短くバットを持つようになるなんてな。 拓大紅陵高時代から評判の捕手だった木本。立大時代も2年春から5番を打ち
通算8本塁打。立大25年ぶりの優勝にも貢献。ホンダ鈴鹿入社後も即レギュラーで活躍。
181センチ83キロの恵まれた体で肩、足もある。が、念願のプロ入りは今年もかなわず。
拓大紅陵高時代バッテリーを組んだ樋口(立正大〜日本通運)は今年、オリックス4位指名され
プロ入りしたのも木本には刺激材料。「いつかアイツとまたプロで会いたい」 屁田っていたよね。代打で出てきていつも期待はずれだった。
高校時代は通産本塁打60本越えの超高校級スラッガー。
甲子園では殆ど敬遠でヴェールに包まれたまま。
プロでなかなか芽が出ず5年目にようやく右の代打で一軍入りするも…
なんかいつもあからさまに力んでボテボテのピッチャーゴロばかりだった。
ずっとこんな調子だった割りに使われ続けたのはドラ1だからか。 覚えてるかな?南海の田母(愛知学院大〜南海 1980D)
代走専門なのに、ほとんど盗塁失敗。
大阪球場のスタンドから「またタボタボか!藤瀬のようにならんかい!!」とか野次られてた。 でも一度、盗塁王になりかけて、田母神と言われたこともあったね。
あれは誰かに教えてもらったのかな。 田母が翌年からまた駄目になった時に福本が「盗塁にもスランプがある」って言ってたね。
また復活すると思っていたんだろうけど。
打席にも入ったことあるけど酷いアパースイングだった。 あのアパースイングは単に打撃練習怠ってたからだろう。
愛知学院付属愛知高校時代は腕をたたんだミート打法でクリーンヒットを放っていた。
大学ではボテボテのゴロを転がして足を生かす等、より、多彩な攻めを身に付けた。ヒットを打つ技術も健在。
プロでは非力だが走塁・守備なら文句なし!と言われ、複数球団が狙っていた。
守備面は守備範囲は素晴らしかったが大チョンボが多かったんので使えず。
それで代走専門しか無くなる訳だが、それが「俺には走るしかねえ…」というプレッシャーを彼に与えてしまった。
打撃だって初めから諦めずにプロで鍛えれば分からなかった…バットコントロールは良かったんだから。
せめてナムコスターズのピノ位の打力でもあれば面白かった。 田母って岐阜の美濃賀茂高あたりだと思ってたら愛知高出身だったのかww(意外と名門w)
時の穴吹監督も田母には、つらく当たって呉キャンプではグランド隅でバケツ持って立たされてた田母を
見たことあるが・・・。あれも穴吹監督の期待の裏返しだったように思う。田母も一時はふて腐れてた時期もあったようだが
兄貴分の定岡智明の一喝で目が覚めたようだ。直線距離走は速いのだが野球頭がなく、しょっちゅう左投手の牽制につり出されて
一二塁間に挟まれてた(西武の杉本 日本ハムの間柴あたり)今井、藤瀬にはなれなかったね。 田母ちゃんプロ野球運動会でも一位獲れずじまいだったね・・・
地元の美濃賀茂あたりに行ってたらどうなってただろうね?もっと素材が生きたかな?
愛知に乗り込んでレギュラーになり、プロまで行けたんだからそれだけでも充分だと思うが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています