1987年のプロ野球を語ろう Part.2
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王巨人の初優勝
近藤ノーノー星野中日
決め手を失ってきた阿南広島
巨人の犬?関根ヤクルト
古葉でも暗黒大洋
約20年に及ぶ暗黒の幕開け阪神
※前スレ
1987年のプロ野球を語ろう
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1234634710/ 近藤は通算12勝
メジャーでやった人なんて通算2勝 掛布さえ大丈夫なら優勝狙えるのになあ・・・
田尾も入ってくるし〜
とかワクワクして開幕を迎えたら・・・ 戦力の格好だけなら85年以上だったはず
でも、開幕戦のヤクルトの大敗で何かが違うに変わった >>658の言う7試合目から7連敗した後、
ようやく連敗ストップしてこれから巻き返し、という時に
ホーナーにやられてズルズルいったんだよなあ。 ホーナーごとき、当時こそ驚異だったが、藤川や呉昇桓にかかれば鼻糞扱い出来たし
赤星が打席に立つたびガクブルだったろうな 一応7試合目までは貯金1だったけど
ホームランも少なかったし
明らかに85年と比べたら迫力不足は否めなかった
でも、あんなに負けが込むとは思わなかった
城を作るのは時間がかかるが
壊すのはあっという間という感じだった >>663
85年に土台作りと、吉田監督は頻繁に口にしていた。しかし、実際は目先の勝利に走った(無理もないが)
87年は、ベテランの衰え、投手陣の崩壊、ゴタゴタが重なり、一気に崩れた。勢いだけで優勝した反動だったね。 86年からファンになった自分は掛布が40本も打ってたとは信じられなかったわ 87年から
暗黒やったけど、87年が1番絶望やったね。打てない守れない走れない 投手は130km台
でノーコン ベテランばっかでね。
この年 4月末で バース1本 掛布1本 岡田0本 真弓1本wwwww この年に2chが存在してたら
阪神関連のスレは荒れまくって面白かっただろうな 吉田監督解任を要求するスレ
竹ノ内コーチはなぜ、吉田監督を殺さなかったのか?
遠山、桑田なぜ差がついたか?慢心、環境の違い
和田、大野、八木、若手の成長をマターリ見守るスレ
キーオ最高や!ゲイルなんかいらんかったんや!
あかん、いくらでも思いつくわw 85年の6月ぐらいに、
「阪神は10月18日に2位広島に5.5ゲーム差をつけて優勝するが
来年は3位で再来年に優勝する」という変な夢を見て、
優勝日は2日違いのニアピン、翌年の3位も当たり、
87年は予知夢通り優勝すると思ったら… 吉田監督としたら、第1期目に攻撃オンリーでダメだったから
本当に守りを重視した土台作りをするつもりではいた
だから就任後のキャンプは、戦力把握するために、この球団にしては珍しい全員参加だった
で、打撃はほとんどせずに、ノックを主体とした守備練習に時間を割いた
しかし不思議なことに、その守備練習による猛特訓が足腰を鍛え、打撃に奉功するとは夢にも思わなかった。で打線が爆発し日本一に。
でも吉田監督は、日本一の理由は守備の鍛錬だと言い続けてはいる。
実際、岡田をレギュラー固定し、木戸と平田を抜擢し鉄壁のセンターラインと内野陣形が完成した
ただ、計算違いだったのは、それこそ誰もが言うとおり、土台作りいわれた年に日本一になったことで目標を見失ったこと
あと、これもいわれるとおり、まさか掛布が、あんなに簡単に劣化するとは夢にも思わなかったこと
これがこの年の悪夢を産んだ 守り重視の割には吉竹を出して田尾を取ったりしてたのは謎だな。 佐野 田尾 長崎
な外野守備になった時はあるのかな >>670
また見てきたようにウソをつく。
岡田とか平田が、それまで控えだったとでも
いうのか。 >>670
この頃の掛布は既に3割がやっとの並の打者だったじゃないか。最低でも3割2分は打たないと。 >>671
守りが良いと言えば聞こえはいいが
実際のところは中途半端な吉竹と伸び悩んだ半端な若手で田尾だし
あれ自体は悪くないトレードよ 84年、37本で本塁打王を宇野と分けてるが、ムック本のインタビューによると山本浩二に
「タイトルを簡単に獲らせてはいけない」と忠告されて一発狙いに行った挙句、打率は.269に落ちてしまったと。
もっとも掛布は酒は飲みすぎるわ選手の決起集会にも姿を見せないわで、チームの柱とは程遠い存在だったらしいけど。 つうか阪神は85年に突発的に優勝したのが
非常にショーとしては面白かったわけだが
はっきり言って、当時だって弱いわけでもないが強いわけでもない
中途半端なチームだったぞ。
85年だけがすごかったわけで、86年以降の低迷もそんなに不思議ではない。
とはいえ、あそこまで弱くなるとはまあ、ほとんどの人は思わなかったろうが 掛布がいなくてもバースと岡田と真弓がいて
さらにその脇を固める打者も田尾、柏原と揃って
平田と木戸のセンターラインは健在と思ってたんだ…うん ロッテは落合が抜けた打線は悲惨な方だった。
4番が高沢だったもんな。
リーは衰えてきてたし、古川は怪我で期待外れ。
高沢は翌年の首位打者獲得につながったかも。
その前の85,86年は平凡な成績だったし。 田尾は2番も打ったことあったし
機動力野球なんて北村や吉竹いてもやんなかった訳だから
決して悪い打順でもなかった気はする
実際、阪神時代
全く活躍しなかった訳でもないし
ただ柏原、長崎、弘田の衰えは急だった 岡田は85年が異常すぎた
よく「85年の岡田を確変とか言う人いるけど、元々主軸で安定した成績を毎年残してる!」って人いるけど、
その安定した成績というのも2割8分・20〜25本だったわけだし でもその後の阪神の右打者を基準に考えると2割8分・20〜25本って十分贅沢な成績だよな。 バース退団 掛布引退寸前で岡田1人に負担が来た感じ
若手も小粒ばかりだし >>682
これに匹敵する右打ちは岡田の後だと八木くらいか… >>542
あったあった
あとポップコーンの二人が200キロに挑戦してなかったっけ? >>680
真弓、佐野、田尾、柏原、長崎、北村とベテラン揃い。おまけに、この年は戦力にならなかった弘田。これだけ老けた外野陣も珍しい。 >>686
確かに、名前だけ見ると凄い面々なんだけどね…。 開幕戦のヤクルト大敗で何かが違うって感じだった
ある意味、日本一以降の補強を考えたら、吉田義男としたら理想の布陣のはず
86 柏原
87 田尾
1真弓2田尾3バース4掛布5岡田6柏原7平田8木戸
代打 長崎 佐野 弘田 山川
控え 大野 和田 北村 嶋田宗
バランス的にもベテラン偏重ってほどでもないし
35以上は、弘田と柏原と長崎のみ この年の阪神の前半終了時点での戦績が19勝54敗 30年も前なのに今でもはっきりと覚えている
それくらい衝撃的な弱さだったってことか
当時の新聞の「どうした阪神 前半で20勝届かず」の見出しも印象的だった
後半少し盛り返した(といっても負け越した)けど 8月に神宮へ対阪神戦見に行ったらホーナーもバースも欠場でレオンしか助っ人がいなかったのが悲しかった 今年のサンフレ広島が当時の阪神と重なりそう
どちらも前々年は優勝してたし監督も替わってないのに…… この年のシーズン、西武はリーグ優勝を決めた後の消化試合で投手を打席に立たせていた
日本シリーズ対策のためだろうけど、当時はそれが普通だったのか? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E5%90%8D%E6%89%93%E8%80%85
ここの「試合でDHを使用せずに打席に立った投手」項目参照
森と東尾しか採用していないシリーズ調整
87年のこのケースが初めてだったみたいだね
DH導入(75)から82年までは二期制のためそういう調整状況がない
83,84 独走優勝も広岡上田両監督はそういう調整を採用せず
漫画『あぶさん』では独走の西武が最下位南海を相手に松沼博をそのまま
打席に立たせ、南海ベンチ激怒というシナリオがあったが、現実では実現せず
85 全試合DH制
86 全試合DH無しだが129試合目
87- パ本拠DH セ本拠DH無しの現在のスタイルが確立
・優勝が比較的早く決まり投手が打撃練習を本格的に始める
・セ本拠での先発予定投手の登板試合で採用
ここらへんまで状況が整わないとあまりやる意味ないから、
やっぱり普通じゃないんじゃないの
広岡上田の両監督は7試合全部DHなしなのに1試合程度調整をしても
あまり意味がないと思っていたのではないか 101 神様仏様名無し様 sage 2017/06/17(土) 02:46:58.21 ID:IfVU9psd
1987になる可能性は似てきている
・前年は広島巨人の争い、自民勝ちの参院選
・二所一門のガチンコ横綱(大乃国、稀勢の里)
・若手に取り替えて上がってきた星野中日→金本阪神
・今の中日は暗黒一服な大洋
・強烈に弱くなり出したチームの存在
・株価20000円越えも、リクルート疑獄→加計、森友
・元号の終わり1年前
・翌年は韓国で五輪
・テレ朝謎の改編
・石原祐次郎死ぬ→石原慎太郎政治的に死ぬ
・カウチポテトの時代→スナック菓子品薄
・花金ブーム→プレミアムフライデー
・AKB落ち目→おにゃんこ落ち目
・ドラマのTBS復活
・東芝の悪夢 ココム→原発
・北海道鉄道で廃止路線
・QRで吉田輝美ラジオ終わる 日本シリーズで巨人が後楽園で胴上げ決めるって風潮は何だったの? 第3戦辺りで仮に巨人が勝ってたら、
逆転日本一はあった?? 巨人の戦力はかなり強かったとは思うけど、
思い返せば、やはり西武の野球は大人だった。
風潮ってのは、後楽園最終年だったからだろうね。
加えてリーグ優勝のときは後楽園はおろか、
相手球場でもなく、つまり移動日優勝だったというw 移動日優勝は白けたな。 正直第1戦の打線爆発で少し巨人は調子に乗った感じがする。
んで工藤にやられてもう立て直しできなくなった。 少し天狗になっていたところで工藤が
その鼻を見事にへし折ったんだよな。 江川もいいピッチングしたんだけどな
この年の東尾工藤郭から3つ勝つなんて至難の業 打線を比較すると、巨人の方が完全に上。この年の西武は、秋山が本塁打王だったが、石毛の2割6分9厘がチーム最高。ただ、1点を獲る巧さ、やらしさは西武が格段に上だった。 初戦に打線爆発したあとの西武の選手や監督がかっこよかったな
東尾「生きたデータを集められた」
森「うちは第2主義や」
自信あったんだろうなと
実際試合巧者だけなら、90年よりこの年の方が隙はなかった
強いイメージだけなら90年だろうが なんかで見たけど第1戦の滅多打ちで、森は4連敗を覚悟したとか巨人とはレベルが違うとか焦ったって話を聞いた事があるんだけど、もはや本人に聞かないと分からないな。 確か94年の日本シリーズで巨人も
桑田が第1戦わざと打たせたとか言ってたが
後付けで何とでも言えるよね >>708
-42を下回りそうな勢いだな
どちらも前々年の覇者なのに >>701
八月の後楽園のヤクルト戦を開門時には雨が上がっていたのにも係わらず、強引に中止にした天罰だろ
その中止にしたヤクルト戦がマジック1 で廻って来た、広沢の決勝タイムリーで敗れた後楽園の試合だからな
まあ八月時には雨も降ってないのに中止にして、
選手を休ませて他チームの動向を高みの見物しましょなんて余裕をブッこいてた訳で。
自分で自分のクビを絞めた、いわゆる自業自得だろ >>380
その外野で連続20勝斎藤雅樹は偉大だ。 そもそも第2戦必勝主義が疑問
初戦に勝ったほうが2戦目楽に臨めるから、大きいと思うけど 仮に王巨人が前年から2連覇orこの年に日本一だったら89年以降も
王政権は存続できたのだろうか… バースと違ってバレンティンは優勝した年は貢献しなかったがなw >>718
岡田は優勝した年の狂い咲きだけで、それ以降は2割7分、20本、70打点レベル。確かに、今年の山田は酷いが、その評価は? >>713
西本聖「俺なんか川又・大豊・彦野の外野陣で20勝した事があるぞ。」 >>498
この翌年、谷繁も取るわけだが、もし、古葉が大洋の監督じゃなかったら中国・山陰方面にコネが効かず、98年の優勝もなかっただろうなあ。 80年代後半の森西武は結構苦しい戦いを強いられていた
この87年も最終的に阪急に9ゲーム差をつけたが、優勝を決めるまでは楽じゃない戦いぶりだった
優勝を決めてから一気にゲーム差が広がった 森西武が盤石になったのは90年からかな
弱点だったリリーフに鹿取 潮崎が入り解消された 星野中日初期は、どこも球場狭かったからな
外野の守備なんて大したことなくても攻撃力で勝てた
85年の阪神なんて、佐野、弘田、真弓だからね
決して守備力が高いわけではない
高そうにみえた広島でさえ
ランス、長嶋、山崎
守備力より攻撃力重視だったのは事実 タツノリよりも鹿取さんが(MVPに)ふさわしかったよね あんなにスター選手がいたのに
MVP争いが山倉鹿取とかになってるのが王巨人らしいオチ 鹿取は当時の漫画家の食い扶持にもなってたから受賞
すべきだったな、山倉はそこまでのキャラじゃなかったし 巨人は投打とも生え抜き選手で構成されたチームとしては最高の年じゃないか?
あの戦力で西武に勝てなかったんだから西武ってどんだけ?って当時思ったわ 個々の集合体という意味での総合的な戦力としては
この年の西武より上だったとは思うね。
違ったのは監督の差と、チームとしての総合力 ほんま機動力と外野の守備以外は文句のつけようのないシーズンだったな
スター選手が投打にこれでもかと揃っていたし >>733
江川西本のピークがこの年だったら確実に巨人が勝ってたな 江川や松本がこの年限りで、他の伊藤キャンプ組やベテランが翌年以降次々に失速
88〜89年にかけて世代交代が進んで90年に新生巨人完成
という意味では87年は節目の年だな >>738
こじつけはげしい
文章自体、節目になってないじゃんw 88年限り 西本
89年限り 角、中畑、鹿取
90年限り 苦労 94年限り 駒田
94年限り 篠塚
95年限り 原
いつだって言えるよね 斎藤雅樹ってこの2年前に12勝してホープだと騒がれていたのにこの年は1軍でなんと0勝だった
当時は今より情報源が少なかったが、故障だったという話は聞かなかったな たんなる不振? >>745
先発は江川 西本 桑田 槙原 水野がいて干されてたらしい
王との相性最悪だし
斎藤はトレード直訴しようと思ったらし >>744
数年前の星野楽天も似たような感じしたんだけど… >>747
井口ほどじゃないだろう
田淵、関川、種田、仁村薫
全員優勝の年いなかったが
上田ハム以来じゃないこんな固めるのは 自分の近い連中をコーチで大量に起用する失敗する
古葉大洋、野村阪神、伊原オリックス
上田ハムは優勝寸前まで行ったが >>746
干されていたんでなく、実際、このメンバーでは投手の目利きがない藤田以外なら
必然的に斉藤雅は中継ぎ起用でしょ。
当時は今みたいに中6日とかじゃなく中4,5日が主流だから
江川、西本、桑田、槇原、水野と5人いれば十分。
さすがにベテランの江川、西本を中継ぎ起用は考えにくいし
そもそもこの5人は華もあり実績もあったから、地味でサイドスローという
利便性と馬力から考えて斉藤雅が中継ぎに適任。 88年は中継ぎで割と投げてたけど、
87年は投げていた記憶すらない 当時の中継ぎは敗戦処理みたいなもの
斎藤クラスが中継ぎとは、干してると表現しても言い過ぎではない
斎藤は86年の5月以降、王監督時代先発なし 斎藤雅、前後の年もそこそこの成績残してるんだけどな。むろん無双時代には
劣るにしても。
なんでこの年だけ極端に干されたのかな? ヤンヤンヤングマン それ行けヤングマン
王「なんじゃこりゃあ」 >>752
>当時の中継ぎは敗戦処理みたいなもの
そんななか、鹿取は中継ぎとしてチームのなかでかなりの位置にいたが。
とても貴方が言う単なる敗戦処理ではなかった。
王は斉藤に先発より中継ぎとして鹿取の代役に期待したんだろ。
わざわざ干すほど監督としての王に余裕はない。
大成した後だから干して見えるだけ
ただ単に王が斉藤雅の先発としての能力を過小評価しただけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています