【1994】巨人時代の落合博満を語ろう【1996】
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まあそれで11連敗中だった今中攻略したんだから
大したものだ
長嶋巨人にふさわしい話題性のある優勝で結果オーライ しかしまあ落合のあの股裂きエラーから大量失点してたらほんと戦犯だったな そうなってれば後年中日監督になった時名古屋のオチアン数は半減したかもなww >>65
97、98、99年は清原がV逸戦犯だろう よくそう言われるが落合にしろ清原にしろ広沢にしろ江藤にしろ
大体みんな前年の成績と対して変わってない 清原の一年目は前半酷すぎだったのは確かだが 清原もウンコだが優勝逃す原因は投手陣に尽きる
長嶋時代まともな抑え投手なんていなかったしw 広沢の1年目前半もひどすぎただろ
最後に帳尻を合わせたが ヒドかった気がしたけど
http://www.geocities.jp/osahru_bbd/yeardata/90/g1997.html
先発投手陣は大体防御率3点台で大崩れはなかったな。
まあ、ヒルマンが全く機能しなかったのと
斎藤雅がそれまで同様にエース級の活躍ができてればって感じか。 槙原が抑えに回った年だったな
ここから06年に尻が抑えに回るまで、まともなクローザーが存在しなかった 全盛期の槙原ならすごかっただろうけど晩年じゃなあ・・
それでもそこそこやってたが 落合のFA巨人移籍が持ち上がった時点では
槙原のFA残留で年俸高騰に落合入団の話が重なって
篠塚・原辺りがおもしろくない的に火種になって
報知かどこかの新聞の見出しが『巨人内乱』って感じになってた記憶。
それでも落合入団後に
ちゃっかり原が打ち方を教えてもらおうとしたら断られた
みたいな記述が出てきたw。
原・落合の関係はそれほど険悪ではなかったのか。 >>85
駒田は横浜に移籍して正解だったかなと。
2000本安打とマシンガン打線で優勝日本一味わえたし 原はFAで落合が移籍するのをあまりよく思っていなかった。
自分のポジションが脅かされるのと、労組・選手会で勝ち取ったFAの権利を
労組・選手会を脱退した奴が使うことをよく思っていなかった。 10.8で落合がリタイアした時に
原に聞こえるところで言ったのかどうか知らないけど
呻きながら『タツ、後は頼む』といった旨のことを言って
ベンチを後にしたようだけど
その時点でも不仲のままだったり浮いてる存在であったなら
『(いつしかリーダー気取りで)何様?』って感じだね。 >>80
巨人は先発完投の伝統にしがみついてたからね。
ストッパーを補強することは伝統に反すると。 >>89
ちゃんと見てたのか?補強はしてたろ
野村河本ペドラザなど
外国人投手も毎年のようにとってきてた、ミセリとか
ただ使い物にならなかっただけ 尻氏が抑えに回った年の尻氏自身の防御率悪かったけど
抑えに入る前の成績が響いてのことだっけ?
一応、単年では岡島・河原・林など
尻氏よりセーブ挙げる投手がいたけどね。 >>92
それもあるが、中日に胴上げを見せられた試合でボコボコにされたのが響いた
福留タイムリーとウッズグラスラ
あれがなければ3点台で収まってたはず >>89,91,95
事実上の初代監督となった藤本定義(1960年代の阪神監督としてその名を記憶しているオールド
ファンも多いが)の信念だった先発完投主義が後世まで影響したって感も。
中日・板東、広島・竜辺りに呼応した格好で、川上監督もいち早く宮田というリリーフ投手を育て
たりしているんだが、伝統が邪魔した格好で中日や広島の様なリリーフ王国とならなかったという
感じ。
無論、そんな弊害など吹っ飛ばす位の輝かしい伝統の礎となった名監督なので、藤本監督を悪しく
言う積もりも無いけど。 伝統が邪魔したというより、長嶋の前任の藤田時代に斎藤・桑田・槙原って完投能力の高い3本柱が揃ってたからだろ。
その前は鹿取とかいたし。 今の中6日ローテなら少なくとも1、2番手は球数120ぐらいで先発完投を目指してほしいな。
JFKみたいな中継ぎが80試合も投げるみたいなのは長続きしない。 中6日より間隔短いとか完投型が体がすんなり来る人いそうだよな
逆に低間隔完投になれた選手が分業になったらリズムが悪くてダメになったというのもいた
なぜNPBは横並びが好きなんだろ >>89
それに関しては合理的に見て正しいね
何か一つ空振りが取れる強力な変化球を持ってて
極度のノーコンとかじゃない
先発を転向させればいい
わざわざストッパー専任からとって無駄にお金かける必要もない >>99
NPBは月曜日が基本休みだから先発6人制を引くと綺麗に中6日で行けていいってだけだろうな。
投手の調整も一定間隔になるし。
昔、広島のチェコが中4日100球にこだわったせいで、他の選手のローテがチェコにあわせて変則的になるってボヤいたのを思い出した。
最近、日程の関係で中4日・中5日になると球自体は走ってるのに、制球が定まらない投手とか多くね?あれ疲れじゃなくてら間隔が変わったことによる調整不足だろ。
そのせいか昔はエース登板の試合が雨で流れたら確実にスライド登板だったのが、
次の投手がよっぽどの雑魚とかじゃないとスライド登板もしなくなったよな。
ローテをいじりたくないために。 280 15本って10・8負けてたら戦犯だったよな
後半戦極度の貧打だったし ほんっと94年はひどくて褒めるところがないから、
4番の風格だとかそういうところを褒めるしかなかった 長嶋監督がしきりに「あの四球の効果が大きいんですよ」と言ってフォローしてた。
当時は江藤や大豊といった他球団の主砲がうらやましくてしょうがなかったが。 取った落合と、落合を取ることで出て行った駒田1994
落合 .280 15本 68点 OPS.815 3.8億
駒田 .284 13本 68点 OPS.749 1.2億 結局、当時のマスコミは長嶋マンセーで(今もだが)
長嶋が三顧の礼で迎えた落合をたたけるはずもなかった。
だから、成績に表れない点を無理矢理評価した。 落合が成績上に評価された部分は、グラウンド上で監督をやってたからだろうな。
良いタイミングでマウンドに歩み寄って投手に一声かけたり、
ピンチで勝負するのか歩かせるのかベンチから指示がないからとベンチに判断を迫ったり。
野村監督が「グラウンドにもうひとり監督がおる」とぼやいてた事もあったな。 >>11
それとあれ、種田だったっけかなあ
ファースト守備で暴投気味の送球取ろうとしてジャンプしながら伸び上がってたところに
バッタランナーが突っ込んできて吹っ飛ばされて
トラックの荷台から転げ落ちた豚みたいに吹っ飛んだときの怪我
肋骨ヒビ入ってテイクバック取りづらくなった 3年目はよかったな
あの死球なければ300 30本も狙えてた
どうも日本シリーズはベストの体調で出れなかったな >>108
同じ成績でも駒田が4番では相手に対する威圧感が違う。 落合は巨人に来てチームメイトを持ち上げる発言してたよね・・あたりまえだが
原をたたくけど原より長年成績残してる選手って12球団の日本人で
俺くらいだよ、広沢と池山?冗談じゃないよとか言ってたね 落合は巨人の4番つとめて初めて大変さが分かったといってたしね
あのころは長嶋政権でただでさえ勝たないといけないという空気が充満してたし >>118
あの時点の巨人の4番でファンが納得できるのは落合だけだったな。
落合まで打席が回ってだめだったらあきらめがついた。 >>120
いやいや、移籍1年目は叩かれていたわな。
落合の打席の際の応援ボイコットとかも。
なりもの入りでホームラン15本は、さすがに期待外れ。 >>118
名前すら挙がらない石嶺、秋山、清原って一体・・・。 ホームランが少ないからダメ
最大のチームバッティングはホームラン
グラウンドの監督って何?野球のルール知ってる? 当時の巨人の4番というのは、全打席が全国テレビ中継され
ファンの目にさらされる。チャンスで凡退して負けたら全責任を背負わされることになる。
そのプレッシャーは他チームの4番とは比較にならない。
並みのバッターなら潰れてしまう。落合は年齢を考えると十分合格点だといえる。 >>121
前年17本だったし、普通に.280 15本位の予想だったけど
実際そうだったし >>124
年齢関係なく、巨人の4番は結果出ないと叩かれるよ。
長嶋や王ですら、晩年打てないと叩かれていたらしいし。
結果の残して当たり前で、凡退した打席への追求がハンパない。
そういうプレッシャーをはね退けたのは、近年だと2000〜2002年頃の松井くらいじゃない? 少なくとも放送技術の発展で欧米のメジャースポーツがブームを起こし
五輪競技から世界的スター選手が続々誕生し
Jリーグや格技などが日本でも人気を博すなど価値観が多様化して
プロ野球が国民的関心事から離れて久しい2000年以降の松井の時代の
巨人の四番のプレッシャーなど王や原に比べれば無に等しい 巨人の4番といえば叩かれポジションで損な役回りだからな。
その重責は実績十分の落合に任せて、あとの選手はそのプレッシャーから
解放させてある程度楽にプレーさせてやろう、という配慮もあった。 >>128
原のプレッシャーが一番だろう。
比較対象がONだった上に、視聴率的に注目度が一番あった時代。
それこそ野球に興味ないジジババでも原はチャンスに弱いといってたからw 江川 原 中畑がいたころが世間的には1番注目度高かった時代か
80年代は経済や娯楽も絶好調だもんね >>122
清原のことは原と言うほど変わらんとか言ってた。 石嶺は話題に
でなかった。記録みたが神戸に移転してから25本すら越えたこと
ないことが確認 秋山は福岡ドームの広さで強打者としては完全に消えたからね。
比較的影響小さそうな打者だと思っていたが。 秋山が飛ばし屋というイメージはあんまりないな
140m以上のHRは記憶にない。 原はコンスタントに結果を出した打者
通算成績はしょぼいが、
確変があった打者のほうが評価は高くなりやすい 94年の落合は巨人が優勝した中で最弱の四番打者でしょ ミーティングで説教ぽい講釈垂れるが誰も聞いちゃいなかった
ついたあだ名が「ミージイ」(ミーティングジジイの略)w 原以降の4番のそうそうたるメンツがショボイ成績だったから
原が再評価されたな。 当時、若手の投手が多かった横浜やヤクルトなんかは
全盛期の落合なんて知らないから、怖いもの知らずのノリで
バンバン胸元を攻めてた。
さすがに落合も「いい加減にしろよ」とばかりにブチ切れてたことがあったが。 >>96
>中日・板東、広島・竜辺りに呼応した格好で、川上監督もいち早く宮田というリリーフ投手を育て
デタラメぬかすなw
宮田のリリーフ専門起用が先で、広島中日が猿真似しただけだ大嘘つきが! 宮田のリリーフ専業登板は開幕前から藤田コーチ川上監督との面談ですでに決まっていたこと
広島中日は宮田の成功、8時半の男ブームに追随しただけ >>137-138
秋山の飛距離が落ちたのは腰痛の影響もあったはず 秋山、引退後に手術したら腰の痛みが全然無くなったらしいな。
これだったら現役中に手術すれば良かったって、後悔していたみたいだが。 >144
94年は内角直球がことごとく打てなかったので内角攻めは必然だったからな。 巨人は97年以降も落合を「清原のお目付け役」として残すべきじゃなかった?
コーチ兼任でもいいし、落合が残っていれば97〜99年も優勝できた。 オチが中日入団でガックリきて、さらに巨人入団でガーーーーックリきて、
日ハム入団で用無しだと思ったね。一生ロッテで村田と終えてほしかった。 落合はソープランドでアナルをどうしたんですか?
教えてください >>153
それは怪しい。
落合が引退直後の連載で
「コミッショナーは球界に一番貢献した人、王さんがなるべき」
と書いてて「あれ?」って思った。
そこは長嶋なんじゃないかと。
落合は憧れの長嶋のもとで実際にプレーしてみて「なんだ、この人?」って思ったんじゃないかな。 >>151
落合のケツの穴の小ささがキヨを駄目にした 日ハムでの落合は、結構気さくに若手選手に声をかける事も多かったそうだな。 >>157
長嶋は富士山だからな
遠くから眺めているのがよい
キヨの名言にもこうある
「富士山は遠くからみれば美しいが、近づくとゴミだらけ」
落合やキヨといった外様は巨人では冷遇される
生え抜きの松井やヨシノブとの扱いの違いにプライドはズタズタにされたのだろう 冷遇というよりその采配に「バカじゃないの、この人」って思ったんじゃない? それはないな。采配云々なんか外からみてりゃわかる話だし。
だれも長嶋を策士だ名将だなんて思ってないだろ。 >>71
A級戦犯が誤用されて久しいが、これは本来の意味でもA級戦犯のケースだな >>159
はぁ? 西浦から苛められてただろが wwwww >>162
長嶋の人間性に幻滅したんじゃないかね?
基本的に他人に興味がない人だと思うよ。だいたい選手の名前も覚えようとしない。
遠征先の宿舎でも選手と一緒に食事せず、ルームサービスだもの。
海老沢泰久の本じゃないけど、挫折を知らないから他人の心が分からない。 ロッテ時代を100とするなら中日が68で巨人が50でハムが15だね。
一気に劣化が早まった打者でもある。 完全に後出し意見になってしまうけれど、清原を獲るんだったら
落合を残しておいた方が100倍よかったんじゃないか。
ジャイアンツ内部の顕著なモラルの低下はあの時から始まっている。
色々言われはしても、野球には真摯な落合が残っていた方が
ずっとマシだったはず。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています