【1994】巨人時代の落合博満を語ろう【1996】
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>>424
調べたら96年の20号、米から打ったホームランだった
当時テレビ観戦してたけど、ベンチリポーターが打ったあとの落合がチームメートに
「今日はみんな打ち上げろ」と言ってると聞いて笑ったの覚えてる 日ハムでの最終打席も似た打ち方かね。
あれが2年前ならスタンドイン。 >>426
8月の今頃の時期だよね?? 確か水曜日でガルベスが先発でTBS中継で
確か早い回に打ったホームランだよね。
野口にノーノーやられた次の試合だった、火曜日は中止。
木曜の横浜戦はフジ中継でもつれて清水のタイムリーで落合が激走して
ホームインしたね。 中継終わってニッポン放送で聞いてたけど。
あの時の9回に川口を初めてリリーフで起用した >>430
まだ空が明るかったから早い回だったと思う
そこまではおぼえてる 湯船の外角高目ストレートを甲子園右中間に打ち込んだのも凄かった >>430
すごい記憶力。
そしてたしかにまだ明るかった。
スタメンデータベースで確認するに8月14日が濃厚だな。
先発は米にガルベス。
8月11日が中日戦で野口だ。
ちょっと前にYouTube落合のホームラン集で見かけたんだけどな。 >>434
初回の初打席だったか2打席目かまでは記憶してない。
確かガルベスは完投するのだが9回に2点くらいとられてこのころから
調子落とすんだよね。
巨人ファンとすればメークドラマの時の8月と92年の6月から7月のAS前までが
俺世代は一番面白かった。 ミレミアムとか原巨人より面白かった
このころは記憶してるんですわ
試合自体は次の試合のほうが面白いよラジオ聞きながらドキドキしてたわ
週末はヤクルトにドームで3連勝する あのホームラン20本になるのなら19号になるのかな??
野口のノーノーの前の日の今中から打った落合のホームランも見事だったよ
中日が先制して松井が逆転3ラン打つのだが終盤に今中が松井に集中して
打ち取って実況アナがあーとなってるときに初球狙い撃ちでレフトへホームラン
でまた騒ぎ出す
俺を忘れるなよという一撃。
ちなみにその前の週のドームでの阪神3連戦は欠場してる 落合 >>435
92年の6月〜7月と言えばデーブが来てモスビーが来て原がバット投げた時か。 >>437
抑えの石毛と小島
開幕前の弱点が一挙に埋まって走り出した 1 仁志(三) 率.270 本7 打点24
2 川相(遊) 率.232 本2 打点22
3 松井(右) 率.314 本38 打点99
4 落合(一) 率.301 本21 打点86
5 マック(中) 率.293 本22 打点73
6 清水(左) 率.293 本11 打点38
7 元木(二) 率.229 本9 打点35
8 村田真(捕) 率.208 本5 打点26 >>439
7元木 出塁率.294
8村田 出塁率.284
9投手、代打
1仁志 出塁率.333
2川相 出塁率.310
※セリーグ平均出塁率.336(投手込み)
前のランナーがこれで99打点稼ぎ出した松井凄いねw
ゴメス109、山崎107、松井99の3位
もちろん他のスタメンや代打の出塁とかもあるとはいえ >>440
ゴメスは97年加入したけどロペスでは? ベイス監督時代に落合がアポ無し訪問したり、この同学年の二人今でも仲がいい
最後にちょっと話してたがFA元年のゴタゴタについてはもうちょっと聞きたかったな 落合が真っ先にFAした事はどんでんにもネタにされてたなw 選手時代とは真逆でGMになったら理不尽に年俸削りまくり
その時の自分にとって最善を選ぶという部分は一貫してるが、前後の繋がりとか情とかを考えるとよく思わない人間がいてもまあ不思議ではない 村田の説明がわかりやすかったけど当人はできなかったって言ってるな…
実践は難しいのかな 一茂も教わったらしいからな。
うまく自分なりに昇華させることができたのはガッツと中村ノリぐらいって感じかね。
ノリは教わったのではなく、ビデオに撮って自分で研究したとのこと。 あとは古田もだ。
村田や一茂をはじめとして教わってるのはいるんだろうけど、なかなか実践は難しいのだろう。 巨人がドラフトで清原を取ってたら松井は取らなかっただろうし
落合も巨人には来なかっただろうからかなり歴史が変わってたな 当時野球少年だった俺は落合のライト打ちにすげえ感動した
あれを見れただけで価値はある >>411
あーそれがテレビの企画で息子と二人旅で行った伊豆の温泉か
番組で某球団時代に体のオーバーホールで来たと話してた 坂本が3000本打って巨人でキャリア終えたりしたら背番号6が永久欠番になりそう
篠塚引退で巨人の背番号6を落合が付けることができたときにすごく嬉しかったから微妙な心境 とにかく松井が四番になると使い物にならなかった。
そこに、しっかりと四番目の打者としての役割を果たした。チャンスにも滅法強かった。巨人時代は。 落合がいた3年間、巨人ファンとしては良い思い出しかないよ。
チャンスでしっかり結果を残してくれたし、ファーストを守りながら何度もマウンドに行ってアドバイスしてた。
正直、原とは格が違うな、と思ってしまった。 >>458
原ファンだけど全く同意
単純に残した数字だけではない効果があったよね >>453
獲るだろ。
右の清原に、左の松井とくれば最高のコンビ 原に関しては94年アキレス腱の故障がなかったら92年の成績は残せただろうね。
5番原を1年フルで見たかった。 宇都宮という寒い時期でOPなんて今やってないだろう??
落合は92年93年と比べて巨人時代は良いとこで打ってた。 あの死球がなければ
と思うわ 打撃専門とは言え、31才の坂本より42才の落合の方が打撃成績上なんだよな。 94年に首位独走してたのがマスコミに「落合効果」なんて言われてたね
原に関してはこの田尾とのトークの中で暗に認めてないような発言してるねぇ・・・
https://www.youtube.com/watch?v=yEKH4DADgq0
42歳(96年)は五番でスタートしたけど打撃絶好調で松井の不振もあって1ヶ月で四番復帰だったね
あの年に通算500本塁打&通算1500打点見られて嬉しかったな >>463
この落合のインタビューって98年の何月のものだ?
4月は3割超えてたから5月ぐらいのものかね?
今年はいけそうだぞ、という安堵感がある。しかし、この年で引退ね。 落合は巨人に移籍した時に原を評価してた気がする。 当時俺以外の日本人で
4番を10年務めてたのは原しかいないぞと言って記者が逆に失笑してたぞ
おまえらは原を過小評価してるけど
清原は俺の中ではまだ完成してない・秋山は成績的には良いが3番・広沢池山なんて
甘い。 そういう風に考えたら原を馬鹿にできんだろうと。
ヤクルトの評価が高いようだがエースいないよな。 川崎なんてあのシリーズだけ
まだ長期の活躍はないから評価は早いとか報知のインタビューでいってた 落合FA移籍した直後に松井と日テレにテレビ出てアナウンサーが来期のカギを握る
2人といったときに落合俺ら2人だけではだめカギは原と吉村篠塚。
あの3人が活躍しないとだめといってた >>466
その3人はほぼ活躍せずとも優勝したようなw 原は割と活躍したんちゃう
引退前の最後の一花みたいな 原は活躍したな
というか駒田を追い出してしまった負い目も感じて
原吉村篠塚という生え抜きスターに気を使って名前出したんじゃないかな
意外とそういう接待できるから落合 >>469
駒田に関しては落合関係ないと思う。 駒田とデーブのyou tube見てたら93年のシーズン
途中から駒田はやる気なかったみたいだし。 藤田前監督に相談してFAするか
トレード待つことを天秤にかけたときにトレードなら不調に終わって残留した場合
困るからFAのほうが良いよと言われたみたい
藤田さんが横浜の近藤監督に獲得を進言。 清原-佐々木対談で盛田の話になって
清原「お前凄いな、落合さんにぶつけて」
盛田「(平気な顔して)いや、またやっちゃいますよ」 当時の横浜の投手は若くてイキのいい投手が多く、斎藤隆や五十嵐なんかも
落合なんかにビビるかよと言わんばかりにガンガンインコース攻めてた
落合への厳しい攻めで何回か乱闘騒ぎになって落合も激怒してた 「おれが田淵さんみたいに避けるの下手だったら野球やってないよ」
みたいなこと対談記事かなんかで言ってて避けるのは多少自信あったみたい
まあ最後は野口に手首ぶっ壊されて終わるんだが
若いころだったらもう少し軽い怪我で済んだのかねえ >>473
よけることを第一優先したらあのフォームに行き着いたわけだからね。
痛いのが嫌だから、と言ってたけど、怪我して稼げなくなるのが嫌だったというのが本音だろうな。
晩年はボールが見えなくなってきてよけきれなくなった印象。 移籍したのは松井育成目的も関係あるのかな?
ミスターが俺と落合以外教えるなって発言したけど >>476
落合が「移籍した」ってよりも、
長嶋が「移籍させた」って感じちゃう? >>477
広沢もFA宣言前に長嶋から電話がかかってきて「広沢君ウチに来るよね?」って
言われたってYouTubeで言ってた
これ完全にタンパリングじゃないの?
落合なんて100l移籍するのを決めてたのに散々焦らして
スポーツ番組とタイアップして番組内で宣言したから クロマティーが王さんのことは絶賛していたが落合のことは小太りしたおっさん扱いしていてたいした評価はなかった。
セリーグに来てからは確かにそんな感じだった。 落合博満はもう67なんだな。
巨人に来たのが40だからな。
それよりも驚いたのが落合信子は76だとよ。
長生きするだろうけど。 落合痩せてきてたね
酒好きは直らないだろうけど長生きはしてほしいな 野口の死球が無くてシーズン30本塁打で日本シリーズで活躍しても
ポジションの被る清原を獲ったかな? 確実に獲りにいったと思う
43歳にしてはかなりの好成績だが夏場はバテるし当人の責任でないにしろ怪我もするし
仮に30本打ったとしても翌年も同じような成績を残せるとはまず思えない
もう後がない落合よりも清原の方が遥かに若いし
結果はだいぶ計算違いだったとは思うがまあそれでも9年やったしね さらば落合博満〜育成能力のない独裁者へ
人は監督時代の落合博満を称して「名将」と言います。
確かに8年間で優勝4回、すべてAクラスという成績だけを見ればそうかもしれません。
しかし、「名将」と言わしめる条件とは戦績だけなのでしょうか?
そこにはカリスマ性が求められるかもしれませんし、人柄を条件に入れる人もいるでしょう(人柄を言われたら落合はこの時点でハズレかも?)
私はそこに選手の育成、つまり「どれだけ選手を育てたか」という条件を付したいと思います。
それで改めて私は問いたいのです。落合博満は名将と言えるのかと。
とてもじゃないが私は肯定できません
落合博満が中日の監督に就任した時、彼は確かこんなことを言いました。
「右の四番バッターを育てたい」
自らの後継者を育てようという気概にファンは期待したものです。
その時の候補者の一人が、確か前年に入団したS選手。
しかし、結局落合は育てることができず、その後3年ほどでSは首になりました。
それなりの能力を見出したのならもう少し長い目で見てもよさそうなものなのに
落合政権下では入団後2,3年であっさり解雇される若者が異常に多かったように感じています。
はっきり言って、落合博満に選手を育てるという能力はないのです。
それどころか、野球選手としての素質を見極める能力すらほとんどないのです。
だから、監督として在籍した8年間、新たな戦力として台頭してきた選手はほとんど見当たらないのです。
あっさり選手を首にしてしまうのは、支配下に置いておけば「落合は育てられなかった」という悪評が立ってしまうので
それを防ぐためなのではないかと私は思います。
では、何故落合は好成績を残せたのか?それは「落合は選手を育てる能力はないが
一定水準にある選手という駒を使いこなすのがうまかったから」
そして「引き受けたタイミングが絶妙だったから」にすぎないのです。
監督のタイプを「人を育てるのがうまい」と「使いこなすのがうまい」という2つに分けるとすると
歴代の中日の監督で言えば、前者の代表は水原茂と星野仙一、後者は与那嶺要と落合博満と思います。
星野仙一の場合は、使いこなすのも巧みだったと言えるでしょう(その後のオリンピック等での醜態で評価は下がりましたが)
つまり、水原茂が育てた選手をうまく使いこなして与那嶺監督が昭和49年に20年ぶりの優勝を果たし
星野仙一が蒔いた種に山田久志が水をやって成長させた選手を落合がうまく使いこなして4回も優勝できたのです。
つまり、2000年代の中日黄金時代の基礎を築いたのは星野仙一であり、落合博満は天の時を得て
つまり星野仙一によって見出された選手たちが中堅、主力として円熟期を迎えるという絶妙のタイミングで監督になっただけなのです。
まさに「人の褌で相撲を取った」に過ぎないのです。
時機を見るのに巧みな落合博満は引き際も実に見事でした。
8年間の監督生活を経て、一応「解任」という形で監督を辞めたことになっていますが
真実はどうだったのでしょうか?実は落合本人も、名将の名に傷がつかないうちに辞めたいと思っていたのではないかと私は勘ぐっています。
つまり、主力選手がピークを迎え、新しい戦力も育っていないことを考えれば(前途ある浅尾投手もつぶしてしまった)
黄金時代もここまでという意識があり、このまま監督を続けていけば、2,3年後にはBクラスに転落することは予測できたと思います。
Aクラス監督でいたいという思惑があったところに球団からの肩たたき…落合にとってはまさに渡りに船だったでしょう。
GMとしてドラフトでの選手指名に権力を発揮しながら、戦力になったのはごく一部。
これなど、人を見る目のなさを露呈していますが、責任は谷繁監督に押し付けて知らん顔。
これでは誰からも信頼はされないでしょう。
落合に対しては「だったらおまえが監督をやってみよろ!」という声もあるようです。
しかし、如何に監督としての能力があろうと試合をするのは選手。計算高いこいつのこと。
必要な戦力も整っていない今のドラゴンズを引き受けようとは思わないでしょう。というより…
落合博満には二度と中日の監督をしてほしくない
中日ドラゴンズという組織にすらいてほしくない
とっとと出て行け!! 年齢の割によくやってるっていう但し書きがつく
4番としても年俸に見合う成績だったとはいえない
巨人が落合を獲ったのは戦力としてより松井を育てるためだった オチアンはスレタイも読めない程度に頭が悪いからオチアンなのだろうなぁ…… >>488
正にそれが最大の功績(+初年度に「長嶋さんを胴上げする」)で、
有言実行したんだから、意義があったよね
阪神でいう初年度の金本(数年後にキャリアハイを残すのは予想外だろうけど)
に似ているパターンだと思う
巨人の幾多のFAでもかなり上位ランクの補強だった
小笠原も同じくらいかな 落合、ガッツ、工藤あたりはファンにとってはかなりの満足度だったよ。
江藤の1年目とか、杉内とかも。 星野曰く、落合は「感情表現が苦手であまのじゃくなところがあるが、根はとても素直な奴」との事だったんだな。 落合が巨人残留していれば、97〜99年も連覇できたのでは?
97年は清原4番として、落合は5番で.280〜.300、15〜20本ぐらいは楽に残せたはずだ。
清原からしたら、「落合さんが俺の後ろにいれば大丈夫」とノープレッシャーで40本塁打は打てた。
98年は高橋由伸も入って、落合は6番で更にダメ押し打を打つ。
99年は救援で松坂から2打席連続本塁打を置き土産に引退。 落合が97年以降も巨人にいたら斎藤雅樹が200勝していたかもしれない。
小早川の開幕3発もなかったかもしれない。
斎藤が無双してるのは藤田監督の4年間と落合のいた3年間の計7年間。(91年は△だけども)
何度もマウンドに行ってアドバイスしてたからな。
槙原も当時、寂しそうな表情でインタビュー受けていて、投手陣にとって痛手、残念と言っていた。 元巨人の上原のyoutubeチャンネル面白いから割りと見てるんだが出てくる人で落合のこと話す人多いね
最近更新された村田真一なんて落合を尊敬というか単なるファンみたいになっててちょっと笑った 村田ってコミュ力に長けてたんだろうな。
長嶋や落合とかなり深く話せてるのは村田が一番なんじゃなかろうかね。
余命わずかな村田の父のために長嶋が会いに来てくれた話は泣けたぞ。
落合については高木豊のYouTubeチャンネルのほうでも話してたな。
拳で人を思いっきり殴ろうとしたときの体重移動。
キャンプ中に落合の部屋にいろいろ聞きに行ったらしいな。
村田真一の引退セレモニーでの「もっと上手くなりたかった」というのは落合の影響もあるんだろう。
「お前、もっと早く聞きに来てたらもっとうまくなったのにな」 あとは川相と落合も近い関係。
狙って流してライト前に打った川相に対して1塁ベース上で落合に「それじゃあバッティング崩れる」と言われた、と。まだ落合が巨人に来る前の話。 落合移籍が決まったときにインタビューで原が「優勝決定のときに4番原でいい」と発言してプライド見せてたけど
その後の行動・言動でかなり落合リスペクトしてるのが分かって嬉しかったな 日ハムでの落合は邪魔者扱い(真偽はわからん)
巨人での落合は選手からもファンからも神扱い >>506
実際に原は94年日シリで4番を打ってたね 打棒というよりは、むしろリーダーシップと優勝を期待されて
実際に有言実行したのだから、神よね シーズン通しての活躍も大切だけど
10.8決戦みたいな本当の勝負所で活躍できるのが一流なんだとまざまざと見せつけられた 巨人時代の落合はそれまでと打って変わってチームバッティングに徹していた
勝たせるのが4番の仕事と公言し実行してみせた >>319
フリーザの第三形態に匹敵するぐらい大衆への公開時間の少ない打ち方。
ボールが見やすくなる点がメリットかな。
もっと見てみたかったんだけど、開幕からもとの打ち方に戻したら結果オーライだったからね。 バティスタは思いっきり開いたまま立ってた。落合とは全く別。
八重樫は最初から開いて立って神主やりながらバットで天に向かって何度か交信しながらタイミングを合わせてた。
落合は最初からは開かないね。バットの使い方が八重樫っぽかったよ。
95年のオープン戦。 >>44
現代にヤクルト村上と言う選手が出てきました 村上は迫力あるけど結構穴が多い
穴を埋めれば松中信彦級になれる >>56
つまらねえ男だなお前
94年を95,96年で取り返したんだから今更むし返すなよ、カス 巨人での落合は気合いとか気力とか根性の人だったよな。
打席の中でも深呼吸したり肩を上下させたり必死だった。
それまで作り上げてきた落合博満像を捨てた。
長嶋、信子、巨人、体力の衰え、様々な要因があったかな。 オープンスタンスはボールが見やすくコツコツ当てやすいが腰が引けてるので遠くに飛ばない。
メジャーのスラッガー質がやるオープンスタンスはあれは完全なパフォーマンス。
インパクトの瞬間はきちんと踏み込む姿勢に戻っている。 長さんの前では憧れの人だったからか問題も起こさず大人しくしてた
落合が長さんにも噛みついてたら面倒な事になっていたかも知れない >>522
落合博満のオープンスタンスはボールを見やすくするためではない。
八重樫とは違う。
軸足にほぼ全体重乗せてるから投手寄りの足はどこに出しても落合打法になるのよ。
死球よけのためのオープンなんで。
実質的に投手が落合から見てサードとショーとの間にいるイメージで打席に立ってた感じかな。
正面打ちの練習について落合はいろいろ理由つけてるけど、実は試合中も正面打ちのイメージで打ってたのな。
オープンスタンスの影響もあってパワーは多少伝わりにくかったかもしれないけど、落合のパワーはメジャートップ級なので補えたわけだ。 中村ノリもそんな感じでしたね。あれも極端でしたが
メジャーの選手が目を丸くしてたのが印象的でした 巨人OBは落合獲得に反対したが長嶋が押しきったので
ますます「長嶋さんに恥をかかせられない」になったと思う
逆に清原獲得は巨人OBはみんな賛成したのに結果はあの惨状だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています