【1994】巨人時代の落合博満を語ろう【1996】
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冷遇というよりその采配に「バカじゃないの、この人」って思ったんじゃない? それはないな。采配云々なんか外からみてりゃわかる話だし。
だれも長嶋を策士だ名将だなんて思ってないだろ。 >>71
A級戦犯が誤用されて久しいが、これは本来の意味でもA級戦犯のケースだな >>159
はぁ? 西浦から苛められてただろが wwwww >>162
長嶋の人間性に幻滅したんじゃないかね?
基本的に他人に興味がない人だと思うよ。だいたい選手の名前も覚えようとしない。
遠征先の宿舎でも選手と一緒に食事せず、ルームサービスだもの。
海老沢泰久の本じゃないけど、挫折を知らないから他人の心が分からない。 ロッテ時代を100とするなら中日が68で巨人が50でハムが15だね。
一気に劣化が早まった打者でもある。 完全に後出し意見になってしまうけれど、清原を獲るんだったら
落合を残しておいた方が100倍よかったんじゃないか。
ジャイアンツ内部の顕著なモラルの低下はあの時から始まっている。
色々言われはしても、野球には真摯な落合が残っていた方が
ずっとマシだったはず。 >>169
あっさりと巨人退団したのはあれで選手生命終わったという
自覚があったのかもね。そこで引退せずに
しれっと好待遇で日ハムに行くあたりはさすが落合だけど。 >>171
落合残しても代打要員でしょうね。素行抜きにして単純に戦力としてみても
清原いらないというのは当時の巨人ファンの普通の意見だったよ。
覚醒した松井を不動の4番に据えればなにも問題なかったから。 清原が巨人でまともに働いたのは01年だけだったなあ。 >>173
いやそれはさすがに言い過ぎ
四番は松井で良いにせよその前後に誰を入れるつもりなのよ 96年に松井が覚醒して落合が巨人時代最高の成績を残しても得点はリーグ4位だった。
当時の巨人は投手で持っていたチームだった。
清原も球界最高年俸で期待値が高かったせいで期待外れ感があるけど
97、98年は1年トータルでみればOPS.850だから無茶苦茶悪いわけでもない。
当時の巨人の外国人のスカウト力ならどうせ一塁の外国人みつけてきたところで
ロクなのを獲ってこなかっただろうし。 >>177
清原の巨人初年度って確か打率は低く三振は多かったが本塁打35、95打点ぐらいだっけ?
確かに悪くは無いんだけどヤクルトの4番だった古田が本塁打9で86打点で
清原に替わって西武の4番になった鈴木健が本塁打19で94打点だったから
清原の本塁打数を考えたら110〜120打点ぐらい無いとダメだわな オールスターなどでは確かによく打っていたが
シーズン中にここ一番で打っていたという印象はない
むしろ三振のイメージが強い。 もし、清原が阪神移籍か西武残留なら、巨人は落合を残したであろうか?
落合は残りたがるだろうけど、巨人側は落合のファーストでの守備範囲の狭さに
見切りをつけていたとも言われているし、8月末の野口の死球でかなり打撃能力も
落ちているのも見抜いていたならば、控えの広沢を1塁にコンバートとかも考えて
いただろうから、微妙ではあるけど。
落合は代打では嫌だと言っていたみたいだし。 少なくとも怪我するまでは、
巨人ではベストシーズンだったけどなぁ 何で96年に急にあんな本塁打と打点を伸ばせたんだろう >>164
西浦は不思議な選手だったよな〜
落合批判して実力でレギュラーを獲ったが、
活躍したのはその一年だけ。
クソ偉そうな落合への怒りが爆発して、
クソが消えたら気力も消えたのかなw こんな反日朝鮮守銭奴疫病神爺なんてFAで取る必要はなかった
大金をドブに捨てただけ 移動中のパシりにして、てめえが頼んだ雑誌、煙草を自腹で買って
てめえに提供した曲者元木に利子付けて全額返したれよ
この何処までもセコくド厚かましい朝鮮乞食一家(孫含む)が 知恵遅れの馬鹿餓鬼を球場に連れて来てみんなに迷惑を掛けたアナル糞満 篠塚に何でお前が背番号6つけてるんだよ
といったんだけ あのバカ息子 >>189
そう
松井には「おい松井、お前三冠王取った事あるのか?」 落合ってさ、契約更改の時に
「俺の成績を超えてから言え」
って言ってたらしいけど、
「落合さんの出来なかった二桁盗塁を記録しました」
「落合さんが獲れなかったゴールデングラブ賞を獲りました」
って言われたらどう答えてたんだろ。
今の中日に福本みたいな選手がいたら……
「あんた、打つだけやん」
って言ってやれば終わりじゃん。 >>191
そこでそう言えるくらい骨のある選手ならまた対応も違うんじゃないの? >>191
落合『俺はお前を認めないよ、○年連続して成績を残してから言え』とかイチャモンつけてくるだろうな。 97年も、5月終了時点で
.302 2本
敬遠されたり、かなり警戒されていたよ。 98年も、5月26日時点で
.310 2本
44歳で、凄くない? こちらを閲覧されている方にお願いがあります
おそらく1月にCS日テレG+にて放送されたジャイアンツタイムマシーン
の四番打者編にて落合のホームラン映像がかなり流れたと思われます
特に96年4月17日の今中から打ったホームランは、見たことがなくどうしても
手に入れたい映像です
再放送が4月にあるのですがレギュラーシーズンの試合展開によって
短縮されるようです
当方録画環境もなく・・・今はいろいろ厳しい時代ですが、もし1月に
録画していてパソコンに取り込んでいる方がいたのなら、何とかお譲りいただきたい
のです
無茶を言っていることは承知なのですが・・・何卒よろしくお願いします 原と落合が仲悪いと言われるけどそんなことないと思うけどね。
wbcで散々悪口いわても、
落合は講演とかで原監督のことを「タツ」と呼ぶ。
嫌いならあだ名で呼ばないでしょ >>167
いやぁ、最近でこそ金本なんかが40すぎて打ってたし、山本昌なんてのも
現れたから感覚鈍ってるけど、落合が巨人にいった時代なんて40代現役が
そもそもまずいない時代だろ。同じ時代にいた掛布なんか典型だけど
35歳くらいが選手の寿命だった気がするが。落合って、あの時代では
老化に一番耐えた部類だぞ。 落合曰く、巨人3年目に中日野口にデットボール食らって骨折したのが
劣化した原因だったそうな。
試合の局面と打順から考えて
「ここはぶつけてくるかもしれないからアウトサイドに立っておこう」と準備してたのに
避けきれなかった。
で骨折。 その後日本シリーズに間に合わせるために骨折完治しないまま
1日2000スイングしたら、完全におかしくなったとか言ってた 落合が移籍する前の93年の打線って酷かったの?
4番を打てる人材が居なかったけど原と駒田も不調で松井は育成中だったの? 酷かったね 1993年開幕前は長嶋復帰で松井とバーフィールド
で200発打線とか威勢の良い感じだったが、松井はOP戦打率0割台
これは高卒1年目だから仕方ないにしてもバーフィールドは扇風機、
原も確実に劣化した 後半活躍しはじめた松井の将来に注目して
いた感じ >>199
当時球界最高齢が落合だった記憶があります
門田も引退したあとだったし 確実なのは96年時には
最年長でしたね
>>200
野口のデッドボールは生放送で見てましたが本当に
残念でした ただ個人的に思うのは確かに骨折のダメージは
あったけど、日ハムに移ったときになぜか太ったことと動体視力
の衰えのほうが大きかったように思います
>>201
93年オフはFA元年でいろいろあった年でもありますねぇ
長嶋監督が頭を下げて落合を引っ張ったり、槙原の自宅に
花束持っていってFA引き止めたり・・・駒田が出て行ったり
結果論じゃないけど93年にいなかった打線の中核に落合が
座ったのはやっぱり大きかったように思います この年の野口は巨人戦では本当に謎の投手だったな
巨人相手にノーノーやって、落合の手首を粉砕して選手生命を終わらせて、
最後はジャーマンのキングのために松井を敬遠してブーイングを浴びる 93年の巨人打線はまず原が不振、駒田も駄目、優良助っ人だったモスビー不振
新外国人バーフィールドも外れで中軸が完全崩壊
四番岡崎郁が起きたのもこの年
投手陣におんぶにだっこだった藤田監督時代のツケが噴出したとも言えるな 落合が3割15本程度で4番でよくやってくれたって感じだから
ファンのハードルもすげー下がってたな 92年は何気にチーム打率NO1。 打撃コーチが中西太。
93年は打撃コーチが中畑チーム打率が最下位。 打撃コーチが悪いのかも
当初は長池を招へい予定だった・・・93年
落合は毎年三冠王を取るというけど94年だけは長嶋さんを胴上げするといった。
だから故障して休んで打順の流れを切るのが嫌で休養を辞退した。 91年かなんかに
脚故障した時は星野の要請を散々断り1か月休んだ >>199
94年ならぎりぎりでハム大島・阪神真弓・オリ佐藤かな。 大島と真弓は代打だけど >>210
前年の4番打者成績があまりに酷かったから、とにかく数字はそれほど残さなくていいから、
シーズン通して4番に定着してくれれば十分という感じだった。
原じゃ頼りないし、駒田は器じゃないし、松井じゃまだ可哀そうだし、外人は未知数だし、
岡崎じゃ悲惨過ぎるって具合。
そこそこの成績だった落合だが、ポイントではよく打ってくれたような印象がある。 落合は日ハムに移って、それまで打席に根を張ってるようなバッティングフォームからポンと落合の人形を打席に置いたような力感のないフォームになって
実際.260 3本という悲惨な成績に終わったが、記録を見るとしっかり四球を選んでるんだよね。
3割20本打ってた巨人時代にはパワプロで云う「威圧感」があったんだろうなあ。 >>213
あの年の姿には、落合が数字を捨てたらどうなるかを見せてもらった気がします。 >>211
落合って「野球選手は骨折かアキレス腱切る以外は試合に出るもの。オレはそうしていた」と言ってたけど・・・
中日時代肉離れしてた時有りましたよね。 その時かな。
>>214
日ハムの試合動画が落ちてて、落合の打席何度か見れた。
やっぱり相手が警戒したり、敬遠が多くて、存在感あるなあと思った。
反面、甘いコースを打ち損じる場面が多くて、衰えもあったかなと 松井のお手本もあったかも知れんけど、
結果的には↑でも書かれている存在感が大きかったと思うけどな。
駒田が抜けて一塁が空いたし、
効果的でちょうど良い補強だったという印象。
当時の巨人ファンで、当時の落合を非難する人は少ないと思うよ。
一方、清原とかはアンチが多かったんじゃないかなぁ。 94年の落合
03年の金本
単純に打撃成績の数字だけじゃ貢献度は測れないって典型だな >>218
駒田は横浜がFA関係なく欲しがってたね。 もしFAしなかったら大魔神と交換トレード
だったが打者補強したくて巨人が拒否した。 駒田を餌に同じ佐々木でも佐々木誠
ほしかった >>217
トシだから大して期待値はなかったな
重要な場面だけ仕事してくれって感じだったわ
94年
松井(20) .294 20本 66打点
落合(41) .280 15本 68打点
原 (36) .290 14本 36打点
95年
松井(21) .283 22本 80打点
落合(42) .311 17本 65打点
原 (37) .201 *6本 15打点 落合の凄さは中日で成績が落ちていったのに巨人で息を吹き返して最後は3割20本打ったってとこ。
OPS.924って大したもんだ 松井1000日育成計画の一環で落合とプレーさせる
狙い通り松井4年目で覚醒
ここまでは長嶋監督の策謀はキレていた 外野フライなりシングルでいい場面ならそれを狙う。1発しかない場面ならそれを狙う
どうでもいい場面ならぜんぜん走らないが、大事な場面なら1塁なりホームに激走する
ぜんぜん俺流なんかじゃなくてしっかりチームプレーをする選手だったというのがよくわかった2年間だった 勝つことが目標なら、そのために必要なことを実践できる人だったね。
稲尾監督に「(細かいシチュ忘れたけど)9回裏無死1塁2塁
(みたいな場面)でどうする?」と問われ、
「バントです」と答えたとかいう話からも分かる。
小久保みたいなキャプテンシーとは違うのかも知れんけど、
若手にとっては、やはり手本とすべき選手像の一つって感じ。 94年の夏場にまるっきり打てなくて、週ベで張本にもうおやめなさいみたいなことを言われてた。 週べといえば豊田泰光のコラムで開幕前「落合は出場できても年間80試合」とか
書かれてたな。 あー、ロッテに在籍してた頃、ノーアウトかワンアウトで、サードランナーがホームインできるゴロの練習をした話があったな。
で、監督になって、井端がサードランナーを返すゴロでアウトになったのを、誉めてたな。 >>227
94年に調子落とした理由のひとつに長富からのデッドボールのダメージがあったみたい
本人曰く2ヶ月間メシ食えない眠れないでどうしようもなかったとか
>>228
豊田さんって落合のこと認めたり認めなかったり
95年だかに打率3割打ってたときに
「つなぎはうまいから落合2番で使え」とか解説で言い出したときは流石に苦笑いしたよ
>>229
井端がホームラン打って大喜びしてるのを
ちょっとムっとした表情で見てたことあった
落合の目指す野球、求めているものと違ったのかね >>230
長冨のデッドボール食らって調子が悪かったときに、盛田にその痛めてる箇所を狙われて
デッドボール食らったときはヘルメット叩きつけてブチ切れてたな。 >>231
バケツに足を突っ込むと言われる、ボールを避けながら振るスイングしてるのに当たるのがね。
清原みたいに避けないスイングじゃないから、西本聖の徹底的なシュート攻めは当たらなかった。 松井から見たら風格風貌まさしく4番打者な落合
清原は・・独りよがりな4番打者 巨人時代の落合って、なんでぶつけられたんだろう?
悪役を演じてたのも影響したのだろうか。
広島の新井みたいに純情なキャラを演じてれば
あんなにぶつけられなくても済んだのに 風格があったらあんなに当てられないわな
巨人も黙ってなくて乱闘になってただろう頼れられてたなら
山本浩二は頭に当てられたときは即乱闘だったよ
落合は威厳はまったくなかった そりゃチームリーダーかどうかの差でしょう。
それとピーコはいなくなった時にチーム力がガタ落ちするほどの柱だった。
威厳とかそういうのを抜きにしても。 威厳とか風格は死球数に関係はないと思うけどなぁ
落合の通算死球数は63個
衣笠は161個
王は114個 よけるのが上手いと言えるのかも知れんぞ
金本(特に阪神時代)は、よく清原と比較されて
「よけるのが上手い」って言われてたし、
実際70個ちょっとだったみたいだけど、
風格や威厳は間違いなくあったでしょ。
落合も巨人時代にはすでに選手晩年だったのは
誰にも明らかだけど、個人的にはやはり風格はあったと思うな。
或いは原の全盛期よりあったかも知れんw
そういう意味ではあの成績でも優勝に導いてくれたので、
感謝してるよ。 印象に残ってるのは、94年の日本シリーズで
ケガしてんのにDH出てきたときに
セカンドゴロ打ったときに見せた鬼の形相かな。
結局その年のシリーズは1試合だけだったし。 落合や張本の死球数が少ないのはインコース打ちが上手いと思われていたからでしょう。張本が怖いからだったら笑うけど。 >>243
あれは西武のセカンド辻が、何故か走れない落合を1塁で刺さず、3塁をオーバーランした走者を刺そうとして悪送球、巨人に先制点を許した。
後年、落合は中日に辻を呼んだがこれは関係有るのかな(笑)
この年6月で貯金22まで行ったのに、7月から失速。札幌円山で山本昌に完封された試合後の札幌後楽園ホテルで全選手を集め、「お前らは力が有る。絶対やれるって!」と激を飛ばしていた。 96年は43歳で300 30本 100打点の可能性あったのに残念だった
あの骨折から急激に衰えたなあ >>246
後半になってからホームランペースはかなり落ちてた。
打率も骨折がなく出続けていれば3割切ってたかもしれん。 落合がコーチ兼任で残留していれば、97・98年の巨人はV逸しなかったんじゃないか?
清原も「落合さんの前ではみっともない姿は見せられない」と
3割30発ぐらいはクリアしただろうし。 清原に三割クリア求めるのはちょっと無茶かな
何より一塁清原にすると落合は代打しか居場所がないから残留自体が無理のある仮定にすぎない 落合は残留するつもりでいたんだろ。切ったのは巨人。 V逸の原因はどちらの年も投壊と外国人の失敗なんだから
清原が落合になったところで何も変わらんよ .280 35本くらいは期待したかな、正直。 >清原
清原も落合も勝負強いとは思うんだけど、
何だか質が異なっていた気がする、何とも上手く説明できんのだけど。
お祭りっぽいムードの時に派手に打つのが清原で、
正に真剣勝負のときに、チームにとって最低でも最低限の仕事、
良ければ最大の結果をもたらしてくれるのが落合という印象。 落合が言うには、巨人移籍時の清原はスイングがどうにもならないぐらい悪くなってたらしいね。
本人もそのことは理解してるけど、クセとして染みついてしまってるから直すのが難しいと。 >>155
デリヘル嬢にお尻の穴を舐めてもらうのが大好きって清原に暴露されて
プロ野球板で『アナル』って呼ばれるようになったよ
ナイスネーミング! >>252
94年 .279 26
95年 .245 25
96年 .257 31
今の中田よりはマシだけど、当時は「怪我さえなけりゃパの四番は石井だった」って感じ。それにいきなり.280 35本は難易度が高過ぎるよ 長嶋に4番松井は時期尚早だから清原を取った方が良いって進言したのは落合だけどな
その時はファーストオレ、サード清原って思ってたみたいだけど
清原がファーストしか守れずベンチを温める事が多くなるって言われたから
自由契約にしてもらって
自分の意思で退団したんだよ 落合は清原から逃げたんだよ。
清原と勝負しても負ける気がしないって言うなら清原から実力でポジションを奪えばいいだけ。
それを長嶋さんが悩む顔を見たくないとか理由をつけて… 石井浩郎は清原がFA取得する頃にはすでに選手として終わってたからな
怪我さえなきゃな〜。。。 落合は清原にはサードでもやらせるだろうとタカをくくってたんだろう
ところが清原が予想以上にポンコツだったと 落合は落合で死球で終わってたことを実証した97年だし仮に残ってても・・・ 一塁なんて広沢で十分だったし3塁は吉岡育ててほしかったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています