1993年のプロ野球
まさか、こんなところでトーベの名を聞くことになるとは 前年のトーベは打率2位だった。この年同様100試合弱の出場だったけど ワールドカップが怪しい
ヤクルト優勝しそう
宏池会の総理逆風なまま選挙へ
株が下落
来年冬五輪
大河ドラマが途中からになる >>773
そのうち、ヤクルトはリーグ優勝を達成
また、自民党は議席こそ多少減らしたものの、公明と組んで
絶対安定多数をゲット >>763
そして、翌年は讀賣との「10.8」に敗れてしまう
高木監督が持ってない人だったのか、それとも… ヤクルト戦、15回裏無死満塁からパウエル、落合、彦野の三者三振
阪神戦、9回裏種田の代走酒井が自動スタートできるフルカウントから立浪の右中間二塁打で生還できず幻の同点
阪神戦、9回表種田の守備固めの酒井がフライ落球、さらに併殺コースの打球をはじき大逆転負け
中日は9月12勝6敗だったとは言え
この3試合で一気に意気消沈したかな >>781
5年以上前に>>424で同じ事書いてたわ、俺… 酒井って選手は全く知らんが、2chがあったらネタキングだなぁ その試合
https://2689web.com/1993/DT/DT21.html
ここには詳細は書かれてないが9回表先頭打者の遊飛を落球、
さらに7-3となって無死一、二塁から遊ゴロをはじいて傷口を広げた
酒井の守備成績
https://2689web.com/ind/1990034.html
3000足らずの守備機会で62失策はどうなんだろう… 中日もこの後7連勝するが同時期にヤクルト8連勝で追い付けず
さらに9月末からのヤクルト11連勝で一気にマジック1に 谷口が三本柱に次ぐエースとして大成していたら上原は獲って無かったな この年のオフからFA制度が導入
これにより、球界のマネーバランスが崩壊することに… >>117
中村は、まあ阪神のお家騒動に巻き込まれていたから、半々くらいだったけど、高木はね。復帰とはいえ、ここが初めて監督になったのと殆ど変わらんかった(前回は山内一弘の途中退任による監督代行だったから)。ただ、ツテが徳武・井手・井上弘昭くらいしか無いし、一枝・島野と言った頭脳派が抜けて作戦面でも前年よりも落ちた感じ。
それに、最近の長嶋清幸のコラムに書いてあった内容も解り、余計印象が悪くなった感じ。それに、仙一派の福田が一軍にいた、93.94が順位良くて、二軍の92.95はほぼ最下位争い。
まあ、95は星野禅譲予定が、前年の10.8で予定が変わり、凄い拗れた人事になった。星野が使う予定の無い人は解任、ある人は2軍といったものが色濃く、木俣とか谷木などのその後呼ばれること無い人や、投手コーチが現役当時の勝数2人合わせて10勝くらいという悲惨さだったのは、同情的意見はあったけど。 特に第5戦で桑田から打った1本目はかなり飛んでたな >>798
そりゃバカスカ打ってたもんな
優勝してたらMVPやったろう
桑田とオールスターみたいに遊んでた様な気がしないでもないが 1993年
MVP票数 セ・リーグ
(1位に5点、2位に3点、3位に1点のポイントが振り分けられる)
146 17. 6 計787 古田敦也
. 10 57 24 計245 広沢克己
8 32 39 計175 ハウエル
3 28 34 計133 伊東昭光
3 14 30 計 .87 今中慎二
5 11 .7 計 .65 山本昌広
-. 2. 6 計 .12 高津臣吾
- .1 .3 計 6 ローズ
-. 1. 1 計 4 池山隆寛
-. 1. - 計 3 ハドラー
- .- .3 計 3 江藤智
-. -. 1 計 1 伊藤智仁
- .- .1 計 1 前田智徳
MVP票数 パ・リーグ
53 34 32 計399 工藤公康
43 49 20 計382 辻発彦
31 32 36 計287 石毛宏典
. 1 . 3 . 9 計 .23 野田浩司
. - . 5 . 1 計 .16 ブライアント
. 1 . - . 4 計 9 野茂英雄
. -. 2. 1 計 7 鹿取義隆
. -. -. 4 計 4 潮崎哲也
. - . - . 4 計 4 広瀬哲朗
. - . 1 . - 計 3 シュー
. - . - . 3 計 3 ウインタース
. -. -. 1 計 1 石井丈裕
. -. -. 1 計 1 杉山賢人
. -. -. 1 計 1 伊東勤
. -. -. 1 計 1 清原和博
. -. -. 1 計 1 秋山幸二
. -. 3 10 計 .19 白票 サヨナラホームラン5本のハウエル
1993.5.15
1993.5.28
1993.6.22
1993.7.4
1993.7.14 93年はウインタースもシューもそこそこ打ったじゃないか
この時代はむしろ外国人打者への依存度が高すぎたのが問題だ この年はメディーナ、トレンティーノ、シューと名前からしてネタ助っ人が多過ぎ
当たりだったのはローズ、ブラッグス、ホールぐらいか >>820
ハドラー、タイゲイニーは当たりに入れてもいいかも。
シューはヤクルト入団を希望していたと、雑誌か何かで見た記憶がある。 >>820
この年のブラッグスは7月14日を最後にケガで出場していないが
ケガがなく全試合出ていればホームラン王だったかもしれない なにわ男子の藤原って阪急どころかイチロー渡米前の90sオリも知らないだろうな 福岡ドームのデカさにビビった。今の新しい球場と比較してもそれは変わらない。 あれだけの広さがあるのにあんな高いフェンスはどう考えても必要なかったよな そりゃあんた 初の開閉式だし一回に数百万円かかるとかいうデマもあったし 東京はメトロドーム、福岡はスカイドームがモデルだけど
札幌、ナゴヤ、大阪のデザインはほぼオリジナルだよね >>835
後の3つはとにかく寒々しくてひとつも楽しくなかったので一回しか行ってない 日米共にプロ野球がプロ野球してた最後の年だと思う
今は客が呼べない選手ばかりでユニフォームもダサい
そのせいかXゲームに負けるマイナースポーツに成り下がったよ 日本一の胴上げで、野村のピンクのトランクスが露わになっていた。
誰かがズボンを引っつかんでたな。 選手個々人で「客を呼べる、呼べない」云々を言ってもなぁ。
それなら昔の巨人の選手は客を呼べる選手で
山田や福本や村田兆治は客を呼べない選手ということになる。 >>829
ホームランテラスとかいうものを作って、狭くしている 福岡ドームは広さよりフェンスの高さが異常
なぜ十分な広さがあるのにあんな要塞みたいにする必要があったのか? 東京ドームの逆方向にHR打てるだけで凄い凄いと言われてた時代に
福岡ドームの逆方向にHR打った西武清原には度肝を抜かれた 東京スタジアムでも福岡ドームでも公式戦出場している杉浦享というレジェンド >>844
横浜スタジアムが元祖だと思いますが、
野球場設計の初期の計画において
長方形のフィールドも作れるようにすべく内野スタンドの一部を可動とする場合は、
(可動内野スタンドの)最後部と外野スタンド最前部の高さを揃えるために
外野フェンスを高くせざるを得ないのですね。
福岡ドームはテラスを設けたりして、今後内野席を動かす事はなさそうですが。
ナゴヤドームもHPを見る限りでは、内野席を動かさないようなのでテラスを作ってもいいと思うのですが・・・ 長嶋監督が復帰して注目を浴びた巨人は余りにも打線が
打てなさ過ぎてAクラスに成るのがやっと。ベストナインに
誰も選ばれなかった。その中で8月末頃から1軍に復帰して
HRを打ちまくって球団初の高卒1年目で二桁HRを達成した
松井が唯一の救いだった。 バーフィールドとか絶対40発打つとか思ってたわ(´・ω・`)
初HRはたしかドームで見てた 史上最強打線とかいう触れ込みじゃなかったか?
最後は「自称最強打線」などと揶揄されていたけどw 93年でそんな触れ込みあったかな
ローズやペタジーニのいた2004年と勘違いしてないか まあでも開幕前の段階ではかなり期待できる陣容ではあったよ
原駒田モスビー吉村デーブに松井とバーフィールドが加わって
これで貧打に苦しむなんて誰だって予想できるわけがない その連中が額面通りの働きをすれば、他球団の投手は震えるんだろうけどね 親父のコネで取った一茂も、
謎の勢いで15本くらい打っちゃうんじゃね?とか期待してたわw 実際オープン戦ではめっちゃ好調だった
シーズン入ったら本来の姿に戻ったけど >>430はTOTOのMoodido (The Match)だった >>855
これに脇を固める岡崎、緒方、元木、村田真一がいたんだから
貧打に苦しむのなんて開幕前は想像できなかった この1993年のプロ野球の話題ではオフの西武とダイエーとの
大型交換トレードだな。この年西武は日シリでヤクルトに
敗れたのでテコ入れでやったのかも知れない。因みにこの
トレードの件は当時週刊少年ジャンプに連載されていた
「ペナントレース・やまだたいちの奇跡」でも書かれて
いたがこの漫画では1993年も西武が日本一に成っている。
もし1993年現実に西武が日本一に成っていたらこの大型
トレードは無かった、と今でも思っているのだが、どうよ? この年の今日、津田恒実氏(元広島)が死去
早いもんで、あれからもう30年か 日本ハム万波がプロ野球史上2人目の快挙!1試合で先頭打者弾とサヨナラ弾 93年の中日パウエル以来
https://news.yahoo.co.jp/articles/1d5931005c3a023663e74a7f3d64456736e9ae63
1番で出場した日本ハム・万波がプロ野球史上2人目の快挙を成し遂げた。
1試合で先頭打者アーチとサヨナラ弾をマークするのは、93年10月13日ヤクルト戦でのパウエル(中日)以来。
試合後、歓喜のお立ち台に上がった万波は「本当に最高です。自分も鳥肌が立ちながら、びりびりしながらダイヤモンドを回ってました。1番で使ってもらっているので、何とか打ちたかった。うれしいです」と喜んだ。
パウエルはチーム6得点のうち3打点だったが、万波はチームの全3打点をマーク。さらに22本塁打はトップのポランコ(ロッテ)に2本差と、初タイトルも射程圏だ。 >>865
あの時のパウエルはえらいど迫力だったな。
ブライアントの様な一発強打の打者になると思ったんだが。 30年前のどんでんはこの年で阪神を去り
今年阪神タイガースで日本一監督になる >>866
今のビシエドと同じで来日してから年々飛距離が落ちていってたな 1993年5月11日に、当時38歳の佐藤義則が延長12回を1人で投げ切り、218球で完投勝利を挙げている
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 >>870
CSがもし実施されてたら巨人は間違いなく袋叩きの目に遭ってたな >>871
2013年も+4のソフトバンクが4位でCS逃してしまったおかげで
-3の3位でCS進出した広島は結構白い目で見られてたよね セ・リーグは1970年度生まれの選手の個人タイトル初受賞が多かった印象
今中(中、最多勝)、石毛博(巨、最優秀救援)、石井琢(横、盗塁王)、江藤(広、本塁打王) 「野茂は太りすぎや」「キミはエースじゃない」監督も球団幹部も苦言…なぜ野茂英雄は近鉄と決裂した? 野茂が怒った“あるコーチの退団”
https://news.yahoo.co.jp/articles/71325f6f1a2a8ebb3d1e0bb228af4bbcdcc3e960?page=2
それでも、野茂は心折れず後半戦に驚異の巻き返しをみせる。
10月1日のロッテ戦で打球を右側頭部に受け頭蓋骨骨折の診断を受けるも、その8日後に144球を投げて勝利投手となる超人的なタフさをアピールし、
次の中4日の登板では182球で16勝目、さらに中2日で上がった西武戦では177球の熱投で17勝目と、近代野球では異例の鬼気迫る投げっぷりで4年連続の最多勝を手中に収めるのだ。
プロ5年目の94年、7月1日の西武戦でプロ野球ワースト記録の1試合16四球を出しながら、3失点完投勝利。なんと191球を投げた。
投げすぎw 昔の巨人の話題というと元木ばっかで井上、福王、上田が全然取り上げられないよね
黄金期ヤクルトも一茂、秦、橋上ばかりで乱橋、君波、城が無視される