1993年のプロ野球
巨人
チーム打撃
打率 238(リーグ・12球団最下位、5位の横浜は249)
本塁打 105(リーグ4位)
得点 1014(リーグ最下位)
盗塁 39(リーグ5位、最下位は中日の29) >>610
ドーハより10.8の方が高かったんだよね
その後、フランスで抜かれたけど この年のヴェルディのスタメンの平均年俸が巨人のスタメンの平均年俸より高かった。 J-POPとか言ってる奴の方がどう考えても低学歴だろ 93年はヤクルトと巨人の抗争だろ
もっと言えば古田対巨人の死球と乱闘の繰り返し 話題は多いが野村ヤクルトと長嶋巨人が優勝を争った年はなかったな。
93年は7月まで巨人が2位につけていたが8月以降は大きく負け越し。 いざ競り合いになると妙に巨人が負けるんだよな
中日広島が操作する疑惑が出たりするが >>625
そのパターンが78、92、01、15なのねw 劇空間プロ野球エンディング「果てしない夢を」
ZYYG,ZARD,WNDS,
FEETURING長嶋茂雄
シゲオも歌っていた、まじで。 >>629
どんだけ擦られてる話だと思ってるんだよ 直近でも>>604あたりでネタにされているだろうにね >>597
今年そこから2人消えました。
危うく3人になりそうでしたが。 >>616
この年の12月に40歳だから、衰えも見え始めたんだろう 森さん、黄泉の国からプロ野球を見守って下さい
合掌 果てしない夢をには
お蔵入りになった茂雄単独歌唱ver.がある。
死後発売されたらミリオン必至だな。 茂雄の歌は、最初笑っていたが、
段々本当に熱い感じがして泣けて来た
最近の口先だけで歌ってる歌手より熱い物が籠っていると気付いた
レコーディング風景で、ZARDの坂井泉水ちゃんがミスターの傍に寄り添って居たのが
印象的だった
「回転ドアを〜」のトップバッターはWANDSで、野球少年で気合入ってたんだなて感じだった
後は、この歌は覚えてない >>635
それじゃ、森さんも亡くなったみたいな表記じゃないか 日本シリーズでなんで視聴率一桁出したのだろうか
それが翌年以降のナイター開催に繋がったからな >>643
前の年までずっと20超えてたからな
俺はやはりJリーグの影響は大きいと思うよ
それと前年と同じカードだったから
話題性に乏しかったのもある
同じ4-3だったけど
前年に比べると熱気がなかったんだよな
観客の入りもガラガラだったし 2年連続同じカードの日本シリーズは2年目があまり盛り上がらないことは
れっきとした事実になっているよな 93年の日本シリーズも盛り上がったと思うんだけどね そもそも平日の日本シリーズをデーゲームでやってた事は
子供心にずっと不満だったな >>646
ただ前年のシリーズに比べたら盛り上がりが少し少なかったのも言えるからな >>646
西武側からすれば凡ミスが目立ったかもしれないが
ヤクルト側からすれば3-1から最終戦までもつれ、
その最終戦も広沢の3ランで先制したのにすぐ清原の2ランで追撃されたし
勝つまではハラハラしたと思う。
だが平日神宮がかなり空席あったんだよね… 広沢のボサーっとした顔がえらく頼もしく見えたもんだ 石毛が受けたデッドボールを境に、流れが完全にヤクルトに行った この年の今日、神宮球場で”伝説の馬鹿試合”があった ヤクルト17×−16広島 (延長14回)
広島 0 1 4 2 1 1 1 6 0 0 0 0 0 0 16
ヤクルト 2 0 11 0 1 0 2 0 0 0 0 0 0 1x 17 この試合で広島って弱くなったなあと感じた
それまでは少なくとも投手陣だけは強い手堅い野球のチームだと思っていたが
この敗戦でもまだ16勝13敗と貯金を持っていたが
この年自分が野球見始めてから初めて広島が最下位になった
次の三村の代はなんとか打線の力でそこそこ戦えていたが
以後はノムケンまで一気に暗黒時代に >>659
達川が前年で引退したのが地味に影響していると思う >>658
ニュースステーション(10時半頃)で上空からヘリ中継していたのを覚えている
Jリーグ開幕直後で、当日隣の国立競技場で試合やってて、
その抱き合わせ中継みたいな感じだった 佐々岡が5勝17敗だったか。
暗黒阪神でも個人で-10超えはちょっと記憶にない。
マイク仲田は3勝12敗。プロは3つアウト取るのが
こんなに大変なんだと思った。
佐々岡と違い輝きは戻らなかった。 うん、だからそれとルーキー野田浩司の
3勝13敗くらいかな。それ以下はない。
湯舟、川尻も最悪-9やな。 97年 前田幸長 25登板 18先発 2勝13敗 5.06
リリーフで負けがついたかは不明 1980年の藤沢公也
1勝15敗
負け越しで記憶があるのはコレ ttps://twitter.com/ryokn_10/status/588342211122569220
メッツのアンソニー・ヤング
92年2勝14敗4.17
93年1勝16敗3.77
当時日本でも話題になっていて、
流石に大リーグはスケールが違うと思った記憶
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 佐々岡ってこの年がなければ通算で勝ち越してたよな
って書こうかと思ったけどこの年がなくても通算負け越しだったのね メジャーもアリなら
1996年のジム・アボット
2勝18敗… やっぱり津田さんの逝去がカープの人たちにショックだったんじゃないかな、と思う。オールスターの日に訃報を聴いたが、その時点ではまだAクラスとBクラスの境くらいだったと思う。
5月にオープンしたばかりの福岡ドームに行って、夜中洲の辺りで「福岡済生会病院」を見掛けたが、よもやそこに津田さんが入院されていて亡くなるとは。 上にもあるが高木豊がファーストで 2割6分 3本
しかもほとんど3番固定 当時の横浜って選手いなさすぎ 80年代の大洋セカンドつったら、
当時のファンは高木を思い浮かべるだろうけど、
末期はファーストだったんか まるでイメージが湧かんw
でも調べ返したらローズが来た年だったのね
そして翌年の駒田獲得につながる訳か
5年後の日本一につながったのだから、
血の入れ替えという意味で実を結んだ感じだ 高木は前年から肩がダメになってて、ならばと強肩二塁手のローズを獲って三塁に回して、遊撃を前年レギュラーを勝ち取った進藤と、前年三塁を守った石井琢朗で
競わせる腹積もりだったけど、最早高木の肩は三塁からの送球も苦しいくらい弱り切ってて、結局、石井琢朗を三塁に、高木を一塁に回さざるを得なかったんよね。
ちなみに高木が三塁定着した際の一塁は長内、畠山、佐伯辺りを想定していたみたいだが。
シーズン中、近藤昭仁監督が「"一塁を除いて"リーグ最高の守備力」と公言した内野陣の更なる強化との名目で一塁守備なら日本一と称されながらも、巨人では
中畑コーチとの確執等が噂されていた駒田をFAで獲得し、FA資金を捻出する為に屋鋪等と一緒に解雇されたという。 長打のないロートルの一塁切って浮いた金で強打者補強
理に叶ったやり方に見えるが長年見てきた当時のファンはどう思ったやら 駒田が強打者といえるのか微妙だな
5番に1ランク上の打者がいれば連覇できたかもしれん 高木切っただけじゃなく屋舗、山崎、大門、市川、欠端ら生え抜きベテラン総解雇のうえ
解雇じゃないがヒゲ斎藤もこの年引退で大洋色一掃だったから長年のファンは悲しかったんじゃない? 外人ピッチャーも記憶にない
ロースだけで他3枠何に使ってたんだ
やり方上手ければもっと勝てた >>678
禍根を大きく残しそうな補強ではあったが結果的には大成功だったな >>681
ブラックスもいたんだけどね
その2人が打線の中軸にいるうちに優勝してほしかった オールブラッグス
9人のブラッグスが試合前に整列してハカを踊る >>680
阪神のお家騒動はもはや「お家芸」レベルだけど、横浜も大概だよね 大洋横浜は監督より選手の発言力の方が強かったという点で前時代的な体質だった
マシンガン全盛期もリーダーだった石井が音頭を取って監督批判をすればフロントが動き、
それを察知した権藤は逃げ出し、森も実態は解任なのに辞任という体で辞めさせられる
そんな有様だった >>686
そんな石井も、衰えが目立った晩年にはチームを追放される憂き目にw >>687
その村では横浜がシリーズに出るとシリーズがNHKのBSかラジオ中継しか受信できないな >>664
エースが1人で借金12だから、チームが最下位というのも致し方ない… 阪神に霞んでいたが実は横浜も暗黒時代だったんだぞ… 当時の広島は二年連続で阪神より順位が下になり、大洋と仲良く暗黒席にまたもどるのかという絶望だった
史実は阪神が暗黒に戻り、広島横浜仲良し暗黒はそっから10年あたりしたらはじまり、15年ぐらいこんな状態になった >>672
その津田氏が亡くなられたのは、この年の今日のこと
オールスター中継の中で津田氏の訃報が報じられたのは衝撃だった >>676
優勝のためなら、背に腹は代えられないと思っている
ファンもいたことだろう >>681
まず93年まで一軍登録の外国人枠が2な
94年に枠が3に拡大されようやく投手も獲得するようになったが
そうそうたるハズレ外国人投手の山を築く
そもそも大洋時代から外国人投手の獲得がほとんどなく
名スカウトとして名高い牛込氏も投手獲得に感しては素人同然と言って良いだろう 大洋時代の外国人投手なんて元南海のスタンカくらいしか知らん この年は横浜がヤクルトに4勝22敗と記録的な負け越しを喫したのだが、
1991〜94年にかけて9勝17敗→14勝12敗→4勝22敗→15勝11敗と、隔年でここまで顕著に相性が変わるのも不思議だ。
普通、4勝22敗で徹底的に苦手意識が染みつくはずなのに翌年は勝ち越す(15勝11敗)のも不思議だ。 日本ハムのユニフォームが変わったけど
オープン戦までは前のユニフォームだったはず
大沢監督とオレンジ&白帽子の組み合わせはその時期しか見られなかった >>703
オープン戦までは旧ユニフォーム→公式戦では新ユニフォーム
これ、星野氏が中日監督1年目に使った手法だな >>700
翌年のヤクルトが池山古田飯田伊藤など主力の故障者続出は関係あるかもな >>704
今だとユニフォームが売れなくなるから絶対に認められない方法だ >>705
特に古田の場合は、チームの根幹を成していたから、
故障するしないでチーム成績の差が顕著だからね ヤクルト黄金期は野村が監督だったことも大きいが、古田がいなければ優勝なんて一回も出来なかっただろうな 野村の優勝もヤクルト時代の97年が最後だからね
その点は三原に近い 00年代の横浜暗黒時代はオフの駒田獲得の為に大洋組を大量リストラした罰 >>710
単に木庭スカウト時代の選手が峠を越えたのと大魔神・白薔薇の退団が低迷の原因、あと西武時代の成績が自分の実力と勘違いした岐阜の貯金箱の監督就任も。