1993年のプロ野球
,. -::::'::"~`::'::::- 、
/:::::::::::=ii=::::::::::::ヽ
j::::::::::::::||=||=||::::::::::::::l
|::::::::::::,. === 、::::::::::::!
|:::::/ '"´ ̄`` \::::::|
!, ' _ _ ヾ、!
〃 '|
《{| _>。‐, ,‐。<_ |}》
{9 ´ ̄ 〉 〈  ̄` |6} / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
'┤ 〈.._..〉 |-' | 阪神ファンは
{ 〈 、ー‐ァ 〉 .} ∠ イチバンや!
t `  ̄ ' ./ \_________
_, -‐ '"{{ \_ " ̄` _,/ }}` ー- 、
,. - t T 丁ヾ  ̄ ̄ 〃丁 T ァ ‐ 、
|| || || || |l 、 /| || || l| || ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ
|___C33__|_
:::::::: ━°━ |
:::: ノ ヽ |
(6 ・・ |
| ) 3 ( )
ヽ ___ノ_ノ
r一''ヽ __ ノ`ー、 (⌒)
/ \___/ `ノ ~.レ-r┐ ビシッ
/ | |。|. ノ__ .| | ト、
/ | |。|.( ̄ `-Lλ_レ′
\___/ C A R P  ̄`ー--‐′
/ ( |。| 33 ) rt─-、
__,ィ__|: : : :|ミヽ
`ーaY-ミ/彡|
_(___ ´〉::::::Y
/N O `¨弋j
/ <¨ヽ M ` <⌒jニニニニミヽ
/ .// <¨ヽ O |: :ヽニニニニニ弌
/ </ // ,': : : :ヽミ7⌒Yノ
/ </ ,': : : : :=ミlj |彡'
. ,イ ム:_:// }. |
./ 代___彡 彡イ / `ヽ 丿
{ || ヾミヽイ / / `ー-イ
弋 / ヾミ≧<_彡イll| __
V ¨¨¨´|、 ヾー7´ /
代 ー=彡 | ', ∨ニニイ
\ ー=彡 | 代彡/
ー=ミ 彡| ーイ
', ヾミ |
',
', ミ=ーY
辷=ー 弋
ヽ ',
', <ミム
V''⌒ Y
V. |
V │
l} {
__z込_ノl、
rfニ辷三三_ム , -、
丿 )
/"⌒" /
( ・)( ・) ヽ
/` ̄ ´_,ノ ) )
/,,..-─''"l,/_ /
/ Fs ◯m
// ι-"_/|
ξ~ ソLλ___ )__/
 ̄∠,,__,,/ \_\
/ / ヾ\
/⌒" ̄| /。⌒ヽ
└──┘ └---┘ i´.....```'‐.、
i、::::::::::::::: ヽ _,,, -- ,,
ヽ:::::::::::::::::...丶:::: vヽ::"' 、_
ヽ:::::::::: _ ` 、 i´:::::::::ヽ )
\:::i´:::::::丶 ヽ;::::::::::::..丶
ゝ::: _`、` 、:::::::..`、
___/ 、 _,,,,_ ` 丶 、:: j
ヽ  ̄ ̄ / i ./ i l__ヽ i´
\::.. .,,,i i ,,,,,,i  ̄ ̄''ー- ,,__
\::.. ー‐"(`.ー゙゙"´ ,,,, __"‐
\:: ,,i____ "'' __,, - '"
/ ヽ,,ー―ゝ、 i::: '"―――‐―:、
i`i / ー‐‐''" i:: i:::::::::::::::::::::::: ,j
,-'|, ヽ__/ `ー‐ i;: i―――― ''"
,-.,_,i i ,l ヽ/ /: :: ::丶、 :: i /
i , -‐ゝ__i /__:: :: :: :: :: :ゝ i /
` ´ i /i;;;;;;;r´ノ,k''ー^‐::;;`::ゝ、 | , - 、
`´ヽ/;;;;;/ii )ヾ :: :: :: :: :: r- ,へ i、 i、/ ,i
 ̄i:: :: :: :; ‐", ̄ `、 `i r ´` 、 ‐'
トー", '"i└' .. ::ヽ i ´;;;;'' `ゝ、
ヽ ゝ ‐´,,.: .: .: .:::: i i )
i´`\ ヽ,/.: .: .: .:::::' / ゝ、ヽヽ`/
i:`::i;::::i /.: .: .: .: .:::::/;ー iー―´`i''"
i、::::i:::ゝ‐, y;;,,、.; .; ;;/;;;; i:::::::::i::::::i
i;::::::'i;:::`;i /;;;;;;;;;;> ;;,/ゝ__, '::::::ノ ;;;r
丶::::::i;;:::ヽ,´;;;;;;/ , -´ ̄.:::::;;;;i
ゝ,::丶-` i´ ゝ;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ ノム
ジョイナス
セゲヲ
負広
近藤
ピーコ
2CHあったら解任スレが乱立しそうな監督ばっかだな 山本昌 対ヤクルト7勝0敗
今中 対ヤクルト4勝0敗
二枚看板がライバルチームに勝ちまくったのに
優勝出来なかった中日。 神宮の「ヤクルトvs広島」で
17−16という試合があった。 >>21
パ・リーグも…
ケチ森
親分
土井
クサ
八木沢
根本 >>22
>>25
ヤクルトが横浜相手に何故か貯金18も稼いでた… ヤクルトと中日が優勝争いしてる時って上位4つが同じになる
ヤクルト→中日→巨人→阪神で阪神は紙一重でAクラス、巨人は紙一重でBクラス
これ93の他に04、11もそう
あとこれは嫌なんだが大津波が起きるジンクスがあるんだよな 04、11は中日優勝だろがアホ
ただこれらの年に共通していえるのは巨人がスターから外れた笑われ役になってるような気がする
長嶋のお笑い野球、再編のヒール、震災開幕強行のヒール…
だからかみんな安心して攻めてきて勝てなくなってるのでBクラス近くまで墜ちる >>21
20年たっても亡霊みたいにまとわりついてくるよな
特に2013、長嶋は国民栄誉賞コント、高木はジョイナス采配で強龍時代を終わらせ、中村も阪神をGMで鈍らせ、ピーコはWBC連覇を止めた
近藤野村はおとなしかったけど長嶋高木中村浩二ときたら… >>30
他の人についてはほぼ同意だが、阪神は中村がGMになった直後の2013年に前年より順位が3つも上がっているのに悪者扱い。
少なくとも西岡の獲得を実現したことに関してはもっと評価されてもいいと思うんだが・・・
高木は連覇していたチームを2年で破壊したから同情できないが、
中村は(失敗も多いとはいえ)ある程度は貢献しているのに、イメージと名前だけで不当に低く評価されすぎる。 中村ってサッカー監督なら岡田武史みたいな位置づけだよな
93〜94あたりはW杯決まってからフランス行くまでの時期
95はフランス本番
今はW杯決まってから南アフリカ行くまでの時期
と、言うことはそろそろ負広ごめんねになる時が来るか?
ちなみにトルシエが星野でジーコがどんでん(岡田武史とは親友)、平はファルカンあたりかwww 平は、方向性そのものは間違ってなかったと思うんだよな。
「こんだけ負けてるうちは来ないでくれ!」とファンに言えるのはあの人くらいだw まあこれ以上は阪神Bクラススレネタか
そういえばJリーグ開幕したために空気みたいな試合がたくさんあったな
開幕戦裏番組に、広島×巨人をひっそりと中継したテレ朝 >>32
負広というより和田ごめんねではwww
でるかマケナチオ
ちなみにこの年こそがあわや負広ごめんねだったww
翌年からはやっぱり負広wだったが >>35
この年の阪神は6月中旬からオールスター前まで最下位に落ちていた時期もあったが、
それほど中村に落ち度があったとは思えない。
(野田⇔松永のトレードをフロント主導と見るか否かで見解は割れると思うが)
故障による離脱者も多かったし、得失点差は3位の巨人より寧ろ5位の横浜に近かったし、
状況が悪い割には寧ろ健闘した部類だと思ったのに、ポジティブな見解は殆ど見られなかった。 巨人を捨てる
V9時代の長嶋の顔に×印のついたポスターが作られ、新しい伝統のためにV9を捨てると長嶋が発表したがナベツネが激怒し回収された
ユニ変更などもその一貫 野球を観始めた年。
当時は巨人ファンで毎日テレビで野球中継見ていた。
パではダイエーとロッテは二大弱小球団。
特にダイエーは全く勝てていないイメージだったが、そこが好きだった。 >>37
それ94年じゃないのか?
ちなみにやくの漫画で横浜を見直すというネタがあったw
>>38
鷹は94、鴎は95は勝ち越したがね… 負広批判は小林繁、江本など阪神+他球団を知る経験ある解説が多くなかったか?
阪神の悪い野球が目立つとかこれだから阪神はダメなんだとか
あと大下、孝政とかがヌルいとか言ってた 中村と江本ってなんかあったのか?
ニッポン放送の阪神が本番の時はニッポン放送とMBSから派出されるがこの二人がくむことはほとんどないし
中村はプロ野球ニュース系がやけに叩いていた >>37
ナベツネを捨てるなら世論は歓迎しただろうな >>43
哀しいかな、それは21年後の現在でも通用してしまうw 内藤に延長15回無死満塁からパウエル落合彦野3者連続三振…いまだにトラウマ
あれでとどめさされた >>46
お前は何も分かってない
リアルで見てなかったか中日以外のファンか?
あれ「勝てなかった」時点で中日はアウトだった、実質負けに等しい引き分け
9月以降の中日の対ヤクルトの成績知ってんのか? あれフクシくんが最後まで球場で見てたんだけっか。
そこで抑えられちゃったらきついな。 その数日後の日曜日の阪神戦、大差で勝っていたのに9回にまさかの大逆転負け
翌日の新聞見てビックリした
そして広島遠征で山本昌の負傷
まさに泣きっ面に蜂状態で以後脱落していった 昌の鎖骨を粉砕したのは松井達だっけ
絶対に許さない
昌の防御率1点台、20勝、中日の優勝…
あれで全部吹っ飛んだな 93年のプロ野球を語る奴の特徴
1、巨人は優勝できないと思ってた
2、阪神は昨年(92年)が出来すぎだと思った
3、Jリーグには興味なかった
4、出身中学は荒れていた
5、会社を辞めた経験がある
6、今の中高生はガキそのままだと思う
7、コンビニでバイトした経験がある
8、財布を落としたことがある
9、小3女児のパンツを触りたい
10、93年当時は車の免許を持っていなかった
全部あてはまるだろ? 巨人の貧打がすさまじかった
ゴジラとれたのは幸運だった ペナント終盤はゴジラの打席しか楽しみがなかった 『横浜ベイスターズ』元年なんだ(*^◯^*)
なおシーズンオフ >>54
地域密着型の球団名を売りにしていたが19年後には再び企業名に・・・
それも日本球界初のアルファベット冠w 伊藤智仁と山田勉。
まさか同一球団から同じ年に二人も「一試合16奪三振」の
セリーグタイ記録達成投手が出るとは思わなかった。
この年のヤクルトは凄かったなあ…。 それどころか今中まで達成して同一年にセリーグ記録3人という事態に >>53
シーズン前には「史上最強打線」などと言われていたのにねえw >>5
ハムはこの年大健闘してたな
まさか翌年あんなことになるとは この年限りで秋山・平野が西武を去り、黄金時代は終わりを迎える…。 この年の日本シリーズ第一戦で、この年全然打てずホームラン0の平野謙がライトへ
あわや逆転満塁ホームランかというような特大フライを打つもあとちょっと届かずアウトになり 、
さぞ西武ベンチや平野は悔しがってるだろうと思ったらみんなベンチで爆笑していて(日頃打たないくせに夢見させやがってwwwwという感じで)
日本シリーズ第一戦なのになんて余裕なんだとびっくりした 西武はこの年に日本シリーズでヤクルトに敗れ、
翌年は巨人にも破れたわけだけど、
リーグをずっと連覇してきても日本シリーズで負けるだけで
「黄金時代の終焉」って雰囲気が半端なかったな。 デストラーデ退団が致命的に 短期決戦にすごい強かったし 一瞬の閃光で強烈なインパクトを残した伊藤智仁
これにつきる この年の日本シリーズの負けは、大相撲の末に惜敗した感じだったが
翌年の負け方がもう末期的だったからな。 >>62
ちなオリなんだけど翌年の日シリでの杉山が緒方の満塁弾飛翔にはさすがに
猫ナインにとってはしらけるよなぁ…
(´・ω・`) 5位横浜対6位広島の最終戦ダブルヘッダーで広島が連勝すれば同率5位だったが、連敗したw Jリーグが始まった年で
Jリーグの途中経過が野球の中継で報道された 鈴木健がついにレギュラーに定着…
ちな檻だけど97のあの試合のサヨナラ弾を見ると
勝負強かったなぁ〜 この年の佐々岡(広島)は17敗(5勝)したが、
シーズン17敗以上した投手はこれ以降出ていない >>59
言われてたっけ?
1992年はクリーンアップ(モスビー・原・駒田)だけ立派だったが特に打線強くないのに、
高卒の松井を獲った程度でそんな期待できたもんかね この年野茂は4年連続最多勝を取ったが、まさに薄氷を踏むものだった。
野田16勝、野茂15勝で10月14日二人はともに中4日で先発した。
野田のオリックスは西武戦、野茂の近鉄はロッテ戦だ。
野田を追いかける野茂は調子が今一つで9回を終わり4−4、その間に
野田が一足早く17勝目を挙げる。オリックスはこれで全日程を終了。
野茂が最多勝を取るにはこの試合を勝って、さらに残り3試合で1勝を
上げなければいけなかった。試合は10回表近鉄は2死2,3塁のチャンスを
迎える。制限時間の4時間まであと数分しかない、この回がラストチャンスだ。
しかし、バッターは1塁側ファールグランドに打ち上げてしまう。十分捕球
できそうな打球だ。「野茂万事休すか」と思ったが、捕手と一塁手が重なり合うように
落下点に入ってしまい、捕球できずファールに。打ち直しの後近鉄に1点が入った。
その裏を赤堀が締めて野茂は16勝目、最多勝に望みをつないだ。
その後、今シーズン最終戦となる西武戦に野茂は中2日で先発した。西武は既に優勝を
決めていて日本シリーズに向けた調整試合だ。
試合は近鉄が小刻みに4点を先制し、野茂はソロ2本に抑えて4−2で9回裏に。
しかし2死1,2塁で2点タイムリー2塁打を打たれ4−4の同点。サヨナラは
防いだものの、振り出しに戻ってしまった。9回を投げ終えてベンチに下がった
野茂の目は少し潤んでいた。それを見た西武ベンチは「お、泣いてるよ」と笑っていた。
野茂は延長戦に入っても続投、すると11回表に近鉄が2点を取り6−4。
その裏をまたも赤堀が締めて野茂は辛うじて4年連続最多勝を手にした。
試合後、敗れた森監督は皮肉交じりに「今日は野茂君のために試合をしたようなものだな」
と言っていた。
4年連続最多勝を取った野茂だがオフの契約更改で球団側に「今年は内容が良くない。
最多勝はお情けで取らせてやったようなもの」として微増の2000万アップを提示。
これに対して野茂は態度を保留した。交渉後の記者会見で野茂は「いや、取らしたったって
言ってもね、取ったものは取ったんですから。」と憤慨していた。
プロ野球ニュースでこの模様が放送され、ゲストで来ていた松井秀喜が「かわいそう」と言っていた。 この年近鉄は草魂、オリは土井、ダイエーロッテはこの時代万年ドアマット
森西武に立ち向かえたのが親分だけだったのは至極当然 >>84
森監督に「何の価値もない最多勝」と言われてた。
ただ野茂ぐらいの馬力がないとメジャーの中4日のローテで何年もやるのは難しいんだろうな。
>>86
楽天時代の野村監督のボヤキみたいなかんじで大沢語録が話題になった。 ハムはなんで翌年最下位になったんだ
大沢の本によると1993年出来すぎて調子乗ってしまった
柴田が病気で投げられず同年引退、シュー・ウィンタースが残ったものの契約で揉める
横浜を解雇になった高木豊を獲得するも思ってた以上に衰えていた 【野手陣】
シュー:前年後半からさっぱり打てなくなっていた
ウィンタース:前年の4年連続30本は立派だが、打率.250を割り三振も大幅増で、
危険な兆候をすでに示していた
片岡、鈴木、田村:怪我で出場試合数打撃成績を大幅に落とした
【投手陣】
柴田:最低でも7〜8勝は見込める投手がキャンプイン直前に心臓疾患で登板不能に
武田、白井康:前年10勝したローテの一角がそれぞれ5勝、1勝に
松浦、酒井:前年確立した金石との「勝利の方程式」が毎度のように出ると打たれた
カンポス:外国人1軍登録が3人に増え、投手陣補強をもくろんだがまるっきしダメ
大沢監督から「ポンカス」呼ばわり
関根:新人王有力候補の呼び声もわずか3勝でしりすぼみ
ほとんどの選手が不調、故障、衰え、見込み違いで
合格点と言えるのは田中幸雄、広瀬、金石、河野くらいだったんじゃないかな コユキの急成長(.286 27本 87打点)だけが見所だったな。
夏場までホームランダービーのトップ争いをリードし、ホームラン王の期待すら抱かせた。 >>92
それなのに、最後の最後でやらかしましたw 7.4の神宮の伊藤から打った原の大ファールの後の、ハウエルのサヨナラホームランがこの年の全てを象徴してた。 原辰徳をサードにしたのが長嶋茂雄最大の罪。ファーストのままにしておけば原は間違いなく2000本打てたし、もっと長く現役やれた。 そして原の代打・一茂(結果は併殺打)でとどめか
これは93年ではないが >>100
この年はAクラスなだけまだマシ
97とか05とか明らかに壊滅的なBもあるから… 昨日サッカーのイラク戦で1点差でロスタイムに入ったんでもしや、と思ったが…
あの翌日の神宮でのヤクルト−西武の日本シリーズの視聴率が絶望的に落ち込んで、これをきっかけに
翌年からとりあえず平日はナイター開催になった。 「致命的試合」
1993年、セントラルの優勝を争ったヤクルトと中日。この両チームが戦ったカードにおいて、8月18日の18回戦から最終戦までの10試合は
“首位攻防”といわれる激闘を見せた。10戦のうち1点差以内の試合が5つ、2点差試合も3つ。延長戦3試合にサヨナラも4試合と接戦続き。
とはいえ8月18日現在では、34試合目から首位を走り貯金を二桁に乗せていたヤクルトに対し、7月までAクラス争いで8月5日に2位に浮上
したばかりで貯金も3つという中日。この時はまだ首位攻防というよりヤクルトへの挑戦権を得られるかという構図だった。そこからハイレベルな
マッチレースを両軍が演出した。
燕と竜の後半10戦は、中日が7勝2敗1分けと大きく勝ち越す結果となった。2勝、2勝1分け、2勝1敗とヤクルトが優勝濃厚となっていた
最後の2試合以外、全てのカードで中日が勝ち越した。特に地元ナゴヤの6試合で5勝1分けと負け無し、逆転優勝へ向け意地を見せた。
8月18日時点での5ゲーム差を直接対決でちょうど0まで縮めた計算になるが、中日にとっては同じ中身でも「7勝」より「2敗1分け」の内容が
天王山以外に大きく影響した。
「1分け」は9月2日、延長15回裏にクリーンアップが無死満塁から内藤尚行に三者三振を喫して語り草となった試合だが、もっと痛かったのは
エース今中慎二が完投勝利目前の九回二死で池山隆寛に浴びた同点本塁打の方と言ってもよかった。
「2敗」にいたっては、どちらもサヨナラで両方とも後半戦から抑えに専念していた郭源治で落とした試合だった。特に0.5差で23日ぶり首位を
奪回するチャンスだった9月25日の試合は、5回と8回に二度のビハインドを追いつき、ベンチも郭を含む8投手を継ぎ込み野手も総動員
しながらの敗戦だけに大きかった。
天下を分けた引き分けに、総力戦の末のサヨナラ負け、首位決戦以外にも7点差を大逆転された9月5日の阪神戦といい、後半戦40勝22敗の
中日にとって致命的な試合が多く10月の戦いに影を落とした。高木守道監督は「勝負所での脆さが出て優勝を逃してしまった」と振り返ったが、
当時は高木もまさか翌年また、大一番の最終戦で“致命的どころじゃない試合”をするとは露ほども思わなかっただろう。 (了) >>84
なるほどね。この無茶も含めて翌年の故障に繋がったのか。納得 >>46>>47
あの引き分けでヤクルトが勢いを取り戻したのは紛れもない事実 >>53
長さんは打撃指導を中畑に全て一任していたが中畑の指導が余りにも酷いので
途中から現場指導するようになりましたね。 この年の中畑は駒田にキレらるわ松井には軽蔑されるわですっかりノイローゼに
なってしまった。
この経験が今に生きてる(?)のかもねw かたや槙原は長嶋自ら「背番号と同じ17本のバラ」で引止めを行い、
かたや駒田は引き止めどころか対話すら放棄だったよな
まあ落合が入ってくるなら駒田は不要って思うよな この年ってストライクゾーン広くとった?
全体的に打撃が低調で奪三振の記録が目についた年でもあった。
J元年で野球もスピードアップ化しようと早く試合時間を終わらせようとしたとも考えられるし。 26試合終わって15勝11敗 スタートはそこそこだった 落合を獲得するのに駒田を引き止めにかかったら逆に酷いような 前年打ってたモスビーが故障でダメだったのが痛かったな
バーフィールドも期待外れだし 駒田だっけ
中畑を「あいつはカラオケコーチ」とか言ったの 駒田が中畑がコーチに決まった時
「中畑さん何教えるの?カラオケ?」と言っていたな
前年トップだった打率がリーグ最下位に低迷
昨年まで大洋監督の須藤豊がヘッドコーチ、投手コーチは堀内恒夫が就任した 1992年の巨人打撃コーチ太さんだったのか?!リーグ一位は納得