【背番号3】 日本ハム時代の落合博満について
全盛期より小さくなったけど日ハム時代も筋トレやりまくって体重100kg以上のマッチョマンだったから
パワーはかなりあっただろうな
全盛期はまさに力士体型で120kgはあったと思うけど
浩二に指摘されたのはいくら怪力でも芯を食わなきゃ飛んでいかないぞということなんだろうね >>424
マッチョは内緒にしてたんだが最近ちょっと洩れてきてるんだな。
清原の肉体改造は落合の真似をしたとも言われている。
ただ、二人ともあまり成功はしなかった。
巨人2年目の落合はかなりのマッチョ。
とくに太ももはかなり太くしてきたらしい。
これのおかげで巨人では復活したんだけどな。
日ハム行ってから筋肉つけすぎたかもな。とくに最終年。 分かるよ
滑ってるの認めたくなくて引き際見失う感じ 当時の月刊ジャイアンツに肉体改造の記事あり。
95年オフのこと。
正確には肉体復活計画かな。
三冠王の時の太ももが65センチ、94年は60センチに足りないぐらいまでに落ちていた。
優勝旅行キャンセルして 山歩き、ダッシュ、ウエートトレーニング。
4番のライバルは松井だけではない。
新加入の広沢、ハウエル、シェーン・マック。
こいつらには負けない、負けるわけがない。
4番はオレだ。
再び筋肉質の三冠王、落合博満が帰ってきたのである。 https://news.yahoo.co.jp/articles/e8066f4b66b54d51654ff1665f4c01c95b9e3b9e?page=1
田中幸雄 「落合さんに食事したことがある」
田中は日本ハムにおいて落合の野球観に触れた数少ない1人だった。
1997年、巨人を退団して日本ハムにやってきた43歳の落合は噂に違わぬ個人主義者に見えた。
《キャンプでも少しグラウンドに出てきて、あとはフイッとどこかに消える。ひとりエアテントでバッティングしているんです》
だが、同じグラウンドで戦ってみると、それが先入観であったことがわかった。田中はシーズン中、落合から食事に誘われた。
雲の上の人ですから、あれだけの人と同じ空間で話せることが、とにかく嬉しくて》
いつもは飲まない酒を口にして、身を硬くしていた田中に、落合は言った。
「もっとインコースを見極められると、バッティングが楽になるんだけどな」
落合はその先を言わなかったが、田中はその一言で、自分が陥っていたバッターとしての矛盾に気づいたという。
《僕はインコースが好きだったので、内角なら何でも手を出していたんです。
でも、好きなのと、打てる確率が高いのとは別なんだということがわかりました》
また翌年、落合は監督の上田利治に、田中を1番バッターで起用するよう進言した。
「ホームランを打てるバッターが先頭にいたら、相手は嫌だろう?」
落合は、田中に言った。驚いたのは上田がそれを実行したことだ。
田中はその年、初めてトップバッターとして定着し、タイトルを争うペースで本塁打を量産した。
個人主義と思われがちですが、仲間のことも相手のこともよく見ている。じつはチームが勝つことを最優先に考えて、
勝つための方程式を持っているような人でした》 >>423
田淵はホームラン打つには一定以上のパワーがあればバットとボールの角度が
重要と言ってる。 日本の選手って外国人に比べてボールに角度をつけて
打つのが下手な印象 DENAのソトはパワーは大したことないが角度つけるのがうまいと言われているな ソフトバンク柳田も角度つけるの上手いけど今年はミートのポイントが前だったり後ろだったりして距離がイマイチだったな 逆にゴジラ松井は角度付けるの下手。 日本人がパワーないというが
角度をつける技術がないという印象
球の角度をつけることに対してNPBでは言われないよね。 パワーつけて
フルスイングしろばっかりで。 そして確率低くなり常勝を求めるチームは
使わない
田淵のホームラン見るとそんなフルスイングしてない力なくコンパクトに
振れて打球が舞い上がりホームラン打ててる。
今更だがもっと田淵理論を見習えば日本野球は変わった、田淵の馬鹿
エピソードばかり取り上げるのはカスファンが多い 角度で言えば山崎武司は天才的。
練習中は落合や宇野よりも軽々飛ばしていた中日若手時代 >>434
パワーのわりに上げるのが下手なのが大豊という印象。
ホームラン=パワーというよりも打球の角度をつけないと打てないことを日本の打撃コーチ
はわかってるのかな?? 日本ではコンパクト手打ちでころがせだがメジャーだと
コンパクトで角度つけてホームラン
ホーナーなんてものすごいコンパクトで無駄がないあれが現役メジャーなのかと
思ったわ ファーストライナーみたいなホームランを広島市民で打ってた大豊 スイングスピードのわりに吉村も意外と打球上がらなかった >>435
大豊は王さんの信者だったから、王さんがダウンスイングを
していたと思い込んでいたフシがあるね。
大豊のロングティーを見たことがあるけど、信じられない程の
パワーがあったよ。化け物。 岩本勉が以前テレビで言ってたけど落合が日ハムに来た初年のキャンプで
テントから人全員締めだして「絶対覗くなよ」と言って練習を始めたが
聞こえてくる音がマシンから出たボールがマットに当たる音しかしなかったらしい
サボってるのかと思いきやテントから出てきた落合が汗だくだったって話
いったいどんな練習してたんだろうな 落合博満は飛んでくるボールを見ながら素振りをする。
ボールに当てるとフォームが崩れる。
フォームが固まるまではボールを打たない。
しかし、素振りだけではスピード感覚がつかめない。
だからネクストバッターズサークルと同じ位置からボールに合わせて素振りするんだよ。 片岡篤史のyoutubeより
日ハム時代の落合
・落合教室は存在していた
・自分もよく話した。スローボール打ちをなぜやるかなど教えてもらった
・引退した年の後半は代打出場が多かったが、すべての選手の成績をチャートで記録してて、
「なんであの球撃たなかったの?」と選手たちに確認してた 日ハム時代に限らずかつてのチームメイトは在籍当時は親しくなかったのに
落合の話すると再生数伸びて金になるからって今になって落合のこと持ち上げた話するんだわ
大久保、片岡、広瀬、みんなそう
岩本だけは在籍当時から尊敬してたみたいだけど >>445
広瀬は悪口をお互いに言えるくらい仲良かったぞ。
そばで見ててこわいぐらいにね。 個人的な好き嫌いは度外視して人気者は持ち上げておくのがユーチューバーの鉄則
そうすれば人気者のファンがチャンネル登録してくる
江川、落合、桑田、清原、イチロー、ダルビッシュあたりは
ネット民に人気が高く「モノが違う」「怪物」「化け物」「天才」
とにかく嘘でも大袈裟でも持ち上げまくることが肝要だ >>405
門田 マリンでホームラン打ってたのか
スゲー
もう一年やって福岡ドームで
打って欲しかったな 池山は、くそ狭くてフェンスも超低い神宮が本拠地で
年間40本打ってないのは意外だな >>449
落合博満「強く振れば飛ぶってわけではないことに気付けないかぎり限界はあるよ」
長嶋一茂が弟子入りしてきて教えた後に「このスイングなら広沢や池山(隆寛)より怖い。池山なら10本や20本離されてても何とかなると思うけど、今のこいつでは10本も離されたら大丈夫かなと思うよ」 >>450
離される事ないしな、リップサービス。
ちょっと嫌味やけど独特な言い方。 このデッドボールで打点王の目がなくなってショックだったけど
同時にこれで今年は3割残せたなと安心してしまった >>453
全部憶測なのに既成事実みたいになってて怖いな
落合自身が「あの場面で内角狙ってくるのは当然」ってはっきり言ってるのに https://youtube.com/watch?v=u3VFja1EDj4
この動画もそうだが、結局は当事者にしかわからんし、一般社会とプロスポーツ社会を一律にはできない
ネット社会で印象操作が容易いのもわかる GM失敗以降の落合ファンは星野腐すしか自尊心を保てなくなってるのかね
星野と落合はなんだかんだリスペクトしあっている仲に見えてたけど 引退後に出した本で「日ハムの2年間は(嫌な思い等して)勉強になった、高い授業料だったが…」って言ってたけど、さすがにこれはふざけすぎだろう その経験が後の監督生活にいかされたのかもしれないが
もっと高い授業料を払ったのは日ハムだよな
生え抜きでもなんでもない超高年俸の40過ぎた大ベテランが
成績悪けりゃ粗末に扱われるのは当たり前だよな… 落合が先日の久々のテレビ出演で「大谷は野球を楽しんでいると思う」って言ってたけど
ご本人は以前「野球なんて楽しくないよこんなもの!」と発言してた
落合と大谷の野球に対するスタンスは180度違うんだろうね ハム時代の衰えた落合も何だか哀愁を感じて嫌いじゃなかった 97年はむしろ7月まで良かったでしょ。
首位打者狙えるところにはいた。
98年の落合も5月までは良かった。 6末で3割8分のイチローと一割差を付けられて
首位打者狙えるところねえ
そら狙うだけなら誰でも狙えるね 1997年
4月末 .291 2本
5月末 .302 2本
6月末 .280 2本
7月末 .270 3本
8月末 .264 3本
9月末 .262 3本
1998年
4月末 .269 1本
5月末 .270 2本
6月末 .260 2本
7月末 .253 2本
8月末 .241 2本
9月末 .236 2本
10月末 .235 2本 あんなブクブク太ってキャンプもいい加減に流してるようじゃ絶対無理だわ パワーを取り戻すためなのかわざと太ったらしいが案の定裏目に出たな
まあ原因はそれだけじゃないだろうが 裸の姿は千代の富士だったみたいだけどね。写真もあったような。 広瀬が日ハム落合を語ってる動画あるな
落合から「その守備力があって何でそんなバッティングになるんだ、もっと早く会えたら俺が教えてやってたのに」
とか「俺と一緒に調整しよう、ベテランだからゆっくり開幕に合わせよう」と言われた話が出てたが意外と可愛がられてたんだな 日ハムでの落合、選手間の関係を悪く言う人が多いけど、YouTubeでいろいろ聞けるようになってからわかったことは全然悪い話は出てこないな。
ブルックスあたりは教わって大はしゃぎしてたし、周りの日本人選手も次々と教えてもらえるよう近寄ってった。 あとは移籍直後、97年の開幕のフォームがゆったりしていて、いい感じのフォームなんだよな。
そこからだんだんシーズンが進むにつれて小さく固くなっていった感じ。 >>478
ほんとこれなんだよな
98年は西浦と競争させられて怒ってたけど
たとえ西浦が小学生の答案だとしても落合がもはやプロのプレーをできなくなってて完敗 〜もしもシリーズ〜
もしも新庄剛志がタイムマシーンに乗って98年日ハム監督に就任したら
新庄「ちょっとデブじゃね?」
落合「痩せてしまったら打球が飛ばなくなるのが怖いです」
新庄「今もそんなに打球飛んでないよ。昔の方がもっと飛んでた。三冠王とった時の方がスリムじゃなかった?それはキレがあったから。今はちょっとキレがない気がするからやせてみよう。そもそも去年何本打ったのよ?」
落合「3本です、でも打点のほうはヨンジュウサ・・・」
新庄「3本43打点って7番バッターかよ、って。あとさ、もっとバットしっかり寝かせてじっくり神主やったほうが絶対いいよ。今は小さな動作になりすぎ。痩せてスリムになったらまたできるようになるからさ。」 >>481
全盛期は太ってはいない。
太れないタイプでむしろ痩せ型だったが多少身体に厚みが出て来てプロ野球選手っぽくなった。
中日の後期から太り始めた感じ。
>>482
そうだね。信子が太らせるためにたくさん食べさせた。 ロッテの最終年1986ぐらいからちょっとポテっとしてきたイメージあるわ >>475
ふんどしかパンティだけの等身大の銅像が落合記念館にあった筈 >>485
褌に日本刀持ってたでしょ?
中日に移籍してすぐに撮った写真。
その頃は既に腹が出てた。 >>489
金石は知らないが、広瀬とは仲良しだな。 97年シーズン中だっけな、スポーツ新聞で金石が
「落合さんが来てからおかしくなった。いいチームだったのに」
って言ってた記事のを読んだ記憶がある
金石と西崎は今でも落合のこと恨んでそう… お前らの職場にも給料だけは高いベテランが来て、全く働かずに上司も何も言わなかったらムカつくだろ >>478
フォームで言えば引退2年後ぐらいにテレビで大塚にホームランの打ち方を教える、ってのをやってて、その時の落合のフォームが全盛期の神主だった。
落合にとってはやはりこのフォームがベストだってことだろうな。
巨人2年目からあまりバットを寝かせなくなったのは衰えによって身体の反応が鈍くなってることへの対応。
でも、これは間違っていた、と本に書いてる。 >>462
落合「観客を楽しませる必要はない。野球をやるのは女房子供にメシ食わせるため」
とも言ってたな 落合が福岡ドームや千葉マリンの
ライト方向にホームラン打つイメージができない >>496
あくまでも試合前の練習前だけど福岡ドームでレフト、センター、ライト、打ち分けてスタンドまで余裕で飛ばしてたぞ。
距離感を確かめてるのかね?ってみんなで見てた。
松井はライナーばかりでいまひとつだった。
あとは意外にも村田真一がよく飛ばしてた。
まあ、あくまでも練習だけど巨人で一番飛ばしてたのは落合だった。 やっぱオチシンて自分に何一つ取り柄がないから落合を絶対的なアイコンにしているんだろうなあ 野口の死球骨折がなくて3割、25本でシーズンを終えても巨人は清原を獲ったかな?
あの死球が指示だとしても太股付近に当てればシーズンオフが面白かったのに もし仮に手首の怪我がなくて3割30本クリアしてても清原は獲ると思う
だって歳なんだもん 「オレの次に四番松井はまだ早い」って清原獲りを長嶋に進言したのは落合自身
落合はサード清原って考えてたけど清原の膝はボロボロで
ファーストしか守れなかったらしい 日ハムでも背番号6を要求しなかったの?
最後はミスターの3でも良いかって思ったのかな? さすがに田中幸雄だからな
広瀬が6だったら平気で要求してそうだが 巨人移籍のときも篠塚現役だった94年だけ60付けてたし、日ハム移籍の時も無理に譲って貰おうとはしないような発言をしてた記憶
ちなみに3はたまたま空き番だったからもらっただけで長嶋さんとは関係ないって後年言ってた ノリでもバカスカ打てるパリーグならって思ったんじゃ 巨人としては、1997・98年は「原がまだ現役、落合残留」の上で清原を獲得していれば連覇できたのでは?
原は1999年には2000本安打、450本塁打を達成して引退。 >>517
原については他チームからの同情が多かったよな、当時。
広島の大野は「出ればまだ打てるのに」と。
阿部慎之助の引退に際し、自分は余力を残して引退した、と言ってるし、本人もあと4~5年はできる、と思っていたはず。
でも、世の中がマツイマツイの大合唱。
しかも、落合博満が中日時代後半からは想像つかないぐらいの復活と人間味をもろに出してのチームバッティングをしていて、落合信者が増殖し始めていた。
そんな中で原辰徳はアウェー感満載だっただろうな。
引退せざるを得なかった状況。 原も信者が増えるようなチーム打撃ができればよかったんじゃね? いやまず、左足首のアキレス腱痛めてたから一年通してスタメンは無理だった気がする
しかも長嶋監督からめっちゃ冷遇されてたし、落合や松井がいなくても限界だったと思うよ 長嶋自身も自分は「やれる」って思ってたのに辞めさせられた口だしね
だから原に対しても同じように仕向けた感じかも 長嶋はあのタイミングでやめとかないと通算打率3割を割りそうだったからよかったじゃん
原みたいな三下野郎はいつやめても一緒だけど いつかしゃしゃり出てくるだろうと思ったけどつべのチャンネルに信子出演したようだな
日ハム時代の話をいろいろ聞いてみたいけど…まだ先のことになりそうだ 日ハムに行くことになった時の話しは出てきたね。
野村とエーデ、どちらとも直接会ったんだな。 98年夏まで日ハム、半独走状態。
NHKで後半戦の予想特集。
藤田元司「さすがにパは日本ハムでしょう。優勝経験のなさからもたつくかもしれないですが、今は温存している落合がいますからね。いざとなれば4番落合で。安泰でしょうね。」 youtubeで落合が言ってたが1988年オフに日本ハムの近藤監督から
電話かかってきてトレードの話が有ったらしいな。
交換相手は津野で、星野仙一もトレードには賛成してた。
1989年からハムでプレーしていたらどうなっていたか そうそう
何故フロント会議の内容が一選手の落合の耳に入るんだよ?
トレード成立前に相手の監督が「お前、うちに来る気があるか?」なんて聞くわけがない
キチガイ大嘘吐き一家が
早く死ねばいいのに 落合は話盛るというか、その時の都合で設定変えるからな
何故ホームランが打てるのか?の問いに「信子が太れと言った」と「ファウルになりそうな打球をフェアにする打法にした」ってのを使い分けるし 片岡と小笠原が仲が良かったのは意外だったな
ライバル関係にある選手って仲悪い事多かったからyoutubeの共演はびっくりした ふたりともサードとファースト両方守れるのが大きいな
同時に出場できる 小笠原は新庄とは不仲。
小笠原までの世代と北海道に移転してからの新庄稲葉の世代とクッキリ分かれてるんだよな。 >>411
96年の横浜スタジアム。
ちょこんと当てたらライトスタンドにスレスレホームランってのがあった。
落合もちょっと驚いてた。 >>525-526
あの年のハムはVやねんだもんな マー君の威を借る安楽智大似事件?
女性が性暴力・いじめが原因でPTSDを発症し、
泣き寝入りして、苦しんでいます。
https://archive.is/rKT1h
https://xドットgd/j8AL6
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/vcamera/1695083351/
逃げ得が無いよう永久保存、拡散をお願いします。 打って出塁ということだけじゃなく、当然それに伴ってフォアボールも取れなくなって出塁率なんかも酷かったんだろうと思いこんでたけど、ちゃんと打率より出塁率が1割ほど高いのな
目や厳しいボールをやり過ごす技術はまだあったのね >>538
日ハム1年目の落合はシーズン中盤から徐々に打率を落としていった感じだからな。
途中まではホームランは出ないけど打率はまあまあ良くて「落合」という名前で投手は嫌がってたよ。
勝負を避けることが多かったさ。
ちなみに阪神ディアーは打率1割の扇風機の癖にフォアボールだけはたくさん選んでたので出塁率は高かった。 連続シーズン20HR以上(MLB)
ディアー 8
フィルダー 7
マグワイア 7
カンセコ 6
グリフィーJr 6
ホーナー 3
ガルシア 3
大谷 3
松井 2 人格がってことではなくて何も無ければボケっとして見える感じが そもそもO谷とM原の関係はどのようなものなの?
ビジネス?友達?家族?いつから知り合ったの?きっかけは??
通常、金銭の扱いをも委ねる業務提携って公正証書などで契約書を作らないか?
金銭の授受や運用とか、ことによっては贈与税の対象にもなりかねないし。
特に、O谷なんか1,000億円レベルの契約だし慎重な契約が必要なわけだし。
それをM原が自由に出し入れして運用できる状況ってのは普通の関係じゃないぞ。
口座暗証番号もM原は知っていて、O谷も黙認てことか??
金銭管理ならO谷と家族がすべきだろうし、結婚したなら嫁もすべきだろうし。
胡散臭いな。二刀流ってしょっとして・・・・ウホッ!? ビッグバン打線が絶好調でも落合は蚊帳の外とか批判されてたな
その後失速
落合も引退 落合って野村並みに話を盛るからな
引退というか自由契約にしてもらってオファー待ったが無く仕方なく引退だし 1998年の成績ではなぁ
通算打率3割を割るまではまだ余裕があったんだっけ? >>546
>>547
チーム失速した時こそベテランの力が必要になる(なぜ俺を使わなかった)
って著書で上田監督批判してたな
それがきっかけで自分が監督になってもベテランの復調を待つタイプになった >>549
.311だからな。まだ余裕はあったよ。
ただ、あと2年規定到達やって.200だとスレスレになる。 まだ落合の97年の.262とか98年の.235はかわいいもんだな。
鳥谷だとか福留だとかランスの最晩年は福王並みの打率まで落ちたからな。 ※左から打率、出塁率、長打率
97 .262 .361 .320 113試合466打席
98 .235 .344 .309 59試合192打席
両年とも打高傾向のシーズンでこれはひどい 落合の成績を無理矢理褒める
・61四球は片岡(81四球)に次いでチーム2位
・出塁率.361は片岡と上田(ともに.383)に次いでチーム3位
・四球>三振なのはチームでは落合(61四球60三振)と片岡(81四球77三振)のみ
・3失策は100試合以上出た一塁手の中ではリーグ最少
・盗塁成功率100%(3盗塁) 97.07.21 前半戦最後の試合のスタメン
(中)井出 .304 4
(二)金子 .295 5
(三)片岡 .305 11
(一)落合 .266 3
(遊)田中 .269 15
(指)ウィ .266 22
(右)上田 .332 2
(左)ブル .272 9
(捕)田口 .191 3
97.08.22 開幕以来初めてスタメン落ちする前日の試合
(中)井出 .290 5
(二)金子 .281 6
(三)片岡 .295 15
(一)落合 .264 3
(遊)田中 .269 16
(指)ウィ .272 29
(左)ブル .277 12
(右)上田 .320 2
(捕)田口 .191 3 落合ファンとそうでない人との落合の評価が天と地ほど違うんだなってつくづく思う >>557
8月下旬まで4番で使い続けた上田は大したもんだわ ウィルソンとブルックスは元メジャーリーガーで、97年・98年はともに打っていたのに、
わけのわからんおっさんに四番を占拠されてプライドを傷つけられなかったのか >>560
上田は「ワシはあんたと野球がしたかった」って
落合獲りに参戦したから中々外せなかったんじゃないの >>561
ウィルソンとブルックスがキャンプで落合のもとに行って教えてもらってた映像があるよ。
とくにブルックスが落合にべったりだった。 10年以上前とはいえパ・リーグで三冠王三度だからな けっこういろんな選手が教わりに行ってたし、落合道場は有名になってたからね。
中日でも巨人でも教えてた。
真似て一番再現度が高かったのはゲーリーかな。
あと、手取り足取り教わってはいないが、少しずつ聞いてわずかなヒントと観察眼で自分のものにしたのが石毛。
あとは中村紀洋も塁に出て一言、二言アドバイスもらってたことで有名。
唯一、原辰徳からの要請は拒否した。
原のプライドを思ってのことだろうとされているが。 バカ息子がまだ学生だったという事情はあるにせよ巨人を追われてあの年齢であの姿で現役を続けているのを見るのは忍びなかった >>565
村田真一もかなり真剣に教わったと言ってるよな。
中尾孝義は落合に教わった時に中日の中で一番軸を使って打つことができていると褒められた、ってめちゃくちゃうれしそうに最近語ってたな。
中尾はたしかに良いバッターだった。 >>566
学生?
学生って大学生や院生のことだが?
そんなに大きい息子がいたのか? 細かい野郎だ…笑
まあ別に子供がいくつだろうがあれだけ稼いだんなら辞めたって問題ないから関係無いやろね 細かいのは文科省なんやで
小学校…児童
中・高校…生徒
大学…学生
常識として知ってた方がええで そんなレベルの話でマウント取るな
しかもスレ違い
バカじゃねえのこいつ YouTubeに日ハム時代の落合をまとめた動画があるけど、最終年は打球が上がらず明らかに衰えてちゃってるのな。
ヒットが出ても転がって運良く抜けていくのが多いし。
こりゃあ上田もスタメンでは使わないわ。
うまく編集してそのように見せてる、って部分もあると思うけど。 >>574
ラジオ解説してた近藤貞雄さんが「もう動体視力が衰えていますから」
と、冷たく批判してたのが忘れられない。 2年間とも長打率が出塁率を下回っているからな
芯に当たってもフェンス手前で失速する光景をよく見たわ 落合は守備に拘って、DHを打診されても頑なに断っていた
でも、落合の守備は本人が思ってるほど上手ではなかった
やっぱり打ってなんぼよ、落合は ウィルソンが、カブレラみたいに守らせろと迫るような選手じゃなくて良かったな
上田監督にどこ守れる?と聞かれてDHと答えたんだっけ >>577
巨人時代は頻繁にピッチャーのもとに駆け寄って励ましてたけど、日ハム時代はどうだったんだろうか?
槙原が守りの点でも落合の存在がすごく大きかった、いなくなるのは損失、と当時言ってた。
巨人の時は毎日テレビ映るし、優勝しようと思って来てたから頑張っちゃったのかな? ハンドリングが巧みで要所で投手に声かけをしてくれるよりも
単純に守備範囲が広い方が貢献度が高いという考えもあるしそこは好き好きだな 投手への声掛けって、人によっては嫌がることもあるからな
阪神時代の小林繁は、ピンチで内野手がマウンドに来たら
「あまり来ないでくれ」と言ってたそうだ
いかにも「今ピンチですよ」と言ってるように見えるから ランナーコーチや相手ベンチの決定的な動きを発見した等の技術的な情報でなければ
「落ち着け」「カッカすんな」みたいな投手の精神面に体する言及だからな
嫌な人は多そう 投手が嫌だと思ってても、客観的に見たら一呼吸置いた方がいい場合もあるし
投手側の意見だけでは良し悪しは決められない 監督が決めることだな
久保康友みたいに守備についての契約があれば別だが 96年は調子が良かったから、怪我さえ無ければまだまだやれたと言われるが、実は93年から長打力がかなり衰えている
91年 長打率.682 ISO+234 本塁打PF1.08(ナゴヤ)
92年 長打率.526 ISO+159 本塁打PF1.50(ナゴヤ)
93年 長打率.462 ISO+125 本塁打PF1.10(ナゴヤ)
94年 長打率.423 ISO+107 本塁打PF1.09(東京D)
95年 長打率.481 ISO+114 本塁打PF0.73(東京D)
96年 長打率.516 ISO+149 本塁打PF0.98(東京D)
97年 長打率.320 ISO+44 本塁打PF0.93(東京D)
98年 長打率.309 ISO+51 本塁打PF1.34(東京D)