1999年のプロ野球
>>461
http://sta-men.jp/1999hawks.html
スタメン落ちと欠場の日はあってもこの年の小久保が4番以外のスタメンで出たことはない 小久保の4番落ち回りでいうと
このうち9/26〜の5試合は優勝決定後の休養だからまあこれは置いといて
6/24に4-1 .213 15本から4試合無安打で.200 15本となったところで6/30は欠場
7/1に代打で安打を放ち翌日から4番復帰するも5試合無安打で.191まで落ちたところで
7/10にスタメン落ち(途中出場)、7/11は欠場
7/13からスタメン復帰するも依然打撃不振は続き、.185 15本でオールスター入り
この年のオールスターは3戦開催で、比較的長く休養調整が取れたのが幸いしたか
後半戦開始後は6試合連続で安打を放ち、復調の兆しを見せる
一番打率が落ちたのが7/18の.183
この間チームはこの年最長の7連敗を喫したり、ロッテに首位を奪われたり
王監督も小久保もとんでもない重圧がかかってたんだろうね 井口引退か
小久保と井口が優勝決定試合で本塁打もあったけどサヨナラ満塁本塁打どっちが印象に残った サヨナラ満塁というのがなにを指してるのかわからないので検索してみたが、
09/4/16のロッテ楽天戦で井口が7-7の延長10回裏に放った一発のこと?
なんでこれがそんなに印象に残ってるのか正直わからないから教えてください?
(ネット界隈では有名な一発なの?) うわ、すごい失礼しました。
この年の9月の西武との首位攻防で秋山が松坂から顔面死球受けて欠場した試合の
サヨナラ満塁弾のことですね。
単純な話で申し訳ないがテレビで生で見れた、という一点で優勝決定のほうかなあ自分は >>463
1997年に応援ボイコットされた新庄より打率悪かったのか
新庄はオールスター前までで打率217 9本 大豊がサムソンからサヨナラ本塁打を打った試合で大豊のヘルメットを取ったのは誰?
坂本はこの試合を見てたって何処で言ってたの? >>386
まさかとは思うが今年の阪神はこの年みたいにならないよね?
今日の試合で広島にフルボッコされたのは気にかかるけど… >>172
4タテ→4連勝、3タテ→3連勝って1度も負けなかったって意味やで
99年の日本シリーズ中日は●○●●●だからこれを4タテと言うのは間違い 元々は3タテは同一チームに3つ負けることだけどね
(ファイターズがホークスに3連戦3連敗したらファイターズ、ホークスに3タテと使う) 3年前のレスに突っ込みいれても当人はおらんじゃろな 日シリで○●●●●なら「2戦目から4タテ」って言う? >>476
仮にいたところで、今更出てこれないだろうw つーか三年前の自分の書き込みなんていちいち覚えてないw ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 星野さんが亡くなったから言うわけじゃないけど、
この年は中日の優勝で良かったと思う。
もっとも、その翌年讀賣に”倍返し”されたけどw >>482
江藤グラスラ二岡サヨナラで狂わされた… 「いいとこ取り」
福岡ダイエーとなってからのホークスは「打線はまずまずだが、投手は・・・」と言われ続けるほどに、投手陣が懸案事項だった。王貞治が就任して
以降も変わらず、95年から3年連続で防御率がリーグ最下位で、98年はチームが21年ぶりAクラスを果たしながら防御率は4点台でリーグ4位
だった。
その98年オフにヤクルトを退団したばかりの尾花高夫が、王監督直々の誘いでダイエーの投手コーチに就任したのが、ダイエーが初の日本一に
輝いた翌99年だった。コーチ生活において、ロッテ時代は「体で覚えろ」という広岡達朗GM、ヤクルト時代は「頭で理解しろ」という野村克也監督の
薫陶を受けてきた尾花、意外にも最初に選手に話したのは「俺は日本一になりたい、逆算してお前たちを鍛える」というスパルタとも思えるような内容
だった。その後も「日本一」の単語を唱え続けた尾花は、「意識改革というより一種の洗脳」と笑った。
練習法は選手と一定の距離を保ちながら、出来るまで練習させる広岡の手法だった。広岡は尾花にとってプロ入り最初の監督、ロッテ時代について
「練習法、投手交代など継投のタイミング、接し方と随分勉強させられた」と言ったが、コーチ時代を含めた4年間で教えをしっかりと吸収していた。
指導法については、データ集めや分析の仕方などから野村の影響を大いに感じさせた。アドバイスでの言い方でも、否定語を使わないように気を
配った。分析力は流石で尾花が着目したのが四球、98年は511個で1試合平均3.79個、「四球が失点に絡んだのが130点、これが無ければ
防御率は1点下がる」と伝えたのは、ただ「逃げるな攻めろ」と言うよりも効果があった。不利なカウントでの安易な直球にも、「困った時こそ変化球」と
伝え、実際に投手たちは相手打者の打ち気を削いだ。
99年は四球を80個減らしただけでなく、防御率も4.02から3.65に下げて担当コーチとしての成果を上げた。12年ぶりの防御率3点台は前年と
同じリーグ4位の防御率でありながら、3.58でトップの西武とは大差の無いものだった。永井智浩、星野順治、篠原貴行の「2年目トリオ」誕生や、
先発として獲ったロドニー・ペドラザの抑え抜擢、前年0勝だった若田部健一の5年ぶり2ケタ勝利にも一役買った尾花は「錚々たる監督に野球を
学べた、いいとこ取りですね」とおどけたが、出会ったばかりの篠原の球種の癖を瞬時に見抜いたり、他球団打者の傾向と味方投手の調子を的確に
把握できる能力は、尾花自身の才能というべきうだった。 (了) >>52 >>406
3年越しで同じこと書き込んでるのが笑える
>>352 >>421
こちらは2ヶ月か この年の松坂の試合は
ゴールデンタイムの地上波で中継してた事もあったな そこで往年の輝きを取り戻せるか、それとも醜態を晒して終わるか… 松坂のデビュー戦で、片岡氏を155キロで三振とったのも凄かったけど、それよりも凄かったのは脅し気味に乱闘しかけてきたフランクリンに対して睨み返した事かな。
明らかに攻略の糸口が見つからない中の動揺を誘う作戦だったし、その汚い作戦には乗らずその後も2球続けて内角攻めをしたのは立派。
その試合、プレーで松坂にプロの厳しさを教えたのは小笠原氏だった。 >>77
でも山崎は言いにくいことでもちゃんとモノ言うタイプだから有言実行できて満足しただろう
まだヒートアップしやすくて熱かった星野にオッさんボケェ!オレを使ってたらこうなるんやと刃向かったりもしてたしね すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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DN12C >>489
今では、本拠地開幕カードの巨人戦に登板か
とも言われているからね >>463
よくオールスターに出れたな
対抗馬は片岡 初芝 中村紀ぐらいか? >>492
星野はあのころも頭に血が上りやすくて熱かったのにそんなのに勝つ気があるなら
オレを使えと叫んで向かっていったんだからたいしたもんよ、山崎は
大豊はノムさんには何も言えずモチベーション失ってたというのに 山崎自身は干されるのを覚悟の上で星野や高代にあれこれ文句を言ったんだろう
例のサヨナラHRがなかったらやばかったかも 星野って案外選手の言いなりになって気が小さかったんじゃない?
先日サッカー日本代表監督を解任されたハリルホジッチは選手が意見を言ったら問答無用で干してたし 中日でも阪神でも楽天でもそこまで選手と揉めてないからな
ナゴド元年に暴力反対を訴えたパウエルぐらいか?
でもそんなパウエルもその時期は衰えが見え始め
膝が限界で悲鳴上げてたから戦力として計算しにくくなってきた でもって暗黒阪神はそんなポンコツを喜んで獲得したという とある選手を放出→放出した監督がそのチームの監督になる→開花し、チームの不可欠な存在となり、優勝まで至った
こんな神がかりな流れもあるにはある ポンコツとまでは言えなかったコールズも阪神行った途端さっぱり 狭い球場で実績を上げた野手は阪神中日ロッテハムではアテにならんよ
ウッズや金本みたいなのはレアケースだし
コールズのHRもほとんど甲子園ならフライだったろ 阪神が夏場に1位に立ったのを覚えてる
これは当時かなりの珍事だったと思う
あの面子でなんで立てたか不思議に思う 夏場じゃなくて新庄敬遠球打ちの日に首位になった。その頃はジョンソンが打ちまくっていた
7月はもう3位から4位に落ちていた この年、打ちまくっていた松井高橋をきりきり舞いさせてたなぁ それこそ、松井やヨシノブにしてみたら、顔を見るのもイヤだっただろうな >>508
それはミッチー・サッチー問題の真っ最中だったなw
ノムさんはサッチーの事でマスコミに追い掛け回されて大変だったのに、
グラウンドではしっかりと結果を残して、当時すごいなと思ったよ。
まあ、すぐに首位陥落して定位置に戻っちゃったけれどもw
それから、阪神以外にもロッテが7月に首位に経って話題になってた。
前年18連敗してた、あの弱小ロッテが首位・・・と当時かなり話題になったよ。
阪神首位の次はロッテ首位と両リーグで珍事が続いてた時期だった。 99年てなにもかもに置いてグレードダウンしたような年だよな
浜崎こゆみや鈴木まみでB'zチャゲアスが覇権争いの頃が嘘のよう
TM NETWORKのカバー曲がせいぜいで日本に現神がいなくなっていた時代
阪神を貶めた野村が来て新庄は幼稚園からやり直し
なにやってんの見たいな
全体幼稚劣化し見る方も大変だった 暗黒時代の阪神の体たらく見て貶さんOBの方が少ないと思うが >>516
CDバブルに目に見えて陰りが見え始めた感じはしたな
結局この年デビューした宇多田ヒカルが最後の輝きだったか その翌年にTSUNAMI桜坂があったけど2001年から急降下な印象 >>207
あの時の近鉄のユニフォームはそのシーズンのみ 【野球】ドミンゴ・マルティネス 西武と巨人で清原和博との不思議な因縁に翻弄された男/平成助っ人賛歌
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1537947332/
2000年夏には同じドミニカンで兄のように慕っていたバルビーノ・ガルベスが一時帰国してしまう。
真夜中に母国料理を作ってくれたガルベスが去り
ガルベスいい奴だったんだな >>523
両者本当の優勝は2005年まで待つことに… >>524
それだけに、前年のあの暴挙はもったいなかった >>518
売上はそこだけど
ゲーム自体は、2003をピークに改良盛り上がりを見せて行ったな
丁度阪神を優勝させようと言う気運と正に合致していた
2006 2009とWBCも代表スポンサーとして優勝の場面もバックネット広告で
守り神となった
2013日本シリーズを最後にスポンサーを降り2015は言わずもがな
だから、2019.3の港の星達閉鎖がまた契機となって
野球の瓦解が進む出来事が起こるだろう
港の星達もまたパワプロと同時に野球界にとっての大きな神社のような存在だった (ヽ*´◯`*)マシンガン打線が炸裂したのに優勝を逃したんだ… 駒田がエラー絡みでファンの野次にキレた試合はどの試合?
エラーして
うるさんじゃ
野次するスポーツじゃない >>98
2000年の日シリでダイエーが巨人に負けたのは
変則日程だけではなくマルティネスにも
弱かっただけ?(´・ω・`) 佐伯選手只今怪我の治療をしております少々お持ちください
何があたったの? その後松坂からしっかりホームラン打ってニコリともせず一周する
リベンジ果たしてるのにそっちは全然流されないのはちょっと可哀想 松坂はある意味この年がピークだからな
タイトルは何度も獲れたが同世代のライバルに勝ち切れなかったところがある
唯一の沢村賞も勝率5割とかだった気がするわ
桑田清原よりは期待に応えたと思うけどね 松坂に限らず、新人王を取って長く活躍する選手でも
新人のときが結局は最大ピークだったというパターンは少なからずあるよね
(もっとも05年がベストシーズンという意見も多いとは思うけれど、
その年に斉藤和巳に全部もってかれたからなぁ)
この年の上原なんかもそうだし。
清原なんかは例外か 投球レベル自体はメジャー前後のが当然上
だが高卒新人での主要タイトルはまず出てこない
清原の新人は超ラビットで何人も上の打者がいた 松坂は2006年が一番なんじゃないか、四球も1年目の時と比べて半減してる 堤が逮捕されて甘やかされなくなったのが大きかったか この年と今年 松坂の引き立て役となる片岡篤史
1999年 松坂から三振 2018年 阪神コーチとして3勝を献上で最下位で
金本と一緒に解任 >534
イチローはわざと三振した そう言うことをする選手
イチローは松坂は自分のレベルにはないと思ったのだろう 藤井寺球場での公式戦最後
くそ狭かったがフェンスが高くて
市民球場みたいなヤバさは感じなかったな(笑)
ちなみに
最後の平和台経験者はイチローだけ 松坂はデビュー戦で、ピンボール(?)で向かってきた外国人相手に睨み返した。
大谷、藤浪ならとりあえず謝りそう。
マー君なら吠えて突っかかりそう。 松坂はデビュー戦で、ピンボール(?)で向かってきた外国人相手に睨み返した。
大谷、藤浪ならとりあえず謝りそう。
マー君なら吠えて突っかかりそう。 ローズが40本打って本塁打王獲ったのは当時意外だと思ったな
それまでは中距離ヒッターのイメージだったから
ましてや、数年後に55本打つなんて誰も想像してなかった >>550
クラークの方がホームランバッターのイメージあったもんな その前年まで 盗塁も出来るってのも一つの売りだった >ローズ
フォームも全然違ってるんだよな
ローズの構えって頭よりも高い位置でバットを動かしていたが
来日当初は肩の高さでバットを動かしていた 「工藤 メイ」が投の軸で「ローズ 清原 江藤」が打の軸だったころの巨人軍は移籍者が多くなりすぎて記憶の許容量越えて「史上最強メンバー」の
はずなのに逆にイメージが希薄。「どの選手がどの時代にどの選手と一緒だったか?」はマニアで正確に把握できてないと思う。ぺドラザやシコースキーもいたかも?
「ON対決」も試合の詳細は忘れた。 >>「工藤 メイ」が投の軸で「ローズ 清原 江藤」が打の軸だったころ
少なくともそんな時代はない >>555
城島が工藤からすごい低めの球をホームランをしたのは覚えてる
松中も工藤からすごいライナーのホームラン打ってダイエーペースだった メイの中傷ビラは野村だけでなく阪神そのものも大いにターゲットになっていた ONシリーズはダイエー先発陣が瞬く間に炎上して吉田と渡辺ばっかり投げていた記憶 イチローは死球で離脱した時は避けられなかった自分が悪いと言ったの?
下柳に対して野次は多かったの?