1999年のプロ野球
チーム打率2割9分2厘の狂気のマシンガン打線
まさか数年後にこれを上回る打線が現れるとは想像もできなかったが… この前年の西武も「よく優勝できたな」ってレベルだったがこの年もひでえな。 セリーグMVPが上原でなく野口にだったのに納得行かなかったな
近年優勝チームから選出傾向が薄れつつあるが
今なら上原が受賞していた気がする ただ選考は史上まれに見る超大激戦だったよね
1位野口、2位上原、3位関川だったけど
記者投票のいわゆる「1位票(5ポイント)」は上原が一番たくさん集めてた
ちょっとした投票のあやで3人のうち誰が1位になってもおかしくなかった 星野仙一がメディアに野口の受賞を訴えていたのはでかかったかも >>108
サッチー騒動があったのもこの年だったな。
あんなどうでもいいことで
ワイドショーは半年近くこのネタで突き通した。 巨人がマッチレースで負けた年
99年中日 01年ヤクルト 過去15年だとこれだけか 2010年は違うか?
まあ、上位3チームの中では一番不利な立場だったけど。 神宮でM3にしたゲームと二日後星野胴上げ見たな
懐かしい 前半戦の阪神が輝いて見えた。7月中盤までは貯金もあった。
前半代打の切り札でピリっとしなかった大豊が、消化試合になった8月後半以降
スタメンで打ちまくった。わずか1か月少しで12本くらいホームランを上積みした。 >>116
俺は前日のゴメス6打点と当日の胴上げ見たわ
ドラゴンウェーブ(実際はただのウェーブ)やったよね〜 >>118
7/4の順位
1 中 39−30
2 巨 36−32 2.5
3 神 36−33 0.5
4 横 33−36 3.0
5 広 31−35 0.5
6 ヤ 30−39 2.5
阪神はオールスター直前(7/22)までは4位だった、しかし7月半ばから負けだして8月から9月の最後までは5位だった
が、最後の5試合に負け越して最下位になる。
ジョンソンの急な不振が痛かった ジョンソンはシーズン20本塁打のうち前半戦19本だっけか 虎の中込は15試合2勝7敗、3.27と使われたが、山村がクビになってしまった >>120
ジョンソンは7月頃から調子を落としていたが、8月のブロワーズの解雇で
孤立感が深まり、不振に陥ったみたいだ。
ブロワーズは使えなかった印象が強いが、6月以降は打棒も上向き、打率も2割3分前後から
2割5分台まで上がってきていた。
緩慢さや傲慢さも解雇の原因だったみたいだが、残しておいた方が成績は良かったのではないか?
野村の無用な皮肉から監督批判、退団に至ってしまったメイにしても同じ。
大豊も監督批判で二軍に落とされたが、終盤ジョンソン不振で仕方なく4番に座り馬鹿打ちしてたのが皮肉だった。 ブロワーズはシーズン前のトラ番記者の座談会では、実力はペナントに入らない事には分からないが
一つ言える事は外国人にしてはまじめだと語られていたな。ジョンソンもブロワーズを師匠のように慕っていたらしい
野崎は「ベースボール革命」という本を出したR・ライトという統計学者と契約を結びそのデータを元にブロワーズを獲ったと言っていた リベラも何故か駄目外人扱いされる事もあるけど8月時点での成績は
リベラ 29試合 1勝1敗12S 0.71
宣 24試合 0勝2敗16S 3.60
高津 25試合 1勝0敗19S 2.30
槙原 35試合 1勝2敗20S 3.19
佐々木 23試合 1勝1敗19S 1.93
と十分な働きをしてると思う。3試合のリリーフ失敗も、8回に急遽登板を命じられる
今岡坪井らの連続エラー、不可解な継投、という試合だし リベラはシーズン後の方でクイックが出来ないという欠点を突かれて
最後は走られまくったのがまずかった。特に中日に随分やられてた感じ。 走られまくったというほどには走られてはいない
大体自責点はわずかに2しかないし、WHIPは0.83
ランナーを出さなければ何の問題も無い リベラ 対中日戦成績
4/11 3打数1安打 自責点0 伊藤がワンアウトも取れず弓長が負け投手
4/29 3打数0安打 自責点0 セーブ 3−2
5/14 3打数2安打 自責点1 吉田豊彦が4−0で9回2死無走者から連続四球と安打、リベラは同点に食い止め、その裏に大豊のサヨナラHR
5/16 4打数0安打 自責点0 セーブ
5/26 4打数1安打 自責点0 5−1で登板し阪神勝利
7/1 3打数0安打 自責点0 セーブ 2−0
7/11 5打数1安打 自責点0 負け 坪井がただの外野フライを落球
8/4 4打数1安打 自責点0 最後の登板 横浜阪神戦で14対12という荒れた試合があったがこの試合も最終回はリベラが0点に押さえて終わっている
リベラとワンポイントリリーフの伊藤以外の7人の投手は全員失点 リベラは5月14日以降は自責点0で8月上旬に帰国した ウォーレン
ぺドラザ
ガルベス
サムソン
ハッカミー
ミンチー セーブ数
藤川 46
藤川 41
藤川 38
呉 32 継続中
藤川 28
リベラ 27
久保田27 >>129
星野中日の采配が良かったのだろう。4−0、9回二死無走者から追いついた試合は左の吉田からもあっさり盗塁を決めているし。
機動力重視野球にうまくチームを切り替えた。 >>121
そのジョンソンの後半戦の1本なんだけど、巨人とデッドヒートを繰り広げていた中日が
ほとんどこの試合で優勝を決定づけたと思われるナゴヤドームでの山崎武司のサヨナラホームラン
(山崎が打った瞬間大きなバンザイをした)の直前のイニングで勝ち越しホームランを打って
危うく中日を奈落の底に落としかけたんだよな。 中日対他球団
巨人 15勝12敗
横浜 16勝11敗
ヤク 18勝9敗
広島 13勝14敗
阪神 19勝8敗
カープだけが中日に勝ち越していた 佐々岡と横山にやられた年だな。
佐々岡にはノーノーやられたし、横山には「中日にはまったく打たれる気がしない」と馬鹿にされる始末。
その佐々岡が富山でローズにサイクル食らって防御率1試合で超絶爆下げした時にはざまあみろって思ったわ。
ちなみに、佐々岡にノーノーやられた日、ジャーマンは4打席4三振で、その日母親に電話に死ぬほど怒られたそうだ。
それに奮起して翌日の試合で3ホーマーしてた。おかんは毎日電話したらよかったのにw 当時阪神の打者で宣からホームラン打てるとは思えなかった。
暗黒阪神は奇跡のホームラン→その後あっさり勝ち越し、サヨナラを許すパターンが目立った。 ジョンソンは5月22日時点では.303 11 という成績だった。 ホームランは松井と同数
ヤクルト戦では劇的な代打サヨナラスリーランホームランを打った。 >>143
調べてみたら、この年の佐々岡が15勝もしててビックリ。
現役通してみても、2番目くらいの好成績の年だな。
キャリアハイは文句なく91年だけど。
あと、佐々岡含めてこの頃って、ノーノーを達成した投手がすごい多かったよな。 木佐の旦那、川尻、バンチ…ちょっと思い出しただけでも3人もいた
他にもいた気がする、確かに多いね 近いとこだと2000年に近鉄のエルビラもやってる。 広島はナゴヤドームでの開幕カードの中日戦3連敗だったな
先発投手はミンチー、菊地原、レイノソ
広島は阪神に負け越していたら翌年もだが 広島は阪神に98・99・00と負け越していたけど
01年は20勝7敗と大きく勝ち越した >>146
佐々岡は95年後半から98年前半までの約3年間ストッパーに回っていて、
この年が実質的な先発への完全復帰の年だった。
調子が良く、完投も2ケタを超えるなど、先発に専念した年では最高といって
いい成績だった。 佐々岡も富山のベイ戦の超大炎上がなければシーズン防御率2点台前半いけてた。
中日の武田も2点台前半だったのが夏にハマスタで先発して2〜3イニングで10失点近くして一気に3点台後半になった。
つくづくこの年のベイに当てられる投手は迷惑しただろうな。成績的な面で。 >>152
優勝決定後とはいえ、川上(中日)もベイ戦で登板して
10点以上取られて炎上した試合があったなw この年の消化試合に岩瀬が先発したことあったと思って調べてみたら2000年だったでござる 不人気中日の優勝でしらけたシーズン
日本シリーズでゴールデン移行後の最低視聴率記録叩き出したんだよな
中日ダイエー戦
前年のベイ優勝は盛り上がったのにね・・・ ダイエーも予想ではBクラスが多くて、4月だったと思うけど22−2で負けた試合もあった ナゴヤドームになって、ナゴヤ球場時代のような熱気ある雰囲気が
なくなったよね、と語られている頃だったような。
観客動員にはまだ影響はなかったけど、恐竜打線と言われた頃の豪快なイメージは
鳴りを潜めて98年以降は完全に守備のチームに生まれ変わった。 広い名古屋ドームに移ったことで
チーム戦略を一新したのはある意味当然だったとは思うんだけど
それと共にファンの熱気まで冷めちゃったのはなんでかねえ ナゴド移ってから古くからの中日ファンが満足できたのは2006年打線だけ
あの打線で日本シリーズ超惨敗したからよけいに翌年のなんちゃて日本一がしらけた 広い球場では守備機動力重視か
それでも本塁打を打てる選手を
揃えるか(2001年の近鉄)だが
確率で言うと前者だな 星野の中日監督時代の胴上げしたの時は相手はいずれもヤクルト 中日はロケットスタート(11連勝)とラストスパート(優勝決定までの8連勝)
の貯金だけで優勝したな
この年といい2001といい巨人の無駄な悪あがきは見ていてたの 90年代前半のダイエーは
橋本とかゴセージとか高確率でンゴるピッチャーが多かったけど
この年からは篠原とかペドラザとかリリーフが安定してきたからな…
東京時代のハムもそうだったでしょ? 特に篠原はわずか1敗だったからな。
他球団から見たら、憎らしい限りだった…。 終盤ダイエーと西武が競り合っていたときに、解説の大島康徳が「今まで西武は
本拠地の試合をよく中止にして後回しにして有利にしてきましたけどね。今年からは
ドームになりそうは行きませんからね」と言っていた。
その大島がダイエー日本ハム戦でダイエーが優勝を決めた時に、「これ日本ハムの
選手がね、どれだけダイエーの胴上げを見ているかでしょうね。これを存分に目に
焼きつけて来シーズンに臨んでもらいたいですね」と言っていた。その時点で
日本ハムの次期監督は決まっておらず、その発言を聞いて「ひょっとしたら」と
思ったが、その通りオフに大島監督が誕生した。 今年のシリーズがこの年ぽかった
中日が鷹に1-4と4タテされ最期TBSの中継で終わったけど今年も同じだったな この年の開幕前のダイエーが酷評の嵐…
そん中あるサイトの順位予想で…
「パはダイエーにがんばってほしい。
いいかげん、王監督が可愛そうになってきた(笑)」
当時の少ない親王鷹派の期待に応えた王さんも見事だったね ダイエーと言って思い出した。
ダイエー選手が関係する、いわゆる”スパイ野球事件”が発生したのって、
確かこの年じゃなかったか? >>174
火消しの裏にはかつて巨人監督時代に
苦しめられた広島野球をダイエーでやりたかった王を
フォローするためにネモさんの工作があったのかな?
まあこの年は王ダイエーは日本一になったけどネモさんが春先に急死したり
かつて王を苦しめた広島が前年から没落しだしたからな… ラジオ日本の日本シリーズ最終戦中継では丁度ホークスの2軍監督も務めた有本義明が解説していた。
1954年の西鉄-中日のシリーズの事や新人時代の城島の気性について語っていた記憶がある。 89年 福岡人
「ライオンズやなか応援応援しぇん!!
アイツらめ…無敵の若鷹軍団とうぬぼれやがって…
ホークスなんか応援出きんしゃーか!!」
↓10年後
99年 福岡人
「ホークス最高ばい!!
無敵の若鷹軍団は本物だ!!
ライオンズなんて最初からいらんかったんばい!!」
なんだこの手のひら… >>37>>121>>140
いわゆるXムランだな。しかし数日後その山崎は・・・
>>60
ナゴドで代打に出てきた音の大飛球を好捕したが
そのままフェンスに肩をぶつけて骨折し離脱。
>>64>>71
開幕から怒濤の連勝で走った中日から唯一首位を奪ったのが阪神だったが・・・
>>99
シーアンフロッコ(多少のMLB経験あり)、ブロッサーが揃ってダメ
→ジンター(スイッチでいきなり満塁弾も続かず)→ポール(他3人よりはマシって程度)
翌00年はMLBで実績のあるフェルナンデスとジェファーソン
→01年はマイナーの大砲カブレラとマックレーン
>>143
開幕3タテ勝ち→佐々岡のノーノー含め負けまくり→最後にまた3タテ勝ち >>179
この年の山崎武司はシリーズ出場の唯一のチャンスだったのだけどな。
山崎が出場してたら中日が日本一になれたかもしれない。
優勝決定試合で痛いアクシデントだった。
シリーズ未勝利のまま来年引退しそうな昌が、このシリーズ欠場でも良かったのに。 ホームラン28本の山崎が7番に入ることで、少しは違いが出せたかなあ
日本シリーズでの中日の福留・関川・井上の「逆シリーズ男3人揃い踏み」という前代未聞の暗黒オーラは凄まじかった >>183
関川にリベンジのチャンスは二度と来なかったな。
井上は04シリーズでは敢闘選手になって気を吐いた。 福留に関しては出場した時より欠場した時の方が
チームの成績がいいんだよな 中日は99年以降2004年、10年とシーズン中同じ曜日配列で3連続V ショート福留下手くそだったなあww
大魔神佐々木が解説で下手とはっきり言ってたのが印象深い 新人はすごいし、ダイエー中日優勝するし面白いシーズンだった >>188
両チーム共久々の優勝だったからな…
今年の久々の日シリ出場は阪神だったが… 「内政干渉に勝つ」
落合博満や西本聖の獲得などいくつもの大型トレードを実現してきた中日監督・星野仙一にとって、落合らと同列に会心のトレードとして
挙げられるのが阪神から関川浩一と久慈照嘉を獲得した97年オフのトレードではなかったか。久慈は守備のスペシャリストとして99年は
107試合に出場、苦手の打撃でも規定打席未到達ながら打率3割を超えた。そして関川については、こちらは99年星野に「セキは優勝の
功労者」と言わしめるほどの活躍、打率.330に60打点でドーム型恐竜打線を牽引した。解説者時代の星野に「捕手に向いてないね」と
試合中継内で言ったことがあるのを関川が知っていたのか移籍時に「外野一本でやらせてください」と直訴しグラウンドでも星野の現役時代
同様ガッツのあるプレーを見せた。思えば阪神時代の95年冬に星野主催のゴルフコンペで20位となり「星野仙一賞」を受賞した時から既に
星野と縁があったのかも知れない。
これまでも牛島和彦、中尾孝義、平野謙ら主力を「本当に辛かったが、“仕事なんだ”と自分に言い聞かせて決断し説得した」と放出してきた
星野だったが、関川獲得の時は94年の二冠王で通算208本塁打の看板打者である大豊泰昭の放出を巡って球団外の説得にも手を焼いた。
中京地区の財界やファンから「大豊は家を新築したばかり、可哀想だ」などといった批判および反対意見が多数上がり、星野も「あの時は
凄かった」と振り返った。フロントの賛同もあまり得られなかったのか「“内政干渉するな”と一人で戦いました」とも言った。
2年後リーグ制覇の結果が出ると非難の声は一切消えて、星野にトレードを思い止まるよう働きかけていた地元財界の有力者もトレードに賛成
していたという事まで言い出す始末。干渉に勝った星野も「もうちょっと黙って見てろってね」と苦笑した。
こうした内外の声にも打ち克って、出血覚悟と腹を括らなければチームの活性化は難しい。トレードされた4人の中で一番不満を漏らし、当時
「ショックです」と話した当の大豊は、その後移籍先の阪神で首脳陣やフロントと何度か揉めて00年オフに退団。自身を放出した星野の下に
舞い戻ったが、守る場所がない上に打撃でも振わず2年で退団、引退した。 (了) 大豊は引退後に、星野監督には殴られたり怒られたりしたけどその根底には愛情が感じられた。
私にとってかけがえのない兄のような存在で星野監督の野球は今でも好き。
勝手な思い込みかもしれないけど私と星野監督は強い絆で結ばれていると実感した、等と書いていた。 どうでもいい話だが新人王投票
福留には票入ったのに二岡に入らなかったのが謎
二岡のほうが成績良かったと思うんだが この年の中日は関川 ゴメス 山崎 中心にすごいいいチームだった 日本シリーズは圧勝すると予想してた