2003年のプロ野球
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とりあえず立てた。
一番は阪神の18年ぶりの優勝。 第6戦に福原持っていくべきだったかな
伊良部が駄目だったなあ
1度目は兎も角2度目は回避だろ 4戦目に騎士なんか投げさせたダイエーはぶったるんでたな 2003年のダイエーは投手陣は案外足りてない
斉藤、和田、杉内の三本柱は文句なしだったが
四人目の新垣はシーズン途中で離脱した
リリーフは故障明けの篠原、それに岡本と吉武と渡辺で回すも不安定で
結局シリーズでは復帰したばかりの新垣をクローザーに指名することに。 一方阪神は吉野リガン安藤ウィリアムスとなかなか強力なリリーフ陣を擁していて
その辺も甲子園で3連勝できた理由か もともと数年前まで先発陣壊滅でリリーフ酷使で回していたチーム
その前は先発リリーフとも焼け野原
ダイエー投手陣は万全だったことなど身売りまで一度もない >>148
ダイエーの大勝→1週間後の同じカード(ホームとビジターは入れ替わる)でも大勝とかあったね それでも対戦成績はダイエー17勝オリックス11勝
歴史的投壊だったカードの割にはそれなりに善戦しているな このカード、中盤はオリックスの歴史的大敗が結構目立っていたけど、
終盤はダイエーの優勝ストッパー役を担っていたからな 阪神は弄り過ぎて残念だったな
ペナントとして見ていられたのって5月下旬までじゃないか
後は詰まらない勝ち試合を終わりまで延々見せられるだけ。
2002開幕した時は
赤星今岡桧山浜中坪井と移籍組のアリアス矢野で
92年の再来かと言う様にいい感じに野手が揃っていたのに。
野村や星野にはやらせない方が良かったが
この2人が異常に持ち上げられ続けた20年だった 星野がやらなかったら平成は優勝なしで終わって面白かったろうな 70勝が他に3チームも居る
間延びしてどうでも良くなった証拠だな
4/13から一度も首位落ちてないってカスみたいなシーズンじゃん >157
野球ゲームでもこんな酷い展開ならんわw
どんだけチート使ったんだって言う話 ダイエーはこの年オフ杉本正を2軍投手コーチにして投手王国終わりの始まり
杉本を解任した投手王国復活したが >>161
阪神ファンの人が9時15分と言っていた気がする この年の巨人は阪神と中日相手だと守乱で自滅するパターンが多すぎた… ホークスはシーズン終わって見れば強かったって印象だけど
開幕前は若田部がFAで去ったりして実績のある投手がいないし
小久保がオープン戦の怪我で欠けたりで楽観できない状況だった。
王監督としては会心の一年だったんじゃないか 代わりの川崎・斎藤といったところが期待以上の働きをしたからね ここまで中日山田監督解任騒動無し…
てか当時の西川球団社長がそこまでブチ切れたか!? 山田監督、佐々木代行、と現役時代全く中日と縁の無かった
(対戦もしていない)人たちが監督をしていたという点では
稀有なシーズンでもあった。 ケビンミラーってのがドタキャンしてアレックスが来たな >>169
確かアレで西川社長がブチ切れて中日はしばらく
北米と絶縁したんだっけ? >>169
そのアレックスが当たりだったからまだ救われたけど、
もしこれがハズレだったらと思うと… 後年サンモニ等でMLB挑戦中の川崎宗則は現地でこんなに愛されてます的な
VTRで現地TV番組のスタジオでゲラゲラ笑ってるのがケビン・ミラーで
見ていてなんとも言えない気分になった記憶があるなあ。 阪神が強すぎた
7月8日にマジック点灯するとかキチガイだよ
どこまで貯金積み上げるかと思ったけど
夏場以降失速して結局貯金36で終わった あんまり勝ちすぎて逆に詰まんなかったね
シーズンの山場とか無かったしむしろストレスがあったわ
そういう意味で2005の方が嬉しかったけど暗黒の日本シリーズがな
結局1985が最高ということになる >>160
そして5年後、ホークスは最下位へ転落
この時も杉本は投手コーチだった… >>174
2003の日シリは第7戦までもつれて
面白かったわな…
あと誰も触れてないYB小田嶋… この年の巨人の崩壊したリリーフ陣の中で前田幸長は孤軍奮闘していた
被弾も多くなくWHIPは中日岩瀬や阪神ウィリアムスと同じだった
ただその割に防御率が悪かったが
やはり他の中継ぎの悪さのせいで無駄に自責点を増やされた面が大きいのかね >>167
解任が決定した時点での勝敗は決して即解任に追い込まれるようなものではない
勝敗以上に問題になった点が内部にもたらされてたんじゃないか この年のセリーグ
Aクラスの3チームがオフに監督を総とっかえ >>154
それで、直接は関係のないテレビ西日本がとばっちりを受けていたね 2003年の阪神って、1985年のバックスクリーン3連発のように
「これこそが優勝の象徴」「優勝できるのではないか」「ターニングポイント」といえる試合が全くないんだよな。
いつの間にか独走していただけで、面白みがあったとも思えない。
1985年は3連発のようにことごとく巨人を粉砕したが、2003年はわりと地味だった。
それは2005年にも言えることなのだが。 03年こそ悉く粉砕された記憶しかないのだが(´・ω・`) by巨人ファン
割とターニングポイントとか言われるだと、
4月開幕直後のドームの試合で、
藤川が打たれて9回に6点差だかを追いつかれたけど、
結局引き分けで逃げ切って、
星野さんが「ナイスゲーム」って言った奴とかちゃう? それよりフルジャンプから11点取られたゲームの方が >>180
中日も巨人も、屈辱の年って印象だが一応Aクラスなんだよな。 >>182
天王山が無かったからな
1985は9月、10月の広島2連戦
2005は9月の中日戦
とシーズン末期に明確なターニングポイントがあったからな >>185
特に中日は、途中で監督休養を挟んだからね 1985年の阪神のバックスクリーン3連発に相当するのは、89年近鉄のブライアント4連発や98年横浜の13-12、05年阪神の中村豊ナゴド決勝弾だが
2003年阪神でいえば、4月26日広島戦(甲子園)の8回裏6点差逆転だろうか。
あるいは6月21日の東京ドームで8回に10点を奪った試合かな。 東京ドームで10得点と11得点を挙げた試合は中継見ていて衝撃的だった
85年のような社会現象ぶりと松井がいなくなった巨人の崩れ方の両方の点で 阪神は実は8・9月合わせると借金5
これは2008年の8・9月より悪いが
この年はVやねんを狙ってみようという気力は他のセ球団にはなかったか 阪神への移籍1年目の金本はこの年は3番を打ってた
4番以外を打たせるなら比較的慣れてる5番の方がと思ったがどういう意図があったんだろうか 夏以降は
ムーア、伊良部不調、福原、藪故障で
まともな先発投手井川以外いなかったからな
安藤、ジェフが健在だったから五割でもったけど Vやねんは後半巨人が異常なペースで勝ち続けた結果でもあるし この年の阪神は独走優勝を果たしたのだが、優勝を明確に意識できたのはいつだったんだろうか。
1985年でいえばバックスクリーン3連発こそが優勝の象徴だが。
@3月29日 横浜 〇7−3
横浜スタジアムでは開幕戦はおろか、開幕カード自体一つも勝ったことがない。その鬼門を打破。
A4月13日 巨人 〇7−3
3連戦の初戦では6点差を追いつかれたが、終わってみれば2勝1分。
B4月26日 広島 〇13−10
6点リードされた8回裏に9点の大逆転。結果的にこの日以降一度も首位を譲らず
C5月10日 横浜 〇11−2
平成の3連発で圧勝。
D5月31日 巨人 〇13−5
2点を追う9回表、怒涛の11点で逆転。翌日のデイリースポーツの見出しが
「うん、優勝できる。今年は優勝できるぞ!」
E6月21日 巨人 〇16−5
4−4で迎えた8回表、10点の猛攻。
F6月29日 横浜 〇6−2
横浜戦16連勝。6月中の50勝到達は史上初
G7月2日 中日 〇14−3
桧山サイクル安打で圧勝。その6日後にはマジック点灯 18年も優勝してなかった訳だし、
92年に優勝間違いなしと思ってたら、
V逸しちゃってるから、
少なくとも前半戦ってことはないんじゃないかなぁ
8月にペースが急落したときは、多少焦ったと思う
とすると高校野球が終わって甲子園に戻ってきたとき
(巨人戦で金本が桑田からHRだかタイムリーだか打って勝った
みたいな展開だった気がする)とかかもね。 >>195
8月27日(6−4 勝 伊良部 敗 桑田)だな。
その頃は、もう少しずつマジックが減っていくだけでほとんど危機的でもなかったのでは?
むしろ長期ロード中の東京ドームで井川完投勝利、18年ぶりの巨人戦勝ち越しを決めた時点で
もう後はじっくり待つのみ、だった気がする。 連続首位打者小笠原の話題は0か
いい成績だけどイチローや白ローズのが打率高かったし
翌年打率が2厘低いだけの三冠王が誕生するから全く歴史に名が残らなかったなあ 生涯打率もすごいし首位打者もとってんだけど、なんか小笠原は地味なんだよね
華が無い 連続首位打者とった小笠原より、2003年は古田の1試合4発のほうが強烈に残ってる 8月のロード 4勝11敗でも2位に12ゲーム差だったので問題なかったけど金本の
ホームランと翌日の広沢アリアスの連発ホームランで完全にVモードになった。
4月17勝9敗 5,6,7月 3か月連続貯金10は今思い出しても夢のような
シーズンだったな。 >>197
そしてその松中の三冠王を確定させたのは小笠原だったという
(オリックスとのシーズン最終戦にて彼の併殺打によって
本塁打で松中と並んでいたセギノールの最終打席が消滅した) 要するに9回表の最終打者が小笠原だけど
裏に追いつかれて延長に入ったらセギノールに廻る可能性があるんじゃね
だから「確定」とはちょっと違うと思う いつかカブレラが三冠王を獲るんじゃないかと思っていたが… 巨人としては、阪神とのシーズン初対決で初戦6点差を追いつくという
ミラクルをやってのけたが、何故それが優勝へと結びつかなかったのか?
というと、「結局その3連戦1分2敗」「元木、仁志の離脱」「3戦24失点」と
終わってみれば暗の要素しか残らなかったから、だろうか。
この3連戦の2・3戦目、5月末・6月21日の東京ドームでのイニング2桁失点、
7月の甲子園での2試合連続14失点といい、終わってみれば初戦での奇跡を何倍にもして返されたというべきか。 >>205
あれで虚カスが勝ってたら
阪神側に巨人相手のコンプレックスみたいなのが出来たのかもしれないけど
負けなかったからな
星野も負けなかったことを評価してたし 巨人はケガ人多すぎて
ファームで野手が足りなくなり
スタメンが組めなくなる可能性もあった >>206
引き分けで終わったことで、阪神としては救われた感があるよね 星野阪神優勝の年
阪神人気は社会現象に
星野さんは選手・監督で歴史的な優勝が多い
中日ファンだけど星野さんの凄さを見せつけられた 夏場のスタメン
1 (二) 今岡 0 0 0 0 .377 11
2 (中) 赤星 0 0 0 0 .336 0
3 (左) 金本 0 0 0 0 .279 12
4 (右) 桧山 0 0 0 0 .269 12
5 (一) アリアス 0 0 0 0 .273 22
6 (三) 片岡 0 0 0 0 .311 9
7 (捕) 矢野 0 0 0 0 .345 11
8 (遊) 藤本 0 0 0 0 .305 0
9 (投) 久保田 0 0 0 0 .000 0
今岡の打率が異常すぎる >>210
全体的に夏場からジワジワと調子落としてったのが惜しいね
ダイエー打線は夏場以降、特に凄かったから、
そのピークの差がシリーズにも影響した気がする。
阪神かダイエーか、ある程度シーズン半ばすぎた時期で、
チーム打率3割超えてた時期ってあったのかな
うろ覚えだが、秋ごろにダイエーは超えてた様な記憶があるが。 誰がこんなに打率を上げたんだろう
投手出身の星野の指導や政治力では片付けられない上がりぶり
まさか当時は無能と揶揄されたコーチが?
(最近は島野佐藤達川に関してはそこまで無能に見られなくなったが。) 8月10日のダイエースタメン
8 村松 .324 6本
6 川崎 .299 1本
4 井口 .344 19本
3 松中 .315 18本
2 城島 .338 23本
7 バルテ .305 17本
D ズレタ .313 9本
9 柴原 .337 3本
6 鳥越 .242 0本
チーム .303 103本 >>211
日本シリーズにしてもヤニキのバカ当たりがなければ
正直1勝できたかどうかという感じだった 批判はあるだろうが井川を1、4、7で使わないと勝てなかったシリーズだな 個人的には本当の日本シリーズをやった最後の年だと思ってる
やっぱCSは冷める 阪神は7/27中日戦まで.300キープ
一方のダイエーは7月下旬〜8月上旬のオリックス戦で15点、26点、29点と
ぼっこぼこにして一気に打率を上げ29-1で大勝した翌々日の8/3オリックス戦で
チーム打率.300到達
その後一旦3割を割るが9/13,14のオリックス戦でまたまた13点、20点とぼっこぼこにして
また3割復帰するも翌9/15近鉄戦4安打で3割を割ると以後復活ならず
試合数にすると
阪神89/140試合目
ダイエー125/140試合目
までチーム打率3割を維持していた >>219
ただし、優勝チームが出ても去年のようなザマだとね… 最近の大きな芸能ニュースから
日本シリーズ第4戦の
金本アニキのサヨナラホームランを
演奏した奴っている? >>219
去年の讀賣のようなチームが出てもいいのかw 去年は理不尽な大量隔離とかやられたんじゃ
ドコモまともなシーズン戦えてないからな
去年も今年も失われたシーズンだよ
優勝してもサイコロ転がして勝ったようなもんだし >>225
去年はともかく、今年はいいシーズンだよ
ヤクルト・オリックスが共に前年最下位からリーグ優勝だから この年は中嶋(現:オリックス監督)が現役生活中
唯一セリーグのチーム(横浜)に在籍した年
しかし、そこで奥さんをゲットするんだから、人生
何がどう転ぶか分からんw >>228
中嶋監督はどんな経験も無駄にしない人なのだなw この年って、ロッテ渡辺俊介が終盤に物凄い追い込みで規定投球回に達したよね?
少なくとも9月中旬ごろまでは、どう考えても届くわけないと思ってた。 スタメンで2番目に打率の低い川アでさえ、.299だからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています