「意地の本塁打王」

巨人・松井秀喜が初めてMVPを獲得した96年は、38本塁打を放ちながら本塁打王のタイトルを逃した。4年目での大チャンスを逸した形だったが、
その松井と競って本塁打王となった中日・山崎武司は苦節10年目の打者だった。
チームが早々に優勝戦線から脱落して2度の監督交代があった前年の中日で、代わって監督を務めてきた徳武定之と島野育夫が若手への切り換え
を推し進めていたのが、山崎には幸いした。95年は66試合で16本塁打、足固めは出来ていた。

3年ぶりの開幕先発を勝ち取った96年は、快調なスタートを切った。山崎はこれまで主にオープン戦でしか結果を出せないという意味で「春男」と
いわれたが、この年は4月から打率.333の7本塁打と“本来の春”でも結果を出せた。しかし5月は2本塁打、打率.281で打点も6と若干苦しみ
先発を外れた事も6試合あったが、6月には一気に13本塁打を放った上に9試合連続打点も記録して月間MVPを獲得した。その後も7月6本、8月も
6本、9月以降も5本と積み重ねて39本塁打での初タイトルだった。
全球団から3割以上を打っての3割打者に107打点と他部門でも申し分ない成績を叩き出した山崎だが、四番を打ったのは4試合のみ、3年連続
首位打者アロンゾ・パウエルがいた事もあったが、山崎自身四番へのこだわりが無いのも事実だった。実際に「何番がいいかと聞かれたら六番を選び
ます。点を取るチャンスも多く回ってくる」と意に介していないが、重圧のかかるポジションが苦手なのか四番での成績は決して良くなかった。96年は
四番での本塁打はゼロで、95年も12試合で打率.146だった。

打順への執着は無かったが、キングを争った松井への対抗心は隠さなかった。物議を呼んだのが、山崎1本リードで迎えた巨人との最終戦での味方
バッテリーによる松井への4連続四球、それが効いて単独キングに輝いた。過去にもあった“四球合戦”の絡んだタイトル争いでは、当事者にも周囲
にも複雑な思いを残してきた。しかし山崎の心境は少し違ったもので、「周りに何と言われようと構わない、松井とタイトルを分け合いたくなかった。
マスコミの“松井有利”の評価も見返したかった」と厳しい口調で話していた。おそらく同点キングでも知名度で上回る松井しかイメージが残らないのを
危惧しての発言だったが、その言葉からは巨人への対抗心に加えこれまで10年間苦労してきたという意地からくる山崎の抵抗を見た気がした。 
(了)