1996年のプロ野球
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言わずと知れた「メークドラマ」
ホークスの日生球場での生卵事件
ノーノーが2度(中日野口と西武渡辺久)
ナゴヤ球場と藤井寺球場に別れ
清原FA >>439
阪急には森本・長池・加藤・福本等がいて広島には野村・緒方・前田・江豚・ヤニキがいたので相対的に代打専門に対する期待値が低かったかから・・・。 >>437
マスコミ向けに三味線弾いといて、
自軍のミーティングでは「広島はその内、落ちるぞ」
とか言っていたりしないのかな
そういうことやるのは森かw この年の鳥越は上位打線を打ってたからなー
翌年以降は・・・ この年、星野が露骨なジャンパイアで負けて
試合終了後に審判に、「公平にやれ!」って掴みかかったのっていつの試合だっけ? 9月20日。後藤のサヨナラ犠牲フライでついに巨人が単独首位になり、このまま逃げ切った。
この時審判を蹴ったらしく、出場停止も有り得た。
その3年後の8月のナゴヤドームで巨人は9回槙原で逆転サヨナラ負けしたが、あの松井がセンターから見ていて音の同点
押し出しを「絶対ストライク」と怒ってたほど。まあこの手の話は枚挙にいとまない。 >>443
ありがとう。この試合か。↓
http://2689web.com/1996/GD/GD23.html
終盤に逆転したのに9回に追いつかれて
延長でサヨナラ負けって、一番堪える負け方だな。
それにしても、巨人も中日も出場選手が超豪華だ。
阪神に移籍する前の矢野も出てる。しかもかなりの好成績。 神野という選手の生涯最初で最後の3連発
ラジオで聴いたがしびれた
広島は阪神に案外勝てなかったのが痛かった
泥沼チーム時代に >>445
この頃を境に広島は弱小球団とS50年以前の様な
言われ方をされる様になったけど、
今はリーグ最強球団だなや。
去年はもしやまぐれかとも思ったけど、
戦力をよく見ればそれぞれの線が太くてしっかりしておるわぃ CSがあれば今年みたいに
広島が独走優勝だったと思うわ 守護神佐々岡、巨人に痛恨の3敗
5月の広島市民、延長13回元木に決勝ソロ
8月の広島市民、延長10回福王に決勝ソロ
9月の東京ドーム、延長10回マックにサヨナラ2塁打 守護神が特定チームを苦手としてりゃ
優勝など夢のまた夢だよね… カミネロがいきなり広島相手に燃え上がった巨人みたいなもんか この年もO157が流行ったな
楽天「誰かOH89を投与してこい、ってうつったのは我々か?」 この辺りまでは横浜はなぜか1位2位のチームには絶対殺すマン的な感じだったよね
先発は殆ど表ローテで行ってたし
しかしそれでもカモにするほどまでは行かず逆にそこで無理してしまって
暗黒の阪神には相性が悪かったイメージ この年は抑えは佐々木固定?
河本 成本はダブルストッパーかな?
イニング数で見ると最後のストッパーは97年の赤堀かな? 以後はクローザーとなる。 まだバットを寝かせる構えが水平気味だったタフィがベストナインを獲れなかったのは遺憾 96年の新幹線開通は何月ですか?
シーズン移動には差し支えなかったのかな? 近鉄は1974〜1996年のあのユニフォーム最後の年
タフィローズも1年だけ着てたんだな >>454
野村時代の広島とは正反対だったな
巨人には勝てなくてもいいからDeヤクに固め勝ちすると J1だとすでに降格が決まったチームが残留争いしてる資金力のあるチームに勝って道連れにしたり
J2だとすでにJ1昇格の可能性がなくなったチームが自動昇格が微妙な資金力のあるチームを撃破して道連れにする
この頃のベイスはまさにそんな感じのチームだった
昇降格のあるJでそれしたらまさにアホだが野球ならそうやっても問題ない 赤堀は速球とスライダーとシュートを自由自在にコントロールしてた
本当にすごかったなあ >>461
サッカーの場合はそうやった結果が自分で自分の首を絞める格好になるのよね
道連れにされてJ1昇格を逃した金満チームはオフには大型補強して翌年そいつに昇格枠を埋められてしまうわけでね
まさに無駄な努力
千葉とか岡山はまだ後半戦名古屋と対戦してないが当時のベイスターズみたいに悪あがきはしない方がいい ワケは違うけど、そう思うと星野仙一は空気を読めてたね
中日は早々とBクラスが決まり読売ヤクで優勝争いしてた2001年だが
読売を極度に嫌う星野は読売の優勝を阻止するために9月後半のヤク戦では
まだファームでも結果を残せてない朝倉を送り込んだりと省エネモードで4タテをプレゼントする 2001年ナゴド最終試合(対ベイスターズ戦)での監督退任コメントが
「横浜ファンの皆さんも残ってくれてありがとう!来年は中日横浜でジャイアンツを倒しましょう!!」
だったからな 自分の立ち位置理解して良いコメントしてるわ 広島投手陣の成績見たら
優勝争いしてたチームとは思えないな
前半戦はまともだったけど後半戦で投壊した感じか >>449
その代わり、CSで讀賣にボロ負けしそう >>463
最近のJ2では既に昇格PO進出も消滅した岡山は名古屋の犬になってたが
先週快勝した千葉は大型連勝中でPO気運が高まってたから可能性がある限り
どんな相手でも力を抜くことはないのは当たり前
2001年のセだって、仮に当時CSがあって中日もCS狙える状況にいたら
あのときのヤクルト戦もガチモードだったろう 江藤と野村が離脱しちゃったしな。
オフに澤崎と黒田を逆指名したら、中堅クラスを何人もクビにしてた。その程度の投手しかいなかった、と言うべきか。
紀藤が札幌で巨人にボコボコにされて立ち直れなかったのも痛かった。その前の先発は呉で横浜を完封してハーラートップだったのにね。 >>474
その金子も、当時プロ3年目だったからね 仁志も金子も常総学院。
ほぼ1年レギュラーだった清水隆行は特別賞貰ったのかな。
8月末のナゴヤ球場で延長かなり進んで清水が決勝2塁打。これは急造センター鳥越の拙守っぽかったが。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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MWR6S オリックスが日本一になったが、
パ球団で西武以外のチームが日本一に
なるのは1977年の阪急(現オリックス)
以来19年ぶりだったりする。 >>367
病原性敗北菌 OH-89
こんなのほんとあったのか‥?とんでもないけどなんか笑ってしまった 「意地の本塁打王」
巨人・松井秀喜が初めてMVPを獲得した96年は、38本塁打を放ちながら本塁打王のタイトルを逃した。4年目での大チャンスを逸した形だったが、
その松井と競って本塁打王となった中日・山崎武司は苦節10年目の打者だった。
チームが早々に優勝戦線から脱落して2度の監督交代があった前年の中日で、代わって監督を務めてきた徳武定之と島野育夫が若手への切り換え
を推し進めていたのが、山崎には幸いした。95年は66試合で16本塁打、足固めは出来ていた。
3年ぶりの開幕先発を勝ち取った96年は、快調なスタートを切った。山崎はこれまで主にオープン戦でしか結果を出せないという意味で「春男」と
いわれたが、この年は4月から打率.333の7本塁打と“本来の春”でも結果を出せた。しかし5月は2本塁打、打率.281で打点も6と若干苦しみ
先発を外れた事も6試合あったが、6月には一気に13本塁打を放った上に9試合連続打点も記録して月間MVPを獲得した。その後も7月6本、8月も
6本、9月以降も5本と積み重ねて39本塁打での初タイトルだった。
全球団から3割以上を打っての3割打者に107打点と他部門でも申し分ない成績を叩き出した山崎だが、四番を打ったのは4試合のみ、3年連続
首位打者アロンゾ・パウエルがいた事もあったが、山崎自身四番へのこだわりが無いのも事実だった。実際に「何番がいいかと聞かれたら六番を選び
ます。点を取るチャンスも多く回ってくる」と意に介していないが、重圧のかかるポジションが苦手なのか四番での成績は決して良くなかった。96年は
四番での本塁打はゼロで、95年も12試合で打率.146だった。
打順への執着は無かったが、キングを争った松井への対抗心は隠さなかった。物議を呼んだのが、山崎1本リードで迎えた巨人との最終戦での味方
バッテリーによる松井への4連続四球、それが効いて単独キングに輝いた。過去にもあった“四球合戦”の絡んだタイトル争いでは、当事者にも周囲
にも複雑な思いを残してきた。しかし山崎の心境は少し違ったもので、「周りに何と言われようと構わない、松井とタイトルを分け合いたくなかった。
マスコミの“松井有利”の評価も見返したかった」と厳しい口調で話していた。おそらく同点キングでも知名度で上回る松井しかイメージが残らないのを
危惧しての発言だったが、その言葉からは巨人への対抗心に加えこれまで10年間苦労してきたという意地からくる山崎の抵抗を見た気がした。
(了) >>485
あとは「敵はアトランタと本能寺にあり」という
迷言が出たのも、この年だったな ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
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2014年は惜しかったんだけど・・・。 ソフトバンクがムダに頑張ってしまったせいで、優勝を逃す… CSファイナルステージ進出が一度もないのはオリックスだけ ソフトバンクは西武やオリックスや楽天をうっちゃって優勝した事があるが
いずれも負けていた方がプロ野球は盛り上がったろうな >>494
2010年・2014年はそうだけど、2017年は別に惜しいところまではいってないだろ。 >>484
コラムさんの文章相変わらず上手いね…
コミケでしゅっぱんしたらどーよ? >>455
抑えが豊作の時期だな ここに豪速球の平井も居た
プレミア12の様な大会があってもまず打たれることはないだろうな
世相がよく分からないけどオウム事件はもう解決してたのかな 藤田籠城がこの年かな
曲はglobeなどで90年代前半のTM NETWORKの頃が夏だとするとかなり寒い晩秋と言う
様な時代だった >>497-498
クレーマーと化した自分自身に酔っているのか >>500
批判されたらすぐ反応してファビョるんだよなこいつw
自分が書いた駄文への反応が欲しくてスレに張り付いてんだろうな >>494
>>495
ソフトバンクが勝っても喜ばれないのは、そういうところもあるんだろうな I see
susucoin:svlqwn5pxiecbenyv71ddgrdwbhvhay5mi >>499の3行目
首謀者たる麻原彰晃ほかオウム幹部の大半が前年までに逮捕され、
麻原を含む死刑囚13名は先月、2回にわたって死刑執行された オリックスが次に日本シリーズに出るのはいつになるのか 2014年はあと一歩だったんだけどね
ソフトバンクが余計なことをしてくれたせいで… 最近では、若い世代や子供でも、イチローがオリックスに在籍していた記録を知らない人が大半だそうだ。
今の若い世代でも、イチローは日本に居た頃は、巨人、阪神、西武、ソフトバンクに在籍したと言う若い世代が目立ち、
オリックスと答えられない若い世代が少なくない。
北海道日本ハムファイターズから大リーグに渡った大谷も、いずれにせよ、大リーグ生活が「長く、永く」なれば、
日ハムに居た記憶は忘れ去られるであろう。
楽天からヤンキースに行った田中も、最近では、楽天に居たと答える人も少なくなったとも言う。
楽天からヤンキースに行った田中は、駒大苫小牧の記憶は、多くの人にまだ残っているようだが、
楽天時代の田中の記憶は、少なからず、人々の記憶そのものから忘れられ始めているのも確かである。
いずれ、大谷も、田中も、アメリカ大リーグ時代が長くなれば、日本プロ野球時代で、どの球団に居たのかと?言われたら、
イチローのようになるのかも知れない。
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.())二二二|、.|_ン´ ./ .| 広島カープwwwに居た記録は忘れられるのかも知れない。
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| i , 「改革の嵐」
82年の日本一以来、常勝球団となった西武が最も苦しんだシーズンだった。96年の西武は一度も首位争いに絡めず、80年以来16年ぶりに勝率が
5割を切った。成績が偶然にも80年と同じ62勝64敗だったが、16年前との違いは96年が一度も5割に達さなかった事だった。
開幕の近鉄2連戦に連続完封負けという前途多難のスタート、4月20日まで平均得点2.52で4勝13敗、好発進の首位近鉄と7.5ゲームの差が
ついて早くも2年ぶりの覇権奪回とは言えない状況になった。5月は5戦5勝で月間MVPを受賞した西口文也の活躍もあって勝ち越す事が出来たが、
5割挑戦には3度失敗した。特に19日の近鉄戦で潮崎哲也がタフィ・ローズにサヨナラ満塁弾を浴びた試合と、あと一本が出ずに0−1と零封された
26日のロッテ戦は実に勿体無かった。抑え役の潮崎は救援失敗が多く6月頭までに4敗で防御率6点台と振るわず、先発陣でも郭泰源、石井丈裕の
主力に横田久則、石井貴という柱として期待した投手が全く勝てずベンチの計算は狂った。
6月から3か月連続負け越しをした西武に黄金期の面影は無くなっていたが、低迷の原因は明らかに打線の方だった。わずか2年の間に秋山幸二、
石毛宏典、平野謙、辻発彦の主力がごっそり抜けて、監督の東尾修が「少しずつ選手を作り始めた」ところだった。鈴木健、垣内哲也らの頑張りで
チームで本塁打2位、打率3位でありながら佐々木誠、田辺徳雄、ダリン・ジャクソンらの不振と、確実性の高い中距離打者という高い前評判だった
新外国人スコット・クーパーの粗い打撃もあって得点圏打率リーグ最下位、得点もリーグ最少に終わった。
最大借金は8月末時点での12、9月1日まで単独最下位の苦しいシーズンだったが、東尾が若手中心の登用を行った後半戦は29勝21敗で9月
以降なら15勝5敗だった。野手では新人の大友進と高木大成に3年目の松井稼頭央を絡めた新打線を組み、投手では7月以降先発に入り5勝した
豊田清と救援一本となった石井貴を積極的に使った。2年目西口が16勝で最多勝次点、前半不振の潮崎も後半は5勝負けなし5Sで、通年で奮闘
していた鹿取義隆と橋本武広の負担を軽くした。
最終の3位近鉄との2連戦に連勝して滑り込みでAクラスに入った96年は、翌年への土台作りに向けた新旧交代のシーズンだったが、若い松井が
「ベテランと若手、みんなの力が一つになればいける。後半はメチャクチャ強かった」と言えば、中堅の潮崎は「あまりにも選手を入れ替え過ぎた。
まだまだ一軍で投げられる投手がどんどん二軍へ落ちていった」と形容した。46歳とリーグ最年少の青年監督東尾も、チームを変えようと必死
だった。10月頭には堤義明オーナーが2年後の本拠地ドーム化計画を発表、他球団に遅れまいと言わんばかりに改革の嵐は吹き荒れていた。
(了) >>496
そしてそれは、今年の戦いぶりで不動のものとなったw 余計なこと、悪役、今年もそうだなw
もっと上手く自演しろ >>173
ホントに凄い勢いだった
50試合消化で20本くらいだっけ?
その後、謎のスランプだったよな
とにかくスランプに入ると長い
選手だった この年の沢村賞は、斎藤で妥当だったのかな?
西口は6項目(防御率のみ未達)、斎藤は5項目(投球回・完投数未達)なのだが。
斎藤 防2.36 16勝4敗 .800 187回0/3 158奪三振 8完投 *最多勝、最優秀防御率、最高勝率
ガルベス 防3.05 16勝6敗 .727 203回2/3 112奪三振 12完投 *最多勝
西口 防3.17 16勝10敗 615 210回1/3 173奪三振 13完投 >>518
結局、あのビジター用ユニフォームを着たのは
この年限りだったな ┌○┐へヘー'、
│檻│=)人y.〉〉
│ │゚∀´*レ(
│報│ //
└○┘ (⌒)
し⌒   >>515
むかし江本が王さんに対してだけど、
一本足というデリケートな打法は調子が狂うと
修正するのが大変、みたいなことを言ってたような。
オーソドックスな打法に見える秋山もスランプが長くなるクチだったね。
長打力あるけど打率残せないタイプのあるあるなんだろうか。
こういうタイプはあるとき活躍するけど長続きしない人が
ちょいちょいいるかも。
ハム西浦、西武垣内、ベイ吉村 など 巨人、23年ぶりの名古屋胴上げならず
名古屋での優勝決定は70、94、96(ナゴヤ球場最終戦)年の3回。 >>517
その代わり、タイトルを3つ獲得しているからね 「大切な家族」
残り15試合、大事な首位攻防2連戦の初戦が行われる9月10日の試合前の事だった。日本ハムが上田利治監督の休養を発表、あまりに
突然だった。球界における監督の「休養」とは、従来なら成績不振の責任を取る形か健康問題、もしくはフロントとの衝突といった所だ。
日本ハム球団の発表は「家族のプライバシーに関わる問題の心労で体調を崩した」というものだったが、前兆が無かっただけに記者の間で
憶測が飛び交った。何しろ首位オリックスとのゲーム差は4.5ではあったが、先の2連戦を含めオリックスとの直接対決がまだ7試合も
残っていた。
上田体制2年目の96年は、開幕から好調で4月の7連勝もあってGWの後半から首位を快走、3連敗以上が7月中旬の一度だけ、貯金18
で34年ぶりに首位で折り返した。投手力が高くエース西崎幸広が開幕7連勝を含む12勝2敗、4年目の今関勝が早くも初の2ケタに達する
10勝、そして9勝のキップ・グロスを加えた3枚を中心とした先発陣が充実して、救援陣でも中抑えの地位を確立した島崎毅が活躍を見せて
抑え・金石昭人の1勝17Sに繋げた。前半戦の島崎登板試合は34試合で28勝4敗2分けの高勝率だったが、前年オフには内臓疾患で
フロントの契約リストから一度は外されていた投手の抜擢は上田会心の采配だった。
しかし後半戦に入ると15年ぶりVの重圧を感じたのか、好調の投手陣が軒並み不調に陥り西崎が2勝(5敗)、今関が1勝(5敗)しか上積み
出来ず、島崎も金石の離脱で負担が増し調子を落とした。グロスは孤軍奮闘で後半も8勝を挙げて2年連続最多勝にはなったが、防御率は
前半の2点台から大きく落とし5点台だった。
前半戦本塁打と打点のリーグ二冠王だったバーナード・ブリトーも打率.229の7本塁打と貧打を象徴、8月に初の月間負け越しを許して
月末にオリックス二首位を奪われると、再び首位を奪い返す事は無かった。
休養発表の9月10日は西崎がD・Jの一発に沈み惜敗、オリックスにマジック9が点灯した。翌11日に上田は会見で「家族を止められなか
った者がチームを率いる事は出来ない」と信仰問題を語ったが、週刊誌に載ると分かり思い詰めた上田の行動と言えた。それでも、
10月3日になると「伸び盛りのチーム、選手にも愛着がある」と翻意、何事もなかったように翌年監督に復帰した。確かに誰にとっても
家族はかけがえのない大切な存在である事は言うまでもない、だが選手やコーチたちにも大切な家族がいて生活が懸かっていた事に
までは理論派で情熱家の上田も気を回せなかった。 (了) >>525
阪急の時は病気で休養しても経験豊富な選手たちがカバーしたけど
勝ったことの無い日ハムの選手たちはそうはいかないよな >>525
コラムさん乙
監督の人間関係トラブルという点では
1996年日ハムはある意味2008年阪神と
イメージ被る… >>523
どちらも内野手(仁志と金子誠)だった
ちなみに、次に新人王がどちらも野手というパターンは、2017年になる 平成以降で、ある条件が該当する年
セ 1989 92 96 2001 06 10 16 17
パ 1997 2017 【野球】ナゴヤでガルベス大乱闘「初球気をつけろ」その通りに…96年5月1日 巨人カメラマン生涯最高の一枚 [砂漠のマスカレード★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1592262996/ しかしガルベスは巨人にしては最高クラスの当たりピッチャーだったなぁ ガルベスは5年先発で使って50勝未満
それでも最高クラスの外国人だよね 正直ガルベスはピッチングの内容より
打撃のとんでもないパワーや乱闘の方が印象に残ってる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています