1996年のプロ野球
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
言わずと知れた「メークドラマ」
ホークスの日生球場での生卵事件
ノーノーが2度(中日野口と西武渡辺久)
ナゴヤ球場と藤井寺球場に別れ
清原FA ワーイ!ワーイ!ワーイ!キャハハ!キャハハ!キャハハ!
、v_
, '´`´ `ヽ
−=≡ ∩q!=ノ=ノ)))∩
−=≡ ヽヽj、`∀´ノ/
−=≡ ノヽ(_'゚`_)
−=≡ ((.とノ'Tjゝう
−=≡ し し' 広島はこの年の憑き物が長年の暗黒だったのかも
やっと去年取れたと 生卵事件ってこの年か
この頃のダイエーって悲惨なイメージしかなかったな >>416
当時の大リーグロッキーズと雰囲気似てると思ってた この年の巨人・オリックス連合軍なら現代でも通用するでしょ? 9イチロー
5仁志
7松井
D落合
3ニール
8マック
4大島
2村田真
6川相
P斎藤雅 広島は、突然何で急に弱くなって
巨人は急に強くなったのか。
イマイチ漠然としてる。 広島の層の薄さじゃないの
いわゆるビッグレッドマシン
緒方正田野村江藤前田ロペス金本西山+左右の代打兼控え浅井町田
ここまでは一級。これ以外は二流選手。時折けが人は出ていたものの
最終的に江藤と浅井が今季絶望で力尽きた。
投手陣も全般的に後半ボロボロ(特に紀藤と山崎健) せめて江藤が最後まで入ればな
01年の投手ボロボロの近鉄だってローズかノリの片方が9月にいなかったら
ダイエーか西武に優勝もっていかれてただろうし 巨人に関して言えば粘り強く投手陣を整備し続けた成果じゃないかな
開幕直後の抑え不在に関しては急遽獲得したマリオがズバッとハマったし、
8月にはそれまで使い物にならなかった投手がごそっと出てきて好救援を繰り返して、
接戦をことごとくモノにしていた印象。
長嶋監督というよりもブルペンを整備した投手コーチのお手柄のような気がする。 松井が本格的にHR打者として覚醒したのも大きいかと 後半戦の巨人は、試合終盤に異常なほどに強かった。
相手に先制されても、怯まずに食らいついて
7〜8回に追いつき、9回や延長で勝ち越しやサヨナラ。
見ていて本当にすごかったよ。 >>422
タイガース代打の切り札は神様と言われるが、浅井と町田という球史に残る代打が同時代に居たのはあまり言及されないよね。 >>426
その代わり、勝ち運を前倒しで使ってしまったせいか(?)、
日本シリーズに惨敗し、翌年はBクラスへ転落w 96、08年巨人、98年西武、11年中日
大逆転優勝したチームは
日本シリーズは大抵負けるイメージだったんだが
去年のハムは勝ったな 去年の広島は90年の巨人と同じで
あまりに速く優勝を決めたのが仇になった印象 >>428
ファンだが、日シリV逸は予想してた
翌年は優勝するかなと思ってたw >>431
それで大補強したんだろうけど、ことごとく裏目にw 清原ヒルマンルイスと共に石井も失敗補強の一人だけど
この年は前年に続いて手首を痛めて結局たった7打席しか出てないんだよね
一体なんでそんな選手に清原以上の期待を寄せていたマスコミがいたのか・・・ >>434
石井打点王経験あり
清原タイトルなし
だから >>427
あれ阪神巨人にいたら凄い扱いだったと思うよ。
町田 472起用 397−90 20HR .227
浅井 582起用 489−154 8HR .315
八木 463起用 400−94 13HR .235
桧山 757起用 661−158 14HR .239
高井 526起用 457−114 27HR .249 最多HR
宮川 727起用 599−176 6HR .294 最多H ヤクルト野村監督が広島と7.5ゲーム差の3位の時に
「ウチの貯金5なんてすぐなくなるけど広島は貯金20あるから簡単になくならない…」
みたいな事をボヤいてた。
三味線か本心の嘆きか知らんが、
仮にも指揮官がそれ言っちゃチームの士気に響くわ。
ハッタリでいいから「まだウチにもチャンスはある」
ぐらい言えんのかと思った。
で、その頃ヤクルトより下にいた巨人が(以下割愛) >>439
阪急には森本・長池・加藤・福本等がいて広島には野村・緒方・前田・江豚・ヤニキがいたので相対的に代打専門に対する期待値が低かったかから・・・。 >>437
マスコミ向けに三味線弾いといて、
自軍のミーティングでは「広島はその内、落ちるぞ」
とか言っていたりしないのかな
そういうことやるのは森かw この年の鳥越は上位打線を打ってたからなー
翌年以降は・・・ この年、星野が露骨なジャンパイアで負けて
試合終了後に審判に、「公平にやれ!」って掴みかかったのっていつの試合だっけ? 9月20日。後藤のサヨナラ犠牲フライでついに巨人が単独首位になり、このまま逃げ切った。
この時審判を蹴ったらしく、出場停止も有り得た。
その3年後の8月のナゴヤドームで巨人は9回槙原で逆転サヨナラ負けしたが、あの松井がセンターから見ていて音の同点
押し出しを「絶対ストライク」と怒ってたほど。まあこの手の話は枚挙にいとまない。 >>443
ありがとう。この試合か。↓
http://2689web.com/1996/GD/GD23.html
終盤に逆転したのに9回に追いつかれて
延長でサヨナラ負けって、一番堪える負け方だな。
それにしても、巨人も中日も出場選手が超豪華だ。
阪神に移籍する前の矢野も出てる。しかもかなりの好成績。 神野という選手の生涯最初で最後の3連発
ラジオで聴いたがしびれた
広島は阪神に案外勝てなかったのが痛かった
泥沼チーム時代に >>445
この頃を境に広島は弱小球団とS50年以前の様な
言われ方をされる様になったけど、
今はリーグ最強球団だなや。
去年はもしやまぐれかとも思ったけど、
戦力をよく見ればそれぞれの線が太くてしっかりしておるわぃ CSがあれば今年みたいに
広島が独走優勝だったと思うわ 守護神佐々岡、巨人に痛恨の3敗
5月の広島市民、延長13回元木に決勝ソロ
8月の広島市民、延長10回福王に決勝ソロ
9月の東京ドーム、延長10回マックにサヨナラ2塁打 守護神が特定チームを苦手としてりゃ
優勝など夢のまた夢だよね… カミネロがいきなり広島相手に燃え上がった巨人みたいなもんか この年もO157が流行ったな
楽天「誰かOH89を投与してこい、ってうつったのは我々か?」 この辺りまでは横浜はなぜか1位2位のチームには絶対殺すマン的な感じだったよね
先発は殆ど表ローテで行ってたし
しかしそれでもカモにするほどまでは行かず逆にそこで無理してしまって
暗黒の阪神には相性が悪かったイメージ この年は抑えは佐々木固定?
河本 成本はダブルストッパーかな?
イニング数で見ると最後のストッパーは97年の赤堀かな? 以後はクローザーとなる。 まだバットを寝かせる構えが水平気味だったタフィがベストナインを獲れなかったのは遺憾 96年の新幹線開通は何月ですか?
シーズン移動には差し支えなかったのかな? 近鉄は1974〜1996年のあのユニフォーム最後の年
タフィローズも1年だけ着てたんだな >>454
野村時代の広島とは正反対だったな
巨人には勝てなくてもいいからDeヤクに固め勝ちすると J1だとすでに降格が決まったチームが残留争いしてる資金力のあるチームに勝って道連れにしたり
J2だとすでにJ1昇格の可能性がなくなったチームが自動昇格が微妙な資金力のあるチームを撃破して道連れにする
この頃のベイスはまさにそんな感じのチームだった
昇降格のあるJでそれしたらまさにアホだが野球ならそうやっても問題ない 赤堀は速球とスライダーとシュートを自由自在にコントロールしてた
本当にすごかったなあ >>461
サッカーの場合はそうやった結果が自分で自分の首を絞める格好になるのよね
道連れにされてJ1昇格を逃した金満チームはオフには大型補強して翌年そいつに昇格枠を埋められてしまうわけでね
まさに無駄な努力
千葉とか岡山はまだ後半戦名古屋と対戦してないが当時のベイスターズみたいに悪あがきはしない方がいい ワケは違うけど、そう思うと星野仙一は空気を読めてたね
中日は早々とBクラスが決まり読売ヤクで優勝争いしてた2001年だが
読売を極度に嫌う星野は読売の優勝を阻止するために9月後半のヤク戦では
まだファームでも結果を残せてない朝倉を送り込んだりと省エネモードで4タテをプレゼントする 2001年ナゴド最終試合(対ベイスターズ戦)での監督退任コメントが
「横浜ファンの皆さんも残ってくれてありがとう!来年は中日横浜でジャイアンツを倒しましょう!!」
だったからな 自分の立ち位置理解して良いコメントしてるわ 広島投手陣の成績見たら
優勝争いしてたチームとは思えないな
前半戦はまともだったけど後半戦で投壊した感じか >>449
その代わり、CSで讀賣にボロ負けしそう >>463
最近のJ2では既に昇格PO進出も消滅した岡山は名古屋の犬になってたが
先週快勝した千葉は大型連勝中でPO気運が高まってたから可能性がある限り
どんな相手でも力を抜くことはないのは当たり前
2001年のセだって、仮に当時CSがあって中日もCS狙える状況にいたら
あのときのヤクルト戦もガチモードだったろう 江藤と野村が離脱しちゃったしな。
オフに澤崎と黒田を逆指名したら、中堅クラスを何人もクビにしてた。その程度の投手しかいなかった、と言うべきか。
紀藤が札幌で巨人にボコボコにされて立ち直れなかったのも痛かった。その前の先発は呉で横浜を完封してハーラートップだったのにね。 >>474
その金子も、当時プロ3年目だったからね 仁志も金子も常総学院。
ほぼ1年レギュラーだった清水隆行は特別賞貰ったのかな。
8月末のナゴヤ球場で延長かなり進んで清水が決勝2塁打。これは急造センター鳥越の拙守っぽかったが。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
MWR6S オリックスが日本一になったが、
パ球団で西武以外のチームが日本一に
なるのは1977年の阪急(現オリックス)
以来19年ぶりだったりする。 >>367
病原性敗北菌 OH-89
こんなのほんとあったのか‥?とんでもないけどなんか笑ってしまった 「意地の本塁打王」
巨人・松井秀喜が初めてMVPを獲得した96年は、38本塁打を放ちながら本塁打王のタイトルを逃した。4年目での大チャンスを逸した形だったが、
その松井と競って本塁打王となった中日・山崎武司は苦節10年目の打者だった。
チームが早々に優勝戦線から脱落して2度の監督交代があった前年の中日で、代わって監督を務めてきた徳武定之と島野育夫が若手への切り換え
を推し進めていたのが、山崎には幸いした。95年は66試合で16本塁打、足固めは出来ていた。
3年ぶりの開幕先発を勝ち取った96年は、快調なスタートを切った。山崎はこれまで主にオープン戦でしか結果を出せないという意味で「春男」と
いわれたが、この年は4月から打率.333の7本塁打と“本来の春”でも結果を出せた。しかし5月は2本塁打、打率.281で打点も6と若干苦しみ
先発を外れた事も6試合あったが、6月には一気に13本塁打を放った上に9試合連続打点も記録して月間MVPを獲得した。その後も7月6本、8月も
6本、9月以降も5本と積み重ねて39本塁打での初タイトルだった。
全球団から3割以上を打っての3割打者に107打点と他部門でも申し分ない成績を叩き出した山崎だが、四番を打ったのは4試合のみ、3年連続
首位打者アロンゾ・パウエルがいた事もあったが、山崎自身四番へのこだわりが無いのも事実だった。実際に「何番がいいかと聞かれたら六番を選び
ます。点を取るチャンスも多く回ってくる」と意に介していないが、重圧のかかるポジションが苦手なのか四番での成績は決して良くなかった。96年は
四番での本塁打はゼロで、95年も12試合で打率.146だった。
打順への執着は無かったが、キングを争った松井への対抗心は隠さなかった。物議を呼んだのが、山崎1本リードで迎えた巨人との最終戦での味方
バッテリーによる松井への4連続四球、それが効いて単独キングに輝いた。過去にもあった“四球合戦”の絡んだタイトル争いでは、当事者にも周囲
にも複雑な思いを残してきた。しかし山崎の心境は少し違ったもので、「周りに何と言われようと構わない、松井とタイトルを分け合いたくなかった。
マスコミの“松井有利”の評価も見返したかった」と厳しい口調で話していた。おそらく同点キングでも知名度で上回る松井しかイメージが残らないのを
危惧しての発言だったが、その言葉からは巨人への対抗心に加えこれまで10年間苦労してきたという意地からくる山崎の抵抗を見た気がした。
(了) >>485
あとは「敵はアトランタと本能寺にあり」という
迷言が出たのも、この年だったな ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ 韓国代表が卵を投げられたと聞いて王ダイエーを思い出した >>448
2014年は惜しかったんだけど・・・。 ソフトバンクがムダに頑張ってしまったせいで、優勝を逃す… CSファイナルステージ進出が一度もないのはオリックスだけ ソフトバンクは西武やオリックスや楽天をうっちゃって優勝した事があるが
いずれも負けていた方がプロ野球は盛り上がったろうな >>494
2010年・2014年はそうだけど、2017年は別に惜しいところまではいってないだろ。 >>484
コラムさんの文章相変わらず上手いね…
コミケでしゅっぱんしたらどーよ? >>455
抑えが豊作の時期だな ここに豪速球の平井も居た
プレミア12の様な大会があってもまず打たれることはないだろうな
世相がよく分からないけどオウム事件はもう解決してたのかな 藤田籠城がこの年かな
曲はglobeなどで90年代前半のTM NETWORKの頃が夏だとするとかなり寒い晩秋と言う
様な時代だった >>497-498
クレーマーと化した自分自身に酔っているのか >>500
批判されたらすぐ反応してファビョるんだよなこいつw
自分が書いた駄文への反応が欲しくてスレに張り付いてんだろうな >>494
>>495
ソフトバンクが勝っても喜ばれないのは、そういうところもあるんだろうな I see
susucoin:svlqwn5pxiecbenyv71ddgrdwbhvhay5mi >>499の3行目
首謀者たる麻原彰晃ほかオウム幹部の大半が前年までに逮捕され、
麻原を含む死刑囚13名は先月、2回にわたって死刑執行された オリックスが次に日本シリーズに出るのはいつになるのか 2014年はあと一歩だったんだけどね
ソフトバンクが余計なことをしてくれたせいで… 最近では、若い世代や子供でも、イチローがオリックスに在籍していた記録を知らない人が大半だそうだ。
今の若い世代でも、イチローは日本に居た頃は、巨人、阪神、西武、ソフトバンクに在籍したと言う若い世代が目立ち、
オリックスと答えられない若い世代が少なくない。
北海道日本ハムファイターズから大リーグに渡った大谷も、いずれにせよ、大リーグ生活が「長く、永く」なれば、
日ハムに居た記憶は忘れ去られるであろう。
楽天からヤンキースに行った田中も、最近では、楽天に居たと答える人も少なくなったとも言う。
楽天からヤンキースに行った田中は、駒大苫小牧の記憶は、多くの人にまだ残っているようだが、
楽天時代の田中の記憶は、少なからず、人々の記憶そのものから忘れられ始めているのも確かである。
いずれ、大谷も、田中も、アメリカ大リーグ時代が長くなれば、日本プロ野球時代で、どの球団に居たのかと?言われたら、
イチローのようになるのかも知れない。
( ノ,' ,,-―――――-、
ヽ( .i ,r´ `\
.)ノ | ,.-''" ̄ ̄ ̄ `"''-,, .ヽ
.('´ |./ ', ',
`:, ./- - i .|
.', ./⌒ヽ /⌒ .| |
i .,' _ ` ´ _ | .|
,' |.ノ-・、.〉 , ./-・ヽ |/,⌒i
|  ̄./  ̄ .>ノ.|
.; .', .| -、 .、_ノ
.i ヽr-|`iY⌒´ / ./ .|
'. ト'.|´ |、 ./ / |
.())二二二|、.|_ン´ ./ .| 広島カープwwwに居た記録は忘れられるのかも知れない。
.{` { レ―、 / / .|
.| .| / / ̄|/ ,' |
.ノ .〈 r ' .、/」___,,-''"|
'"´| |ソ .ノ`"''
| i , 「改革の嵐」
82年の日本一以来、常勝球団となった西武が最も苦しんだシーズンだった。96年の西武は一度も首位争いに絡めず、80年以来16年ぶりに勝率が
5割を切った。成績が偶然にも80年と同じ62勝64敗だったが、16年前との違いは96年が一度も5割に達さなかった事だった。
開幕の近鉄2連戦に連続完封負けという前途多難のスタート、4月20日まで平均得点2.52で4勝13敗、好発進の首位近鉄と7.5ゲームの差が
ついて早くも2年ぶりの覇権奪回とは言えない状況になった。5月は5戦5勝で月間MVPを受賞した西口文也の活躍もあって勝ち越す事が出来たが、
5割挑戦には3度失敗した。特に19日の近鉄戦で潮崎哲也がタフィ・ローズにサヨナラ満塁弾を浴びた試合と、あと一本が出ずに0−1と零封された
26日のロッテ戦は実に勿体無かった。抑え役の潮崎は救援失敗が多く6月頭までに4敗で防御率6点台と振るわず、先発陣でも郭泰源、石井丈裕の
主力に横田久則、石井貴という柱として期待した投手が全く勝てずベンチの計算は狂った。
6月から3か月連続負け越しをした西武に黄金期の面影は無くなっていたが、低迷の原因は明らかに打線の方だった。わずか2年の間に秋山幸二、
石毛宏典、平野謙、辻発彦の主力がごっそり抜けて、監督の東尾修が「少しずつ選手を作り始めた」ところだった。鈴木健、垣内哲也らの頑張りで
チームで本塁打2位、打率3位でありながら佐々木誠、田辺徳雄、ダリン・ジャクソンらの不振と、確実性の高い中距離打者という高い前評判だった
新外国人スコット・クーパーの粗い打撃もあって得点圏打率リーグ最下位、得点もリーグ最少に終わった。
最大借金は8月末時点での12、9月1日まで単独最下位の苦しいシーズンだったが、東尾が若手中心の登用を行った後半戦は29勝21敗で9月
以降なら15勝5敗だった。野手では新人の大友進と高木大成に3年目の松井稼頭央を絡めた新打線を組み、投手では7月以降先発に入り5勝した
豊田清と救援一本となった石井貴を積極的に使った。2年目西口が16勝で最多勝次点、前半不振の潮崎も後半は5勝負けなし5Sで、通年で奮闘
していた鹿取義隆と橋本武広の負担を軽くした。
最終の3位近鉄との2連戦に連勝して滑り込みでAクラスに入った96年は、翌年への土台作りに向けた新旧交代のシーズンだったが、若い松井が
「ベテランと若手、みんなの力が一つになればいける。後半はメチャクチャ強かった」と言えば、中堅の潮崎は「あまりにも選手を入れ替え過ぎた。
まだまだ一軍で投げられる投手がどんどん二軍へ落ちていった」と形容した。46歳とリーグ最年少の青年監督東尾も、チームを変えようと必死
だった。10月頭には堤義明オーナーが2年後の本拠地ドーム化計画を発表、他球団に遅れまいと言わんばかりに改革の嵐は吹き荒れていた。
(了) >>496
そしてそれは、今年の戦いぶりで不動のものとなったw 余計なこと、悪役、今年もそうだなw
もっと上手く自演しろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています