1996年のプロ野球
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言わずと知れた「メークドラマ」
ホークスの日生球場での生卵事件
ノーノーが2度(中日野口と西武渡辺久)
ナゴヤ球場と藤井寺球場に別れ
清原FA 音の5番が、何気に渋さを感じた
落合がいた頃以上の破壊力があった この年の日本シリーズが一番盛り上がっていた気がする。
小室聞きながら戦力評価をしていたあの頃が懐かしい。 >>103
音楽業界はこの頃がCD売上も人気もピークだったな。
他にもグレイやラルクやイエモンといった
次世代の新しいバンドが次々と出てきた年だった。
そのCDも2000年を過ぎた頃から急激に売れなくなってきたのと同時に
巨人戦の視聴率も一気に低下した。
だから巨人とCD売上って相関性があるんだよね。 正直、巨人はあの優勝決定試合で、持ち運を全て使い果たした感があるなw 巨人にマントとかいたな確か
セゲヲ監督が「マントは打ちます、活躍しますから」と語っていたがからっきしダメだった
マントじゃなくてトンマだと笑われていたなw >>97
前半戦はフロックの数字で後半戦は正味な実力の数字。 巨人がM1になってから日程空いて、中日が負ければ決定だったけど
5連勝ぐらいしたんじゃなかったっけ まだパソコンやネットが普及してない時代
携帯も持ってる人は少なくポケベル >>105
10.6の頃のデイリー
1スワロウテイルバタフライ yen town band
2田園 玉置浩二
3ビラウド GLAY
4渚 スピッツ
5イエローイエロー ハッピー ポケットビスケッツ 名もなき詩とチェリー
96年はこの二つの曲が聴けただけで十分だった 音楽業界もそうだったけど
スポーツ界でも何かと熱い話題が多かったね。
アトランタオリンピックはその前のバルセロナの時よりも盛り上がったし
女子テニスで伊達とグラフとの死闘やメジャーで野茂のノーノーとか。
大相撲では、貴乃花が鬼のように強かった。
ただ、高校野球やJリーグは人気の底だったな。 安室奈美恵と華原朋美を軸に、川本真琴や相川七瀬らが躍進しつつ、Puffyみたいなwinkやピンクレディと違うデュオや、ポケビみたいな企画もの
テレビがまだ強力で、〜しないと解散するよーで、子どもたちがこぞってCDを買いまくった時代
歌の大辞テンが始まり夜もヒッパレ全盛期
一番華やかだったと思う
今みたいに一曲集中でもないし >>119
貴はしばらくした後から強さに陰りが見え始めてきたな メイクドラマ失敗でMrが
解任された方が良かった。 大黒の熱くなれ。を聴いた
B'zのミエナイチカラ ギリギリ売れていた頃 >>126
その分、日本シリーズでオリックスにしてやられ、
更に翌年にはBクラス転落w 巨人は、落合を「清原の気を引き締めさせる役」として残留させていれば
翌年清原はもっと良い成績を残したんじゃないの? 「敵は己自身」
“それでもまだ残り試合を5割でもいい”と言われたのは、まだ球宴も迎えていない残り60試合での事だった。7月9日、広島は札幌円山球場
での巨人戦で8−10と敗戦。あの「9者連続安打」という当時の新記録を献上した試合、後に「ペナントの流れを変えた」などと言われたが、
広島にとっては中盤以降の追い上げで最大7点のビハインドを2点差に詰めた事や、巨人とはまだ10ゲーム差、2位中日ともまだ7.5差が
開いていた事から見ても特にこれまでと変わらぬ「ただの1敗」であり、どちらかといえば9連勝でストップといった感の強いゲームであった。
広島側がそう思うのも無理はなかった。4月こそ借金1で首位と5差の3位スタートだったが、5月になると10日に40歳・大野豊の初勝利となる
完封が号令となったのか14日の加藤伸一、15日の紀藤真琴も完封。18日はロビンソン・チェコの1安打完封、19日と26日には山崎健が
連続完封と月間6試合もの一人の投手による零封勝ち。打線も月末の横浜9回戦での20得点など平均5.4得点と本来の力を見せ付けて
16勝7敗で首位中日にゲーム差なしと迫った。6月も打線が22試合中で2ケタ安打13試合、2ケタ得点3試合で平均得点が6点を越えて
16勝6敗。投手陣でも不振で中継ぎに回っていた山内泰幸が5勝無敗、抑えの佐々岡真司は防御率0.00で9セーブを挙げ月間MVPを
受賞した。
投打が噛み合って抜け出した広島は、6月23日から7月6日まで9連勝。毎年課題といわれた投手陣も6月終了時でリーグトップの防御率
3.54、前年15勝のチェコを6月末に故障で欠いてはいたが、貯金は20を数える状態でチームは独走。さらには前年マッチレースの競走
相手であるヤクルトも主力投手を次々と欠いて5割前後の戦い。札幌シリーズには結局連敗した広島だったがダメージはそこまで大きくなく、
もはや敵は遠くから追いかける球団より主力の怪我と暑さなどによってバテる事といった己自身といった感じだった。 >>130
無理。清原の入団が確実になった段階で、落合は「巨人でのオレの仕事は終わった」オーラが
ふんだんに出ていたから。 >>132
それに落合は8月末の中日戦で野口から手首に死球を喰らって骨折し、
離脱を余儀なくされたのが響いた。
当時42歳ながら打点王争いに加わっていただけに。
長嶋はあれで見切りをつけたのでは?86年の掛布と似た状況だった 江藤が目に打球を食らったのが広島にとって致命傷。
7月の時点で「三村さんが優勝監督じゃ華が無いよ、長嶋さんとかじゃ
ないとな〜。」とほざいてた高島秀武。
「広島でほぼ決まりなんだけど、ちょっと盛り上がらないね。」って メイクドラマで勝ち運を前倒ししてしまい、日本シリーズ惨敗w >>136
本当にこの年の広島ネガキャンは異常だった
「巨人は勝ちましたが!残念ながら広島も・・・勝ってしまったのでゲーム差は縮まらず」
とか普通に言ってた >>138
それだけに、日本シリーズでの惨敗には「ざまあ見やがれ」という印象があるなw 殺人打線とかいわれたこの年が、鯉球団史上最高なんだろうな。
70〜80年代も良かったらしいが、ディテールが分からん。 打線の破壊力なら78〜80年が上
今の巨人みたいもの
広島は
粘り、長打力、機動力
全てを兼ね備えた打線だった
2番タイプの三村が20ホームラン打って5番に入ったり、5番タイプの衣笠が2番に入ったり
バリエーションも豊富
この頃の広島って、打ってる時は爆発的だが
打たない時とが極端だった この頃の広島の印象って巨人から投手陣を引いたイメージなんだよな…
狭い球場でホームラン打ち込めば勝てるけどそれだけ >>138
「日本国民全員が願ってるON対決」とネガキャンを貼られる中、
99年中日はよく逃げ切ったな。 ガルベスが掘り出し物なのがでかかった
桑田は手術でリハビリ 槙原は不調 K・Kコンビ復活、落合4番、巨人キラー川口の入団とか
なんか申し合せ過ぎというか無理に作らせ過ぎだよな。
江藤が入って33やって3番復活、というのも何か違和感のあるやり方だった。
思えばこの頃から野球人気後退は始まってたんだな。どうにかファンを繋ぎ止めようと、苦肉の策だったんだな。 野球、というか巨人人気だな。パ球団はむしろ歩調を合わせるようにして観客動員を伸ばしている。
松井が柱になり、後年上原や両高橋が入る事を思えば、むしろFA組は手を出さずに他球団に取らせた方が
セは戦力が均衡して人気低下を遅らせられたろう。 長嶋復帰後の一連の行動は、
中高年には受けたんだろうけど、若者の野球離れは加速させたと思う >>30
そのヤクルトの監督をやってたノムは昨年にメークドラマを負けドラマと揶揄したら
翌年に自分が負けドラマになったンゴとか…
ノムのヤクルトも94年以降は覇者か犬かの成績だし
阪神では最後まで犬で終わった 日本ハムとオリックスのデッドヒートだったのが
上田監督の謎の休養でハムが失速。
でも次の年も、何もなかったかのように監督復帰。 日本ハムとしたら、この年の失速(上田監督の途中休養あり)と
98年の失速(上田監督が全試合で指揮を執る)とでは、どちらが
よりヘコんだだろう…。 そりゃ98年じゃないの?
あちらは途中までほぼ独走状態だったし 「敵は己自身」(後)
>>131
後半戦は24勝29敗、特段広島が歴史的失速をしたという訳ではなかった。ただ、懸念の投手力から崩れたという面は否めなかった。
7月以降は防御率4.64と急降下したが、中でもエース紀藤が8月21日の12勝目を最後に8月27日から6試合連続KOでその間0勝3敗、
防御率9.81の大不振。この期間は他の投手もつられるように打ち込まれ山崎が1勝3敗、大野が1勝2敗と苦しんだ。
この期間はちょうど主砲・江藤智が、仁志敏久の打球を顔面に受け眼窩底骨折して戦線離脱していた頃でもあった。江藤離脱後の8月30日
からは打点トップを走っていたルイス・ロペスを四番に上げて残りの24試合を戦い抜いた広島、ロペスが打率.271、5本塁打、17打点と
カバーし前田智徳も打率.337、5本塁打、他にも金本知憲らが好調をキープして主砲が抜けた後も1試合平均9.8安打、4.8得点という
一見強打を保っていたかに見えるが、そのうち3得点以下に終わった試合が10試合というように、打線が得点力において好不調が激しかった
のも事実だった。9月4日から14日にかけてホームゲームが続いたとはいえ6連勝、再び奪首して67日ぶりに貯金20に乗せたが、3日後の
ビジター続きの戦いから6連敗。巨人と最後の直接対決2連戦に連敗したのが響き、巨人にマジック5が点灯。この時点で5年ぶりの優勝は
夢に消えたといってよかった。第4コーナーを回った残り15試合を4勝11敗とペースダウンしたのは確かに痛かったが、それよりも巨人が
7月以降に46勝18敗と快進撃を見せた事の方が驚きだった。
冒頭にあるように“大失速”といえるのは後半戦というより最終15試合。監督だった三村敏之は「投手力の弱さを打線がカバーし切れなかった」
と悔やんだ。だがさらに悔やむべきは、主立った補強がテスト獲得の加藤伸一のみという資金難からくるフロントの消極性と敵将・長嶋茂雄
よりも劣っていた自身の運の無さだったのかもしれない。 (了) >>24
それに加えて仁志・清水の新人コンビがいきなり活躍したのも大きい…
08年も山口・坂本の若手コンビがブレイクしたし逆転優勝のキーポイントは
若手力か!? >>64
仁志を危険打球制裁として
10試合出場停止にしてたら
良いハンデに成ったかもw ケガさえなければこの年も江藤がホームラン王だった
97年と98年も多分、目はやばい 虚塵の後半の勝率は異常。
審判を買収したに違い無い この年のダイエーは、「開幕投手・園川」と生卵事件に尽きるw オリックスとスレイヤーズの絶頂期だったのさ(´∀`)
オリは翌年以降優勝とは無縁だし(今年はどうか!?)
スレイヤーズも未だに原作順序でアニメ化してない…(´;ω;`) >>159
それじゃ甘いよ。
残り試合出場停止でちょうど良かったぐらいw 5月までは大豊がすごかった。
本当にO氏の記録を超えるのではないかと思った。 シリーズ第1戦河野と川口の順番逆にしてたら、巨人が初戦勝って勢いに乗ったと思う。ランナー溜まった場面でのリリーフは川口は弱いと言う91年のシリーズをミスターは忘れていた。 この年の名場面ベスト5
1位巨人当時セリーグ最多となる11.5ゲーム差を逆転し、リーグ優勝
2位オリックス悲願の日本一
3位ダイエー、日生球場で生卵を投げられる。
4位山崎武司とガルベスの乱闘
5位オールスターで仰木が松井相手にイチローを抑えに投入、これを野村が侮辱と
捉え代打高津。 1996年と今年の共通点
・巨人が優勝
・反対に広島檻シリーズがあと一歩であぼーん
・オリンピックが空気
・増税決まるも自民党安定
・自然災害相次ぐ
・エボラ流行、国内はO157→デング >>180
ということは、仮に読売が日本シリーズへ進んでしまったとしても、
そこでパリーグのチームに惨敗するということですねw この年の名場面
一年目のローズが潮崎から打った会心の一発 >>161
その代償は、日本シリーズと翌年のシーズンで支払うことになるw オールスターでイチローが紀藤から打った先頭打者ホームランがすごい弾道で度肝抜かされた。 この年福王がヤクルト戦で代打逆転弾打たなかったっけ? 福王ってとにかくダメダメなイメージしかないから、初めて活躍したの見て衝撃受けた記憶。 >>69
その少し前はクロマティもいたしあの頃の巨人は自前の外人打者に恵まれた球団だったな
コトー、グラッデンは94年優勝に欠かせない戦力になってたし
マックも96年逆転Vに貢献したしね >>187
福王と言えば、「福王、豆腐食おう」というイメージしかないw 福王だか何だか知らんけど、プロ通算打率が2割いくかいかないかのこやつが
長年巨人の代打として使われ続けた理由がさっぱりわからん 出口、吉村、岡崎、高村、福王、後藤、広沢
96年当時巨人の代打で出てくるのってこんな面子だったし福王が出てきても不思議ではない?かも 96年
広沢 38試合 本塁打4 打点13 打率.198
吉村 53試合 本塁打4 打点11 打率.246
吉村は2年後に引退
広沢は97年やや成績が盛り返すもののそれも一年限りで結局99年限りでチームを去る >>188
外国人選手に関しては、最近ようやく原点回帰したようだけど、
ちょっと前までは”強奪上等”だったからなw >>188
コトー、グラッデンは優勝時でもダメ外人扱いされてたような…
もっとも後年になって評価されたのもそれ以上に遥かに酷い助っ人が
来てしまうわけで…(○ン○、○イ○、○セ○、○ャ○○ーetc) 近鉄は佐々木恭介が監督1年目だったが
最下位を脱出し4位に浮上、3位になる可能性も十分あったが >>194
広沢はオープン戦で石井丈裕から手にデッドボールを受けて骨折、これで連続試合出場が途絶えた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています