倉敷商業から明治大学に進み、東京六大学野球で活躍する。
1969年中日に入団、1982年まで中日一筋に14年間エースを務め、
通算146勝121敗34S、防御率3.60、1225奪三振。
沢村賞1回(1974)、セーブ王1回(1974)、最高勝率1回(1975)。
長嶋茂雄・王貞治らが活躍したV9時代を含む巨人を相手に、
35勝31敗と勝ち越しを記録。巨人キラーとしてその名を轟かせた。