【中日ドラゴンズ】星野仙一総合スレ【背番号20】
倉敷商業から明治大学に進み、東京六大学野球で活躍する。
1969年中日に入団、1982年まで中日一筋に14年間エースを務め、
通算146勝121敗34S、防御率3.60、1225奪三振。
沢村賞1回(1974)、セーブ王1回(1974)、最高勝率1回(1975)。
長嶋茂雄・王貞治らが活躍したV9時代を含む巨人を相手に、
35勝31敗と勝ち越しを記録。巨人キラーとしてその名を轟かせた。 カリスマ性だけは凄かった
あとサンデースポーツ時代の紳士的なキャラと闘将時代のキャラが同一人物には
見えなかった 星野仙一
654打数134安打(.205)15本 59打点
選手時代はリアルタイムで見てない世代だけど
打撃成績すごかったんだね @augustoparty
星野仙一さんは佐川急便の経営陣や、ハンナンの浅田さんのような「昭和な大物」と親密だった一方で、
トヨタの奥田さんとか鈴木修さんのような「正統派」とも懇意で、最後はITの三木谷さんに食い込んだ。
言葉にすると簡単だけど、これはあり得ないコミュニケーションスキルで。
これな
"人たらし"の才は天才的だった。 >>246
あの人、めったに追悼コメント出さない人だよね。 >>247
稲尾の時は出してなかった?
仰木とかも? 阪神に来てこんなすごい監督がいるんだなと、監督次第でこんな風に変わるのかと、すべてが新鮮だった。
長年酸いも甘いも併せて星野を見てきた中日ファンは果報者だと思った。 玉菌が追悼番組に出ていたのは確かだが、何を称賛したのか。
星野は、暴力野郎。
「めじゃあでは考えられましぇ〜ん」ではないのか。
めじゃ様との違いを指摘されると、
「ここはニッポンだ」
「これはニッポンの野球だ!」
と、逆上するのが星野であった。 アンパイアを攻撃しまくるのも星野の特性。
「センシュさまが絶対なんや!糞審判はいてまえ!」
この点に同調したのか?玉菌は。 星野って高田繁に頭が上がらなかったって本当?
大学の先輩後輩という事情もあるんだろうけど、高田なんて温厚な紳士で威圧感や
怖さは全く感じないんだよね
俺にとってはかなり意外な事実だわ でも北京後のVやねんは高田がプロデュースしたようなもんだと言われていたな >>252
マジで知らんの?
明大時代、高田と星野が新宿に飲みに行って3人のチンピラにからまれた。
チンピラはまずチビの高田に手を出してきたとたん、
高田が一瞬のうちに3人をボコって、
星野が向かっていこうとしたときは3人は地面に這いつくばっていた。
まあこんな人なんだがw 島岡御大に4年間一度も殴られなかったのは高田だけと言われるほどの偉大なキャプテンだったらしい。
上下関係が厳しい大学野球の先輩で、V9巨人の不動のレギュラーだった高田に頭が上がらないのは当然だろ。 高田繁は年上のハリーもボコボコにて
土下座させたしな
球界最狂だろ >>210
出てなかったの?
よっぽど大沢と張本のこと嫌いやったんか 現在浪人中の村田修一は2011年オフのfaの時
ある言動で高田を怒らせたらしくdenaが村田を取らないのは
これも一因らしいな… 立浪や牛島は高卒だからどう考えてもインテリではないわなw >>257
ヤクルト監督を辞める時にちびっ子ファンに罵倒されて涙目になってた 「星野仙一さん死去」というあらゆるメディアの見出しが未だに信じられない
悲しすぎるわ 寂しすぎるわ
病気だった事、なんで言ってくれなかったんだよ?
ほんま自分勝手すぎるわー(泣)
これからは球場の真上から見守ってくれや
どんな小さな、古い地方球場でも星野仙一という男は絶対に見に来る。
向こうの世界でも子供たちの野球観ながら微笑んでるんやろな。
また会いたいな星野さんに。 >>242
怒りの第一落雷地になるのは一貫して捕手だったよな
一番殴られたのも中村だったし、阪神でも中日でも矢野はかなり怒られた
楽天では嶋が一番怒られたが、あの「しまああああっ!」って怒鳴られたのが懐かしくもう聞けないのが悲しいとか
日本一の試合のときは「しまああああっ!おとせええ!」とサインを叫んでしまったらしい 抑え兼任でなく先発メインでやっていればもう20勝くらい出来たのかな?
気迫を全面に出していたけど基本的には若い時から技巧派Pなんだっけ 昨日よっさんがラジオで「気迫で押してくるんかと思ったら舐めてんのかというような飄々とした球も投げてきた」
って言ってたから技巧派なんだろうな >>267
星野新人時代に一応現役がかぶってんだよな。
でも監督として対戦したときの感想なのかな? 矢野は中日では実力を見抜けずに放出されたが阪神でまた一緒になり育て上げた
こんな例は案外少ない
広岡や落合ほどでないにしろ揉めた人間とは二度と仲直りしないタイプだと見えたし >>268監督時代の感想だったと思う 阪神の監督に就任した時は田淵をコーチに招くということで
わざわざホテルによっさんやOBを招いていろいろ意見を聞いたそうな。根回しがすごいね
矢野・大豊と久慈・関川のトレードは監督同士の直接交渉できめたそうだ 投手としては過小評価気味だけど
大卒で実働14年、リリーフ兼任期間ありで146勝は普通に一流じゃないの。
74年の優勝は星野抜きでは無理だったろうし。
そういや板東英二や田中勉、江藤慎一とも1年だけ現役が重なっているんだよな >>272
MVPも沢村賞も記者人気で仙一になった感じやな 74年は沢村賞をパリーグも対象にしても本当に人材がいないな。 >>269
実力を見抜けずというか中日では最後は外野手に転向させてたんだよな。
捕手失格と見切った奴が来てみたらまた捕手やってるんで使っただけというか。 球界に物申す的な人がいないのは好きでもないけどさびしさは感じるな >>275
矢野は中日最後の年も外野と捕手の併用。中村がスタメンじゃない日は捕手で出場 若い時と選手晩年の頃は明らかにフォームが違う感じがする
後半はなんか担ぎ投げみたいになってるよね
あと腕の振りがシュートっぽいフォームの写真を多く見る >>273
松本はすごかったが星野がひどかったわけではないからな
2013の美馬や則本みたいなもん 前後に監督を務めたジョイナスのコメントも。
現役時代は守っている二塁から見ていて「表情や後ろ姿で気合の入り方が分かった」とか。
https://mainichi.jp/articles/20180106/k00/00e/050/307000c 2003年に生まれた星野の孫(二男)が「星野仙太」という名前で、
娘が星野姓を名乗らせたらしいけど、もしかして昨日の『ファミリーヒストリー』で語られていた
星野姓の秘密(跡継ぎが必要なので、末っ子の仙一に母方の姓を名乗らせた)を娘は知っていたのかな? >>284
娘のどっちか1人か(次女?)が、結婚して三重の総合病院の院長を婿養子にもらってるから星野姓のままだよ
たぶん次女の和華さんが星野姓のままなんじゃない?
その息子だったら星野仙太君は普通に星野姓だろ タレントの風見しんごが子供の時、広島対中日戦を観に行って乱闘がおきてしまい、星野の目に砂を投げたらしいな。 この前、昼の番組に山崎武司が出てたけど、「星野さんが監督になった頃、選手たちの動きを微動だにせず見続けていて、
クソ寒いのに、耳の後ろからボタボタと汗が滝のように流れてた。凄い熱血漢でした」と言ってたな。
あと、山崎の母親が昨年亡くなったとき、星野から花が届いたそうだ。
5年ほど疎遠になってたがお礼の連絡をしたら、「元気にしとんか」と励まされたと。
そのあとキャンプ地かどこかで偶然会った時に「お前もそろそろ指導者として頑張らなあかんな」と言われたらしい。
他にも日本シリーズに臨む前に骨折したときの話とか色々してたが、
中日OBで集まって、星野さんに関する逸話を番組にしたら面白そうだな。
喋っちゃいかんことも、ぎょうさんあるやろけどw >>286
それで星野に追いかけられて、広島の金城の所に行ったら
「早く帰りなさい」みたいな常識的な事を言われて
「お前なんか南海(ホークス)にトレードされちまえ!」と
逆ギレしたら後に本当に南海にトレードされたとか >>286
よくNHKの水曜の番組で話してるよなそれ 自分の野球人生を大きく変えてくれたのが、97年オフの中日から阪神へのトレードだった。
ただ、トレードが決まっても、当時は中日監督だった星野さんから掛けられた言葉は一切なし。
そうしてもらえたからこそ「絶対に星野さんを見返す。中日戦だけには絶対、負けへん」と強く思うことができたと思う。
だから、中日戦はたくさん死球をぶつけたし、逆にぶつけられた。でも、絶対に痛いそぶりは見せなかった。やっぱり、悔しいから。
ようやく阪神でレギュラーをつかんだ時に、星野さんが阪神の監督に就任することが決まった。
正直、嫌で嫌でしょうがなかった。その気まずさは、別れた彼女にばったり会う、なんてものじゃない(笑い)。
「ああ、俺はまたトレードに出されてしまうのかな」と毎日が憂うつだった。
でも、いざ、再会を果たしてみると、星野さんは一切、気まずいそぶりを見せることはなかった。
それどころか「テル、アイツはどうなんや?」と選手のことを度々聞かれて。
日がたつごとに自分の中から嫌な感情はなくなっていったし、いつしか
「星野さんに認められたい。認められるために頑張る」という思いに変わっていった。
今、振り返ってみると、星野さんには「一方的なトレードはしない。
お互いにとってプラスになるから、トレードするんだ」という信念があったと思う。
http://news.livedoor.com/article/detail/14152033/ 矢野のことか
久慈のことかと思って年代や話が全然一致しねえぞと思ったら 日曜日の昼間、NHKBSで過去のNHK特集の放送有り。 40歳そこらの初監督就任会見で選手へのコメントが「覚悟しとけ」ってすごい台詞だな。 最晩年の白髪をたくわえ、黒ぶち眼鏡でにこにこと佇む様子と比較すると、暴君時代は顔が四角くて怒ってなくてもかなり怖い顔だよなと思った
スラダンの安西先生みたいというか >>292
久慈がショートから死球の指示出してたのかよw >>43
渡辺直人と内村賢介を出して失敗している?
ショートが渡辺直人でセカンドが内村賢介なら
楽天の優勝もないし田中の24連勝もないと断言できる
渡辺直人を放出しショートか松井稼頭央、内村賢介を放出しセカンドが藤田一也
大幅な戦力アップなんだが >>298
297は293へのつっこみなんだと思う >>299
渡辺も内村も放出した時点でフルシーズン出れる体力もポテンシャルもなかったからな
渡辺の代わりにショート守った稼頭夫はショートで
13年までフルシーズンでて二桁ホームラン打っつた
内村の代わりにきたセカンドの藤田も15年までレギュラーでGGも取った ジャーマンの見切りと銀次の我慢はいかにも仙一って感じでよかった 2015年の阪神OB会出席時。江夏・田淵との何とも言えないスリーショットだなwww
江夏のコメントに名前が出た杉下も、阪神のコーチや監督も務めていたな。
http://news.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=news_detail&id=199113 ミスターは角、西本を殴ってるし
王さんは堀内を殴ってるし
ノムさんは高橋を殴ってるし
ピーコは高橋慶彦を殴ってるし
ハリーは広島ファンとタクシーの運転手を殴ってる
そういう時代なんだよ 阪神の監督を辞めたあと、星野さんはアメリカのマイナーリーグのチーム買収に動いていたという。高山氏も奔走し、具体的な段階にまで来ていたというのだが─。
「アメリカのチームを持ちたいというのは、ずっと夢だったみたい。日本ではプロになれなかった選手を向こうに連れていって鍛えたいって。交渉も大詰めまで行き7億円くらいで話はまとまった。
仙ちゃんは10億円くらい用意しとったのよ。だけど、ちょうど同時期に娘さんが嫁いだ病院の経営状況が悪くなったらしくて、その貯めたお金をポンと全額渡しよった。即断即決だったなあ。 星野仙一「最愛の女性」が語った「闘将と私の密愛
逢瀬はいつもホテルの部屋。都内では外食もままならなかった。オフに豪州・ゴールドコーストの別荘に行ったのはいい思い出だ。
2人の関係は、星野氏が阪神の監督を辞めたころに解消されたという。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180117-00010003-flash-peo 暴力や人間性は認められないが
3球団にまたがって3回優勝しているのだから手腕は認めざるえないな 星野仙一はNHKの有働さんと再婚すればよかった。結構、フィーリングが合っていたよね。
亡くなった当時、自宅で大粒の涙を流していたらしいぞ。 星野仙一 年俸推移&成績推移
1968年ドラフト1位で中日ドラゴンズ入団
’69 (22) 130万円 8勝 9負 0セーブ 率3.12
’70 (23) 140万円 10勝 14負 0セーブ 率3.64
’71 (24) 150万円 9勝 5負 0セーブ 率3.47
’72 (25) 250万円 9勝 8負 0セーブ 率2.01
’73 (26) 270万円 16勝 11負 0セーブ 率3.04
’74 (27) 800万円 15勝 9負 10セーブ 率2.87
’75 (28) 1,400万円 17勝 5負 4セーブ 率2.77
’76 (29) 1,600万円 10勝 6負 0セーブ 率3.93
’77 (30) 1,800万円 18勝 13負 5セーブ 率3.52
’78 (31) 2,000万円 5勝 8負 14セーブ 率4.89
’79 (32) 2,000万円 10勝 7負 0セーブ 率4.67
’80 (33) 2,200万円 6勝 12負 1セーブ 率5.07
’81 (34) 2,000万円 10勝 9負 0セーブ 率3.93
’82 (35) 2,100万円 3勝 5負 0セーブ 率5.32 ちなみに大卒初任給が2016年は206000円
1976年の大卒初任給が94300円
従って2.18倍である
そう考えると、1976年の星野の年俸は1600万円なので
現在に換算すると約3500万円である
安っす!!! >>310
82年の年俸2800万だよ
コーチ料200万で合計3000万らしい >>305
結局儲けてばかりじゃなくて損もしてるんだよなあ。
医者といってもそんなのもいるしな。 この乱闘中、監督が巨人の王監督にげんこつを向けたことを批判する意見がありましたが、これは全く違う意味合いのものでした。
クロマティが僕の顔面にパンチを見舞ったことについて、監督が「グーで殴るのはだめだろう」と王監督に主張するジェスチャーだったのです。だから、決して王監督を殴ろうとしたわけではありません。
ただ、監督、そうおっしゃるなら、言いたかったです。「僕のことをグーでいつも殴ってるじゃないですか」と >>313
引退していきなり現役時代の総年俸の倍稼ぐのは凄い 当時の貨幣価値を考慮しても、69〜73年あたりの年俸の上がらなさは異常じゃない!? >>310
73年から77年の成績は凄いな
今の時代なら億は取れる成績だな
当時のレートや物価を考えても安すぎる
今の時代の選手が貰いすぎなのかもしれんが
複数年契約で隔年でしか活躍しない選手も四年連続で億取る選手いるからな
野球が人気落ちてるのも選手が年俸上がりすぎたからてのもあるかも
あまりに金持ちを真剣に応援できないし
秋山がトリプルスリーやった年ですら一億もらってないんじゃないか? >>322
それでもサラリーマンの平均年収の
7~8倍あるからそれ程安い訳じゃない >>322
今なら77年までの成績で2億5千万円は固いよ 30超えたくらいからガクッと防御率がしんどいことになってるな 選手としては二流だったと謙遜していたが、普通に一流だよな >>322
アンチも多いから現役時代が過小評価されがちだけど
普通に当時のセでエースクラスなんだよな アニメの「野球狂の詩」にメッツの対戦相手で星野が出てたような気がするけど勘違いかな >>325
76年から明らかにボールの質が変わっているよな。 >>330
>>331
75年以降リーグ全体で明らかに打高投低になってるからな。
ラビットでも導入されたんだろう >>326
名球会に入れなかったから金田に馬鹿にされたりしてたからな >>322
巨人戦以外はナゴヤ球場に客が入らなかった時代だから妥当だよ。
後楽園満員御礼なのに星野よりずっと年俸が低かった堀内の方が酷い扱いだよ。 >>310
73年から77年までセリーグの最多勝は誰が取ってたんだ?
それだけ勝ってて最多勝取れていないとか投手としてはかなり不運だろう
金子千尋とか則本昂大とか菊池雄星あたりと比べても遜色ないぞ
試合数も今より少ないんだし >>335
73 高橋一 24
74 松本金城 20
75 外木場 20
76 池谷 20
77 高橋里 20 その5年間チームの単独での勝ち頭だったのは
73年の一度だけ。
前半の二年半は先発抑えの二刀流で勝ち星が伸びないのは差し引かなきゃならないところ。 当時は20勝しないとダメ投手扱いだしな
74は13楽天の美馬みたいなもんか?
同じチームのメンバーに最多勝を奪われたが、それでも優勝の軸になったパターン
だが松本とはかなり不仲になったらしいな >>326->>327
一流なのは間違いないけど
同時代に凄い投手多すぎ 松本幸行
20勝9敗 最多勝、最高勝率
これでMVPも沢村賞も仙一ってあり得ないわ
81年の江川、西本どころじゃない
如何に記者を手なづけるのが上手かったかやな