元阪神のマイナーな選手を懐かしむスレ その3
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中日→クラウンから移籍した竹田和史。
快速球ノーコンだった。 大概、年数重ねればプロの選手たるもの、コントロールはある程度身に付くものだが、竹田に関しては真性のノーコン!?w 阪神では球威も落ちてた。
真弓、若菜、竹之内のオマケで存在感が希薄だった。 竹田がガチで投げるストレートよりも
若菜が投げる牽制球の方が勢いがあったといわれてるよ。 コントロールは練習で身につけるもの。
スピードは天性のもの。 ストローター 28試合 87打数 24安打 5本塁打 12打点 .276
普通に適応出来てたと思うけど。
ただ細身の割にはあまり足が速くなかった印象がある。
バルディリスを左打ちにした様な感じ。 また聞きだから確固たるソースはないが83年オフにはストローターでなくバースをクビにしようって話もあったんでしょ? >>63
Wikipediaじゃなくてかなり前に作成された阪神外人列伝みたいなサイトで見たことあるよ
ストローターうんぬんの記載はなかったが
シーズン途中加入で25本超えしたバースだがオフにはクビの話も、って ストローターって、俺の中ではどうもウィン(オマリーと同期入団の外野手)と混同していて
ダメ助っ人だったと誤った印象も持ってしまっているなぁ。そこそこやってはいたんだね。 近年の惨憺たる外人軍団に比べれば80年代は割とマシだった気がしないでもない
オルトがあの成績で1年ぽっきりでクビになったのは理解できんが
…でも思い出補正がかかってるだけでゴンザレスとかオルセンとかそれなりにショボいのもいたか… オルトは左投右打背番号44でブリーデンの劣化版というイメージがある。
.300 18本塁打で59打点はチャンスに弱かったのかも知れない。
そんなに腕っ節や胴回りが太い訳でなく、チョコンと当てる様なスイングで頼りない印象があった。 ゴンザレスは来日早々に骨折したんだったかな。
プレイのほうはさっぱりだったけどキャラ的にはウケが良かったらしく
選手間では「ゴンちゃん」とか「ゴンゾー」とか呼ばれてた。
オルトの解雇については、阪神ファンの間でも賛否あったようだね。
「助っ人にしては迫力不足、ヒットは打つが打点、本塁打が物足りない」
「去年までの大ハズレな連中と比べたら御の字、2年目のノビシロ期待」
という感じかな。70年代の海外のTVドラマに出てきそうな二枚目半の好青年マスクだった。
バットを少し短く持ってバックスイングも小さく慌ただしくて威圧感に欠けた。
バース、フィルダー、ブラゼルといった大砲は結構ゆったりしたバックスイングで、その点が違う。
ただ長身で足が長くスタイルは良かった。
個人的にはクールボーと並んで記録程打ったイメージがない助っ人。 >>67
「ブリーデンの劣化版」
秀逸な表現だな。まさに俺もそう思ってた。
打席に入る時決まってバットを拝むような仕草が
印象深い。 >>24
そこそこ知られてるっていうけど
大商大でしょ? 川原が活躍した頃ってリーグ再編で5つぐらいのリーグが独立しちゃったんだね。
それまでは関西6大学が頂点で、その下部に京滋や阪神大学リーグが所属するピラミッドだったけど。
特に大商大は旧関6から追い出されて、止むなく結成した新関6に所属してレベルが落ちた中での無失点記録だったから。
近大や立命ならともかく、京産や大経大に好投したところで素直に評価し辛い面はあったと思う。
斉藤明夫が活躍した頃とは状況が変わって、リーグ再編の煽りを受けた選手かも知れない。 甲子園で最初のアイドルブームを作った太田幸司が
プロの終焉を迎えたのは阪神であったことは知られてない それなりに知られてるんじゃないか?
阪神と巨人、在籍順があやふやな人はいるだろうけど 大商大は、斎藤明夫、清川栄治、佐伯貴弘、谷佳知ら好選手を輩出しているが、一番精力的に獲っている阪神は何故かスカばかり…。
田中昌宏、山田和英、服部浩一、川原新治、高橋昌也、金村大裕… もしも太田幸司が巨人で引退していたら、
大阪毎日放送の解説者になってなかったかもな
引退を決めた1984年秋にNHK教育YOUの青春プレイバックの
コーナーに出ていたのを思い出した >>77
デカいのにトロいヤツが服部呼ばわりされてた。
野球部で192cmの長身にも関わらずフリー打撃でカスリもしないヤツ。
ソフトボールの授業でセカンドゴロしか打てない189cmのヤツとか。 >>79
でも近鉄時代の知名度があるからMBSじゃなくても
他の局で拾ってくれることはあったかもね。
太田氏がMBS解説者に就任した頃、板東英二も解説陣にいたので
甲子園延長再試合の当事者が奇しくも顔合わせとなり話題になったものだ。 >>80
服部浩一の後継者として西里幸喜を挙げておく 最近じゃあまり長身の投手は採らないというが
昔は長身投手は大成するみたいな神話があって
デカい奴を好んで採っていた時期もあったらしい。
(エモやんの本より。) あれ? 江本は以前新聞連載コラムで
《俺の現役の頃は“デカすぎる投手は大成しない”と言われていた。
俺は成功した稀有な存在》と書いていたような記憶があるけどな。
厳密に言うと180台前半ならOKで180台後半だとダメ、ってことなのかもしれないが。 >>78
右打ちで足遅くてパワーはあったからなあ。 阪神で長身のピッチャーでマイナーと言えば鈴木弘規。
ギクシャクとギコチないフォームで良くない意味で長身らしいピッチャーだった。
大して球も速くなく角度だけはあった。 185センチ以上の身長で100勝以上したのは
金田、梶本、江本の3人だけらしい 遠藤伸久投手
投球フォーム・・・・左サイドスロー「プロ5年目にオーバースローから改造、西武の永射、近鉄の村田らの投法にヒントを得る」
球種・・・ストレート、打者胸元に食い込むシュート、大小のカーブに加え、横に流れるスライダー気味のカーブと3種類のカーブを駆使する。
・プロ6年目の1981年は開幕を一軍で迎える。4月4日の開幕戦「対ヤクルト戦・神宮」6回ウラ、走者を二塁に置いた場面で登板し、マニエル、若松という強打者を封じた。左のワンポイント・リリーフとしての責を十分に果たした。
そういえば遠藤という左腕がいたような。
でも一軍未勝利のままで終った。 アンダースローといえば大町だなあ
あの銀行員と坊さんを足したような顔が子供心に不思議だった
なんでこの人プロ野球やってるの?って 大町の場合は、あの独特のサラリーマン眼鏡が全てだよなw
それにしても79年都市対抗野球で、補強選手として三菱重工広島を初優勝に導いたピッチングは、まさに"神"だった。 風貌だけじゃなくて語り口も朴訥としていてて
“精悍な”スポーツ選手という一般的イメージとは対極にいるような感じだったね。
引退後球団職員(?)時代にお話したことがあったんですけど、
>>93と同じで「この人が元スポーツ選手だったのか?!」と思いました。 ピークだった81年の唯一の敗戦が中日戦だったはずだが、その時のコメントが「今日は球がいつもより速かったから打たれた」と、
なかなか振るっていた。 まだ20代とは思えない落ち着いた風貌だった。
今なんて30〜40代でも茶髪やアシメでチャラチャラしたオヤジは珍しくないし。
広いステップと上半身の捻りが利いたアンダースローの手本の様なフォームだった。
一方遠藤はただ腕を下げただけで、左打者の背中からボールが来る様なイヤらしさがなかった。
2軍でも通用してなかったのが変則左腕に変貌して一軍に抜擢されたが、決め球がなく一ヶ月程で見切られた。
最近で言うと佐久本や面出レベル。 投球フォーム・・・アンダースロー「元・阪急のエース・山田久志」と同じようなタイプ。抱きかかえるようなフォームまではそっくりとはいかないが、下手からゆったりとしたモーション、タイミングで勝負するところはよく似ている。
球種・・・直球の伸びはそれほどではないがシュートの切れは鋭くコントロールは抜群。他にカーブ、チェンジアップ、シンカー
・社会人2年目から、かけだしたサングラス「偏光グラス」がトレードマークだった。ドラフト外としては
当時、破格の3000万の契約金で入団した。
大町定夫
投球フォーム・・・アンダースロー「元・阪急のエース・山田久志」と同じようなタイプ。抱きかかえるようなフォームまではそっくりとはいかないが、下手からゆったりとしたモーション、タイミングで勝負するところはよく似ている。
球種・・・直球の伸びはそれほどではないがシュートの切れは鋭くコントロールは抜群。他にカーブ、チェンジアップ、シンカー
・社会人2年目から、かけだしたサングラス「偏光グラス」がトレードマークだった。ドラフト外としては
当時、破格の3000万の契約金で入団した。
服部裕昭と浜岡浩幸の球種、フォーム教えてください
誰かお願いしますwwwwwwwwwww 1979年の物価でドラフト外で3000万なら破格と言えるんじゃないかな。
ドラフト外でこれ以上もらったのは松沼兄弟、あるいは秋山か鹿取ぐらいだろうし。
今でも下位ならこんなもので、育成なら10分の1程度にまで下がってしまう。 破格と言えばドラフト外の選手にエースナンバー18を与えたのも破格だったなぁ>大町 山崎はどうしてるんだろ?
同期に伴ってのがいたが今は何してるんだろ 山崎は阪神のバッティングピッチャーだろ。
伴は朝日新聞の拡張員をまだやってるのかな?
Bingに「楽しい職場です」
みたいな感じで求人広告に掲載されてた伴を見て笑ってしまった記憶がある。 山崎も期待の割りに伸びなかったなあ。
育て方が悪かったのか 2002年、関本と同じくらい活躍してた斉藤はどうしてる? そうだったね。
もう少し人気が出ても良かったように思う。
本人が前に出たがらないキャラクターだったのかな。 今何やってるんだろうな
球界とは縁が切れてしまったんだろうか >>112
それは阪神をクビにされた後の話じゃないか? >>88
スタルヒンはどうする?
山本昌はどうする?
スタンカとバッキーはどうする? マイナーじゃないけど中村泰広が阪神の広報やってるのを最近知った・・・
最初はあの伊藤隼太の専属広報だったそうだけど
彼のあの体たらくで、今は普通の広報だそうだ
慶応卒って球団職員とか、そういう地位に落ち着く人が多いよね 大阪桐蔭から鳴物入りで入って掛布の背番号を引き継いだ萩原という野手がいましたね。
今はどうしてるんでしょうか。 高校時代は華々しかったのにね。
プロ入り後けがをしたわけでもないし、
何が拙かったんだろうね。 負広の解任前に、広島市民で2連発した萩原
さあこれからと言う矢先に監督が変わり、干され終わった そうだったんだ・・
藤田は萩原を干していたのか・・ 婿養子に行って戸籍の姓が変わったんですね。
だから登録が名前の「誠」になりました。 >>126
大きなけがはなかったようだけど。
高校の実績がそのままプロで通用するほど甘くないでしょう。
「ほどほど」ではレギュラーはつかめないってことだね。 石床幹雄
西村公一
野上俊夫
源五郎丸洋
嶋田章弘
萩原誠…
残念なドラフト1位 甲子園でノーノーを1回やったからそれだけで
1位指名したのかもしれん>野上 西村公一もウエスタンリーグでよく見たなぁw
上ではサッパリだった。 >>134
>>136
67年の高校球界では、文句なくNo.1評価の左腕。
阪神じゃなきゃ、開花してたクチかもなw 野上俊夫
投球フォーム・・・不明 球種・・・カーブ、シュート
※内外野とも好守を誇る
市和歌山商
チーム創立は三十二年。三十九年、四十年の大会では準優勝している。
カギを握る左腕の野上投手は、カーブ、シュートを織り交ぜて安定している。
ただ決め球を持たないうえ、球質が軽く、素直すぎるのが難。井田捕手との呼吸は
ぴったりだ。守備は遊撃土山を中心に、内外野とも堅い。
打撃は三番井田、四番野上に期待がかけられる。井田は力、野上は技、長打コンビ。
トップの寺井、二番の左打者的場は好機に強く、岩崎、山口、白川も好調。 野上は左の本格派だったな。
個人的には、何となく三年後の岐阜短大付・湯口敏彦とイメージが被るんだが… 前田も高校時代でピークを迎えてしまったタイプじゃないかな
嵩にかかって攻めてる時はいいけど、波に乗れないときは
もうどうしようもないような・・・ そもそも、前田がプロでピッチャーはないわなw
バッティング生かすならまだしも。 前田なつかしいねえ
大鉄時代に甲子園で見た。
津久見との一戦、川端の満塁弾でどうにか勝てた試合だったが、
このときは絶不調でポコポコ打たれてた
意味なく歩かせたり、その後の初球に不用意にど真ん中投げたり、
「アチャー」みたいな凡ミスやらかしてた。。
打つ方は良かったのか。
あまり印象にないのだが。 前田の3年夏の甲子園では、何と言っても準々決勝・対高知戦でのワンマンショーだな。
この日は、4打数4安打2打点で、本塁打も放つ大当たり。
結局、前田の2打点と好投で、2−1で勝ったな。 大鉄の前田よりも少し時代は後になるが、
福井高校から入った前田もいたね。
これもサウスポーじゃなかったかな。 前田耕司は広島から福井に野球留学してプロへ。
そのせいか、カープでは1年間だけいい年があったな。
細身で球が軽かったし、コントロールも安定しなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています