【正解?】入団拒否した選手を語ろう【裏目?】
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最も有名なのは江川。
73年阪急、77年クラウンを拒否。
78年阪神、小林とのトレードで巨人へ。 何年か前にロッテ以外行きません❗と公言して横浜の指名拒否したのがいなかった? 大森は指名されたら2位でも3位でも巨人入りしたろ。
正力−藤田−上田と慶大閥が形成されていたんだから。 >>736
実際に指名した3球団では環境は一番よかったと思う
西武みたいにオーナーにどっぷり甘やかされることもなければ
ベイスみたいに特段練習量が少ないわけでもないから >>33
その時の監督が中西。まあ最初っから相性悪かったんだね(笑) 最近のドラ1は希望球団ぜんぜん言わないので、おもろうないわw 「○○以外に指名されても入団しません」と宣言するも、
その○○に裏切られて指名されず、
結局どこからも指名されなかった選手www 上位指名選手なら契約段階で大金が絡むし、強豪野球部ならその後の学校と球団の繋りも無視できないし、色んな大人の思惑が飛び交って煩わしいだろうな
入団許否なんてしたら世間から絶対叩かれるし
ここじゃなきゃ嫌だで丸く収まりそうなのって菅野くらいじゃないの そんなに希望球団以外は入団したくないなら、ドラフト当日に入社承諾書(希望
球団以外の場合の受け皿)を目の前に用意して、意中外に指名された瞬間に印を
押してしまう宣言すれば良い、とか思ってたけど、実際にそんなことしたら熱烈な
ファンに半殺しにされそうw メジャーに目が行くようになって、ドラフトで、
どうしても○○じゃなきゃ嫌、というのが少なくなったのか その代わり「メジャーじゃなきゃ嫌だ」って今後は増えそう。 >>744
プロ志望届に志望球団を書き込めるようにして、複数ある場合は
自分でクジ引かせればいいんだよな。究極の自己責任で。
スカウトや監督の誰それがクジ運悪いとかそういうのもういいから。 石井一久まで移転元年のロッテ1位指名を断ってたらしい(本人談)
湯治のロッテ >>747
選手に引かせれば
「もうウチが引いた時には当たりクジが残ってなかった」
ってのもなくなるのにな。 「逆指名」なんていうマスコミ造語がNPB公式用語になってた時代があったんだよなー
まだ「自由わく」 同期で仲が良かった斎藤明夫、佐藤義則、森繁和は、
お互いにロッテの一位指名だけは嫌だから断ろうと話し合っていた。
実際に森はロッテ入団を拒否。 斉藤明夫は突如来た同窓会の通知にも欠席と書き込んで送り返しているというエピソードがWikiにあるくらいだからな 小林秀一は2018年現在唯一巨人ドラフト1位を拒否したけどアマの指導者を目指してたの?
もし今だったら入団してた的な事を言ってた?
この年の上位まで拒否されて3人だけ入団
山本昌樹も2回指名されて拒否 >>755
そう。アマチュア指導者を目指していた。
今アマがプロ経験者に門戸を開いてる今なら巨人に入団したかもしれませんね、と語っている。 >>756
日テレの番組で語っていたね。
実際、日石捕手→近鉄捕手→近鉄チームスタッフ→湘南コーチ→日石ENEOS監督→慶大監督との経歴の大久保秀昭も居るし。
元々アマ野球の指導者として期待されていて、近鉄からドラフト指名があった際は既に27歳と、年齢面からもプロ入り断念するの
では?という観方もあったが、大久保本人が「通用するしないも含め、一度プロも経験してみたい」との意向で近鉄入り。
その経験はENEOSでも技術指導や田沢のメジャー入り、慶大でも技術指導に加え、岩見の一本立ち→楽天入団等と広く活か
されている模様。
つうかその日テレの番組で、あの湯口事件にまで言及したのには2ch実況でも騒ぎになっていたw >>747
くじ引きで会場に待機したのに指名なしだとキツいな 小林については、事前の挨拶なしで巨人だから入団するだろうという様子だったのも
気に障ったみたいだが。(当時の監督は同郷の川上)
大学の監督になってから、教え子の益田を巨人に送り出した。 ていうかあの年のドラフトは湯口事件の直後だから拒否する奴が続出しただけ 小林は選手を経験することなく
「元巨人ドラ1」の威光で指導できた勝ち組 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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腐れ業者には、くれぐれもご注意ください。 高校時代の石毛宏典 川口一久にロッテが拒否られている
観る目はあったんだろうか ついでに巨人西山一宇も 西山なんて高知高校で有藤監督の後輩なのにそれでも拒否された
昭和末期のロッテがいかに嫌がられてたか。。。 極め付けが小池秀郎だったね
あれでヤツの性悪振りが垣間見えたけどw 最近でも長野に拒否られたし大嶺祐太にも拒否られるところだった
大嶺がんばってほしいけどね・・・ かと思うえば木村優太みたいにロッテ以外拒否宣言して、本当に横浜を蹴ったやつもいるのが驚き
まあこいつは実力もいまいちで人間としてはアレだったが 小池はロッテ以外だったら案外すんなりと入団してたんじゃないかと思えるけどな 小池は巨人、ヤクルト、西武が希望球団
阪神、ダイエー、ロッテが絶対拒否球団
それ以外はいちおう話は聞くというスタンスだった。 希望球団じゃない球団に入団して、かつやくできずにひっそり解雇も何か切ないよな。 有力大のエースだと、OB会から「高校生の外れ一位や下の順位だと野球部の名折れになる」とか圧力がかかるらしい。
本人には意中外の球団でも一位確約を約束されると、周囲が「乗っかれ」と言い出し、大人の事情で「囲い込み」が成立する。 >>777
記憶にあるのは前田浩継
2年目(檻)の選手名鑑で持病の皮膚炎が悪化うんぬん書かれてたが、ストレスだろー
ヤクルトでは細々ながら登板機会あってよかったなと
逆に平岡正樹は巨人以外拒否ってその通りに入ったのに早々戦力外になってたな >>753
森繁は本当にロッテ指名が嫌だったんだろうな、直後の記者会見であくびしてた。
「事前に話とかもないし、まさかロッテとは思ってなかったです」と言っていた。 清水(葛飾区青戸6)の告発
清水の父母「息子と娘にいつでもサリンをかけに来やがれっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 >780
大学の先輩である野村収がロッテ在籍時の経験から、環境や待遇面から辞めたほうがいい
と助言したらしい。あと、カネやんに潰されるからとも。 小池は2000年ごろにドラフト当時のことを聞かれて「いやぁ子供だった」と苦笑いしてたな >>782
野村はちょうど東京球場閉鎖とジプシー化による待遇悪化を経験していたんだな。 >>782
そんな助言されていたら、そりゃ拒否するわな。
>>750
森繁和が心の底から嫌そうな顔していたが、
佐藤義則は、阪急指名の瞬間苦笑いだった。
斎藤明雄は、大洋指名に嬉しそうだった。
しかし、みんな大学生とは思えないほど強面のオッサン顔だw そして1979年に入団したライオンズで1年目ボロボロだった森繁和。 >>787
森繁の一年目は、バックに足引っ張られまくったから。出る試合ではクソエラーばかりされ、好投しても打線の援護がない。
勝ち数は倍、負け数は半分で収まってもおかしくないくらい、投手としての力があった。
実際、翌年以降は成績向上したしな。 ライオンズの埼玉移転後1年目は本当に酷かった。
田淵と古沢を獲得するために真弓と若菜を放出なんて馬鹿すぎでしょ。
田淵は案の定移籍1年目はボロボロだったし、元々チームの手本になれるような選手でもない。
この年に松沼兄弟や森が入ってきたわけだが、あの体たらくのチームで
よく我慢していたと思うよ。
チームがボロボロでも野手なら自分のスタッツがそこそこなら納得できるが、
投手は負け数が込んでみっともない数字になりがちだし。
それで「こいつは使えない」とか世間でみなされたらそこでおしまいだよ。 田淵獲得の一番の理由はネームバリューで成績云々は二の次
「全国区に打って出るには全国区の選手が必要」と堤義明が発言した上でのトレードだった
野村克也の獲得も同様の理由だった >>790-791
トレードはイメージ作戦で、
チーム強化は新人発掘というのは当初からの方針だったらしい。 既にプリンスホテルで石毛や中尾を確保していたから、ゆくゆくは彼らで行こうとの方針だったのかも。
それではあまりにも露骨過ぎるからか、中尾は中日に行ったけど。 その中尾は晩年になってから西武に在籍したけど、
プロのスタートが西武だったら、一体どうなっただろう… 中尾はシーズン100試合以上出たのが81,82年だけというスぺ体質だったから、
中日に入った1年目に西武が地元の定時制に通わせて囲っていた伊東が出てきた時点で、
おそらくレギュラーの座を失ってた可能性が高かっただろうね。 スタートが西武じゃなかったことが、中尾にとっては
かえってプラスに働いたのか 中尾は徹底した内角攻めとホーム上での激しいブロックが一番の売り物となっていた捕手(無論、プロでも発揮した強肩強打振りも魅力となっていた)
だが、その代償として相手投手からの死球やホーム上でのクロスプレイでの負傷に依る故障離脱が絶えず、巨人の牧野コーチは復帰した際、山倉
捕手に「中尾の様な真似などしなくて良いから、全試合出場出来る様に準備しておけ。」と指導したと言われる。
山倉はその忠告を「忠実に」守って、巨人の正捕手を守り続けたが、その安全第一なプレイスタイルを内心物足りなく思っていたであろう藤田監督が
再度監督就任した際に(後省略) 一方、激しいプレイスタイルこそ監督好みだったが、故障の多さに対する体のケアが充分でないと判断した(と思われる)星野監督は、自身が連れてきた
投手コーチと中尾が衝突して「あの人が投手コーチで居る限り二度と捕手なんてやらない!」とまで中尾が激怒した(中尾自身がつい最近語った逸話)事
もあり、中尾以上の強肩に加え、「殴っても蹴っても壊れない」体の頑丈さを兼ね備えた中村に目を付け、ノミの脳味噌レベルだった頭脳面も合わせて、
早急に中尾以上の捕手にすべく・・・・・後は皆さん周知の通り((((;゚Д゚)))) 新球団なので全国区の選手がほしかったという理由で
根本が西武の時は田淵 ダイエーの時は秋山を獲った 田渕、野村が客寄せなのは、誰が見ても明らかだった。その一方で有望な新人をどんどん取って育成にも成功した。 >>798
中尾が衝突したコーチって、RCCで解説者をやってた池田英俊か。 >>801
星野とは明治の先輩というだけで何の接点も無かった。
当時から謎の人事だったな >>801-802
余談だが、池田が1987年に星野中日のコーチになったために
RCCは解説者が大下剛史軍曹と長谷川良平の2人だけになってカツカツになってしまって、
ラジオの二重制作にテレビ中継が重なると裏送り分にビジターの解説者も呼ばなければならなくなり、
シーズン途中から広島で飲食店を経営していた高橋里志に加わってもらう羽目になった。 【サッカーで、洗脳″】 スポーツで関心を方向転換させ、投機家を通じて、すべて我々の金庫に収める
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529980919/l50
マスレジャー、スポーツ、クイズ番組によって、自民党が国民を飼いならす! どうやら今のままで行けば阪神の陽川は巨人を拒否して大正解ということになるかもしれないな。 拒否する選手は何が何でもプロでとは思ってないだろうな
だから意中の球団以外は全て拒否 とはいえ、巨人は二軍に犯罪者養成所というイメージがついてきちゃってるから、
陽川のように拒否されるケースがまた出てくる可能性もありそうだな。 合理的に考えると、高卒で育成指名なら拒否するわ。
大学や社会人で芽が出なければどうせプロ行っても芽は出ないし。 高卒の育成指名拒否といえば、4年前に中日の指名を拒否して現在もHonda鈴鹿にいる佐藤雄偉知もそうだったけど、
佐藤ももし入団してたら今頃既にポイ捨てされてた可能性もあっただろうから、たとえ今後プロ入りできなかったとしても拒否は正解だったね。 >>802
星野は池田の投球フォームに真似してたぐらい影響を受けていて
監督就任の際自ら投手コーチの要請した 佐藤は東海大相模だからダメでもスタッフで残れたかもね。
まあそこまで配慮されるなら育成指名は逃れなかったのか…とも思うが。
昔は社会人の方が生涯収入考えるとよいとか選択肢があったが
今はプロでダメでも若ければ社会人に拾われる可能性もあるからなあ。 囲い込みで入団させてもプロテクトでは囲われなかった内海と長野 >>5
長野は出されてしまったことで待った時間込みで微妙になったな
内海はまだ高校から2年だからそれほどでもないが >>5で「正解」と言われた選手4人のうち3人が、このオフ
所属チームが変更になったな 去年巨人を戦力外になった篠原を拾わなかったハムは正解? 神部年男はなぜ巨人を拒否した??
翌年、近鉄へ・・ この時代だと突然指名も多くて会社が許してくれなかったとか、かなり実績あったみたいだし。
あとは、巨人では出番がないと考えたか。
球団側も1位以外は来てくれたらラッキーぐらいで、感触悪いと追わなかったり。
中日入りした曽田なんかも社会人で一度巨人を拒否してる。 巨人だとローテ昇格のチャンスが無いと思ったのと、所属先企業の監督の反対にあったからというのが、当時の社会人選手の入団拒否の常套理由ですわ。
翌年、都市対抗野球の優勝に貢献し(MVPにあたる橋戸賞を受賞)、晴れて監督からの許しを経てプロ入りへって経緯かと。
又、当時の社会人選手だと、近鉄の方が巨大企業だから将来も安心という考え方が普通だったようで、大の阪神ファンで近鉄からの指名を不満に思っていた
鈴木啓示も周りからは「会社大きいからエエやないか!阪神なんて比較にならんよ!」と励まされたらしい。
後の加藤初のケースが分かりやすいけど、
本人はプロ入りを熱望も、会社側が「安田(猛)と同時に投手は出せない。」とプロ側に表明し、安田のみドラフト指名で加藤は指名されず
↓
プロに行きたかった加藤はドラフトの数日後、会社に辞表を提出するも不受理となり、喧嘩別れの様な形で退社。
↓
直ちに西鉄や巨人から誘いが来たが、西鉄の方が高評価で動きも早かった事と、弱小の方が登板機会が多いと観て西鉄を選択。
と当時の社会人選手はそんな感じだった。
阪急が新人補強を社会人選手を頼ったのも、そんな点に依る所も大きい。 門田の阪急入団拒否は一応本人が「もう一年会社でプレーすると約束してた」と告白してるけど
順位への不満もそれなりにあったんじゃないかと思ってる
6位以内で少し多目に契約金積んだら入団してたのではないか 当時の下位指名って、プロ拒否でも他球団に抜け駆けされない防御策だったようにも思う。 >>823
もし阪急に入団してたらどうなってたのかな。
本人の本塁打志向と、西本監督の強打者を育てるって志向が
上手くマッチしてたらもの凄い事になってたかもしれんが
噛み合わなければまるでダメって事になったかもしれんし。 正解
袴田英利(ロッテ(高卒時)→ロッテ(大卒時)) プロ入りそのものを拒否した杉浦正則は後悔してるだろうな 山中正竹ははじめから拒否したかすでにボロボロで指名されなかったかどっちなんだろうな >>825
加藤、門田。
強打の左打者、社会人出と被る2人の新人が同一球団にいては、
揃って大打者にはなれなかったかも >>822
その加藤が最下位に落ちた長嶋巨人に呼ばれて早速4月にノーヒットノーランなどで月間MVP(当時は投打で1人)。
最下位からの優勝の試合で先発し勝利投手。巨人に15年在籍し引退。 >>832
そんな二人が後年(加藤にとっては現役ラストイヤー)、同じチームに所属するとはね 山中は体の小ささもあって、大学の松永監督が自身のいた住金入りを決めた。
監督の権限が大きく、当時の社会人は生涯で見るとプロに劣らないコースだった。
現代のように社会人でも将来の不安、プロ入りでもアマ復帰や指導者にもなれる状況だと、だいぶ違う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています