【正解?】入団拒否した選手を語ろう【裏目?】
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最も有名なのは江川。
73年阪急、77年クラウンを拒否。
78年阪神、小林とのトレードで巨人へ。 >>193
土地を要求したと言う木田勇なんてのもいたな
もし要求通り土地貰えたらその後バブルで地代も急騰しただろうし
先見の明があったのかもね
やっぱりその辺は学生じゃ出てこない発想なのかも >>186
今現役なのは中島くらいか
高見澤は元同僚(相川、福留など)と一緒にバッティングセンターや野球教室をやってるらしいが >>199
鈴木啓示は契約金で即不動産買って後に
そこに豪邸建てたらしいけど >>198
FAで巨人に行き、ナベツネに「清原が戦列を離れたほうが
チーム成績が上がる」と言われ堀内監督に忠誠を誓わされても
しがみついていた
巨人と対戦するセリーグに移籍すると思っていたのに >>200
あの3年間の下位指名選手の中で、なぜか後藤光尊だけが契約金あったんだよな。先見の明はあったんだな。 >>202
実際あれだけ態度の悪さが明るみになっちゃったらどこだって動きづらいよ
噂レベルでも落合中日が4番候補として獲得を検討したという話ぐらいしか知らない オリオンズ山崎は当時破格の契約金五千万円で、
まだ安かった春日部にかなり広い土地を買った。
長嶋も契約金で下北沢に土地購入。
一年目だけ川上宅に下宿し、二年目から下北沢の豪邸で生活。
田園調布に越してからは、中曽根総理に貸したりしていた。
張本、王も二十代半ばで都内にビル購入。
榎本は中野の超貧乏農家の生まれ。
実家が手放した田畠を契約金で買い戻し、
そこにアパートを建て、引退後は大家で生活。 鶴岡いわく東京の子は大阪のチームになかなか来てくれない。
特に彼女持ちだと、彼女が大阪を嫌い来てくれないとさ。 志村は入団してもせいぜい上田や藤代程度だろ?
引退後に、ムードコーラスの歌手になってヤクザみたいなリーダーに殴られたり、
若い奴の靴磨いたりするより、
サラリーマンの方がマシ
財閥系は福利厚生も厚いし安定しているしな >鈴木啓示は契約金で即不動産買って
地元の西脇の田畑を買わなくてよかったなあ
あのあたりは今でも契約金で町ごと買えそうだ(笑
志村は指名拒否だな
野球選手はどこに行くにも注目されるから それがいやだったといってたね
>>205
榎本って大家で食っていけたから、
引退しないでずっと復帰を目指して
トレーニングにのめり込んでいった
んだな >>214
いや、1回じゃ生ぬるい。
新垣や内海みたいな高校生が普通に大学や社会人に行ってプロ入りしてしまう。
最低でも4回外さないと。 「すき焼きは旨かったけど、ハムは好きになれない」
18のガキになめられた口きかれたって、親分が激怒してたなw >>217-218
ガチでカープと相思相愛だったらしい。
ttp://www.chugoku-np.co.jp/sports/shinseiki/shinseiki-2/010318.html
結局ヤクルトに入ったが…
日本プロ野球OBクラブには参加しているのかな?
恨んだ相手が理事長だったからなww 内海・長野・菅野も福留みたいに入団拒否して好きな球団に入ったくせに、海外FA権取得したら何食わぬ顔でメジャー行くんだろうな >>229
そうだろうね。で、通用しなくてすぐ日本に帰ってくるんだよな。日本の球団も舐められすぎ >>230
まあ一理ないこともなぃがFAは権利として認められてるしメジャー崩れを好き好んで獲得してんのも日本球界が勝手にやってることだからね
岩村みたいなのが増えてきたしだんだんとメジャーからの復帰も難しくなるんじゃないかな
>>229
福留は契約金積みまくって数年後には自由契約にするからって条件つけても拒否したみたいだね
それくらい近鉄は嫌われてたのかな…
イメージとしては野茂、吉井、石井を追い出したチームなんだろうし
内海はオリックスでも仕方ないか…って雰囲気だったが李を人質に取られて硬化してしまったな >>232
李ってどう見ても内海の逆指名取りつけるためだけに指名したとしか思えんよな
巨人サイドは戦力として期待したから指名したと言い張ってはいたが
内海入団後たしか1年でクビにしている 田村忠義(日本鋼管福山)
・74年 太平洋ク1位
・75年 ヤクルト2位
いずれも拒否し、結局プロ入りせず(74年は、相思相愛の広島の指名順直前で、太平洋クが強行指名したもの)。
重厚なサイドスローの好投手で、後のミスター社会人野球・杉浦(日本生命)以上にプロで見てみたかった投手だな。 >>197
大阪っていうか、関西人で阪神を応援するには面白いから良いが
いざ、選手としてあのファンの野次の中でプレーするのは嫌って
選手も少なからずいそうw
まあ、現在活躍してる関西出身の選手をハナから指名しなかった
阪神側にも問題があるけど。 石井章夫(慶大→東京ガス)
86年に大洋の2位指名を拒否し、結局プロ入りせず。
地元・桐蔭学園出身だっただけに、母子家庭という事情がなかったら… 石井は線が細かったし、プロじゃ微妙。
まぁ弟の方がキャラ的にもプロ向きだったし、実際成功したよな。 >>237
今は挨拶時点で拒否したら指名する事はまず無いから、無意味よ。
昔は滅茶苦茶だったが… 3度のドラフト指名を拒否して、4度目となる近鉄3位指名でやっとプロ入りしたのが上林成行。
国府高時代から注目の好投手だったが、浪人後進んだ法政大学を中退。拾ってもらったクラレ岡山への恩返しを重んじるあまり、プロ入りが遅れた。
プロでは、結局一軍登板なし。 中日→阪急で活躍した島谷金二も4度目の指名でやっと入団したクチ。
入団を拒否していたのは「堅い職業(銀行員)で」という両親の反対が最大の理由。
ただ、島谷自身が野球で次のステージでのプレーを望み始めた時期だったことと、中日の西村スカウトが高松商の先輩だったことが相まってのプロ入りだった。 >241
退団後の本人のインタビューで高卒後はスカウトがロクに見ないで指名を
続けていたのではと語っていた。
特に浪人時に指名された時は呆れて、大学〜社会人でも公式戦では殆ど投げさせてもら
えなかった。
>242
因みに銀行(四国銀行)ではなく四国電力だね。
理由は変わらないけど。水原氏など高商OBからの説得で逃げられなかったみたい。 今からは考え辛い「カープ以外なら拒否」でドラ1を拒否
日ハム黒田真二
近鉄金光興二 >>244
日鉱佐賀関・藤沢公也は5回目の指名でやっとプロ入りしたが、実は4回目となる76年にはプロ入りする気満々だった。
ところが、日本ハムは拒否宣言の高校生(崇徳・黒田)を1位で藤沢は2位。これには社会人No.1のプライドが許さなかった。
結局、日本ハムはこの年、ドラフト1〜3位に揃って拒否られる大失態w
金光(法政大)は、元々アマチュア球界に恩返ししたいという思いが強かった。
だから地元・広島以外は一貫して拒否。
その後、都市対抗、大学(監督)で優勝を経験し、拒否して大成功だったな。 >>245
金光がカープなら黒田の年に山崎隆造ドラ1はない話
もっとも黒田がカープまで残っていたなら
山崎隆造は他球団に指名されていた罠
まぁ日ハムも選抜優勝後に集団脱走騒動を起こした
崇徳メンバーを甘く見ていたのか
交渉後のコメントで「鍋が美味しかった!」等と高校生に舐められまくった訳で…
この年の崇徳は応武も近鉄3位を拒否したなぁ
カープ指名の山崎小川のみプロ入り 「鍋が美味しかった!」 ×
「すき焼きは旨かったけど、ハムは好きになれない」 ○
18歳のガキが言う台詞じゃないな。
だからプロでも大成出来ないんだよ。 予備抽選後、広島サイドは12番目阪神の山崎指名はないと踏んで、1位黒田、2位山崎の実現を確信してたみたいだな。
それが二つ前の何も考えてないアホ球団のお陰様で…。
金光に関しては、1位指名できた場面で敢えての田辺繁文だけに、広島的にはその程度の評価だったってこと。 >>248
当時まともなサウスポーのいなかったカープにとって
田辺は絶対に逃せない存在だった
田辺松本と高校左腕三羽烏だった川口の入団(この年ロッテ5位拒否)とドラフト外大野の覚醒まで
先発左腕の獲得は最優先課題だったよ
金光個人の評価は順位とは別_(^^;)ゞ
金光に関しては、弱肩で脚力も並、長打力も不足ということで、敬遠する球団も多かった。
求愛された!?広島も、「まぁ二巡目で残ってれば」ってとこだったな。 この頃のドラフトを見てると高卒時に入団拒否して社会人入りした際に
三年間お世話になりますと宣言した某選手がひどく薄情に見えてしまうな >>248
アマの指導者志向が強いと判断して金光を回避したのかな?広島球団は。
この頃はプロに入るとアマの指導者には少年・軟式以外には容易になれなかったから、
大学や社会人が指導者候補を有利な入学・入社条件で囲い込んでいたとも聞いた事があるし。
>>247
黒田は未だにハムを恨んでいる様だが。プロ野球OBクラブには参加していないのかな?
指名した当事者が運営に関与していたからな。 >>253
カープの金光に対する空気感は>>251だろ。
正直、肩がなくてセカンド限定の選手だから、ポジション的な拡張性もないし、売り物は「クレバーさ」と「勝負強さ」ぐらいで、プロ選手として大成するイメージはなかったな。
加えて、木下、高橋慶、山崎と計画的に内野手を養成している段階だったから、編成上「是が非でも」の選手ではなかった。 1位指名を拒否して、その後もプロに行かなかった選手って、そんなにはいない? 1位指名を蹴ってアマ球界に骨を埋めた選手で、その後も素晴らしい活躍を見せた代表が、奇しくも広島高校野球界のライバル、広島商と広陵のOB、金光興二と田村忠義だよな。
巨人の1位指名を蹴って話題になった小林秀一も、現役引退後は指導者の道でアマ球界に貢献。 >>248
黒田は第一志望広島、巨人阪神ならOK、他のセリーグ3球団ならば考える。
パリーグは絶対不可と言っていたのにな。
山崎は立大進学をカムフラージュして囲っていた。
80年代の巨人vs西武の激しい盟主争いを象徴したのが、80年のドラフトだったな。
瀬戸山(中京)は、巨人から受けた指名を拒否し、西武系列のプリンスホテル入り。
日ハム、阪急からそれぞれ1位指名された高山(秋田商)、川村(松商学園)も揃って入団拒否してプリンスホテルに入社し、後に2人とも西武入団。 広島以外拒否を表明したのは津田ぐらいで、他は巨人ならOKって感じだったんだろうな。
それにしても黒田はもったいなかった。
旬を過ぎてからヤクルトに入って敗戦処理止まりだったし。
高卒でプロ入りしてたらとつくづく残念な存在。 >>262
黒田は日本鋼管福山時代の入院生活がすべて。
リッカーに移籍した時点で、すでに高校時代の黒田ではなかった。 黒田は肋膜炎かなんかで入院したんじゃなかったか?
細身でスマートな体だったのに、プロ入りのときは
ずんぐりしていてびっくりした。 入社の経緯が経緯だし、鋼管福山では人間関係でも色々難しいことがあったのかと…。
崇徳の四番打者で、一緒に入社した永田も、間もなく辞めてしまった。 >>261
瀬戸山は西武が後に指名してたらプロ入りしたかもしれないね。
あの頃の西武は確固たる正捕手がいなかったから。
(大石と黒田は守りはともかく打てなかったし、伊東はまだ台頭する前だった)
その一方で、高山と川村がプリンスに行ったのは正直遠回りだったと思う。
高山は西武でそこそこ頑張った時期があったからまだよかったけど、
川村はやはり高卒の段階でプロ入りするべきだったね。 瀬戸山については、プリンスホテルでのプレーぶりから、その後のプロ入りはあり得ない。
川村は、阪急の指名を蹴ったことを今でも「一生の悔い」と語ってるな。 昔はドラフト指名前のネゴが、かなり杜撰だったんだろうなぁ。
地元密着型の広島でさえ、地元の高校生に拒否られるパターンが多くてビックリした。
特に71年の荒谷(広島商・4位)や73年の福井(崇徳・2位)あたりは地元で評判の好選手で、当然入団するものと思ってたファンは肩透かし食らった感じ。 ドラフト指名を拒否した球団に入団した主な選手
阪本敏三 1965年 東映 5位 1972年入団
袴田英利 1973年 ロッテ 3位 1977年ドラフト1位
中山孝一 1966年 阪神 6位 1980年入団
笠間雄二 1974年 阪急 3位 1980年入団
井上弘昭 1966年 東映 8位 1981年入団
加藤俊夫 1965年 大洋 2位 1982年入団
倉持明 1970年 ヤクルト 12位 1983年入団
池田親興 1977年 阪神 4位 1983年ドラフト2位
福嶋久晃 1965年 広島 8位 1985年入団
長崎慶一 1968年 阪神 8位 1985年入団
新井宏昌 1970年 近鉄 9位 1986年入団
加藤秀司 1967年 南海 10位 1987年入団
門田博光 1968年 阪急 12位 1989年入団 >>271
現役晩節になって移籍しているパターンが多いな。
門田に至っては、オリックスになってからだし。 昔は本人の進学、就職の意志関係なしに、「取りあえずダメモトで指名だけしとけや」的なのがあまりに多かったな。
下位指名選手なんて、球団側からは入団交渉がないまま交渉権放棄なんてのがまかり通ってた。 そう考えるとプロ志望届そのものは極めて合理的な制度ではあるんだな 65年の第1回ドラフト会議で、サンケイの1位指名を蹴って亜大に進学した河本和昭(広陵)は、大学では一度も登板することなく、中途退部している。
事情はわからないが、ドラ1としては稀有なケースだな。 >>277
中国電力に同名の人がいるけど、同一人物かな? >>279
西鉄が2位の吉岡が放棄で13位の小室が入団というのもわからん。
基準は何だ? 河本和昭は独特のフォームの速球派投手。
第一線での活躍は、広陵が最後になったのかな。
その後は名前を聞かなかった。
広島県高野連の発行した「30年史」には顔写真付きで投稿が載ってたから、元気ではあったんだろうが。 >>266
黒田の先例があった為に
協和発酵に行った津田が3年無事に過ごせるかビクビクしたものだよね
まぁ南陽工業からなら一般社員の先輩も
大量採用されていたとは思ったが
まぁ石橋騒動以前の古き良き時代 鋼管福山は協和発酵あたりと違って、筋金入りの猛者揃いだったからな。 2年前にカープ志望で強行指名拒否の田村忠義は
黒田真二に如何に接したのだろうか >>284
同じ酷い目にあった者同士だから、田村が最大の理解者であったのは間違いないだろうけどな。
黒田といえば、鋼管福山に入社後すぐの広島市民球場での公式戦で、御披露目登板したのが懐かしい。
その試合、崇徳同期の永田も代打で出場した。 崇徳で黒田の3年先輩、サウスポーの藤原仁も波乱の野球人生。
大洋のドラフト指名を蹴って進学した駒大を中退。
入社した日本楽器で活躍し阪神に入団。
主力投手の座を確保できたと思った矢先、故障でパー…。 73年の巨人が76年の日ハムと全く同じで、1、2、3、5位指名選手に逃げられるという大失態。
巨人の1位を蹴った小林(愛知学院大)は、この年阪急を拒否した江川の余波か、いわれのない批判を受けて悩んだとのこと。
なお、巨人の3位指名・中村(住友金属)は、残念ながら現役中に病死。 >>286
昭和57年の夏、後楽園での完封劇。
生で見たから今でも覚えているよ。
確かあの年6勝挙げたのかな。 中日→阪急で活躍した島谷金二も4度目の指名でやっと入団したクチ >>279
交渉権放棄なんてことが許されていたのが驚き 開田博勝がどんぐらいやれたか気になる。
指名順位は低かったけど結構好選手だし、
後藤も頑張ってるしなぁ。高見澤もケガさえなけりゃ >>290
いい加減だよな。「有望かどうかはともかく、とにかく指名しとけ!」という
ノリだね。 72年、地元・広島の7位指名を拒否した竹桝和也(広陵高)。
進学した亜大ではパッとしなかったが、電電東京では都市対抗優勝に貢献し橋戸賞投手に。
プロ拒否は正解だったと言えるな。 橋戸賞投手にも色んなのいるからな
一貫してプロ拒み続けた杉浦やプロである程度の成績残した川越
即戦力として下位指名ながらも期待されたいすゞの酒井なんてのも
東都2部の東京農業大で伸び伸びやってる陽川はどうなるかね 陽川は在学中に1度は東都1部で見てみたい選手だけど、東京農業大は万年2部だからどうかなぁ… >>292
まぁ、サンケイアトムズだけは、未曾有のバカ球団としか言いようがないw >>296
云えてる。
その時入団した2選手までも、2年で切ってる(2人とも自由契約なのかどうかはわからないが、敢えてこう云わせて貰う)から、尚更だw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています