元中日のマイナーな選手を懐かしむスレ その2
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田野倉って引っ張ってばかりだったから
シーズン前半はアベレージヒッターの上位に顔出していたこともあるけど、
後半になるとマークされて率落としていたね。
センターから右方向に飛ばす技術があったらレギュラーだったと思う。
あと名前をよく代えて古川利行と同じ利行にしていたことがあったね。 田野倉利男→正樹→利長→利行
利行になったのはロッテに移籍した後じゃなかったかな。
それにしても81年に一旦セカンドのレギュラーを掴みながら翌年入団してきた上川にポジジョンを奪われたのはともかく、ロッテに行って再び上川が後追いしてきた(落合とのトレード)のにはさすがにびっくりしたと思う。 >>184
当時のポケットサイズの選手名鑑に
「今すぐにでも4割打てる」と豪語した心臓男と書いてあったから
心臓男を口先男に書き直したよ。 沖縄出身でキャンプ中に酔っ払って
階段からコケて大怪我した伊礼とか外野手いたよね
あと引退後は高校野球界で一気にメジャーになった佐野心とか 岩崎恭平 愛称はプリンス
フレッシュオールスターMVP >>503
平田、金森と93、94年のドラフト1位投手が未勝利のまま引退したね。
金森は甲子園で打たれた1イニング2満塁ホームランで名前を残してしまったけど。 ミスターベースボールで投手役やってた後藤祝秀は?
俳優でやっていこうとしたけど売れずに自己破産したって所までは知ってるけど 神垣好きだったな あと関東とか
ピッチャーだと松浦とか
外人だとダメ外人のスパイクスが思い出深い
期待してたのに 酒井忠晴は修徳のエースだったけど投手やるのが嫌で堪らなかったらしい 阪神の平田勝男、阪神ファンからニセ平田と呼ばれていた巨人の平田薫
同じ頃、その2人の平田と比較して存在感が空気だった中日の平田恒男 さっきよみうりテレビで松本幸行出てたわ
ストーカーの55のおばさんにプロポーズされてた 藤立次郎
オジーティモンズ
大塔正明
ふと思い出した >>519
大塔はケガがあったみたいだから仕方ないけど、ティモンズはもっと
辛抱して使ってやれば活躍した気がする。
一年でクビにするには惜しい選手だった。 >>520
彼が登板していたときテレビ中継してて確か東海テレビの吉村アナだったと
記憶してるが「名は体を現しません」みたいなこと言ってたな
高倉さんのご冥福をお祈りします
「ミスターベースボール」楽しかったです 元・中日ドラゴンズ選手、瀬間仲ノルベルトさんが売るパステウ。
サンシャインシティ「フェスタ・ド・ブラジル」お店紹介
http://megabrasil.jp/20140914_13955/ 瀬間仲ノルベルトで認識されてたのに
なんで「ホッシャ」とかいうDQN登録名にするんだよと思ったら本名だった 前の年、米国から招待されたチームで矢鱈打ちまくったミヤーンの
打法を真似して突然打撃が開花した正岡 >>518
松本幸行がマイナーとかありえんだろw
20勝投手・左のエースだぞ? 安木のカクカクとした二段モーション風?の投げ方が懐かしい
金井とのトレードだったな。金井も向こうでそこそこ活躍できたし
成功したトレードの部類に入るかな Y校出身の三浦を、小さいころ、ナゴヤ球場で投げてるのを見て、
あまりの球威のなさに悲しくなった記憶がある。 昭和50年頃かな
俺が初めてプロ野球スナックを買って引いた選手のカードが
代打でよく出てきた中日の飯田、次が近鉄の鈴木啓示
だからこの二人はよく覚えてる 高木とか星野、木俣のほうが種類が多かったろうに。
なぜ飯田w 関東の選手生涯唯一の3塁打をナゴヤ球場の阪神戦で見たなぁ
狭い球場で決して早くはない足で、よく打てたと思った
(外野手がボール処理もたついてたんだけど)
試合はブリーデンの本塁打とかで阪神が勝った 代打男の江藤
一発長打の大島
こういうアダ名の付く選手が今いないし
マスコミが親会社の割には
こういった売り込みの仕方が下手 昨日の大本営に川又と湊川が野球教室を行った記事がのってた
てかまだ縁がきれてなかったのね、この人たち 転八起の七転八倒/自己破産したガニマタ打法元中日種田仁のギャンブル狂
◆ 元プロ野球選手・種田仁、愛甲猛
週刊新潮(2015/07/02), 頁:37 中日はギャンブル好きが多かった。オフシーズンに中京競馬場や蒲郡競艇場のイベントに呼ばれたりしてハマるんです。
97年のプロ野球選手脱税事件では種田は起訴猶予でしたが、翌年、3週間の出場停止になった。
実はあの事件、名古屋の競輪選手が、世話になっていた税理士から脱税指南を受け、親しい中日選手にも紹介したのが発端でした」 「A子は結婚後も種田さんとほとんど同居していません。結婚直後から女性の声で“別れてほしい”と電話が入り、ストレスで2回も流産したし、8年前に横浜に家を新築しても、当時0歳の子もいた新居に、
彼は一度も足を踏み入れなかったんです。しかも年俸1億円のときもA子に渡すのは月35万円だけなのに、彼女が種田の現住所を探して訪れ、
ポストの請求書を見ると、キャバクラなどで使った請求が月額600万円もきていたとか。年俸が下がって税務署やサラ金から督促状がきて、A子が“どうするの”と聞くと“来年もやれると思っていた”。家のローンも滞納し、競売するしかなくなった末に5年前に離婚。
彼は月8万円の養育費を払う約束でしたが、2年前に5000円への減額を求めてきた。調停で1万7500円に落ち着いたのですが、その際、種田さんには2番目の奥さんとの間に1人、愛人との間に3人、計5人の実子がいることがわかったんです」 「俺は家を買うためにローンを組んでも、ギャンブルで借金をしたことはありません。自己破産の原因は現役引退後の税金です。
ちょうど最初の奥さんとの離婚が同時期だったんや。彼女に慰謝料と持ち家を渡すことになったんやけど、
家のローンが相当残ってて、金を借りて払ってから奥さんに渡した。そのうえ収入がないのに、翌年も税金をたくさん払うために借金して、
借金を返すためにまた借金をして、自己破産や」 「私は種田とは5年前から同居しています。するとある日、“実はある女性と入籍した”と言われ、びっくりしましてね。その人との間に子供がいて、
“責任を取れ”と責められたというんです。でも、入籍しても種田は私と私の連れ子、種田と私の間の3人の子と暮らしていたので、
彼と同居できないその女性は業を煮やして楽天に“種田は愛人とその子供たちと暮らしている”と電話し、彼は退団することになったんです。その女性とは今年頭に無事離婚が成立しました」 中日時代の同僚、愛甲猛氏の話を聞きたい。
「ただ、“打つ”は好きだけど弱いんです。ロッカーで競馬、競輪、競艇、パチンコの新聞や雑誌を読んで研究していたけど、
麻雀でも気の毒なくらいカモにされちゃう。弱いくせに高い役で上がろうと頑張ったり、でかい夢見ちゃうのね。
それで負けが込みはじめると目がマジになる。何人かで韓国に行ったときは別行動でバカラやルーレットやって、
2日で“300万スッた”と言って、翌日、“300万取り返した”。再び相当な額を注ぎ込んだってことで、一歩間違えたら
大やけどではすみません」 種田と言うと野次られた時観客に延々食って掛かったのが
テレビで流れたのが印象深いわ >>532
先発中継ぎ抑えと何でもOK
今はこんな投手はいなくなってしまった 秋田、長田、豊田、倉田、桑田、中田、金田
などやたらと田のつく苗字の選手が多かった それは巨人
柴田 高田 柳田 原田 槌田 上田 富田 船田 千田 吉田 倉田 たしかにそうだけど、
マイナーな田のつく選手となると中日だね、ってことが言いたかったんだ。 秋田には球場前で握手してもらったっけな
スポーツ選手だけあって何もかもデカかったが
手だけは女性のように華奢だった
アレ何だったんだろう ギャオス内藤、津野浩志、村田勝喜、佐野滋樹、富田勝、ジャンボ仲根、横田真之あたりは、中日に在籍していたことを忘れられていそう。 あと石本や近鉄の方の小野や山内にハムの両田中投手微妙に波留とかね 元近鉄の小野和義は、金村義明とのトレードで中日に来たんだよな。二人とも、近鉄のドラ1。交換相手になったのも皮肉だが、宿敵西武絡みのトレードというのは、なんとも切なかった。 小野和義が中日に来る前には、西武から来た小野和幸がいた ニコ生【9月21日23時30分】佐野慈紀のプロ野球トークバラエティ『ハゲナマ』
http://ch.nic@video.jp/baseball-ob (@をoに変えて下さい)
ゲーム実況者vsプロ野球OBの夢のドリームマッチ
誰もが思いつくもやらなかった企画が遂に実現!
様々な野球ゲームで対決していきます!
ゲームでは負けられない! ゲーム実況者チーム 『湯毛』 『せらみかる』
野球では負けられない! プロ野球OBチーム 『佐野慈紀』 『新谷あやか』
10月ゲストにはBCリーグ石川ミリオンスターズ所属多田野数人選手が出演決定!
ご期待下さい! 金村義明は中日時代は無かったことにしようとしてるよな 元・阪神、だと引退後もテレビラジオから声がかかりやすい
元・中日でもいいけど声がかかるのは名古屋だからなあ >>558
プロの誘いを断って最初からアマ指導者の道に進んでた方が良かった
プレースタイルも性格もプロ向きでなかったかも
還暦目前になってやっと母校の監督就任でしょ
随分と回り道した印象 5位指名で、それでもプロでやってみようと思ったのかな 野球してる人間にとっては光栄な話しだよ
そのときは舞い上がって将来、待遇の事なんかは余り頭に浮かばないと思う だけど割と若いうちに辞めちゃったよ
未練無かったか 守備要員はどうしても地味になっちゃうよね
力量があっても首脳陣の目に留まらなかったら
出番すらもらえずクビになってしまう 80年前後で一軍半が割り込めそうなポジションってどこがあったっけなあ >>577
当時は、だろ
でも大学まで行かせてもらってその果てに浮き草稼業では親が気の毒だ
少し時代は下るが六大学で活躍しドラ1競合が予想された慶應の志村が
プロを断って財閥系大企業に就職したのは有名な話
今は中枢として活躍中だとか プロ野球選手は三十代後半になったら必ず一度は失業者を経験するってことだ。 短い期間にでっかく稼いでおかないと採算が合わない
だから、選手がオフシーズンに契約更改で揉めるのを誰も非難することはできない 分かる。
ただ揉める、つまり銭闘できるのは主力級だけ
残りの選手は、「この条件で気に入らなければ来季は契約しません」、
と球団に言われるだけ 93年の阪神戦
1−3で迎えた9回裏二死一、三塁フルカウントから
立浪が右中間への二塁打を放ったが
一塁走者酒井は投球と同時にスタートを切るどころか、
牽制と思って一塁に戻ってしまい本塁に還れず結局1点差負け
翌日は5点リードの9回表にフライ落球の上に、
併殺コースの遊ゴロをはじいて傷口を広げ
大逆転負けの立役者となった酒井は忘れない
ヤクルト戦の延長15回無死満塁からの三者三振引き分けとこの連敗は非常に痛かった その次の試合前に昌が鎖骨骨折したんだっけ。
9月2・4・5・7日呪われた4日間 >>581 80年だと、
衰えの見えてきた高木の二塁(基を取りに行った経緯もある)
宇野が出てくる前の遊撃
外人が不調だった外野一つかな。
後半の外野の主なスタメンは田尾、豊田、その他ぐらいだから。 宇野オープン戦のデッドボールで開幕間に合わず
大島開幕一週間後に交通事故でほぼ一ヶ月戦線離脱
大島のは自業自得だけど >>595
大島の怪我は確かに痛かったが、その分谷沢が開幕当初から想定外の大復活。
酷かったのは投手陣で、開幕戦で前年の新人王藤沢が好投するも競り負け連敗街道にはまり、他の投手も軒並み総崩れ。
終盤戦になってようやく牛島や都がちょっとだけ台頭してきた。 この日が近づくと、何らかの形で小森の三振シーンがテレビで流れる。 広瀬 梅田 久慈 康友
移籍組のショートは守備が優秀だった
基とか来てほしかった! >基とか来てほしかった
藤波が悪いw
ただ基は現役時代それなりの実績がありながら
引退後球界に残れなかったのは何か問題があったのだろうから採らなくて正解だったかも
当時の旧西鉄組で球界に何らかの形で残らなかったのは
引退後即郷里へ戻り自営業になった東田くらいで
殿堂入りした東尾以外でも竹之内や太田らは引退後も長く球界に留まった
スレタイにあてはまる選手だと日野茂
中日を戦力外になって末期の西鉄入り
選手としては芽が出なかったけど西武根本御大の下で広瀬と共に編成やスカウト部門を務めて
権藤政権横浜で二軍監督もやってた
最後は発足当初の楽天フロントでスカウティングディレクター 基は引退後も大洋と日ハムでコーチやってたよ、まあ長くはないが。
その後も数年間はTVKから、かつての九州でダイエー創設時にTVQで解説。
本人のさっぱりした性格もあるだろうが球界に残れないというほどではないかと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています