【左腕エース】 新浦寿夫 【河童】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
さあ行くぞ 男 新浦 変化球で打ちとるぞ
サウスポー 進級時に定時制から全日制1年に編入したため
同い年の藤波行雄が1学年上で1歳下の池谷公二郎が同学年。 韓国から帰ってきたら偉く逞しくなって帰ってきた。
物怖じしなくなって随分と成長したなと思った。
4年連続2桁勝利と2桁セーブポイントを同時に挙げる 子供の頃、貧乏でバラック小屋に住んでいたのは本当なんだろうか >>57
>>60
「さらば桑田真澄さらばプロ野球」に書いてあったけど、
巨人時代は超勘違い野郎だったけど、韓国から帰ってきたら
人間が凄く丸くなっていい人になってたそうだ 韓国から帰ってきた時は性格はたくましくなったが
見た目の方はどんどん細くなっていって
どっか悪い病気にでもなってるのかと思った この人って不思議だよね。
毎年軒並み完封をしている。あのドン底の1975年にも1完封ある。
勝ち星があって完封勝利がないのは1978年,1983年,1990年,1992年だが
日本で15勝挙げた1978年に完封がなかったりする。 長嶋時代先発一本でやって欲しかった。それなら20勝は確定的だ。
先発&締めくくりの大車輪起用が寿命を縮めた。
締めくくりのが多くて、先発で出てくると楽しみにしていた。 1975年の長嶋監督のピッチャー新浦!→観客ブーブー の映像が見たいな。あの頃が懐かしい。 1975年良かったのは小川邦和くらいだったな。
酷使でつぶれたけど。 出身がwikiなどで自称世田谷区になってるが隣接する狛江市が正しい
小田急線喜多見駅(世田谷区)が最寄りなのでそう言ってるんでしょうね >>52
>星飛雄馬とほぼ同年代で左腕。
>新・巨人の星の頃から2桁勝利。
新・巨人の星での宮崎キャンプ
テスト生の飛雄馬が新浦の柔軟体操を手伝うという場面で、長嶋監督に「おいテスト生!新浦は
うちのエースだ、スジを違えたなんて事のないように気をつけろ!」みたいなことを言われたのに対して、
かえって新浦の方が恐縮してしまい、「星、すまんな」と飛雄馬を気遣う場面があった
新・巨人の星のED、佐々木功の「よみがえれ飛雄馬」を今聞き直すと結構沁みるなあ ☆国鉄スワローズ全盛期金田正一投手と巨人の全盛期前のノーコン時代の新浦寿夫投手の、(勝ちだす1976年より以前のが速かったと思われるますので)
●直球の
@速度
A球質の重さ
B伸び(初速度−終速度の差)さと
★ドロップの
C落差
Dドロップの速さ
を比較するとどうなりますか? >>75私の推測は
@金田≒新浦
A新浦〉〉金田
B金田〉新浦
C金田〉〉新浦
D新浦〉〉金田
新浦さんのドロップのが鋭くストンと落ちて、終速度平均124q/h前後だったと記憶してます。
金ヤンのが天井から落ちて来てスローボールだったと思います。
新浦さんのノーコン時代はホームがダイナミックでした。
田渕の頭にデッドボールあてて
ヘルメットが真っ二つ!に割れてタンカーで運ばれました。
意識不明でした。あの頃の新浦さんは凄い速い球投げてたので田渕の頭にぶつけた時は背筋が氷ました。
しかもデーゲームでテレビ中継されてました。生中継で見ましたそのあとも続投しました。
動揺して全くストライクが入らず、そのあと四球連発して交代しました。
長島監督は直後に交代させるべきでした。
1976〜コントロールが良くなって8分の力でスピード抑えたころから段々コンパクトになりました。
初期のフォームのが好きです。
金やんの1950年度(17歳)のオールスター戦の映像はテークバックが短く腕の振りが早いです。見ずらそうです。
自信満々で生意気で気の強そうな少年に見えました。
*1958年度(25歳)の長島との初対決の頃はフォームはゆったりとして
デビュー時代よりスピード落ちてました。
三振を取り完投するコツを覚えたのでしょう。
去年夏のこの事件の衝撃が忘れられない
プロ野球巨人、大洋(現横浜)の元投手で、韓国プロ野球の三星でも活躍した
新浦壽夫(にうら・ひさお)さん(59)の弟が、東京都内で覚せい剤を使用していたとして、3日、警視庁に逮捕された。
捜査関係者によると、覚せい剤取締法違反の疑いで、逮捕されたのは、元暴力団幹部の金智浩(キム・ジホ)容疑者(47)。
金容疑者は2009年11月、警視庁による任意の尿検査で、覚せい剤の陽性反応が出ていたが、
その後、所在がわからなくなり、指名手配されていた。
警視庁は、大阪市内の建築会社で働いているという情報から、金容疑者を3日朝に発見、逮捕した。
警視庁は、覚せい剤の入手ルートなどを追及する。 長嶋第一次政権の時、後半に代打原田と殆ど毎日使った。
昭和50年度の新浦のように。きっと期待してたんだな。
原田の
通算実労年度の期間と〜
通算成績は? たしか韓国球界では3年間で54勝したはず この数字は凄いと見ていいのか >>80
実働7年、342試合、.230、4本塁打、38打点だそうな。
当時左の代打で淡口、山本功と一緒に結構使われてた記憶あるけど、
数字見るとそれほど成績は残してなかったみたいね。 大洋時代に巨人相手に12安打を打たれながらも完封したことがあった。
四死球はほとんどなかったはずだが。
後楽園最後の年、9回にアドゥチのホームランが出て勝ち越し。
そのまま完投して勝った試合が思い出深いな。 226事件かな。一回に2点、二回に2点、3回に6点取られて大洋に負けた試合。
あれでチームからもそしてファンからも新浦は見切りを付けられた。
巨人の新浦が終わった試合だった。 新浦が静岡商を中退し巨人入りを決めるトリガーとなったのは、国体出場資格問題。
この件で、それまでひた隠しにしていた国籍が否応なしに白日の下に晒され、日米の球団による新浦争奪戦が始まった。
当時、まだ野球ボールを握って僅か5年の新浦だったが、周囲の大人達の思惑により、甲子園準優勝から二週間後にはプロ野球の選手になってしまった。 1975年は高橋善もよかった。
酷使で潰れたけど・・・。 >>884
高橋良正(善正)は東映時代は先発投手だった。完全試合もしている。巨人時代は中継ぎ抑えで、小川邦和と抑えで両輪だった。
昭和五十年は新浦先発→高橋抑えのリレーの印象がつよい。新浦は長嶋監督に育てられ、
特に昭和53 54は先発抑えと滅茶苦茶に酷使されて潰された。
リリーフ専門を雇い、新浦を先発一本で使えば、20勝もした筈だ。
もっと長く活躍出来た筈だ。
1975高橋は54試合登板/130試合中 94イニングス
位だった さあ行くぞ 男 新浦 変化球で打ちとるぞ
サウスポー 速球を音に例える
米田哲也 ドスン
山口高志…ビュ〜ん びゅーん ブゥ〜ん
鈴木孝政 ピュ
村田兆治 ズドン
新浦寿夫 ズバット三振快速球
ノーコン時代の新浦が投げた人生最速の直球は時速何q/hかな?
昭和49〜51は当時セ・リーグでは鈴木孝政か新浦と云われた位速かった
>>96
1979年度開幕投手で(先発)最速144〜145q/hでした。
1978〜1979オールスター戦1〜2イニングで最速149q/h(多分神宮球場) 。
1976年度頭角を現したころ解説者が150q/hと言っていた。
まだ本格的にローテーションいりする前のノーコン時代はもっとダイナミックな投げ方していた。スピードだけなら高橋一三堀内の全盛期に匹敵する速さと思う。
ただテイクバックが大きいので、体感速度は
テイクバックの小さい江川>>>テイクバックの大きい新浦
背中を折り曲げてバネのような投げ方の高橋一三≒汗だくでノーコンで凄みのある新浦
先発完投するとアンダーシャツ5〜6枚取り替えていたらしい。
当時はリリーフはファールグラウンドで投球練習していた。
後ろ姿の髪の毛がびちょびちょに濡れていた。まるで雨を浴びたみたいに…
八回終了でノーヒットノーランあと3人。九回に打たれて逃した試合あった。
直前で逃したの2回あったと思います。
昭和何年何月何日、対戦相手わかりませんか? まさかご飯にサイダーかけて食うと思って無かったよ!
ご飯にコーラかける人も居ないだろぅ…
もしかして新浦さんがやってるかもなぁ! 準決勝で倉敷工に2-0で勝ったので
優勝するかと思った 長島が新浦を育てたという人間が多いが、8割は嘘。
昭和50年は夏まで全く結果が出ず、新浦の名前がコール
されると失笑が漏れたのは有名な話。
まともな指導はされていなかった。
で、ついに二軍に落とされるのだが、そこで長島とは
全く関係ない筋から紹介されたのが解説者の杉下。
杉下の指導もあって、フォームを矯正し、
1ヵ月後の復帰戦でいきなり完封。秋以降はほぼ
立ち直った。
この実績もあって、それまで長島との接点はほとんどなかった
にもかかわらず、シーズン後、杉下は読売の投手コーチに招聘された。
要するに、長島は他人に新浦を育ててもらい、それを徹底的に
使い潰した。 左腕は当時大変貴重だった。新浦は救援なんかさせず、先発完投型で中4〜3日で使って欲しかった。あれだけの素質が有ったのに、先発リリーフ両輪酷使で潰された。
先発主体なら20勝一回位やって、沢村賞もとってる筈だ。
ドロップ投げてスタミナ温存して完投できるしね。 桑田(巨人)に相性が悪くよく打たれてなぁ 相手がピッチャーなだけに投げにくそうだった マスコミ嫌いで記者に取材され「あいうえお」とだけ答えた。
江本がこのことを本人に聞いたら本当だと答えた。
コーラが好きで、水分のとりすぎで汗っかきでバテると言われていた。
汗ダラダラでグダグダ投球をして試合中に王に叱責された。 引退後に日テレ解説者になったけど、冷遇されっぱなしだったね。
はじめのうちはラジオ日本と掛け持ちも、次第に出番が減っていって
96年は巨人戦はたったの1試合。それもピーコとのW解説。
いつのまにかパリーグのデーゲーム中継ばかりになって、
ダイエー専科の福岡放送に転籍。ありゃ島流しだよ絶対。
同じ韓国籍でも金本より性格はいいと思うのだが国籍で損をしている。
そんな印象 >>108
試合中サイダーは飲んでたの?
後姿の襟足が雷雨に遭遇したみたいにびちょびちょだったね。
夏場は弱く、乾燥してると調子が良い。手も足も出ないのに突然くずれたりした。 堀内のような度胸があったら高橋一三クラスの活躍してたよね。V9真っ只中昭和43年?入団でしょう。
小松と郭泰源と新浦が一度も20勝以上してないのは監督の使い方の責任だな。 新浦さんて東北放送の解説やめちゃったの?
しかし宮城県と東北地方に縁のない新浦さんがTBCに起用されたのか疑問。 >>109
放送禁止用語
びっこ って発言したのがまずかったようだ。 >>110
初期あぶさんに、江本が試合前にコーラをがぶ飲みしていたら、
杉浦マネージャー(サッチー騒動で野村夫婦批判をした)から、
「先発やないの相手にバレるやろうが」と叱られていたな。
当時は先発予告もないし、ローテションもけっこういい加減だから、
試合前の練習量や過ごし方を観察して、相手の先発投手を読んでいたみたい。
ブレイザーは、相手チームの投手のバッグの膨らみで判断したとか。
当時は荷物は自分で運ぶが、先発予定だと着替えのシャツが多いから膨らむと。
スレ違い、長文失礼。 川上監督の末期からけっこう先発してるんですね。
昭和48〜49年にそれぞれ17回も先発。
49年には7勝もしている。
川上さんも次世代の若手を育てようとしてたんでしょう。
当時で言えば古葉や上田のようなオーソドックスな采配の監督の下で
先発専任なら北別府さん近くの勝ち星はあったかも知れないですね。
もっとも新浦さんが妙に「伝説」化しているのは
やはり長嶋さんのハチャメチャ起用(笑)の賜物とは思いますけど。 川上監督時代から素材は相当買われてたみたいだね。
南海時代の野村監督から新浦が欲しいということでトレードの要請も、
ウチの将来のエースだから出せんということで川上監督は拒否。
結果当時伸び悩んでた山内、松原が移籍、後に南海、広島で
2人はエース格になるんだから面白いですわ。
たらればで言えば、その時点で新浦が南海に移籍していればどうなっていたのかな。
後にノムが石井一を育てたこと考えると、これはこれで上手くいってたのかもしれないけれど。 寿司でも蕎麦でも常に横にコーラ置いて飲んでるという南明奈も
病気に気をつけてほしいもんだ。 昭和54年だったか、6月終わりか7月初めまでに12勝してた記憶があるんだが。
25勝できるんじゃないかと思った。
あのときの新浦はほんとにすごかった。が、その後は3勝どまりだった。
あの汗のかきかたからも、夏は弱かったんだろうな。 >>116
当時は川上は長嶋と険悪じゃなかったから、
時期新人監督の長嶋のために人材を残そうとしていたんだよね。
それを長嶋が川上派のコーチを一層したことで、
犬猿の仲になったが。 高校から本格的に野球を始めた新浦だが、野球の細かいルールもセオリーも、変化球の投げ方すらまともに知らない段階で、素質だけで夏の甲子園準優勝。
あの球団にさえ行かなければ、もっと実績を残せたろうに…。 >>115
新浦寿夫は超汗かきだから先発だとアンダーシャツでパンパンになるね!
>>117>>119>>121
巨人はV9真っ只中で城之内渡辺高橋一三堀内倉田いるし出張んない。
南海なら直ぐに先発で使って貰えたし、
後に左の江夏も入るからいっぱい技術伝授されたと思う。新浦程の素質で、ノムサンが上手く自信持たせて煽てて使えば20勝できるでしょ。
サイダーコーラの飲み過ぎなどの体調管理もされたし。
昭和51-54年の長嶋の使い方は滅茶苦茶だったよ。
あれでは壊れるゃ。中4日で先発で大事につかえば、170勝位いったと思う。
>>122
巨人もV9後半は、頼りになる左が高橋一だけだったから、新浦にも十分過ぎるチャンスはあったんだが、ことごとく生かせなかった。
湯口を潰したあの二軍監督の指導力の問題もあったにせよ…。 カープの大野みたいに落ちるボールがあれば、もう少し活躍できたはず。
晩年は落ちるボールも投げていたようだが…。 晩年はチェンジアップばかり投げていた印象。
スクリューだかスライダーだか遅い球をくねくね曲げて落としてみたいな。
投手不足の韓国で投げまくって抜いたピッチングを覚えたらしいが。
若い頃は田淵のひざ元にクロスファイヤーを決めて田淵もフルスイングで応えていたが。
高橋一三も日ハムでは遅いスクリューが決め球だったな。 ラビットボール全盛時に速い球で勝負した数少ない投手のひとり。
江川と同じく時代が悪かった。 >>124
君は勉強不足だ。ノーコン時代〜全盛期もブレーキの鋭いドロップ投げてたよ!平均124q/h前後位。
金田のドロップと比較
落差 金田>>>>新浦
スピード 新浦>>>金田
ドロップ球質の重さ
新浦>>>金田
ドロップのコントロール
金田>>新浦
全盛期フォークボールもシュートもたまに投げていた。 ドロップの球質の重さとはこれいかに?
直球やシュートならともかく。 >>129
まともに取り合っちゃダメだよ、○○○なんだからw しかし、河童というのも秀逸なあだ名だなあ ホントそんな感じだし
名付け親は誰なのか知りたい 長嶋監督に潰されたって、何のこっちゃ。
潰されてて、後々、韓国であんなにやれるの?
93年にも、巨人でやりたいと連絡が来たそうな。
長嶋は選手を潰してはいない。
野村とでも間違えてるんじゃない? 近々、奥さんとテレビのドキュメンタリー番組に出るみたいだね
糖尿病と戦った話らしい 東京スポニチ2013年7月期の我が道は新浦寿夫が書いている。 >>140
>長嶋は選手を潰してはいない。
橋本清と條辺は? テレビを見たけど、糖尿病は遺伝らしいね
でも、お米にサイダーをかけて食べていた話は、なんだろ?w
1日2回も注射を打ち続けるとか大変そうだね
久々に顔を見たけど、夫婦共に穏やかな顔をしていた 20年以上目黒の女と不倫してるんだけど、飲み食い自由だったよ、このチョン 子供が大きくなるまで待ってくれと待たされた宮崎のヤクザの愛人の娘…
私の青春返してはキツいわ >>131
ホリさん。
汗をかいた後の髪型(当時は直毛)が河童みたいだったから。 >>148
好きなだけ食べていたってw
テレビではしらじらしく果物は糖分が気になるとか
テレビ写りを意識していた三浦一義みたくオレオレみたいな感じがするんだよな
現役時代もインシュリンと紛れて興奮剤とかバイアグラを注射していたんだろうな
夫婦揃って演出とは正に三浦一義夫婦だよ >>150
仕事で知り合った女で今はもう45歳か
その女がずっと不倫で結婚待ち
金に汚い女で人に金借りまくり
新浦も金が無いので飯行くと、こいつ等のも払わされたな
地方の仕事先のキャバ嬢と仲良くなったりして名刺からメールや留守電盗み見盗み聞きして
キーとなって喧嘩してたわ
今考えると遊ばれてるのに必死な女だったな
まだ付き合ってんのかな 〜1980頃までの新浦投手
先発するとアンダーシャツ5〜6枚変えていた
髪の毛がシャワー浴びた直後帽子被ったのかよ‥‥!?位濡れていた
乾燥した天気だと好投した
好不調の波が激しく調子が良いと全く手が出なかった
全盛期(1976〜79)以前はスピードガン無かったが、間違いなく150キロ越えてましたね 1979オールスターゲームで終盤締めくくりで救援した
神宮で149キロ表示された
間違いなく昭和40年代は150軽く超えてるな
V9時代の巨人に入団しないで、ロッテ、南海、大洋あたりなら20勝してたな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています