池田は75年に日本ハムの監督だった三原監督からのもちかけで大杉勝男とのトレードが実現寸前だったが
監督に就任したばかりの吉田が待ったをかけて実現しなかったらしい。大杉はヤクルトでも活躍。
その池田は「優勝できんがったのは池田のせいやと言われてね。ボク自身、大きなショックを受けていた
うえに、非難と中傷まで受けた。街も歩けなかった。現役を退いてからも、耳から離れなくてね。
立ち直るのに十三年もかかりました」と答えていた。