【ケンカ投法】東尾修 その2【死球】
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>>597
小学生女子で、40mはすごい。
もう50近いオッサンだけど、小6の頃、
少年野球のピッチャーやってたやつらでも40-50mだったはず。 >>596
同意。
これ聞いた限りだと、永久追放もざまあって感じ 池永の時代に、子供が親をボコボコなんてあまり聞いたことが無い感じ。 池永という人はその人間性を疑わせるエピソードをよく聞く。
当時から評判が悪かったらしい。
だから、黒い霧事件のとき、かばってもらえず、追放になってしまったのだろうか。 池永が永久追放されてから開いたバーで
客に常識的な挨拶ができるようになるまで2年かかったと本人が言ってた。
「おはよう」「こんにちは」レベルの挨拶もろくにやってなかったのかもしれんな 東尾のミカン畑は誰が継いだんなら
弟は校長になってもうたし廃園したんか >>603
田舎では、公務員・教員がよく兼業で農家・寺・神社を
やってるよ。 東尾は、高いところにあるミカン畑て、摘み取ったばかりのミカンを
ふもとに置いたかごめがけて投げ込み、地肩とコントロールを磨いた。
万が一、かごから外れようものならば、父親から谷に突き落とされていたという。 なんか昔の選手ってそういう劇画チックなエピソード多いけど
そんなんで野球が上手くなるとは思えんw
江川の石投げとか稲尾が漁師で足腰鍛えたから凄い球をマスターしたみたいな 稲尾の家業の漁師の手伝いで足腰鍛えられたはありそう
江川と東尾は嘘だな
ミカン投げこんだりしたら売り物にならねーよ >>607
>>606はネタだぞw
そいつはつまらんみかんネタばっか書き込んでる奴だ 江川の石投げは昔「NUMBER」の引退特集増刊号に子どもの頃、河原で撮った写真が載ってたからたぶん本当だよ。
親が炭坑関係に勤めてあちこち転々としてて、どこにいた時の写真かは忘れた。
そういや中日の新監督も子どもの頃は北九州の炭坑にいたはずだけど、
ある世代までは親が炭坑関係って異常に多かったな。
なんか関係があるのかね?
松坂もお祖父さんは炭坑関係じゃなかったか? >>608
東尾のミカンはネタだよ。
稲尾は、漁の合間に出航前に拾っておいた石を
投げまくっていたというのは、自伝に書いてある。 >>610
三池炭坑の同じ社宅で真弓と原辰が生まれ育つ 頭にぶつけるには、頭から30cm後ろめがけて投げなきゃ当たらねーよと怒りながら言うサイコ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています